第2章の29 世間が狭いにもほどがある
テスト二日目。勇輝は事前に秀斗と錬魔の部屋に目覚まし時計をセットし、全員遅刻せずに登校した。
本日のメニューは生物、政治経済、保健体育だ。
「弥生、負けないからな」
昨日のショックから立ち直った勇輝は、さらに闘志を燃やしていた。
「私も負けるつもりはない」
ろくに授業に出ていない二人が何を言っているのかと、零華は思ったが口には出さない。
「俺も勇輝には負けねぇ」
いつの間にか秀斗も参戦していた。しばらくにらみ合うが、秀斗はすぐに頬を緩ませた。
頬が引きつき、笑いだすのを我慢している。
「何が、おかしいのかな?」
勇輝はにこにこと笑いながらも、しっかり拳を握っている。
「いえ、なんもありません」
口元を押さえながら、笑いを噛み殺している秀斗の脳裏には、昨日のメイド姿の勇輝が浮かんでいた。本人の顔を見ると、自動的にあの姿が思い出されるのだ。
なので、みんな朝から勇輝を見ると顔がにやけるか、微笑を浮かべるという、幸せ気分を満喫していた。不愉快なのは勇輝一人だ。
「お~い、席につけ~」
試験監督の先生が来て、不良たちはそれぞれ自分の席に座る。これからは、自分との戦いだ。
仲間内で交換した情報を厳選して、答えを導き出さなくてはいけない。
この日は三時間だけなので、午前中で終わる。
だが、その三時間が曲者で、勇輝は生物お手上げ、政治経済はニュースの知識で、保健体育は知っている筋肉の名前を書き連ねて乗り切った。
(あ~、死んだぁぁ)
試験終了とともに、ぐったりと机に突っ伏す勇輝。不良たちもやっと終わったと、帰り支度を始めた。
「早く帰るよ勇輝君。今日は大事な用事があるんだから」
癒慰が急かしに来て、勇輝は歩にじゃ、と手を振ると彼らの後を追った。
(お~見事に如月の一員になってやがる。すっげぇ)
隼の下っ端である歩には、如月に入ろうなど恐れ多くてできない。あの戦闘集団の中に入る気など起きはしない。
特に面識のなかった下っ端にも、如月の強さは轟いていたのだ。
(頑張れ勇輝~)
不良の友人は、密かにエールを送るのだった。
この日の午後は、龍牙隊の幹部にして如月の後見人を務める暁美が帰ってくる。
そのため、彼らは空港に迎えに行くことにしたのだ。昼ご飯を済ませた彼らはホールへと集まり始めた。皆それぞれ私服である。
「てっきり、隊員服でいくんだと思ってた」
勇輝はパーカーにジーパン、そしてダウンジャケットを着ている。偉い人を迎えに行くのにこんなにラフな格好でいいのかと疑問に思ってしまう。
「あれで行ったら、警備員につまみだされてしまいます」
そう答える零華はセーターにロングスカート。その上にコートを着ている。お姉さん系のファッションだ。
「そうそう。控えめでいないとね」
だがそう発言した癒慰は、ふわふわとファーがついたコートで隠されてはいるが、その下はロリータである。本日のイメージは、窓辺に飾られているロール人形だそうだ。
「暁美さんだって、普通の格好してるだろうしな」
秀斗はアンダーシャツに、ズボン。その上にコートを着ただけという薄着だ。
言葉を発せずに時を待つ二人も私服である。
錬魔はロングコートの下に、タートルネックとズボン。全体的に落ち着いた色遣いで、大人っぽい。
勇輝は初めて弥生の私服を見たが、初めて見るせいか、どこかちぐはぐに感じた。
弥生はショート丈のダウンジャケットの下はブイネック、下はショートパンツにロングブーツを履いている。
全て弥生の、動きやすさ重視の注文をもとに癒慰が仕立てたものだ。
「そろそろ行きますか」
零華が時計を見て、そう言った。
「どうやって行くんだ?」
勇輝はそう零華に尋ねた。
空港はこの町からずいぶん離れた所にある。
そこに行くには電車に乗るしかないのだが、彼らが交通機関を利用する様子が想像できないのだ。
「心配いりませんよ。先日、秀斗君が下見に行って、空間をつなげてくれましたからすぐに行けます」
つまり、龍牙隊に通じているように、ドアを開ければその向こうは空港ということになっているようだ。
「普通に行けばいいのに」
「無理ですよ。私たちが街を歩くと一波乱起きますから」
さらりと恐ろしいことを言われ、勇輝は必死の思いで聞き流した。学校がヤクザたちに襲われたことや、自分が保護されたことを考えると嘘だとは思えないからだ。
「じゃ、出ぱ〜つ!」
と癒慰がドアノブをひねって、そのドアを開けた。
数あるドアの内の一つを開け、彼らは空港へと入る。
後ろを振り向けば、出てきたドアには関係者以外立ち入り禁止のプレートがあった。
(うまいこと出来てるよな)
勇輝はただただ感心するしかない。
「暁美さんが出てくるのはどこだ?」
「どこかに入国ゲートがあるはず……」
彼らは入国ゲートを探して空港をうろうろ歩いた。全員空港を利用したことなどなく、勝手が全くわからない。
「そこまで下見の時にわからなかったのか?」
と錬魔が問えば、
「俺は空間を繋げるだけで精いっぱいだったんだよ」
と秀斗が言い返す。
「あ、あれじゃない? 人がたくさん出てきてるし」
癒慰が指さす先には人の流れ、そして天井には入国ゲートの看板が吊り下げられている。
「ここで待っていれば見つけられますね」
そうして彼らは入国ゲートの出口付近で待つことにした。
同じようにここで待っている人々は、彼らにちらちらち視線を送る。たとえ隊員服を着ずに、普通の格好をしていても、彼らの髪色と顔では目立ってしまうのだ。
暁美が来るまではまだ時間があるようなので、勇輝は彼女について詳しく訊いてみた。
こういう時に頼りになるのはやはり零華だ。
「暁美さんは龍牙隊の幹部の一人です。幹部と言うのは、隊の中でも年長者がなります。
幹部は主に外国での紛争解決や、時には制裁にも関わりますね。今の日本は内部の抗争は少ないので、私たちのような牙軍よりも数が多いと聞きます」
勇輝はなるほどと相槌を打つ。そして重ねて質問した。
「その暁美さんも能力者?」
「いえ、暁美さんは人間です。幹部の中には牙軍から上がった人もいますから、能力者もいますけど」
勇輝は暁美が人間だということに親近感を抱いた。能力者の中で唯一人間というのも、少し寂しかったのだ。
「そっか、どんな人なんだろう」
「会えばわかりますよ」
それもそうだと、勇輝はゲートの向こうに目をやった。どうやら飛行機が到着したようで、人の波がやって来た。
「あ、暁美さん!」
その人ごみに待ち人を発見したのか、癒慰が大声でその名を呼んだ。
「暁美さ~ん! こっちです~!」
その声に、キャリーケースをひいた女性が反応した。サングラスをかけた女性はこちらに向けて手を振っている。
彼女は彼らに近づくとそのサングラスを取って、朗らかに笑った。
「みんな久しぶり! みんな大きくなったわね~」
暁美は一人一人の顔を見て、驚いている。
彼女は四十代前半だが、見た目はそれより若く見える。髪はポニーテールでまとめてあり、顔だちも整っていて、可愛いと言われる顔だ。
彼らはすぐに駆け寄って暁美を取り囲んだ。その姿は母親に駆け寄る子どもたちのようだった。
「暁美さん、お久しぶりです」
「まぁ弥生ちゃん。元気そうで良かったわ」
弥生が最初に声をかけた。その顔は分かるものには分かる、嬉しさが滲んでいた。
彼らも口々に再会の嬉しさを述べる。
勇輝は彼女を見て、若い人だな、とも、意外と普通の人だな、とも思わなかった。いや、思えなかった。ただ、その顔を凝視する。
あ、け、み、その名を口の中で呟く。
その顔は、その背格好は、なぜか自分の記憶の中にあった。
口の中がカラカラに乾く、足も動かない。
そして、ぽつりと零すように呟いた。
「…………母さん?」
髪を一つに結って、凛々しく立ち、それでいて可愛らしい顔で笑う。それは、母親その人だった。最初に名前を聞いた時に感じたひっかかりは、それが母親の名前だったことを告げていたのだ。
その呟きが耳に届いたのか、暁美が視線を一番後ろにいた勇輝に向けた。目がぱちりと合う。
彼女は一瞬声を失くすと、勇輝へと真っ直ぐ近づいた。
目線の高さはまだ暁美の方が少し高い。二人は互いの顔をじっと見ていた。
「勇輝? 勇輝じゃない!」
暁美は顔をぱぁっと輝かせて勇輝を抱きしめた。ぎゅっと力強く抱きしめられて、不覚にも勇輝は泣きそうになった。
母親と会うのはほぼ十年ぶりだ。
突然の母子再会ドラマに、他のみんなは固まったままだった。
「え、暁美さんって、勇輝君のお母さんだったんですか?」
最初に衝撃から復活したのは零華だった。まだ信じられないと言いたげな顔で、そう尋ねた。
「そうよ。きゃ~、こんなところで会えるなんて運命ね! ちっちゃい頃も可愛かったけど、そのまま大きくなってくれて、母さんは嬉しいわ!」
そして、勇輝も再会の衝撃からゆっくりと立ち直り始めた。
「へ? 母さんって、劇団員じゃなかったの?」
だが、ここに現れ、彼らに歓迎されているということは、幹部の暁美ということである。
「あぁ、あれは嘘よ」
「なんですと!」
さらりと嘘発言に、勇輝は変なツッコミを入れてしまう。
「まだ幼稚園の子どもに、お母さんは裏の組織で働いて、国のもめあいの解決や、悪い国をちょっと懲らしめてるのよ……なんて言える?」
これには勇輝を含め、外野全員が心の中で無理です、と答えた。
「え……じゃぁ、母さんの部屋にある劇団関係の小物は?」
「あぁ、あれはね、本物よ」
「はっ?」
「さすがに銃に弾丸は入ってないし、剣も刃は潰してあるけど、本物」
暁美はなんのためらいもなく、息子にそう暴露した。
勇輝は小さい頃に遊んでいたものが全て本物だと知って、軽く眩暈を覚える。
(あれ、モデルガンじゃなかったのか……)
人生生きて十七年、不良ではあるが、人と同じように生活をし、普通の人間だと思っていた。だが、現実はそう甘いものではなかったようだ。
ショックが積み重なって、なんだかその全てが些細なことに思えてくる。
暁美は勇輝を解放して、もう一度上から下まで見る。
「お父さんに任せておくの心配だったけど、ちゃんと生活できてるみたいね」
勇輝は父親のことを出されて、両親が離婚した子ども特有の気まずさを感じた。その上只今家出中だとは、口が裂けても言えない。
「うん、大丈夫」
そう言ってから、けっこうな日数を放置しているが、本当に大丈夫だろうかと心配になってくる。
「それで、どうしてここにいるの?」
しごく真っ当な質問である。
「え~っと、俺、如月に入りました」
紆余曲折は全て省いて結果を伝える。
「まぁ! さすが私の息子ね!」
(そこは危険なことに首突っ込むなって叱るとこじゃないのか⁉)
だが母、暁美は息子が隊に入ったのが嬉しくて仕方がないらしく、よくやったと勇輝の肩を叩いて褒めている。
「おかげで楽しい日々を送ってるよ」
「それならいいのよ。じゃぁ母さんは隊長に挨拶してくるから、また後でね」
そして暁美は黙って見守っていた彼らに顔を向け、
「みんなも、迎えに来てくれてありがとうね。勇輝とも仲良くしてくれてるみたいで嬉しいわ。また如月に行くから、おいしいお茶、よろしくね」
とさっぱりとした挨拶を述べると、キャリーケース片手に去って行った。
その後姿を彼らは黙って見送る。
「……びっくりしたわ。暁美さんが勇輝君のお母さんだったなんて」
暁美の姿が見えなくなったころ、癒慰がしみじみとそう言った。
「俺が一番驚いてるよ」
「だろーな」
「……じゃぁ、ひとまず帰りますか」
零華の言葉に皆、ゆっくり如月へと続くドアへと歩きだした。
驚きの連続で精神的に疲れた勇輝は、さらなる衝撃と混乱が待っているとは、思いもしなかった……。
暁美はカツカツと靴音を鳴らして龍牙隊の屋敷を歩いていた。向かう先は隊長室である。
キャリーケースを引く女性に、隊員は視線を向ける。
幹部の詳細は一般隊士にはあまり広まっていない。ゆえに彼女が幹部だと分かる者はいなかった。
隊長室の見張りに、名を告げると、二人とも数拍の間の後姿勢を正し、暁美を迎え入れた。
幹部は日本にいることが少ないので、めったに会えることはない人たちなのだ。
二人の見張りは暁美が扉の向こうに消えた後、手を取りあって感動に震えていた。
「あ、あの暁美さんだってよ」
「幹部の暁美さんかぁぁ」
「優しそうな人だったなぁ」
「可愛い方だったなぁ」
歩くだけで好感度があがる暁美であった。
暁美は隊長室のドアをノックすると、名を告げながら開けた。
「暁美、中東の平定から帰ってきました」
龍牙はいつものように正面の椅子に座り、机の上の書類に判を押していた。
その書類から目を離して、穏やかに笑った。
「お帰り暁美、御苦労さまだったね。君の帰還を心から歓迎するよ」
龍牙は心の底からそう思っているようだった。
「隊長もお変りなく」
「君には、彼らの後見を再び頼む」
「承知いたしました。ところで、隊長が私の息子を如月に入れてくれたのですか?」
「……君の息子?」
龍牙は暁美の言葉をつなぎ合わせて、この間挨拶に来た人間のことを思い出した。
「勇輝君のことかい?」
「あら? ご存じなかったんですか? てっきり隊長の配慮かと思ったのですけど」
「そうか……息子がいたとが聞いていたが……彼か」
そう言われれば、愛らしい顔立ちか似ていなくもない。
「えぇ、しかるべき歳になれば、ここに入れようと思ってたんです」
龍牙は、それはやめた方がよかったのではないかと思ったが、隊長という立場上それは言えない。
「しかし、君の息子なら、危険は減るだろう」
龍牙はまだ、そうか、彼が……と感慨深げに呟いていた。
「では私はこれで失礼します」
「あぁ、如月を頼んだよ」
「はい」
暁美は綺麗なお辞儀をして、隊長室を出て行った。
勇輝は如月に着くなり、荷物をまとめて家に帰った。
猛烈に父親のことが心配になったからである。早足で家へと帰り、玄関を開ける。
案の定鍵はかかっていなかった。
勇輝の父親は休みが平日となることも多く、カレンダーによると今日は休みの日だったはずだ。
玄関を開けて、一歩家の中に入ると、勇輝は意識を手放しそうになった。なんとか踏みとどまって目をカッと開く。
「なんじゃこりゃ~!」
ついつい変なツッコミになるのも仕方がない。だが、その言葉がふさわしいほど、家の中は荒れ放題だった。
出迎えてくれたのは大量のゴミ袋。しかもかなり異臭がする。
(クソ親父め、ゴミ出しさぼった上に、生ゴミも全部ごっちゃにしてやがんな!)
父親はごみの日も分別すらわからない家事音痴なのだ。
リビングもひどかった。床は新聞やチラシで埋め尽くされ、机の上にはコンビニ弁当の残骸が散乱している。
(よかった、ちゃんと飯は食ってたみたいだな)
そしてキッチンを覗くとここもまたひどかった。流し台にはこれでもかと積み上げられた皿とコップ。そこにお弁当のゴミがも混ざって反乱を起こしている。
勇輝の心配は、この燦々たる状況を見て、怒りへと変わった。
(あんのクソ親父、家をこんな状態にしやがって……片づけんの誰だと思ってんだ~!)
勇輝は階段を駆け上がり、父親の自室のドアを開けた。
「親父! ……あれ?」
しかし、そこはいたって綺麗で、勇輝が出て行った時のまんまである。
(親父、ここでは生活してなかったのか……てことは、下?)
勇輝は階段を駆け下りてリビングに直行する。
「親父! どこに居やがる!」
とその時、ゴミの山ががさっと動いた。
それは、丁度ソファーがあった辺りのはずだ。
勇輝はソファーを埋め尽くしている雑誌やごみ袋を放り投げて、人の姿を発見した。
「親父!」
「……ん? 勇輝か? 帰って来たか……」
眠たそうに眼をこすりながら父親は起床した。そして自分の周りを埋め尽くしているゴミたちを見て、ん? と首をかしげた。
「おかしいな。昨日はちゃんと積み上げてから寝たはずなのだが……」
「大ボケが! 寝てる間に雪崩が起きたんだよ! もうどーでもいいから、風呂に行ってこい!」
と父親を強引に立たせて、風呂場へと押しやった。本当に仕事に行っていたかすら怪しまれる。
そして父親を追い払った後、その惨状をもう一度見渡して、勇輝は頬を引くつかせた。
「ちょっと家出しただけでこれかよ」
勇輝が取るべき行動は一つ。大掃除である。
まずゴミは全て分別して、圧縮してからひとまず裏に運んでおく。明日は可燃ゴミの日だから大抵のものを出すことができる。
新聞はまとめて古紙回収用の箱に入れ、コップや皿を洗い、掃除機をかける。
ゴミにまぎれていた大量の洗濯物は全て洗濯機に入れて回した。
(ク~ソ~お~や~じ~~!)
と怒りを込めて動きまくったら、ものの一時間で全て元通りになった。
ふっと、満足気に一息をつく勇輝は立派な主夫である。
そして冷蔵庫を開け、晩ご飯の献立を考える。てっきり空っぽかと思えば、中は出て行った時と変わっていない。料理など作るはずがなかった。
(賞味期限ヤバいよな……今日は炒め物だな)
献立をたてると、勇輝は部屋の隅に放り出されたリュックを持って自分の部屋に入った。
リュックの中の服をたんすにしまって、またリビングへと下りる。
そこではさっぱりした父親がテレビを見ていた。
勇輝は父親の背中を見ながら、母親のことを言うべきかどうかについて考えていた。
(教えたほうがいいんだろうけど、泣かれると面倒だしな……。でも、まだ愛してるとか言ってるし……会いたいとか、言いだすよな)
複雑な息子の心境である。
(つーか、親父は母さんの仕事について知ってたんだろうか)
実は勇輝もバイトを始めたことは言ったが、詳細については伏せたままにしてある。
父親に向かって裏の組織でちょこっと暗殺したり、偉い人を守ったりしてます……などとは言えない。
(どーしたらいいんだろ)
勇輝がしばらく悶々と思い悩んでいると、玄関の扉が開いた音がした。
勇輝はその音を耳にするが、空耳だろうと思いなおす。まさか堂々不法侵入する人間はいないだろう。
が、何か嫌な予感がした。急速に、先ほど母親とあった時の会話が勇輝の頭に蘇る。
“また後でね”
玄関では人の気配がしている。ガラガラと何かを引っ張っているようだ。
(まさか、まさか……)
勇輝は玄関からリビングへと出るドアを凝視した。父親はテレビの音でか、全く気付いていない。
「たっだいま~」
陽気な声と共に、暁美がリビングへ入って来た。その手には先程のキャリーケースが……。
(離婚した母親が来たぁぁぁ!)
勇輝は内心絶叫して父親に目を向けた。父親はぽかんと口を開けて暁美を凝視している。
(さ、最悪のタイミングだ)
勇輝は頭を押さえて、頭痛をやり過ごす。
これで明日から父親を慰めるという面倒なオプションが付いてくる。
「あ、暁美か?」
父親は立ち上がって、目を見開き、口をパクパクとさせていた。
「他の誰に見えんのよ」
「よ、良かった。生きてたんだな!」
と父親は暁美に駆け寄って力強く抱きしめた。
「修二、ただいま」
修二とは父親の名前である。父親は涙を流して良かった、良かったと何度も繰り返した。
(これが離婚した夫婦の会話か⁉)
勇輝は開いた口が塞がらず、ただただその光景を見ていた。
(い、意味わかんねぇ)
やがて勇輝の存在に気がついた暁美が、恥ずかしそうにそっと父親から離れた。
「……離婚したんじゃなかったの?」
勇輝の消え入りそうな問いに、暁美は首をかしげ、父親はあっ、と声を上げた。
「それ、嘘」
すまん、と軽く手を上げて父親はそう言った。笑顔までついている。
「なんですと!」
「え、ちょっと、離婚って何?」
暁美が父親に詰め寄ると、父親はあははと目を逸らした。
「いや、母さんが中東に行く時、けっこう危ない仕事って言ってただろ? それで、勇輝を悲しませることのないように……離婚したことにしました」
話が進むにつれ、暁美の目はつり上がり、それと比例して父親の声は萎んでいく。
「マジ……ですか?」
「だって、母さんが死ぬかもしれないなんて、言えないだろ?」
(返せ! 俺の涙を返せ!)
勇輝は母の日に、母親を恋しく思って涙を流した。置いて行かれたことが悲しくて、一人枕を濡らした夜もあった。
父親は号泣していたが……。
(それが、全部嘘だってぇ?)
勇輝は怒りのあまりに震えていた。この場に母親がいなければ、速攻で殴りに行っただろう。
「勝手なこと言わないの!」
暁美はがくがくと父親を揺らす。目を回す父親は、それでも幸せそうだった。
「いや~。無事戻ってきたんだからいいじゃないか」
「良くねぇよ! やっぱり俺、この家出ていくからな!」
捨て台詞を吐くと、勇輝は階段を駆け上った。
(絶対許すもんか、あのクソ親父!)
勇輝は、今度はより大きなリュックを取り出して服を入れていく。
テストが返ってこれば、すぐに冬休みである。勇輝は、冬休みは如月で過ごそうと決めた。
(俺の生活、最近めちゃくちゃ……)
勇輝は、ぱたりとベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま眠りに落ちた勇輝は、ご飯を呼びに来た母親に起こされるという、感動を味わったのだった。




