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第45話 風魔術の歴史


「ぶはははは! 見たかネルメア! 自らの魔術を使うことなく勝ちよったぞ! くぅ! これでこそエストじゃ!」



 特別席にて、魔女が腹を抱えて笑っていた。

 魔術対抗戦という名前に反して、自身は一度も魔術を使うことなく試合を終わらせたエストに、学園長だけでなく一般の者も騒然としている。


 魔女の横で、アリアはうんうんと頷いている。



「やっぱり槍は上手いね〜。投擲訓練をさせた時も、石ころは当たんないのに槍は百発百中だったよ」


「だからと言って、あの速度で投げて当たるものか……? あれは少し……いや、かなり異常だぞ」



 時空魔術で試合の様子が映される対抗戦。

 進行をしながらも観客として観ていた学園長は、エストの破天荒な勝ち方に頭を抱えた。


 四対一という絶望的な状況を、槍を投げただけで切り抜けるなど物語でしか語られない。

 まさに英雄の武勇伝とも言える活躍は、魔女の後ろに居る第二皇女にも輝いて見えた。



「エルミリア様、彼はどういう魔術を?」


「使っておらぬぞ。あれは投げただけじゃ」


「う、嘘ですよね? 魔術師が、それも一年生にあのような事が出来ると?」



 豪奢な赤い髪を揺らし、深紅の瞳で魔女を射抜く。

 この特別観戦席に設置された、一際豪華な椅子に座るのは、ルージュレット・エル・レッカ第二皇女だ。



「はぁ〜、分かっておらぬのぅ? わらわとアリアの元で育った子が、お主の持つ一般的な魔術師に当てはまるわけがないであろう? エストが魔術を使わなかったのは、相手の魔術を見る前に試合が終わるからじゃ」


「そんな理由で!?」


「むしろそれ以外にエストが出場する理由が無い。きっと『面白い魔術が見たい』とか思ったんじゃろう」



 魔女の予想は完全に当たっている。

 エストの考えを迷いなく言い当てる辺り、理解の深さが窺える。しかし、それでも皇女は信じられなかった。


 未来の宮廷魔術師をひと目見ようと訪れたが、まさかあのような戦い方をされるとは思ってもみなかった。



「……二回戦が気になりますね」


「うむ! もしかすると、魔術が見れるやもしれぬ」



 ニヤリと歯を見せて笑う魔女の目は、子を見守る親ではなく、魔術師の目だった。








「罠、ですか?」


「ああ。開始と同時、セーニャに落とし穴を作ってもらう。例年通りならバンは突っ込んでくるはずだ。身動きが取れなくなったところを、ユーリとアルフレッドが叩く」



 これまでの魔術対抗戦を観ていたマークは、相手に合わせる戦術を提案した。

 それが落とし穴を用いたものであり、成功率には自信があった。


 次の相手であるバンは、度々学園で話題になる火の適性を持つ男子生徒だ。やんちゃな性格とは裏腹に、努力を重ねた魔術の腕で知られている。



「エストくんには防衛を任せるよ。正直に言って、セーニャ一人で守り切れると思えないんだ」


「は~い」


「罠と壁を同時に張るなんて器用な真似、出来ないっすから。頼りにしてるっすよ、エストさん」


「任せて。防御魔術は得意だから」



 魔女の教えで、エストは守ることに特化している。氷魔術による氷鎧ヒュガは、その最たる例だ。ゴーレムの攻撃すら防ぐ硬さは、土や水の魔術からも着想を得ている。


 初めてエストの口から『得意』という言葉を聞き、セーニャはビシッと親指を立てた。


 そうして作戦を詰めていると二回戦が始まる。

 バンのチームは前回準優勝の功績でシード枠となり、この二回戦から、魔術対抗戦は本番と言える。


 消耗も視野に入れた上で短期決戦が望まれるため、魔術の腕はもちろんのこと、作戦の密度も重要視される。



『二回戦第一試合を始める! 両チーム構え!』



 学園長の言葉で、エスト以外が身構える。

 今回の鍵はセーニャだ。相手が落とし穴にかかるかどうかで、試合の命運が別れる。



『始め!』


「やるっす! 地形変形アルシフト!」



 開始直後、セーニャが周囲の地面を操り始めた。

 地形変形アルシフトは上級魔術に分類される、難易度の高い土魔術だ。ただ、上級魔術の中でも比較的簡単な術であり、基礎のあるセーニャならギリギリ扱える。


 森の入口が静かに作り替えられていると、ふとエストは顔を上げた。



「……おお、凄い。直撃したら大変だ」



 森の上を、巨大な炎塊が飛んでいた。

 木々の頭を焦がしながら宝玉目掛けて飛んでくる炎は、城を築いても守りきることは出来ないだろう。



「なに……あれ」


「は、こりゃ予想外だ。罠も無意味だったか」



 カミラとマークも炎塊を目視すると、地獄の欠片とも言える相手の魔術に、乾いた笑いがこぼれる。

 自分たちが為す術なく焼かれる未来しか見えず、完全に諦めていた。それは二人の様子を見て顔を上げたユーリ達も同様で、強い魔術師とは斯くも理不尽なものかと立ちすくんでいる。


 そんな中、一人だけ笑っている者が居た。



「いいね! 土魔術を核として炎で包んで、風魔術で強化する……うん、しっかり考えられてる。こういうのが見たかったんだ!」



 エストは『面白い魔術』と判断し、右手を前に突き出した。

 もう炎塊はすぐそこまで迫っており、肺を焼くほど空気が熱い。


 もう試合が終わる。

 誰もがそう思った、次の瞬間。



 エストが右手を握ると、巨大な炎塊が小指程度に縮小した。



「……え?」



 そんな声を漏らしたのは誰だったか。

 エストは息を吹いて火を消すと、手を叩いて作戦続行を促した。



「ボーッとしてる暇は無いよ。動いた動いた」



 何が起きたか分からない五人は、呆然と立ち尽くしている。


 無理もない。魔法陣を見せずに消されては、何をしたかすら認識できないからだ。


 これまでのエストは、極力完全無詠唱を避けていた。

 それは、いつの日か学園長が言った『見えなければつまらない』という言葉を頭に入れているから。


 だが、魔術師の本気がぶつかる試合となれば……


 《《見えない方が面白い》》。



「今、何をしたの?」


「火を消しただけ。カミラが言ったんだよ? 防衛は任せるって」


「でも、今のは……」



 火を消すよりも前のこと。

 大人よりも大きな炎を、どうやって小さくしたのか。

 手を握っただけで、そんなことができるのか。


 否。何かしらの魔術を使ったに違いない。



 では、その魔術とは?



 ……それすらも見せないのが、真の魔術師である。

 魔法陣を見せることなど、本来魔術師同士の戦いにおいてはナンセンス極まりない。ポーカーで相手に自分の手札を見せるようなものだ。


 しかし。だからといって。


 カミラ達の目の前で起きたことは、有り得ないことだった。



「早くしないと、相手が攻めてくるよ?」


「……そ、そう、だね。うん、まずは戦おう」


「まぁ──もう来てる、が正しいけど」



 小さく草が揺れると、木陰から真っ赤な魔法陣が出現した。

 それは宝玉ではなく、一番森に近いユーリに向けられており、気づいた瞬間には魔法陣が煌めいていた。



火炎塊メゼアァッ!!!」



 殺意が宿ったキーワードが聞こえると、人一人分といった大きさの炎がユーリを襲う。



「た、助け──」



 声を出した時にはもう遅く、ユーリの姿は消えている。森の中から突如として現れたのは、あの炎塊を作った張本人であり、前回準優勝に輝いたバンその人である。



「次は……お前だ!」


「ッ、火槍メディク!」


「ぬるいわ!」



 アルフレッドが応戦しているが、二人の間に落とし穴があるため、動きが制限されている。セーニャは一瞬だけ解除しようか考えたが、宝玉の傍であくびをしているエストを見て、解除の必要は無いと判断した。



「マーク、援護しないとアルフレッドもやられるよ」


「分かってる! だけどアイツの姿が見えないんだ!」


「そう? 森でリスを追う方が難しいと思う。ま、頑張って。カミラも、暇なら助けた方がいいよ」


「……すばしっこいの! 風針フニスが避けられる!」



 木から木へ、飛ぶように移るバンは動きが洗練されている。森での戦闘における、木の使い方が非常に上手いのだ。優勝候補なだけはある。


 豪快な魔術とは裏腹に、実によく考えられた立ち回りだった。



「にしても、あの炎を撃ってのに攻めに来るなんて、しっかりしてるね。僕なら勝ちを確信してるよ」


「……わたし、も、そう思います」



 エストの隣に、見知らぬ少女が立っていた。

 独り言でバンの緻密な作戦を褒めていると、いつの間にか現れていたのだ。しかしエストは何をするでもなく、ただアルフレッド達の攻防戦を眺めている。



「君、あの魔術を強化した?」


「……うん。風、使えます」


「なら、循環魔力を高めた術式の方がよかったよ。あの速度なら、もう数秒長く飛んでたら切れてたと思う」


「……ほん、と?」


「うん。あと、炎に紛れて魔法陣が見えないと思ったら大間違いだ。しっかりと闇魔術を知って、術式隠蔽を学んだ方がいい」



 危害を加えないならと、薄い緑の髪をした少女にアドバイスするエスト。今言ったことを実行すれば、並の魔術師なら確実に欺ける。


 何の目的で来たのか知る由もないが、どうせならと、簡単な風魔術のレクチャーを行う。



「あれ、風域フローテの魔法陣だったけど、消耗を抑えるために風球フアでやった方がいい」


「……そう、なんですか?」


「うん。実は風魔術による火魔術の強化率はかなり緩やかで、わざわざ高位の魔術を使うくらいなら、初級魔術を二つ使った方が効率が良い」


「……ほうほう」


風球フアの魔法陣、出してみて」



 少女には一切目を向けずに言うと、視界の端に緑の魔法陣が映った。その魔法陣を即座に奪い、火の強化に適した術式へと改変する。


 風球フアは文字通り、風の球を作る魔術だ。


 構成要素を理解していれば、その形は自由自在に変えられる。

 エストは円形になった風球フアを作り、少女の前に持ってきた。



「この円の上に火を置いたら、さっきの炎はもっと激しく燃える。その上、君の消費は半分以下になる」


「……すごい」


「それじゃ、覚えたなら帰って。今の君に面白い魔術は無い」



 エストは奪った風球フアを少女の顔の前に持ってくると、性質を変えた。

 魔術とは、悪用すれば容易に命を奪える。


 空気の略奪。周囲にある空気を取り込もうとするように円形の風球フアが膨れ上がると、急速に少女の顔色が悪くなっていく。


 これは昔、放火の罪を犯した罪人を処刑する際に用いたとされる、風魔術の使い方だ。



「く……くる、し──」



 少女の姿が消えると、冷たい目で前方を見る。

 そこには、アルフレッドのみならず、マークとカミラ、そしてセーニャの四人を倒したバンが、鬼の形相でエストを睨んでいた。


 バンの赤い髪は燃えるように逆立っており、怒りの感情が強すぎるあまりか魔力が暴走し、制服の至る所が焦げている。



「テメェ……フィアを殺したな」



「ユーリが燃やされたからね。お相子だよ」


「チッ、まぁいい。お前を殺して俺は勝つ」


「僕、もっと見たかったんだ。君の魔術」



 真っ赤な魔法陣を出したバンに、エストは微笑んだ。

 その笑みは嘲笑うものではなく、小さな幸運が降ってきた時のような……そう、机の引き出しから五百リカ硬貨が出てきた時のような、嬉しい時の笑顔だ。


 しかしバンは、それが酷く不気味に見えた。


 数々の生徒が自分の炎に恐れ。

 魔術対抗戦でも、ミツキ以外に敵は居ない。

 学園でその名を知らない者は居ないと言われるほど、優秀な火の魔術師である。


 そんなプライドが、エストの笑顔に腹を立てた。



「ぶっ殺してやるよッ!」


「じゃあ僕は……守ってみせよう」




 熱い炎と冷たい氷が今、衝突する──。

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