観測者の影
荒廃した大地を踏みしめ、翔たちは慎重に歩みを進めていた。彼らの足元では、乾いた土が、崩れるたびに、カサカサと、頼りない音を立てる。まるで、この世界の生命力が、枯渇してしまったことを、象徴するかのような、虚しい響きだった。
「それにしても、静かすぎるわね……」
アヤが、周囲を見渡しながら、呟いた。彼女の言葉通り、辺りには、不気味な静寂が、立ち込めている。風の音以外、何も聞こえない。鳥のさえずりも、虫の羽音も、恐竜の咆哮さえも、一切聞こえてこないのだ。
「ああ……まるで、全てが、滅びてしまったかのようだ……」
翔も、アヤの言葉に同意する。彼の表情には、この異常な状況に対する、深い困惑と、不安の色が、滲んでいた。
「ピィ……ピィ……」
プチが、不安そうに鳴き声を上げる。アヤの腕の中で、小さく身を縮こませ、周囲の様子を、怯えたように、窺っている。
「大丈夫よ、プチ。きっと、何か、手がかりが、見つかるはず……」
アヤは、プチを、優しく撫でながら、自分自身にも、言い聞かせるように、そう言った。しかし、その声は、わずかに、震えていた。
その時だった。
「マックス、何か、感じるか……?」
翔が、腕に抱えたマックスに、問いかけた。マックスは、常に周囲の環境データを、収集・分析している。この異常な状況を、解き明かす鍵が、見つかるかもしれない。
マックスは、青い瞳を、数回明滅させた後、静かに答えた。
「……上空に、微弱な、エネルギー反応を、感知しました……。どうやら、何かが、飛行しているようです……」
「飛行……?鳥か、それとも……翼竜か……?」
翔は、空を見上げた。しかし、鉛色の雲が、空一面を、覆い尽くしており、太陽の光さえも、遮断している。そんな状況では、上空を、飛翔する、何かの姿を、確認することは、困難だった。
「いえ……これは……翼竜の、生体反応とは、異なります……」
マックスが、翔の言葉を、否定する。その声には、微かな緊張が、含まれていた。
「マックス、分析できるか……?」
アヤが、身を乗り出すようにして、マックスに尋ねる。
「……データの、収集を、試みています……」
マックスは、そう答えると、再び、沈黙した。彼の青い瞳は、明滅を繰り返し、内部では、膨大な量の、データ処理が、行われていることが伺える。
数秒間の、沈黙。それは、永遠とも思えるほど、長く感じられた。そして、ようやく、マックスが、口を開いた。
「……分析、完了しました……。これは……人工物です……。おそらく、何らかの……飛行装置……」
「飛行装置……?そんなものが、この時代に……?」
翔は、驚きを隠せない。この時代は、白亜紀。恐竜たちが、地上を支配していた、太古の時代だ。そんな時代に、高度な技術で作られた、飛行装置が存在するなど、常識では、考えられないことだった。
「ピピィ……!」
突然、プチが、甲高い鳴き声を上げた。その声には、明らかに、恐怖の色が、混じっている。プチは、アヤの腕の中で、激しく身を、よじらせ、空の一点を、指差していた。
プチの視線の先を、翔たちも、目を凝らして、見つめる。すると、厚い雲の切れ間から、何かが、姿を現した。
それは、黒く、小さな、球体だった。しかし、よく見ると、球体には、複数の、小さなプロペラが、取り付けられており、高速で回転していることがわかる。その、異様な物体は、空中で、静止したり、急旋回したりと、まるで、意志を持っているかのように、自由自在に、飛び回っていた。
「あれは……まさか……!」
アヤが、息を呑んだ。彼女の顔は、恐怖と、驚愕で、青ざめている。
「クロノスの……『観測者』……!」
翔が、歯ぎしりをするように、言った。その声には、深い怒りと、憎しみが、込められていた。
観測者……それは、クロノスが、開発した、小型無人偵察機。高度な、ステルス性能と、データ収集能力を持ち、様々な時代に、送り込まれ、情報収集活動を行っている、危険な兵器だ。
「やっぱり、クロノスが……!」
アヤが、悔しそうに、拳を握りしめる。観測者の出現は、クロノスが、この時代に、干渉している、動かぬ証拠だった。
「まずいな……見つかったら、厄介だ……」
翔は、観測者の動きを、注意深く観察しながら、言った。観測者は、まだ、翔たちを、認識してはいないようだ。しかし、このまま、見つかれば、クロノスに、自分たちの存在を、知られてしまうことになる。
「マックス、奴らを、やり過ごすことは、できないか……?」
翔は、マックスに、解決策を求めた。しかし、マックスの答えは、翔の期待を、打ち砕くものだった。
「……申し訳ありません……翔……。この観測者は、最新鋭の、センサーを、搭載しているようです……。我々の、存在を、隠し通すことは、困難かと……」
マックスの言葉に、翔たちは、絶望的な状況を、悟った。逃げるか、それとも、戦うか……? 選択の猶予は、ほとんど残されていなかった。
観測者は、まるで、獲物を、探す狩人のように、ゆっくりと、そして、確実に、翔たちに、接近してきていた。その、冷たく、無機質な球体は、死神の鎌のように、彼らの、運命を、刈り取ろうとしているかのようだった。
重苦しい沈黙が、一同を包み込む。その沈黙を破ったのは、エレーヌの、静かな、しかし、力強い言葉だった。
「……行きましょう。たとえ、どんな困難が、待ち受けていようとも、私たちは、諦めるわけには、いきません……」
エレーヌの言葉は、まるで、暗闇に灯る、一筋の光のように、翔たちの心を、照らした。そうだ、まだ、希望は、失われていない。たとえ、どんなに、絶望的な状況でも、諦めずに、前に進み続ける限り、必ず、道は開けるはずだ。
「ああ……そうだな……」
翔は、力強く、頷いた。その瞳には、再び、強い決意の光が、宿っていた。
「ピィ……!」
プチも、エレーヌの言葉に、勇気づけられたのか、小さく鳴き声を上げた。その声には、先ほどまでの、恐怖の色は、消え、微かな希望の響きが、感じられた。
観測者は、もう、目と鼻の先まで、迫っている。翔たちは、固唾を飲み、来るべき、戦いに備えた。