第128話 守るための殺意
「二度とその名前を口にするな。魔族」
『酷いではないか。私にはナトという名を授けられている。万象のナト……知らないのか? 人間』
無数の氷刃を飛ばしながら、エストは距離をとっていた。
その背後にはナバルディが立っており、狭い廊下で戦うには分が悪い。
瞬時にナトの前に五属性の壁を展開すると、地形操作で地下牢から地上への階段を造った。
「ナバルディは先に逃げて。住民の避難を」
「ワシも加勢しよう。微力ながら──」
「要らない! 早く行けッ!」
とにかく守る対象を減らしたかったエストは、地上にナバルディを転移させた。
そして小さな魔力の動きを捉えると、牢に向かって飛び込む。
次の瞬間、魔術の壁をものともしない、特大の光が廊下を消し飛ばした。
『一匹逃がしたか。面倒な術を使う』
「つくづく関わりたくない相手だと思えるよ」
万象のナト。
五賢族の一人であり、その二つ名通り”あらゆる魔術”を使う最も叡智ある魔族。
あらゆる魔術……それは光を飲みような目に秘密がある。
その目で見た魔法陣を瞳に映すことで、例え術式を理解していなくとも、全く同じ魔術を使えるというもの。目と同じ数。つまりは二つまでと制限があるが、ナトが宿した魔術が破格のものである。
今のナトは、数百年前に居た聖女の光魔術、壊死光線と、賢者リューゼニスの転移を宿している。
実は、それ自体をエストは知っていた。
旅立ちの前に、ジオから五賢族の情報を渡されている。
その中には、しっかりとナトの情報があった。
ゆえにエストの魔術は模倣されないのだが、それ以上に宿している魔術と闇魔術が脅威だった。
「……氷結世界」
エストは地下牢全体を氷漬けにすると同時、地上に転移した。
辺りを見回せば、ここがべルメッカの郊外であり、街の方では避難を始める声が上がっていた。
こんな真夜中だというのに、避難はスムーズに進んでいるようだ。
数秒の確認が終わる頃には、エストの近くに転移していたナト。
まるで獲物を見つけた動物のように、ギラついた目をしている。
『逃がさないぞ。四肢をもぎ取って私の甘美なる晩餐にしてやる』
「おお怖い。その目をくり抜いてアリの餌にしてやる」
『貴様アアアアアアァッ!!!!!』
理知的な雰囲気を放っていたナトは一転、感情を爆発させて魔力の制御を辞めてしまった。
辺りに濁った魔力の感覚がするほど、魔族の魔力は澱んでいる。
しかし、マニフと違い魔術を使いこなすナトは、激昂しても構成要素に意識が向けられていた。
ねっとりと絡みつくような威圧の魔術が放たれると、エストは真正面から立ち向かう。
可視化された黒い幕がエストを覆う。
精神を蝕むような震えが全身を伝うが、強靭な精神力で耐えて見せた。
「未熟だ。闇魔術は耐えられたら負けだよ」
杖を振りながら、頭の中で漆黒の魔法陣を組み上げるエスト。
その目には、見た者を凍りつかせる殺意が宿っていた。
「消えろ」
たった一言。
その言葉が引き金となって魔術が発動すると、ナトに向かって静かな衝撃波が放たれた。
──静寂。
砂が風に撫でられるように優しく包まれたナト。
明らかに魔術を使われたのに、何も起きていないことが不思議で堪らない。
不発に終わったのかと首を傾げた瞬間、突如として心臓を握り締められたように苦しみ出した。
『ハァ、ハァッ、ハァ、ハァ……!』
「あの時のままだと思うなよ」
静かに。静かに殺意の刃を研いでいた。
もうシスティリアを傷つけさせないために。
アリアを苦しませないために。
守るための盾ではなく、先に殺すための刃を。
冷たく、鋭く。
氷のように確かな殺意が凝固した刃は、跪いて悶えるナトの首を捉えた。
首を落とさんと、握った杖を引く。
『ヒヒヒヒッ、ヒハハハハハハ!!!』
「……?」
ゴトっと落ちた頭が気味の悪い声で笑いだし、体が溶け始めた。
見たことのない異常事態にエストが硬直した瞬間、砂に染み込んだナトの体液が徐々に形を作り出す。
目から黒い光を失ってもなお笑い続けるナトは、やがて大きな砂のゴーレムを形成し、笑い続ける頭を首に置いた。
すると、曇った瞳でエストを見つめる。
『ハハハハハ! これで無限の体だぁ……っ!』
「……何が起きてる?」
『アハ、アハッアハッアァ? あ……あ』
笑っていた首が静まり返る。
それと同時に、エストの全身に鳥肌が立つ。
猛烈なまでの嫌な予感。
迫り来る波のような死の感覚に、反射的にナトの背後に転移した。
その時だった。
ナトの前に黒く濁った黄金の多重魔法陣が展開されると、凄まじい大きさの光の柱が、べルメッカの街を貫いた。
「……っ、システィ!!」
一直線に跡形もなく消し去った家々に向かって叫ぶと、エストの後ろから肩がトントンと叩かれる。
「ここに居るわよ」
「……え?」
「あんなに魔術をブッ放しておいてアタシたちが気づかないとでも? それよりアレ、魔族よね? 戦うわ」
「オレも居るぞ」
いつの間にか後ろに居たのは、システィリアとブロフだった。
二人は本物のナバルディが避難指示を出した後、エストが受けた尋常ではない威圧を感じ取り、回り込むようにして動いていたのだ。
そしてナトの超高出力の壊死光線と時を同じくして、エストの背後に着いた。
「あの魔族、信じられないくらい臭いわね。鼻がひん曲がりそうだわっ!」
「乾いた砂地に吐瀉物が撒かれた感覚だ」
二人が武器を構えたのを見て、エストは首を振ってナトに向き直った。
「情報共有。あの魔族は二つまで魔術を完全模倣して使える。素の魔術適性は闇。今模倣できるのは壊死光線と転移の魔術」
「了解よ。気をつけることは?」
「壊死光線……さっきの光。当たれば死ぬ」
「見れば分かる。街が消えたんだぞ」
「システィには悪いけど、怪我は全て僕が治す。死なないように立ち回って」
大きく頷くのを見て、エストは数歩下がる。
前衛二人に後衛一人。
とても頼もしいこの二人の背後は、先ほどと違って心に余裕が生まれた。
さっきまで焦っていた己の心を理解し、律する。
もう失敗しない。
この場で魔族を討つ。今回こそ、この手で。
「絶対に守るから、安心してぶっ壊してね」




