表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
173/301

第6章の2 海といえば……さ?

 きゅっとしまったウエスト。細くのびる足は豹のように美しく、高い跳躍を生む。

 そして布が邪魔と言わんばかりに主張する豊かなふくらみ。それが動きに合わせて上下に揺れる。

 破壊力は、ミサイル並みだ。


「ごめん、俺はもう……負けそう」


 勇輝はがくりと膝をつき、息も絶え絶えにそう呟いた。


「耐えてこその男じゃねぇか、しっかりしろよ勇輝」


 そう叱咤する秀斗もどこか苦しそうだ。

 ほわほわ、ふるふる。

 それが戦意を削いでいく。


「あぁ……あんなのずるいよ。人類破壊兵器じゃん」


 勇輝はうつろな目でその兵器を追う。


「あれは策略だ。惑わされるな」


 横から錬魔の涼しい声が聞こえた。彼は顔色一つ変えずにそれを見ている。


「錬魔……お前は大丈夫なのか?」


 秀斗が嘘だろとでも言いたそうな表情で錬魔を見た。


「俺にはただの器官の一部にしか見えない」


 その言葉に、秀斗は憐みの表情を浮かべて錬魔の肩に手を置いた。


「医者は不幸な職業だな。あれから欠片の幸せももらえないなんて……」


「秀斗! そっちにいっちゃだめだ。気をたしかに持って!」


 物憂げな表情のまま秀斗はそれがある方へ視線を向け、勇輝は顔を引きつらせて秀斗の肩を揺さぶった。


「よし、ここは俺が悩める少年たちを助けてあげよう」


 にこやかな笑みを浮かべて、一人の青年が二人の救世主となるべく立ち上がる。


「全てのものには適切なサイズというものがあるんだよ。例えば、キュウリが成長しすぎたらなんていう?」


「……お化けキュウリ」


 質問の意味を理解せぬまま勇輝は答える。


「そうだね。だからあれも、お化けなんだよ。あんなのがあったって、俺たちが制御できなければ存在の意味はない!」


 拳を握って熱く語る男性に二人は拍手を送る。


「現実逃避はそこまでにして、ちゃんと目の前の状況を受けとめてください」


 そんな馬鹿話を聞いていた零華が、絶対零度の声で三人の逃避ワールドを粉砕した。

 三人はうっとつまって、そろりと問題のものに視線をやる。逃避フィルターのかかっていない目で。


「……だってさ、水着の女の子が剣を振りまわしてる姿なんて見たくないよ!」


 南国のビーチに、勇輝の叫び声と剣と剣がぶつかる音が響いた……。





 白い砂浜、寄せては返す波。灼熱の太陽を反射させて二本の剣が交差する。

 ショートパンツに上着着用中の弥生が剣を振りおろせば、谷間を見せつけたビキニ姿の綾覇が受ける。色はもちろん大好きな赤だ。

 弥生の剣はもちろん月契で、綾覇の剣は弥生のものより長く、見事なレリーフが施されている長剣。


「三十路間近なのに、よくやるわね」


 癒慰の呟きは、その扇情的な水着姿か剣に対するものか。目に殺気が籠っているのは、気のせいだと思いたい勇輝だ。

 勇輝はため息をつきたい気持ちで数分前に始まった手合わせに視線を戻した。

 夏合宿の下見に来たという綾覇とシンだったが、この砂浜は鍛錬にちょうどいいと綾覇が言いだし、弥生ちょっとつきあいなよと誘って今に至る。


「ちょっとは腕、上げたみたいじゃない!」


 つばせり合う二人。肌を守るものが無い今、少しでも切っ先が当たれば怪我に繋がる。


「お前は衰えないようにするので精いっぱいのようだな」


 弥生の挑発に綾覇のこめかみに青筋が浮いた。


「や~よ~い~、覚悟しなさい!」


 血の底を這うような声が綾覇から発される。

 いつの世でも妙齢の女性にお肌と年齢の話はご法度だ。


「でも、やっぱ二人の剣はきれいだよなぁ」


 二人の手合わせを見て勇輝はうらやましそうに声を漏らした。

 砂浜に二人の足跡が乱れ、高い金属音が耳朶をくすぐる。太陽を跳ね返す白刃が線を描いて美しい。


「まぁ、隊内で一、二の使い手ですからね」


 水のパラソルをさした零華は一人涼しそうだ。


「どっちが勝つかな」


「もうすぐ決着がつくと思うよ。達人同士の闘いは、ほんの一瞬で勝敗が決まるからね」


 シンの目がすっと細くなり、真剣な顔つきになった。普段はチャラけていても、朧月夜の副リーダー。その剣の腕はそうとうのもののはずだ。誰も彼の剣技を見たことはないが……。

 弥生は姿勢を低くして突きを繰り出す。足場が砂とは思えない速さだ。

 綾覇はそれを剣で交わし絡め取った。

 ぐっと引き寄せ月契を跳ね飛ばす。


「おっ」


「うわっ」


「へぇ……」


 観衆がざわめく。

 さくっと音を立てて月契が砂に刺さると同時に、綾覇の切っ先が弥生に向けられた。


「私の勝ちね」


 勝ち誇った顔をする綾覇に対し、弥生は仏頂面で月契の具現化を解いた。光の粒子となって月契は消える。


「勝負がついたようなので、私たちはシュノーケリングに行きますね」


「後はよろしく~」


 勝負を見届けてから女の子二人は海の方へと歩いて行った。錬魔も医者の役目はなしとシートの方へと歩いて行く。また寝るつもりなのだろう。

 勇輝は視線を手合わせを終えた二人に向けた。この勝負から熱い友情が芽生えればいいなと思いつつ……そうなるはずはないとわかりつつ……。


「今度は綾覇さん、何をもらうつもりなんだろうね」


 シンが興味深そうにそう言った。


「そういや前回もなんかもらってたな」


「けっこうなコレクターだからね」


 勝った方が負けた方から剣を貰う。それが二人の間の暗黙の了解だった。


「ねぇ弥生、あんたなんかまだ隠してるでしょ」


 綾覇は剣を鞘に納めた後、すたすたと弥生に歩み寄った。その目は獲物を狙う肉食動物だ。


「……お前の嗅覚は本当に野生並みだな」


 呆れた様子の弥生はずいずいと迫る綾覇を押し返して、観念したように仕方がないと呟いた。


「とっておきを見せてやるよ」


 弥生がすっと手を前に出した。


「契約せしものよ、我が求めに応じその姿を見せよ。幽珞ゆうらく


 空間が揺らぎ、剣が現れる。刃渡りは月契より長く、刃の中心には紫の線が入っていた。


「何だか禍々しさを感じる剣ね」


 綾覇は興味深げにまじまじとその剣を検分する。


「……なんだ、ずいぶん眩し……うおっ? な、なんと破廉恥な格好を! お、お、女子おなごがそんなふしだらな!」


 焦ったような声は弥生の手に握られた剣から。


「何これ! この剣しゃべるの!?」


 とたんに綾覇は目を輝かせ、弥生から奪い取ると剣の先から柄まで穴が開くほど見つめた。


「そ、そのように近くに寄せるな! この破廉恥女が!」


 剣に顔はないが、顔を赤くしてわたわたしている顔が浮かんで見える。


「話には聞いたことあるけど初めて見たわ、しゃべる剣。これが魔剣なのね」


 綾覇は舌舐めずりをして刀身を撫でた。


「や、やめろ。そんな触り方……ぐぅっ」


 魔剣がもうひっこめてくれと懇願し始めた。


「剣も感覚ってあるんだ」


「そりゃあんだろ。星鎧も寒い時は寒いって言うしな」


 綾覇は先程とは打って変わり、ねこじゃらしを与えた猫のようだ。


「ねぇこれちょうだい」


 甘えた目を弥生に向けるが、


「それは姉様にもらったものだから無理だ」


 にべもなく断られた。


「てかあれ、鎖羅さんがあげたんだ……」


「その気持ちわかるぜ。ちょっとないよな、そのプレゼント……」


 外野ではさらりと勇輝が剣を極める姉妹に引いていた。

 そして剣の道を行く二人はさらに盛り上がっていく。


「あんたの姉さんって強いの?」


「あぁ、私の師匠だからな。私よりも強い」


「本当!? こんど紹介してよ。ぜひ手合わせしたい」


 剣を極める輪が広がりつつあった。


「お~、綾覇さんが弥生だけではなくその姉とも親交を深めようとしてるねぇ」


 シンはすごいすごいと軽く手を叩いている。


「実際綾覇さんと鎖羅さんが闘ったらどっちが強いの?」


「ん~……やや鎖羅が優勢かな。鎖羅は手数が多いし、闘いの年数も長いからな」


 その後綾覇にいろいろと質問攻めをされてから魔剣は解放され、弥生は代わりに日本刀を一振りあげていた。

 勇輝には何かさっぱりわからなかったが、綾覇の喜びようをみると相当な代物なのだろう。

 






 それから彼らは零華と癒慰に合流してシュノーケリングをしたり、食べられそうな魚を獲ったりと海を満喫していた。綾覇とシンはコテージの下見に行っている。

 勇輝は一度海から上がり、シートで休んでいた。

 弥生はシュノーケリングが気に入ったようで、何度も潜って遊んでいる。零華が水を自在に操って海の中でも息ができるようにしてくれた。それに癒慰もつきあっている。

 錬魔と秀斗は遠泳をすると言って、もう頭が小さく見えていた。


「一休み中?」


 その背中に声がかかった。勇輝はぐるっと首を回して後ろを見る。


「あれ? 綾覇さん……下見は終わったんですか?」


 綾覇は水着の上に隊員服の上着だけを着て立っていた。どうあっても目立つものは目立つ……。勇輝はそこから視線をすっと逸らした。


「あらかた終わったから、後はシンに任せたの」


 綾覇は勇輝の隣に腰を下ろし、勇輝はさりげなく距離を置く。近くにいれば、その破壊力にやられかねない。


「そうそう勇輝君、任務お疲れさま。修行は役にたった?」


 綾覇の問いかけに、勇輝は複雑そうな表情を浮かべて頷いた。


「ありがとうございます。でも、今回も俺は闘えなかったんですよね。剣を交えることもできなかった……」


 勇輝の声は気落ちしたもので、綾覇はついっと視線をやる。


「でも、勝ったんでしょ?」


「勝ちましたけど……」


 レガーシアには勝った。だが、結局自分は必要無かったのではないかとどこかで思う自分がいた。


「ただ、剣を振るうだけが剣術じゃないの」


 綾覇はやさしい顔つきで、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「剣を使わないのも、剣術の一つよ。剣を使わない勝ち方も時にはあるわ」


 綾覇の言葉に勇輝は心にすっと風が入ったような気持ちになった。


「剣術はね、使う覚悟と使わない覚悟が必要なのよ。覚えておきなさい」


 そう話す綾覇はまさしく師の顔だった。


「はい」


 勇輝は明るい顔で力強く頷く。


「鍛錬も怠らないようにね」


 綾覇は勇輝の頭を二度軽く叩いてから立ち上がると、


「私も泳ぐわよ~」


 と海へと入って行った。


(使わない覚悟……か)


 胸にずっしりとくる言葉。


「本当に、ありがとうございました。綾覇さん」


 勇輝が小さくなる背に向けてそう呟いた時、


「勇輝~、あの岩場から飛び込みしようぜ~」


 遠泳から帰って来た秀斗が海の中からそう叫んだ。

 勇輝が秀斗の指す方を見ると、ほどよい高さの岩があった。


「いくいく~」


 勇輝は立ち上がり、彼らと合流する。

 綾覇は泳げない弥生をからかって、水をかけていた。それに癒慰と零華も巻き込まれ、様々な言葉が聞こえるがそれに背を向けて男三人は離れていく。

 日はすでにやや傾こうとしていた……。






 気づけば、太陽は水平線にかかるほどになっていた。綾覇とシンはまだ仕事が残っていると本部に帰り、彼らはせっかくなのでコテージに泊まることにした。

 慰安用に建てられたとあって、なかなか広くしっかりとしている。個室も十分で、広めのキッチンもあった。

 勇輝と癒慰は夕食の準備を始め、秀斗と錬魔は疲れたのか部屋で熟睡をしていた。弥生は裏手に鍛錬場があるのを見つけて、素振りをしていた。みんなゆったりとした時間を過ごしている中で、零華は険しい顔で海辺に立っていた。

 先程遊んでいたところよりも奥に入った砂浜は、岩場が多くて波も荒い。

 零華は相対する人物を、氷の眼差しで射抜いた。

 目の前の男は、海よりも鮮やかな青色をした髪と瞳を持つ。


「何か御用ですか? 美月さん」


 普段の零華を知るものならばぞっとするほど感情がこもっていない声だ。

 対する美月は苦笑を浮かべて、零華を見つめていた。


「僕、そんなに嫌われることしたかな……」


 ふっと視線を落として悲しげな表情を浮かべるが、零華は寒い演技は止めてくださいと一刀両断にした。

 美月は物憂げな溜息をつくと、切れ長の目を零華に向ける。


「僕はただ君たちが外に出てるって聞いたから会いに来ただけなのに……まぁ、君が即行で会いに来てくれて僕は愛を感じてるけどね!」


 ぱちりとウインクをした美月を零華は鼻で笑った。


「貴方への愛情など欠片もありません」


「ほんと、零華は氷みたいだ。僕は勇輝君に癒しを求めることにするよ」


「怯えるので止めてください」


 勇輝は美月に迫られてから非常に警戒するようになったのだ。


「……わかったよ、勇輝君はまた今度にする」


 できれば一生近づいて欲しくないと思う零華だ。

 美月は遊びの表情をしまうと、真面目な顔つきに変えた。零華は何が来るのかと自然と身構える。


「零華」


 声が二重にぶれて聞こえた気がした。


「実を言うと、今日は貴女に話があったのよ」


 突然声が男のものから女のものに変わり、零華ははっと驚きを顔いっぱいに広げた。

 その声は聞き覚えがある。懐かしさが胸で弾けた。

 瞬く間に美月の髪は腰にかかるほどまで伸び、顔の線は細くなって柔らかくなる。身長も、零華と同じくらいまで低くなった。

 零華は引きこまれるようにその姿から目を話せなかった。気づかぬうちに言葉が漏れる。


「――美月、さん」


 先程までの辛辣さは欠片もない、純粋な敬意がつまった言葉。

 美月は穏やかな微笑を浮かべて、零華へと歩み寄りその頬を撫でた。


「久しぶりね、零華」


 目の前にいるのは三代目の美月。

 深窓の姫君と称され、多くの男を虜にした美貌。彼女は過去を視る瞳と動物を使役する術を使い、誓祈のリーダーとして慕われていた。

 人間界に来て間もない零華を見つけ出し、保護をしたのが彼女だった。


「はい……美月さん」


 言葉が何もでてこなかった。突然の再会を喜ぶ自分と、男の美月にずるいと悪態をつく自分が頭の中にいる。

 美月は初代から今の四代目まで定期的に骨格も人格も全て作り替えてきた。三代目の任期が終わった後は、この姿になることはなかったのだ。

 言いたいことはたくさんある。誓祈を抜けてからの話が、たくさんあるのに、何も出てこない。


「零華……」


 美月は少し悲しげな表情で彼女の名を呼んだ。その言葉に胸がしめつけられる。

 昔抱いた様々な感情がいっきに押し寄せて、せめぎ合う。


「ずっと、謝りたかったの。あなたを、引きとめられなかったこと……」


 美月は唐突にそんなことを言いだした。だがこの美月との時が別れた時で止まっている零華にとっては何の違和感もない。


「そんな……」


 零華は首を横に振った。


「和をもって貴しとする。これに背いたのは私ですから」


 零華が微笑を浮かべると、美月は視線を伏せた。居たたまれないというように。


「私にも、非はあるわ……」


 零華の微笑に幼い零華の微笑が重なる。

 誓祈を出ていく時も、その微笑を残していった。

 零華が出て行かざるをえなくなった原因は、命令違反及び隊員を危険にさらさした咎。

 彼女が単独で動いたことで、三人の隊員が重症を負い、誓祈の中では叱責の声があがった。反感の声を美月は抑えることができなかったのだ。零華の命令違反で村が一つ救われたことを知ったのは、彼女が出て行ったあと。


「私は、あそこを貴女の家にしたかったのに……」


 当時、誓祈には美月以外に能力者が両手の指ほどいた。その中で群を抜いていたのが零華で、自然と近い距離に置いてしまっていた。

 それが他の者の妬みを生み、零華への風当たりが厳しくなっていったのだ。

 零華は困ったように微笑んで、静かに横に首をふる。


「美月さんが責任を感じる必要はありません。あの時も言ったではありませんか。全ては私が決めたことですと」


 隊員から向けられる感情がよいものではないことは気づいていた。潮時かと思ったのだ。


「零華……本当に、ごめんね」


 美月は寂しそうに笑って、優しく零華を抱きしめた。彼女の柔らかさを感じた瞬間、零華は最初に会った時も抱きしめられたことを思い出した。


「美月さん、私はあなたに……」


 ぐっと自分を抱く腕に力がこもり、零華の舌に乗った言葉は綿あめのように溶けた。

 身体を包んでいた柔らかさが、消えている。


「恋を、しているのかい?」


 囁かれた声は官能的な美声。零華の心の温度が一気に氷点下まで下がった。


「僕は大歓迎だよ。いつでも愛の告白をしてくれ」


 美月は片手で零華の腰を引き寄せたまま、空いた手で髪を撫で、頬に指をすべらせた。慣れた手つきでくいっと上を向かせる。

 零華の瞳に映るのは端正な顔をした優男。

 それを映す零華の瞳はガラス玉のように美しく、なんの感情も浮かべていない。


「今の君なら、この僕の激しい気持ちをうけとってくれるだろうか」


 甘い声、甘い顔、甘いセリフ。そのコンボを零華は慈悲深いマリアのような微笑で受けた。


「美月さん」


 すっと、右手を彼の頬に添える。


「私が欲しければ、誠意を見せてくださいな」


 思わぬ言葉に美月の瞳が大きく見開かれた。


「……誠意?」


「はい」


 零華は右手を滑らせ、首筋に当てる。美月が動揺して心拍数が上がっているのがわかった。


「零華……」


 美月は吸い込まれるように零華へと顔をよせる。零華の瞳の中の自分と目があった瞬間、美月は膝から崩れ落ちた。


「……え?」


 頬に砂のざらざらした感覚がある。

 零華は霊界の裁判官のような怜悧な微笑を浮かべて美月を見下ろしていた。


「日本の技術はすごいですね。蚊をモチーフに痛みを感じない針を開発したそうで、その針に錬魔くん特製の痺れ薬をしみ込ませておきました」


 肉食動物の動きを一瞬で止められるほど強力ですよ、と零華は付け足した。


「波にさらわれないように気をつけてくださいね。海は気まぐれなので、嵐になるかもしれませんし……」


 水を操る零華なら、やりかねないと美月の背筋が凍った。指一本動かない。

 零華は美月に一瞥もくれずに皆がいるコテージへと歩いて行った。


(本当に、美月さんは……)


 零華の心が大きく揺れたその瞬間に、全てを無にしてしまった。今までのことが冗談だとでも言うように。

 そういう性格なのだ、今の美月は。

 歩いている間、彼女と過ごした様々な日々が頭の中を散歩する。

 とてもよくしてくれた。彼女と会わなければ、正常な心を保ててはいなかったかもしれなかった。

 少しずつコテージが見えてくる。

 それが、如月の屋敷を初めて見た日に重なった。

 美月が餞別と用意してくれた屋敷。一人では持てあましてしまうほどの広さで、どこの世界とも隔絶した空間。最初は島流しにでもされたかと思った。だが、数年後戦争の激しさを聞いて、これは彼女からの贈り物だということに気づいたのだ。

 誓祈から抜け、降格して鎌堂二のどこかに入ることもできた。だがそれをしなかったのは、これ以上戦争に関わらないようにという美月の最後の思い。

 それに気づけただけ、零華は幸せだった。


「あ、零華が帰って来た!」


 零華は頭上から降って来た声にはっと現実に戻った。

 ゆっくりと顔を上げると、二階のバルコニーで勇輝が手を振ってい。


「ご飯出来たから食べよー」


 勇輝は早く早くと零華を手招きして部屋の中へと入っていった。


(誓祈を出たから、彼らに出会えたのです。そこは、感謝しているんですよ?)


 零華は心の中でそう呟いて、コテージのドアを開いた。

 コテージの中は玄関の先がリビングになっており、わいわいと賑やかな声とおいしそうな香りが溢れている。


「おいしそうですね」


 魚介類をふんだんに使った料理が食卓に並んでいた。勇輝曰くイタリアの気分ということで、ピザとパスタが数種類あった。


「みんなそろったし、乾杯しようよ」


 勇輝がワインのコルクを空けて、零華に席を勧めた。ワイングラスに赤ワインが注がれ、みながワイングラスを持ちあげる。


「夏満喫ライフに乾杯!」


 勇輝の音頭に忍び笑いとグラスを打ち鳴らす音が混じった。




 楽しい夜は始まったばかり……。



 やはり予想がつかないのは美月ですね。なんで来てるんですか。そしてなんで3代目に戻るんですか。

 これにより零華の過去がちょろっと出ましたね。


 綾覇は油断すると弥生と同じしゃべりかたになる……。でも、安定したキャラなので書きやすいですね。シンとのペアでの出演^^

 こういうささやかな日常が、いちばん楽しいですね。


 次回は、ドキドキひやひやな感じで。たぶん短くなります。今回に入りきらなかったぶんですので……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ