第7章の36 神の名の下に
部屋全体が淡い光で包まれている。魔法陣は向き合う王とアフランが中心となるように展開し、複雑にその紋様を変えていく。
体を動かせない勇輝たちは、一斉に魔術を放つが二人に届く前に消滅した。魔法陣の縁に沿って結界があるのか、そこで攻撃が無効化される。それでも、攻撃の手は緩めない。
「阿修羅! お前はそれでいいのかよ! そんな奴に体取られるんだぞ!」
秀斗の喚き声に、彼は視線を向けた。
「だまれ餓鬼が。俺はアフランと志をともにし、陛下のために生きるのだ」
金の瞳に映る強固な意思。そんなやつとは思わなかったと、秀斗が悪態をついた。
続く攻撃は意に介さず、王は右手を胸の前に突き出し、残る魔力を陣に注ぎ始じめる。低い声が、詠唱を紡いだ。
「神の名の下に、宣言する」
魔法陣が赤く光り、膨大な魔力が噴出した。空気が震え、彼らに重圧が襲いかかる。
「闇が光を飲み込み、万物を無に帰す」
彼らは攻撃を止め、反撃の時を伺う。こうなってはもう止められない。
「魂が阿修羅に乗り移った瞬間を狙うぞ」
鎖羅の指示に、彼らは頷いた。
「我が肉体を捧げ、魂の道となす」
そして、陣に魔力が満ち、詠唱は最終段階に入る。
「わが魂を継承し、天人を滅ぼさん」
赤い光が迸る中、彼らの目には王の体から抜け出る青白いものが映った。
「あれが、魂……?」
勇輝は思わず呟いていた。
その魂は、吸い込まれるようにアフランの中に入っていく。まるで映画のワンシーンでも見ているような光景は、ほんの数秒で終わり赤い光が消滅した。王が崩れ落ちる。
「今だ!」
鎖羅の掛け声と同時に、全員で最大威力の魔術を放った。声が重なり合い、威力が増大する。
「黒棺」
だが、阿修羅の声と同時に黒い立体が彼を包む。高い防御力を誇る漆黒の壁が、魔術を弾き飛ばした。弾かれた魔術は、部屋を無残なものに変えていく。
「くっそ。あの野郎、さっきの王より魔力高くなってやがる」
秀斗は額の汗をぬぐう。渾身の力を込めて撃ったのだ。魔力がほとんど残っていない。それは皆も同じで、肩で息をし、体が鉛のように重くなっていた。
黒い立体が粒子となって消え、新たな王が姿を現す。
「あぁ……いい気分だ。力がみなぎる。さあ、天人、粛清といこうか」
浮かべた残虐な笑みは、彼の足元で伏している男が浮かべていたもの。
「ここに来て、最終形態とか、ないって」
勇輝も立っているのがやっとで、絶望的な状況に、笑いすら込み上げてくる。
王はゆったりとした歩調で、彼らへと近づく。彼らは互いに視線を交わし、意思を問う。最後の手段はある。だが、それを使うかの判断は、していない。簡単に決められるものではなく、各々に任せるという結論になっていた。
「逃げるのも、手ですよ。逃げるだけなら、私だけでもできます」
そう言った零華の表情は凛としていて、この絶望的な状況でも諦めの色はない。
「零華ちゃんにだけ、背負わせなんか、しないよ」
癒慰は、荒く息を継ぎながら、零華に笑いかけた。
「逃がすとおも…………」
左手に闇を凝縮させていた王の足が止まった。小刻みに震える右手が上がっていく。振動が剣を伝い、纏っていた闇が晴れていった。鈍い光を返す剣身には、細かな紫の紋様が彫られている。それを見た弥生と鎖羅の表情が驚きに変わる。
「お前こそ……逃げられると、思うな」
同じ声が、異なる言葉を紡ぐ。
「阿修羅……何故消えておらん」
一歩、足が踏み出され、上がりゆく腕が止められる。一つの体の中で、二つの意思がせめぎ合う。
「俺の眼は、魂を支配する。俺は、自分自身に支配をかけた。簡単に奪わせはしない」
自分自身を支配下に置くことで、魂の主導権を奪われずにすんだ。無防備の状態では、王の魂が入った時点で体を支配されていただろう。
「ならば、奪い取るまで」
だが、王の魂はすでに浸蝕を始めており、阿修羅の表情が苦し気に歪む。
「阿修羅。お前なのか?」
鎖羅の問いかけに、阿修羅は困ったような諦めに似た笑みを浮かべた。
「鎖羅。いろいろ悪かったとは、思っている。だから、そんな怖い顔で……睨まないでくれ」
苦笑いが、突如憤怒の形相に変わる。
「阿修羅、わしの邪魔をするな!」
一歩、また一歩と足が進み、剣を持つ腕が上がっていく。王と彼らの距離は、二メートルほど。
「なぁ、阿修羅にあの術効くと思うか?」
秀斗が声を潜めて、皆に意見を聞く。あの術とは、弥生に使った魂を分離させる術だ。
「効くとは思います。ですが、王の魂を滅さないと、また憑りつくかと」
「ちっ……。どうするよ、俺は、星鎧!」
その言葉の先は続かなかった。突如目の前に迫る黒い球体に、全魔力を障壁に傾ける。零華と癒慰が覇動を放って、障壁を補強する。
「羽虫は黙っていろ」
闇が凝縮された球体は、回転をしながら障壁を押し込んでいく。
「まずい!」
秀斗が叫ぶと同時に、錬魔が秀斗の前に躍り出た。足に覇動を纏わせ、強力な一撃を繰り出す。
「おい、止めろ!」
秀斗の制止も聞かず、錬魔は球体目掛けて回し蹴りを決めた。内側からの衝撃を受け、黒い球体は跳ね返る。それは天井を貫き、瓦礫が降ってきた。同時に薄くなっていた障壁が弾け飛ぶ。
「錬魔君! 大丈夫!?」
下手すれば、足が無くなってもおかしくない暴挙だ。青ざめる癒慰に対し、錬魔は大丈夫だと返して右足に手を当てる。怪我を示す青い花を散らせば、折れた骨はくっついた。
「治せばいいという話ではありませんよ」
彼らは錬魔の怪我を気にかけつつ、王から視線を外さない。瓦礫による粉塵が晴れ、その姿が浮かび上がる。
王の足は止まっている。両手で剣を持ち、構えていた。その切っ先が向くのは、王自身。
「あいつ、何を!」
「やはり、そうか」
驚きの声を上げる秀斗に対し、弥生は苦々し気に呻く。鎖羅も舌打ちをした。
「阿修羅、何のつもりだ!」
王が激昂し、カタカタと剣は震え、押しては戻される。
「魂を滅する。全てを、ここで終わらせる」
剣の切っ先が、胸へと突き立てられた。一突きで、心臓まで届く位置。
「阿修羅さん! 何してんだよ!」
飛び出そうとする秀斗の肩に、鎖羅が手を置いた。
「あの剣は、魂を斬るものだ。あれなら、王の魂を滅ぼせる」
鎖羅の言葉に、彼らの表情に希望が灯るが、弥生の表情は険しい。
「阿修羅の魂も滅びるがな」
「はっ!? 阿修羅さん! どういうことだよ!」
「お前は黙ってそこで見ていろ。俺に、任せておけばいい」
ぐっと、剣が押し込まれ、服に血が滲みだした。
「この若造が! その前に、乗り移ってやるわ。神の名の下に、宣言する」
継承の儀を始める詠唱。弥生が鎖羅の前に出て、警戒を強める。王と阿修羅の言葉が真実なら鎖羅も王族となり、次に憑依されるなら彼女だ。
だが、足元の魔法陣はその声に応えなかった。王が苦しそうに呻き声を上げ、左手で胸を掻きむしる。乱暴に服を引きちぎり、胸元に視線を落とした。
「まさか……アフラン。お前の入れ知恵か」
黒い服から覗く素肌には、魔法陣が刻まれていた。心臓の上辺りに、拳大の大きさで複雑な紋様が重なりあっている。そこに、切っ先は突き立てられていた。
阿修羅の表情が、寂し気なものに変わる。
「貴方の魂を、この体に閉じ込める術式です。もう貴方は兄上ではない。ただ、憎しみに憑りつかれた亡者だ」
その言葉で、彼がアフランなのだと分かる。震える左手を、胸元から剣の柄へと戻す。
「兄上なら、こうすることを望んだでしょう」
胸元から流れる血が多くなる。その剣で心臓を貫けば、全てが終わる。それは、全員が分かっていた。それが、最善なのも分かる。それでも、それでも黙ってはいられない。
「おい阿修羅! お前はそれでいいのか! 王と心中するつもりか!」
我慢がならないと、鎖羅が叫ぶ。ここには、奴を一発殴るつもりで来た。それが、今となっては一発では気が済まない。話を聞けば、自分は全て蚊帳の外だ。それが、腹立たしいほど悔しい。
「鎖羅、これは俺の意思だ。続いた悲劇は俺で終わりにする。これが、俺の王族としての責務だ」
強い決意を秘めた表情が、一瞬にして憎悪に転ずる。
「お前の支配権を奪ってやる。その次は、そこの天人だ。復讐を、復讐を果たしてやる」
剣が押し戻される。王の支配域が広がり、阿修羅をも飲み込もうとしていた。
「ふざけんな! てめぇはいつも一人で抱えて、解決して。俺らを子ども扱いすんじゃねぇよ! 王の責務だぁ? んなもん、知らねえよ。そんなら俺は、王族の権利を使う!」
秀斗が阿修羅に怒声を浴びせた。阿修羅の顔は、困惑と憎悪が入れ替わっていく。もう時間がない。
その秀斗の横を、弥生が通り過ぎた。視線を交わし、頷き合う。
「阿修羅、勝手に逃げることは許さん。姉様を悲しませた罰は、残っているぞ」
弥生は阿修羅を挟んで、秀斗の向かい側に立つ。阿修羅が苦しげに、秀斗へと顔を向けた。
「お前ら……何をするつもりだ」
「さぁな。何が起こるかなんて、俺にもわかんねえよ。けど、ここで阿修羅さんに死なれたら、寝覚めがわりぃ」
すっと、秀斗の肩に置かれていた手が無くなった。秀斗が肩越しに見上げると、鎖羅が頼もしいなと言い残して離れていく。
「王族の何たるものかは知らんが、気づいてみれば、簡単なものだな。弥生、お前にだけ重荷を背負わせるものか」
鎖羅は弥生の隣に立ち、強気な笑みを見せる。自身が王族と認めると同時に、そこにあるものに気づいた。気づいてしまえば、分からなかったことのほうが不思議になる。
秀斗は、俺はいいのかよと独りごち、すっと息を吸った。喉元まで出た言葉が、肩を叩かれたことで留まる。
「医者として、救える命は見殺しにできない」
錬魔が肩を叩いて、弥生と秀斗の間へと歩いていく。
「阿修羅さんには、少しお世話になったから」
「人のためになるなら、この名も悪くはありませんね」
癒慰と零華が錬魔の向かい側に立った。
「貴様ら……何を」
憎悪に染まった顔で、王は剣を遠ざける。腕の震えは、小さくなっている。
そして、勇輝も一歩を踏み出した。王の声、阿修羅の声を聞いて、ずっと考えていた。自分に何ができるだろうかと。
彼らが行おうとしているのは、最後の賭けだ。何が起こるのか、成功するのかも分からない。だから、強制ではない。行うのは、自分の意思。
「俺も、王族なんてわかんない」
勇輝は、王から視線を外さずに、秀斗の隣へと歩く。
「勇輝、お前……」
別にいいんだと、その言葉を続けることはできなかった。その瞳の、意思の強さに圧倒される。
「けど、誰か一人が犠牲になる結末なんて、認めない! 俺は、みんなの幸せを願う!」
彼らは王を中心に円を描くように立っている。その輪の中へ、勇輝も入った。
全員の視線が、秀斗へと注がれる。秀斗は照れ臭そうに、ありがとなと呟いた。
最後の賭けは、王家に伝わる成人の儀式。魔力を乗せてその名と理を紡げば、国に恩恵がもたらされ願いが叶うという。自分の身がどうなるか分からないが、願いにかけることにしたのだ。
秀斗は息を吸い、集中する。
「俺は、星神秀斗」
魔力を込めてその名を唱えれば、足元から金の光と魔力の渦が迸る。それに、彼らも続く。
「私は月神弥生」
「我は、闇神鎖羅」
「俺は火神錬魔」
「私は土神癒慰」
「私は水神零華」
「俺は、光神勇輝」
それぞれの属性を表す、七色の光が立ち昇り、次の詠唱に移ろうとした時、王が動いた。剣を投げ捨て、胸に手を当てる。
「神の、名の下に、我が血を捧げ奉る」
強力な広範囲魔術を予測した彼らは、急いで次の詠唱に取り掛かる。
「星は人を導き、運命を定める」
「月は人を輝かせ、影を与える」
「全てを破壊しろ、冥闇」
「闇は!」
王が空中に巨大な球体を出現させ、鎖羅の詠唱が途切れる。避けられないほど巨大な塊からは、無数の触手が伸びていた。
「虚空!」
鎖羅が上空に手を伸ばし、球体を飲み込むための空間を開く。だが、落下は阻止できたものの、大きさが足らず完全に消滅させるには至らなかった。
鎖羅の魔力は空間魔術を維持するのに精一杯で、余力がない。
「続けろ!」
鎖羅は残る魔力を全て空間魔術に注ぎ込み、少しずつ口を大きくしていく。足元の光は消えていた。
確率が下がるが仕方がないと、残る四人が矢継ぎ早に詠唱をする。
「火は人に安息を与え、全てを焼き尽くす」
「土は人を育み、全てを飲み込む」
「水は人を潤し、全てを破壊する」
「光は人を照らし、人を惑わす」
六つの光が王を中心に交差し、憎悪に歪む王を照らす。さらに詠唱を唱えようとした王が、不敵に笑った。
「俺は闇神阿修羅、神の名の下にこの名を捧ぐ」
彼の足元から黒い光が立ち昇る。顔の半分が忌々しそうに引きつり、止めろと呟く。
阿修羅は顔の片側を抑え、詠唱を叫んだ。
「闇は人に絶望と強さを与え、全てを無にする!」
七つの光が重なり合い、最後の詠唱は、自然と頭に浮かんだ。彼らの声が一つに重なる。
「悪しき魂を滅せよ!」
七色の光が阿修羅に降り注ぎ、断末魔が響き渡る。阿修羅の胸から、青白い魂が徐々に姿を現した。その魂を縛るように、赤い文字の羅列が刻まれている。
その文字があるところから煙が上がり、魂を溶かしていく。抵抗は激しく、呪詛のような怨嗟の念が、彼らの脳内に響く。意識を奪われないように必死に耐える。
誰か一人の魔力が途切れただけでも、術が破られかねない。持久戦を覚悟した瞬間、阿修羅の体から魂が飛び出した。
虚を突かれ、彼らの反応が遅れる。飛び出した先には、伏した王の体があった。
青と赤が混ざった光が尾を引く。その後を銀が追い、黒が続く。もはや、色でしか認識できなかった。
「二度と蘇るな」
一閃。魂が両断され、断末魔が響いた。剣を振りぬいた阿修羅の姿から、彼が剣を拾い切り捨てたのだと理解する。
魂は、吸い込まれるように宙へ消えていった。同時に、頭上で食い止めていた闇が霧散する。
「終わった……?」
勇輝はどさっと座り込んだ。息は荒く、魔力が枯渇状態でくらくらする。緊張から解き放たれ、知らず知らずのうちに笑みがこぼれていた。
仲間へ視線を巡らすと、彼らも表情を和ませている。終わった、やっと終わったと、口々に呟き、喜びを噛みしめている。
勇輝が彼らの傍に行こうと腰を上げた時、阿修羅が動いた。
「父上!」
剣が床に落ちる音がし、阿修羅は男に駆け寄り抱き起こす。皆驚き、視線を向けた。
阿修羅は金の瞳で王を見ている。その瞳は、懐かしく、弱弱しい魂を映している。
王の目が微かに開く。焦点の合わない目が空中を彷徨い、ゆっくりと阿修羅に向けられた。
「……阿修羅、か。ずいぶん、大きくなったな」
その声に力はなく、表情は柔らかい。先ほどまでの王とは、反対の姿。それが、優しく思慮深い父の姿だった。
「父上。初代の魂は滅ぼしました。俺たちが、勝ったのです」
父上と、衰弱した王に呼びかける姿は幼子のようで、阿修羅をよく知る三人は驚きを隠せない。
「そうか。お前にばかり、重荷を背負わせた」
王の目元が和み、よくやったとその手を阿修羅の腕へ伸ばす。そっと、成長を確かめるように撫でた。
その姿は、どこにでもいるような父親で、六人は誰からともなく近づいて行った。憎しみの象徴だった姿からは、拍子抜けするほど優しい覇動が伝わってくるのだ。それを、鎖羅だけは遠巻きに見ていた。
気配に気づいた王は、わずかに首を動かして、彼等を視界に捉えると目を見開いた。あぁ、と短く声を上げる。それは、慚愧の念。
六人は、王と阿修羅を囲むように少し距離を取って立った。王にとって、初めて目にする色。
「喚んで、しまったのか」
王は自力で身を起こし、一人一人と目を合わせた。阿修羅は気遣い、手を背に当て支えている。
「各国の、神の名に連なる方々と、お見受けする」
「はい。貴方は、当代の王ですね」
王の口元が震え、ぐっと引き結ばれる。しばし間があり、そうだと口が開かれた。彼は、苦しそうに言葉を繋げていく。
「貴方がたの、人生を捻じ曲げた。到底、償えるものでも、許されるものでも、ない」
王の口からそのような言葉が出ると思っておらず、彼らは戸惑う。それは、闇の子である彼らが思い続けていたこと。たが、その通りだと罵る気にはなれなかった。王は視線を外さずに続ける。
「それでも、闇の王の一人として、謝罪をさせてほしい。……申し訳なかった」
そう言って頭を下げる王に、彼らはかけるべき言葉が見つからない。彼もまた、被害者だとは分かっている。だが、許すとは言えなかった。
「怒りも、憎しみもあるだろう。この身は八つ裂きにされてもいい。だが、他のものたちは、免じてくれないか。まして、民は何も知らず、遠い地で隠れ住んでいる」
闇の王族が、他国の王族を殺害し、陰謀を図った。戦争になってもおかしくはなく、闇の国は蹂躙されても文句は言えない。まして、慣例通りなら一族諸共処刑されるだろう。
一族を、民を自らの命を持って守ろうとする姿は、王そのものだった。
それは、錬魔の赤い瞳にも映っていたが、彼は眉根を潜める。
「死にゆくものが、何を言っている。殺された俺の家族は戻ってこない」
彼らしからぬ言い方に、零華がたしなめようとしたが、癒慰が止める。
死にゆくものと、阿修羅が繰り返した。覚悟はしていても、言葉にされると動揺してしまう。顔を強張らせた阿修羅に、王は力なく首を横に振った。仕方がないのだと、言っているようだった。
錬魔が嫌いな、運命を受け入れ全てを諦めた表情だ。だが、この期に及んで生きる希望を持たせる言葉も、かけられなかった。赤い花は、一枚、また一枚と花びらを散らしていく。
「俺は、この先許すことはない。残された闇の者がどうなろうと、俺の知るところではないな」
辛辣な言葉。だが、言外にこれ以上の追及はしないとも読み取れた。王は、許されることを望んでいない。そう感じた錬魔が言える、せめてもの言葉だ。
それを聞いた王が静かに息を吐く。安堵の表情を見せる王に、弥生が言葉をかけた。
「当代の王よ。私たちは、初代によっていつ終わるとも知れぬ闇の中にいた」
表情は読めないが、その声に非難の色はない。
「だが、私は阿修羅と鎖羅に助けられた。私たちの総意とは言えないが、闇の全てが悪で、憎く思っているわけではない」
その言葉に、残る五人が頷く。多かれ少なかれ、闇の二人と関わってきた。特に闇の子の四人は、恐怖の対象でしかなかった闇への意識が変わったのだ。
「鎖羅!?」
王が驚きの表情を見せ、思いもよらない反応に、彼らは疑問符を浮かべた。
「阿修羅。無事、生まれたのか。名を、つけてくれたのか」
王は迫る勢いで、阿修羅に問う。その様子から、王が鎖羅の存在を知らないことを察した彼らは、彼女を盗み見た。彼女は離れたところで傍観していたが、突然名前を出され虚を突かれた顔をしている。
阿修羅が鎖羅を見やり、軽く顎を引いた。
「鎖羅。すまないが、こちらに来てくれ」
「あ……あぁ」
彼女は静かに近づき、弥生の隣に立つ。阿修羅と王に対して、向かい合う位置になる。
「鎖羅、か」
王はこれ以上ないほどに目を見開いていた。近づこうと、立とうとするが足は動かず、ただ震えるだけだった。
鎖羅は戸惑い、返す言葉がわからない。その背を、弥生が押した。驚いて顔を向ける鎖羅に、弥生は頷いて視線を王へ向ける。
鎖羅は緊張した足取りで王の隣へ歩き、膝をついた。その顔に、王の手が伸びる。
「母親に、よく似ている。私の手で抱くことは、できなかったが、その名を、もらってくれて、よかった」
王の手は、ごわごわと硬く、温かい。嬉しそうにほほ笑む父親の姿を、鎖羅はただ見ているしかできなかった。
「父上。鎖羅は、剣の腕がよく、俺も勝てません。それに、空間魔術に秀でているんです」
「いい、魔術師になったな。剣の腕は母親譲りか」
王は何度も鎖羅の頬を撫で、名残惜しそうに手を戻した。体を起す力もなくなり、阿修羅の胸に寄りかかる。それでも、視線だけは鎖羅に向けていた。
「あの……母は、どんな人でしたか」
鎖羅の言葉はぎこちなく、遠慮が感じられた。王は口を開きかけたが、一拍間を空けてから答える。
「強く、優しい人だった。長く美しい黒髪が、そっくりだ。阿修羅の母と、闇の国を復興しようとしていたな」
そう語る口調からは、懐かしさが溢れていた。王は鎖羅から阿修羅へと視線を動かす。もう、顔しか動かせない。
「阿修羅、鎖羅。お前たちは、自由に生きなさい。もう、王家に血が流れることは、ない」
そして、周りで見守っていた六人に視線を巡らせる。
「天人よ。貴方がたの国が栄え、幸福が訪れるよう、祈っている」
絞り出すように、一言一言を紡いでいる。彼らは力強く頷き返した。
「阿修羅。鎖羅」
最後に、彼は二人の名をもう一度呼んだ。二人は身を乗り出し、王の顔を覗き込む。二人の顔が、見られるように。彼は、幸せそうに微笑んで、
「ありがとう」
と短く呟き、静かに目を閉じた。錬魔の視界では、赤い花びらの最後の一枚が散った。王の体が、闇に包まれる。
「父上!」
揺さぶろうとした腕から、ふっと重さが消え、阿修羅は前のめりになった。役割を失った腕が、虚しく固まっている。
王の体は闇に溶け、闇は二人の周りを回ると、包むように消えていった。