第123話 褪せた大地に海の味
「よかったね。木の実が成ってて」
「こればっかりは運が良いとしか言えないわ」
ドゥレディアの首都べルメッカを目指して歩く三人は、途中で越えることになった小さな山で木の実を採っていた。
険しい岩肌の山を登りきると、南西に広がるサバンナのような地形がよく見えた。
色褪せた草原が彼方の山まで広がっており、ポツポツと大地に根を伸ばす木々は力強く立っている。
「気持ち悪いくらい環境が変わるね」
「……過去に大きな魔物が死んだんだろう。大地の魔力がみなぎっている」
「そんなことも分かるのね」
「お嬢の鼻ほど便利ではない」
「どっちも誇るべき才能だよ」
謙遜するブロフだが、どちらにせよエストには実感できない能力なので、手放しに褒められることがむず痒かった。
べルメッカを目指す以上、真っ直ぐに西へ進む必要があるのだが、食料の確保も兼ねて南西から回り込むことにした。
途中で川でも見つけられれば、壺を水で満たしても言い訳ができるため、その方が都合がいいのだ。
「システィ、あれ見て! でっかい牛にでっかいカマキリが襲いかかってる!」
山を下りて緩やかに南西方向へ歩いていると、明るい声色のエストが肩を叩き、魔物同士の戦いに目を輝かせていた。
「もう、子どもみたいにはしゃいじゃって…………えっ、何あれデカすぎない? ねぇちょっと、一撃で牛が真っ二つになったわよ?」
「ドゥーレマンティスか。奴の鎌は並の金属でも断ち切るぞ。気をつけろ」
「……気のせいかしら。こちらに向かって来ている気がするのだけど」
弱肉強食の大自然を観ていると思っていたら、いつの間にかその輪に入っていた三人。
両腕の鎌を振り上げて飛びかかってくるドゥーレマンティスの進路に氷の壁を出すが、見事真っ二つに切り裂かれてしまった。
ならばと思い氷針を飛ばすものの、ダメージを最小限に抑えながら切り落とされた。
「こりゃまずい。火は使いたくないんだけど」
「こんな時までアイツを食べる気なの!?」
「システィ。虫はね、美味しいんだよ」
「悟ったように言うんじゃないわよ!!」
念の為に火針も出すが、ドゥーレマンティスの鎌はその程度の魔術なら斬ることができるらしい。
数秒なら時間を稼ぐからと言うエストに、ブロフとシスティリアは武器を構えてその時を待った。
エストが杖を振り、完全無詠唱の氷像の縄で脚を拘束すると、ブロフが全速力で距離を詰める。
大きく振り上げたハンマーをドゥーレマンティスの小さな頭に命中させると、システィリアの流れるような剣技で首が落ちる。
首が落ちても数秒ほどもがき続けるドゥーレマンティスだったが、ぱたりと動かなくなった。
「ブロフの一撃で死んでたんじゃないかしら」
「首を落とすことに意味がある」
「名言だね。死んだことが明白だもん」
小さな頭とは言っても、エストが両手で抱えられる大きさの頭を埋めると、本命である牛の回収に向かった。
ドゥーレマンティスが一撃で真っ二つにした牛の魔物は、このドゥレディアでは高級食材のひとつとして扱われる、ドゥーレヴァッカである。
二本の大きな角は力の強さを表し、鋼の如く強靭な肉体は獣人の誇りと言われる、神事の際に食べられる肉だ。
「綺麗な脂の差し方ね…………はぁ」
「どうしたの? 僕に幸せが流れ込むよ?」
「アタシのため息で逃げた幸せを捕まえるんじゃないわよ。いや、その……ね? ドゥレディアに来てから、食べ物のことばかり考えてるな~って思ったのよ」
大きく部位ごとに切り分けながら思い浮かべるのは、サンド・ワームのグロテスクな内臓である。本人は食べ物のことばかりと言っているが、その実内臓の印象が強いだけなのだ。
「お嬢、それは違うぞ。水の心配や魔物から逃げる術を考えなくていいのは幸せなことだ」
「そうだけど……アタシまで食欲の権化になりそうなのよ」
「いいじゃないか。似た者同士だ」
「意外な共通点だね」
「アタシは食いしん坊じゃないもん!」
ドゥレディア原産の魔物たちの解体が終わり、少し先の川辺で昼食を作ることにした。
肉は贅沢品と小さく呟き続けるエストを見てか、システィリアは仕方なくドゥーレマンティスの腹部を使うが、でっぷりと大きな楕円の腹には唇に力がこもってしまう。
背中の翅と脚を切り落として表面の硬い殻を一枚外す。
ブヨブヨとした感触を頑張って耐えたものの、節のような縦筋の入った腹部を見て、一度包丁を置く。
「……き゛も゛い゛」
「おおっ、初めて聞いた声だ」
「ねぇエスト、こればっかりはアンタがやってくれないかしら? 味付けはアタシがするから……」
「う、うん、やらせて。ゆっくり休んでてね」
調理場の選手を交代すると、表面の薄い膜のような組織だけを残して切り落としていく。
ここまで来るとカマキリらしさは無くなるが、半透明の大きい幼虫を捌いている気分になる。
しかし、そこは持ち前の胆力で乗り切った。
楕円を縦に割るように一本入れ、その内部構造に『おおっ』と声を漏らす。
「虫の中身はドロドロだと思ってたけど、魔物だからかな。しっかりとした筋肉と内臓で構成されてる。面白い」
「やめて! 言わないで! 想像しちゃうから!」
「他の動物と変わらないよ。あ、あれだ。エビに似てる。美味しいエビのプリプリな身にそっくり。半透明な感じとか」
「……無理やり美化してない?」
その言葉には数秒考えてから頷き、先入観が大きく邪魔していることを再認識した。
だがその身に触れてみると、やはり美味しいエビを大きくしたような筋肉の感触がある。
強靭な肉体とは裏腹に、外皮の膜と肉の間に指を入れ、剥がすように横へ動かすだけで白い筋肉質の身がドゥルンと取れた。
面白いことに、動物なら背骨があろう位置に内臓が詰まっており、細長い腸のような消化器官や小さな魔石が入っている心臓など、一般的な魔物や動物としての共通点も多く見られた。
カマキリというより大きなエビを捌いている感覚に近くなり、最初ほどの忌避感は無くなっていた。
「ほう。それがドゥーレマンティスの身か」
「食べられる部分、少ないね」
「高級品だと思えばいい。システィリア嬢、これなら調理できそうか?」
両手で目を覆っていたシスティリアが目を開けると、まな板の上に半透明な白い身が置かれているだけであった。
これには一つ頷いてエストを台所から離すと、久しぶりに精神衛生上よろしい調理が始まる。
「で、お前は何をしている?」
「鎌の部分も食べられないかなって」
「オレも手伝おう」
暇を持て余した男性陣は、道具を使ってドゥーレマンティスの鎌から身を取り出そうと戦い始めた。
鎌の鋭い刃は簡単に皮膚を裂いてしまうので注意が必要だが……。
この男はやらかす。
「あっ」
「……血の匂い? ってエスト!?」
匂いに気がついたシスティリアが振り返ると、鎌を真っ赤に染め、床に転がっている左手を見つめながら既に生えている左手をさするエストが居た。
あまりの回復の早さに血もそこまで多く飛んでおらず、冷や汗をかいた程度で済んでいた。
「オレの目には、手が飛んだ次の瞬間には手が生えていたぞ……どういうことだ?」
「光魔術だよ。これぐらいならシスティも使える」
「そうね。でも手首は気をつけてほしいわ。失血はどうすることもできないから」
「……今更だが、オレはとんでもないパーティに入ったのかもな」
何食わぬ顔で転がっていた左手を回収するエストに、ブロフは若干引きながらもそう呟いた。
並外れた戦闘の才能を持つ少女に、どこまでも精神が狂っているとしか思えない魔術師の少年。
お互いが上手く噛み合ったおかげで高い安定度を誇るが、そこにただのドワーフが紛れていいものか。
パキッと殻を割って身を取り出したブロフに、エストは血のついた鎌を差し出した。
「とんでもないのはブロフも同じ。僕の力だと、この殻は壊せない。でも、君なら壊せる。僕からすれば充分に『とんでもない』よ」
へっ、と笑いながら鎌の関節に鑿を入れるブロフ。
そして全力でハンマーで叩けば、ドゥーレマンティスの殻も敵ではない。
殻から外した身を皿に乗せると、エストの目線が吸い寄せられる。
「凄いね、焼いても茹でても美味しそう」
「……ああ。表面が少し乾くくらいに焼き目を付けて、粗い塩をサッと振れば酒に合うだろう」
「アンタたち、これがカマキリだってこと忘れてないかしら? とても楽しそうに話してるけど、虫よ? それに味も分かってないんだからね?」
「システィの料理だもん、絶対美味しいよ」
期待に目を輝かせた一言で、システィリアの尻尾は大きく左右に振られた。
エストの言葉をプレッシャーではなく信頼と捉えられるのは、過去に失敗もあったからだろう。
それでも美味しいと言って残さず食べる姿は、彼女にとって深く安心でき、心の余裕となる。
じゅうじゅうと水分の飛ぶ音が落ち着いて少し。
まずは味見と、一口大に切られたマンティスの肉が出された。
半透明だった肉は縮んで白く変質しており、本当にエビの肉のような姿をとっているために、これがドゥーレマンティスの肉だと言って信じる者は少ないだろう。
早速食べようとする二人に待ったをかけたシスティリアは、並行して用意していたくし切りの果実を絞り、粗塩をつまんで振りかけた。
「まず聞くわよ。この中であのカマキリが食べられることを知っている人は? ……居ないわね。誰が先に毒味をしましょうか」
「僕がやる。大抵の解毒術式は頭に入れてるから」
水球で手を洗ってから肉を取ると、視線が集まる。
想像では美味しいか不味いかの話だったが、いざ食べるとなれば可食の是非から考えねばならない。
万が一のために大量の解毒の魔法陣を出したエストは、いただきますと言ってから口に入れた。
数度の咀嚼の後、静かに嚥下の音が響き渡る。
「……これ」
「「これ?」」
「これ……でっかいエビだぁ」
身を外した時から分かっていた感触はまさにエビそのものといった食感であり、火を通すことで身がキュッと締まり、その上にかけられた酸味の効いた果汁と粗塩による強めの塩味が、マンティスの肉が持つ旨みを最大限に引き立てていた。
続いてブロフも身を齧ると、ブルンと弾むような弾力を持ちつつも、歯切れの良い筋肉質な身に目を見開く。
「ア、アタシも!」
二人の反応を見て口に入れたシスティリアは、弾けるような、それでいて染み出すような旨みに純粋な声が出る。
「わぁ……本当に美味しいわね、これ」
「砂漠で水生生物の味が楽しめるなんて、思ってもみなかったよ」
「きっとこの色褪せた大地のおかけだな。自然に感謝だ」
目を閉じ、静かに感謝を捧げる時が来る。
それからというもの、捌きたくはないもののマンティスを狩りたいシスティリアと、五分に一回は酒を飲ませろと言うブロフに挟まれたエスト。
食べ物とは、得てして人を狂わせてしまうものだと実感するにはちょうどいい機会となったのだった。
「にしても、この砂漠の虫は全部美味しいね」
「……砂漠を出たら美味しいお肉とお魚を食べましょうね」
「酒に合うなら何でもいい」
「ははっ……平和だ」




