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第32話 感謝の気持ち


 早朝、トレーニングを終えたエストは悩んでいた。


 これからユーリの事で迷惑をかけるメルに対してお礼がしたかったのだ。

 頼れる女子の代表、クーリアに助言を受け、ダークブラウンのパンツと白いシャツ、黒く薄い生地の上着を羽織り、水魔術の鏡の前で突っ立っている。



「……街を歩くだけで、本当に喜ぶのか?」



 クーリアが教えたのは、デートである。

 今日は週末、学園の授業が無いのだ。

 生徒は思い思いに過ごすが、エストはギルドで冒険者と喋るか、ダンジョンを攻略するかのどちらかだった。


 本当の意味での休日を作ったのは初めてである。



「杖は……置いて行こう」



 戦闘が起きないので杖は要らない。

 忘れ物の確認を終えると、十五万リカほど持って待ち合わせ場所の校門前に向かった。



「しまった、早く着きすぎた」



 柄にもなく予定を立てたせいで、待ち合わせの三十分前に着いてしまった。

 荘厳な門の前では庭師が敷地の手入れをしており、その様子を眺める以外にすることが無い。


 何もしないのは落ち着かず、学園のすぐそばにある広場に行くと、エストはベンチに座った。



「あ、猫……おいで」



 トコトコと足音を立てていた野良猫は人懐っこく、エストの声に反応すると膝の上に乗った。

 野良猫は病気や虫を持っている可能性があるので、光魔術で浄化してから顎の下を撫でる。


 ゴロゴロと喉を鳴らす猫を、嫌がらない程度に撫でる。



「朝から散歩か?」


「にゃー」


「そっか。暑くなってきたし、肉球にも悪い。気をつけるんだよ」


「にゃー!」



 言葉を理解したように猫が鳴くと、今度は周りに小鳥が寄ってきた。

 朝によく聞く鳴き声の鳥であり、姿を見るのは初めてだった。ずんぐりとした体型の鳥は、黄緑の羽毛に覆われている。



「森に居た鳥より小さい。餌が少ないのか?」



 小鳥はエストの横に飛んで来ると、可愛らしく鳴き始めた。

 すると、数羽の鳥たちが集まってきた。

 鳥の歌は心地よく、エストの頬も緩んでくると、猫は気持ちよさそうに眠る。


 人には好かれにくいエストだが、動物には好かれるようだ。



「っと、そろそろ時間だ。またね」



 優しく猫を降ろすと、校門前に戻った。

 朝日が昇って少し。まだ待ち合わせの五分前だが、メルは既に到着していた。



「おはようメル。待たせたかな」


「お、おはようエスト君! い、今来たとこだよ!」


「それは良かった。髪、今日は二つ結びなんだ」


「……ちょっと前からこの髪型だね」


「気づかなかった」



 今日のメルは白いワンピースに身を包んでおり、ツインテールを結ぶリボンは黄色く、可憐な印象を与える。

 あまり人に興味が無いエストでも、素直に可愛いと思った。



「エ、エスト君……かっこいいね」


「ありがとう。メルも似合ってる」


「うぇっ!? ほ、ほんと?」


「うん。制服だとあまりわからないけど、メルは可愛いと思う」


「……死ぬる」



 滅多にないエストの褒め言葉に、頭がくらくらするメル。

 門に当たったりコケては危ないと判断し、エストはメルの手を握った。

 メルは顔から火が出そうになるが、何とか持ちこたえた。


 エストの手はひんやりしており、非常に心地よかったのだ。



「大丈夫?」


「う、うん、だいじょぶです」


「それじゃあ行こうか」



 エストは手を繋いだまま、街に向けて歩き出した。

 まさかの展開に処理が追いつかないメルは、高鳴る胸の音が煩く感じている。


 初めて握られた手は、やはり冷たい。

 白い指は細いがしっかりしており、メルより少し大きな手は、そう簡単には離しそうにない。

 メルのペースに合わせて歩幅を揃えたエストは、事前にクーリアに教えこまれた雑貨屋へ連れて行った。



「このリボン、可愛い!」


「うん、似合うと思う。試しに着ける?」


「うん!」



 メルは髪飾りが置いてある棚を見ると、赤いリボンを手に取った。

 エストは付け替えたメルのリボンを受け取ると、先程とは違って大人な雰囲気を感じた。



「ど、どうかな?」


「似合ってる。でも、大人っぽい印象だから、二つ結びじゃない方が良い」


「なるほど」



 的確な意見をもらうと、メルは髪をほどいてポニーテールにした。

 肩まで伸びた茶髪を揃え、一つに結ぶ。

 エスト的には、今の髪型が最も似合うと感じた。



「こんな感じかな?」


「……見違えた。普段のメルを知ってたら、誰かわからないと思う」


「えへへ、じゃあ、エスト君だけの特別な私」



 特別。その言葉に、エストは口角を上げた。

 彼にとって特別というのは、魔女やアリアに対する思いであるため、メルがそう思ってくれたことが嬉しいのだ。


 それに、周囲の人が知らないメルということに、優越感を覚えた。



「店主、こちらのリボンを買いたい」


「七百リカだよ……あい、丁度だね」



 気づけば、エストはリボンを買っていた。

 迅速に支払うと、メルは慌ててエストの手を掴んだ。



「エスト君、お金なら払うよ?」


「いい。それだと特別感が減る」


「……そ、そっか。えへへ、ありがとう」


「今日は特別なメルだから」



 メルの喜ぶ顔を見て、安堵する。

 クーリアから『貴方から贈った物なら、メルさんは喜びますわ!』と言われていたが、全くその通りだった。


 不思議とメルの笑顔を見ていると落ち着く。

 そう感じたエストは、次なる店へと足を運んだ。



「えっと、ここは?」


「魔道具屋。ほぼ毎日来てる」



 次に訪れたのは、大通りにある魔道具屋だった。

 ここはエストが初めて魔道懐中時計の値段を知った店であり、ギルドに行く道中、必ず寄っていた。


 店主は若い男性で、彼の父親が魔道具職人だ。

 まだ見習いという立場だが、店主の魔道具も購入者は多く、人気がある。



「朝から誰だと思ったら、白坊主じゃねぇか。今日は彼女でも連れてきたか?」


「か、かのっ!?」


「彼女? あぁ、彼女はメル。土の魔術師」


「……お前モテねぇだろ」



 一切照れる様子を見せないエストに、店主は苦笑いする。

 メルも少し気分が沈むが、目の前の魔道具を見て目を見開いた。


 それは、土の魔術で出来たインクケースだった。


 インクの色に合わせて土の色が変えてあり、機能性もさることながら、散りばめられた花のデザインが美しかったのだ。



「これ、凄い……」


「ハッ、それは白坊主が考案した物だな」


「エスト君が?」


「あぁ。花の魔物から取れる染料で、最近は色んなインクが増えたんだ。それで、これから増えるであろうインクを保管する棚を作ったらどうだ? ってな」



 アイデア自体はエストが出し、店主はそれを父親に伝え、試作品として出来たのがメルの前にある物だった。


 メルは最近、女子の間でカラフルなインクが流行っていることを知っていた。あまりお金が自由に使えないので聞いているだけだったが、それでもこのケースは売れると思ったのだ。


 デザインは大人でも楽しめ、保管もしやすく場所も取らない。

 何よりも、土魔術という部分が興味深い。



「土魔術って、魔道具に使われるんですか?」


「もちろんだ。むしろ、殆どの魔道具は土魔術が基本で造られている。例外はあるが、概ね土魔術だな」


「……こんな使い方があったなんて」


「白坊主が色の着け方を教えてくれてから、その幅は更に広がったな。最近は親父も、必死になって魔道書を読んでるぞ」



 二人の会話をそっちのけで時計を見ていたエストは、メルの視線を感じて振り返った。

 キラキラと、希望に満ち溢れたメルの瞳。

 自身に教えてくれた技術が魔道具という分野で活躍できると知り、未来が明るくなったのだ。


 土の適性がある人は、大抵が土木関係の仕事に就くため、女性の土魔術師は嫌われがちだった。

 でも、魔道具師という面で見れば、女性向けの装飾や機能を持たせることで、新たな可能性が見える。




「凄いよエスト君! 革命だよ!」




 嬉しくなったメルは、エストに抱きついた。

 それを優しく受け止める姿を見て、店主は彼女の気持ちを悟る。


 しかし、エストがとことん他人に興味が薄いことを知っているため、険しい道だと思った。

 純粋な好意を向けるメルを、陰ながら応援する店主なのだった。

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