09 俺の女だ。お前には100年早い。
「リジー、アランと会った日のことをどこまで覚えているの?酔っ払って勢いにま……」
「イザーク!君は今はただの私の忠実な従者だ。私の警護に集中したま……」
ひあぁっ
「ふっ可愛いぃ、リジー。耳がやっぱり弱いんだ」
耳にちゅっと口付けをされて、思わず変な声を上げてしまった。
なんで?
何する気?
彼にあごをそっと綺麗な指で持ち上げられた。ヨナン妃ことイザークはふっと微笑んだ。
私の心臓が飛び跳ねる。
甘い口付けをしそうな雰囲気……。
「待って!待って!」
私は慌てて馬車の座席の端っこに身をよじって逃げた。イザークは憂いを帯びた色っぽい瞳で私をじぃっと見つめている。
目が透き通っていて、綺麗。
心臓がドキドキする。
息が止まりそう。
な……なぜ。
だめ。
アランの妻でしょ。
私、かわしなさいってば!
本来の男性の姿に戻ったヨナン妃が爆イケなのに戸惑っているだけだと、自分に言い聞かせる。
そして、なんとか必死に質問を絞り出した。
「な……なぜ、女性のフリをして嫁いだの?」
「そんなの、アランが好きだからに決まっているじゃない?」
そんな当たり前のこと聞いてどうするの、という響きが声にこもっていた。
彼にあごを持ち上げられたまま、透き通った瞳が私の唇を見つめてふふっと笑っている。
とっさに、ヨナン妃ことイザークの胸を私は右の手のひらで押し戻した。
アランのことが好き?
心がチクリとする。
イライラとするような切ない痛みを感じる。
逞しい胸板を私の手の向こうに感じた。
「好きなの?アランを?」
「死ぬほど好きよ」
瞳に少しばかりの切なさを宿して、短髪のヨナン妃ことイザークは言った。
どこからどう見ても素敵な輝くような魅力を持つ若者だ。
そっか。
本気で好きなのか。
でも、好きだからという理由だけで、女性のフリなんかして、他国の王家に嫁げるのかしら?
私は王子の結婚が決まった時の噂をふと思い出した。
その頃、私はクリフと婚約していて、クリフに初めてをあげるつもりだった。
あぁ、思い出してしまった。
あのチャラい21歳のことを。
クリフのことなんか思い出したくもない!
じゃなくってっ。
頭をブルブル振って、クリフの顔を脳内から抹消した。王子の結婚の時の噂を思い出した。
噂……確か王子が隣国の姫を見初めて……。
はぁ?
アラン王子が先に隣国のヨナン妃を見初めたという話になっていたけど?
私は思い出して、目の前のヨナン妃ことイザークを見つめた。
アラン王子がヨナン妃を身初める。
ヨナン妃はアラン王子が死ぬほど好き。
でも、アラン王子は女が好き。
ヨナン妃のことを女性だと信じていた。
もしかして初夜で初めて……ヨナン妃が男だとバレた?
眉間に皺を寄せて、眉を顰め、見えないアラン王子とヨナン妃のもつれた糸をなんとか紐解こうと遠くを見据える私の耳に、イザークの声が急に飛び込んできた。
「でもさぁ、俺リジーなら許せる。俺もリジーを幸せにできる自信がある。俺と試す?」
キャッ!
耳にふぁっと手をそえられて、私は弾かれるように飛び上がった。
「いや、いいですっ!結構ですっ!」
顔を真っ赤にして首を振る私の頭の上にポンポンと優しくヨナン妃ことイザークは手のひらを置いた。
そしてふんわり笑った。
イケメンが笑うと、破壊力が凄い。
少し、悲しそうな影が宿る綺麗な透き通った瞳に、グッと胸の奥がつかまれる。
「俺は諦めないけど。ま、今日はアランのために印章奪回に集中するか」
ヨナン妃は短い前髪をかき上げて、長い足を組んで窓の外に視線を移した。
私はほっと息を吐いた。
一瞬、息を止めてしまっていた。
そうだ、すぐに印章を取り戻さなければ、外交問題に発展する。
あのいたした宿屋にどんな顔をして入っていけるのか?とは思っていたが、ヨナン妃ことイザークが当たり前のように言った。
「俺とリジーが恋仲で、親に隠れて過ごすために、こっそり宿屋の同じ部屋を借りる設定だ。俺が部屋を指定するから」
隠れて過ごす……!?
いやなんか変。
いや……アラン王子と私が宿屋に飛び込んだのはそれでしたけれども!
躊躇っているうちに、私が指定した宿屋の近くまで馬車がついた。
馬車に通りで待っているようにお願いして、私はフードを目深に被って宿屋まで歩いた。
ふっー。
深呼吸をする。
チラッとイザークを見ると、ニヤッと笑って手招きされた。
ふわっとイザークに腰をつかまれて、抱き抱えられるようにして宿屋に近づいた。
「数時間借りたいのだが」
イザークの断言するような声に、宿屋の主人はチラッと私の方を見てうなずいた。
だが、グッと身をかがめて、宿屋の主人がイザークの方に手招きをしたのでイザークが耳を傾けた。
ヒソヒソと交わされる会話。
こっちを見てよからぬ顔をして宿屋の主人が何かを言っている。
何?
「ふふっ大丈夫。それも含めて、俺は彼女にゾッコンなんで」
はぁ?
何を言われたの?
「この前もこの女性は酔って別の若い男性をたらし込んでいた、だって」
余計なお世話!
覚えられているんだ。
宿屋の主人が指定された部屋について何か言いかけた所で邪魔が入った。
「リジー!」
すっとんきょうな声がして、思わず私とイザークは振り向いた。そこには酔った様子の頬を赤く染めたクリフがいた。
クリフに一瞬で抱きつかれた。
彼が胸元に顔を埋めてきた。
私は叫んで逃げようとした。
お酒臭いっ!
強烈に胸に顔を埋められていやっ!
途端に、私に抱きついていたクリフが首根っこから吊し上げられるようにして私から離れた。
「お前、死にたい?」
イザークが探検を抜いてクリフの首に当てている。
クリフは事態が飲み込めないようで、酔ったトロンとした目で私を見てニンマリ笑った。
「リジー?俺とも過ごそうぜ。王子と過ごしたあとでもいいよ、俺は」
ヘラヘラ笑うクリフのみぞおちに、イザークは短剣のつかを思いっきり突き立てた。
うぐっ
奇妙な声をあげてクリフは崩れ落ちた。
「俺の女だ。お前には100年早い」
イザークは低い声でクリフの耳元にささやくと、驚いている私の肩を抱き寄せて、グッと宿屋の奥に連れて行った。
私のワンナイトは予期せぬ展開へ。