プロローグ:希望の芽
乾いた風が、砂塵を巻き上げ、荒涼とした大地を吹き抜けていく。かつて高層ビルが立ち並んでいたであろう場所は、瓦礫の山と化し、空は厚い雲に覆われ、太陽の光はほとんど届かない。わずかに漏れる光は、まるで希望のように、細く、しかし、力強く地上に届いていた。空気は淀み、どこか埃っぽく、肺の奥が、乾いた空気に、ヒリヒリと痛む。生命の気配はほとんど感じられない。そんな中、ひび割れたコンクリートの隙間から、小さな緑の芽が、希望の光のように顔を覗かせていた。
「見て!芽が出てる!」
甲高い声が、静寂を切り裂いた。声の主は、10歳にも満たない、痩せっぽちの少年、コウタだった。コウタは、擦り切れたシャツと半ズボンを身につけ、足元はおぼつかない。しかし、その瞳は、希望の光を宿し、生き生きと輝いていた。少し臆病だが、優しい性格の少年だ。
「本当だ!すごい!」
コウタの隣にいたのは、同じ年頃の少女、ミク。彼女もまた、粗末な身なりをしていたが、その表情は明るく、コウタの言葉に心から共感している様子だった。ミクは、明るく元気な性格で、コウタを引っ張っていく、お姉さん的な存在だ。
コウタとミクは、まるで宝物を見つけたかのように、その小さな緑の芽を囲み、屈みこんで見入っていた。
「こんなところに、どうして…?」
ミクが、不思議そうに呟いた。
「わからない。でも、きっと…きっと、何かが変わろうとしてるんだよ」
コウタは、力強く言った。その声には、確信にも似た響きがあった。
しばらくの間、二人は無言で、その小さな緑の芽を見つめていた。やがて、ミクが、おずおずと口を開いた。
「ねえ、この芽、なんていう名前なんだろう?」
「名前…?」
コウタは、ミクの顔を見つめた。そして、少し考えてから、言った。
「名前は…まだないんじゃないかな。だって、こんなところに芽が出たの、初めて見たもん」
「そっか…じゃあ、私たちが名前をつけてあげようよ!」
ミクは、目を輝かせながら言った。
「うん、そうしよう!」
コウタも、笑顔で頷いた。
二人は、再び緑の芽に視線を落とした。そして、まるで相談するように、顔を見合わせながら、考え始めた。
「『希望の芽』なんてどう?」ミクが提案した。
「いいね!でも、ちょっと長いかな…」コウタは少し考え込んだ。「『希望』だけじゃだめなの?」
「うーん、なんかちょっと違うかなぁ」ミクは首をひねった。
「じゃあ、『みどり』は?」コウタが言った。
「うーん、普通すぎるかも…」ミクは、うーんと唸った。
「『キラリ』は?光ってるみたいだし!」ミクが、パッと顔を輝かせた。「キラリちゃん、かわいい名前!」
「あ、それいいかも!」コウタも、笑顔になった。「うん、キラリちゃん、いいね!」
二人は、ああでもない、こうでもないと、楽しそうに名前を考えていた。その様子は、まるで、この荒廃した世界に、小さな花が咲いたかのようだった。
しばらくして、ミクが、パッと顔を上げた。
「ねえ、『ホープ』っていうのはどう?」
「ホープ…?」
「うん!英語で『希望』っていう意味なんだって!おばあちゃんが教えてくれたの!」
「ホープ…!」
コウタは、その言葉を、ゆっくりと噛み締めるように言った。
「うん、それいいね!ホープ!この芽にぴったりの名前だよ!」
コウタの顔が、パッと明るくなった。
「決まりだね!この芽の名前は、ホープ!」
ミクも、満面の笑みを浮かべた。
二人は、再び、ホープと名付けられた緑の芽を見つめた。その小さな芽は、二人の言葉に、そっと、返事をするように、風に揺れ、キラキラと輝いていた。
その時、遠くから、老婆の嗄れた声が聞こえてきた。
「コウタ!ミク!どこにいるんだい?」
声の主は、腰の曲がった老婆だった。老婆は、しわくちゃの顔に、心配そうな表情を浮かべていた。
「あ、おばあちゃんだ!」
ミクが、立ち上がって、老婆の方へ駆け寄っていった。
「おばあちゃん、見て!ここに、芽が出てるんだよ!ホープっていう名前なの!」
ミクは、老婆の手を引いて、ホープの元へ連れて行った。
「おや、本当だねぇ…こんなところに…」
老婆は、驚いたように、ホープを見つめた。そして、ゆっくりと腰を下ろし、その小さな芽に、しわくちゃの手を伸ばした。その目は、愛おしそうに、その芽を見つめていた。
「お前さん、よくこんなところで…頑張ったねぇ…」
老婆は、まるで、幼子に語りかけるように、優しい声で言った。その瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
コウタも、老婆の隣に座り、ホープを見つめた。
「おばあちゃん、世界は、少しずつ良くなってるんだよね…?」
コウタは、老婆の顔を見上げながら、不安げに尋ねた。
老婆は、コウタの頭を、優しく撫でながら、言った。
「ああ、そうだよ。世界は、少しずつ、良くなっている。このホープのように、希望は、どんなところにも芽吹くんだよ。他にも、緑が芽吹き始めている場所があるんだ。人々の間にも、助け合いの心が、少しずつ、戻ってきているように感じるよ。」
老婆の言葉に、コウタとミクは、顔を見合わせて、にっこりと微笑んだ。
三人は、しばらくの間、ホープを囲んで、静かに座っていた。その時間は、まるで、荒廃した世界から切り離された、穏やかな空間のようだった。三人の周りだけ、時間が止まったように、静かで、優しい時間が流れていた。
やがて、老婆が、ゆっくりと立ち上がった。
「さあ、そろそろ戻ろうかね。日が暮れてしまうよ」
「うん…」
コウタとミクは、名残惜しそうに、ホープを見つめながら、立ち上がった。
「ホープ、また明日も来るからね」
ミクは、小さな声で、ホープに囁きかけた。
「元気でいてね、ホープ」
コウタも、ホープに、優しく声をかけた。
三人は、ホープに別れを告げ、歩き出した。その背中は、夕日に照らされ、長く伸びた影を落としていた。
彼らが去った後も、ホープは、そこに佇み、一人、風に揺れていた。その姿は、まるで、三人の言葉を、いつまでも、胸に抱きしめているかのようだった…。
この荒れ果てた世界で、生まれたばかりの希望の芽、ホープ。 この小さな芽が、やがて、大きな木となり、森となり、世界を緑で覆い尽くす日が来ることを、今はまだ、誰も知らない。 しかし、確かなことは、この小さな芽が、人々の心に、希望の光を灯したということ。 そして、その光は、決して消えることはないということ…。
この小さな希望の芽、ホープ。この芽が、未来へ続く、希望の道標となることを、今はまだ、誰も知らない。しかし、その確かな鼓動は、確かに、世界に響き始めていた。