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第5章の35 赤き瞳の再起

 赤い花が闇の中に浮かんでいる。錬魔の周りを取り囲むように遠い向こうまで続いている。

 赤い花ははらり、はらりと散り、それと同時に声が響く。

 お前のせいで、お前のせいで。

 ひたすら責める声。

 助けて、助けてくれ。

 死に怯え、助けを請う声。

 赤い花の向こう側にいる、何千人という人。

(何をしたって、もう償えない……)



 錬魔はゆっくりと目を開けた。

(また、囚われていた)

 錬魔は読もうと開いていた医学書を閉じ、窓の外に視線を飛ばした。

 内紛から一カ月。錬魔は一度も城の外に出ることなく部屋の中に籠っていた。

 医学書を読み、宙を眺めてぼうっとして一日を過ごす。意識が夢に落ちれば、それはたいてい赤い花に囲まれた夢。

 錬魔は瞳にかかるほどに伸びた前髪を鬱陶しそうにかきあげた。街を放浪し、部屋に籠っている間一度も髪を切っていない。

 後ろ髪も襟足より長くなっている。

 紅い髪。家族の中でも錬魔が一番濃い赤をしている。真紅で美しいと褒められた髪も、今の錬魔には血の色にしか見えなかった。

 その髪を見るたびに、あの惨状を思い出す。


(今の俺に、ふさわしい色だ)


 錬魔が自嘲的に笑った時、低いノック音が聞こえドアへと視線を向けた。


「どうぞ」


「よう、最近はよく城にいるな」


 尋ねてきたのは優人だった。というより、彼以外に錬魔を尋ねる者はほとんどいない。


「兄上こそ、よく来ますね。外歩きはいいのですか?」


「これから行くんだよ」


 優人の服装は城で着るものより簡素で、色もあせていた。

 優人は椅子に座る錬魔へと近づいていった。


「どうだ? 久しぶりに一緒に診療所へ行かないか?」


「いえ、忙しいので」


 そう言って本を広げた錬魔を見る優人の目が細められる。


「……お前、何かあったな?」


 確信を持った声。

 錬魔がパタリと街に出ていくのを止めて部屋にこもるようになってから、おかしいと思っていた。抱えていることを話してくれるまで待とうともしたが、我慢も限界だ。

優人は錬魔の隣に立つと、本を奪って閉じた。錬魔は抗議の視線を優人に向ける。


「言ってみろ。何があった」


 兄の真っ直ぐな視線に耐えられず、錬魔はすっと視線を外した。


「別に何も……」


「俺に隠し事が通用すると思うなよ」


 低い声で優人は詰め寄る。

 錬魔はもう一度優人を見ると、落とすように呟いた。


「俺は、兄上のように人を助けることはできないんですよ」


 凍りついたように動かない錬魔の表情。まるで仮面をつけているかのような弟に、優人は殴りそうになった拳をぐっと抑え込んだ。


「お前、頑張って医者になったんだろ? 俺よりもたくさんの命を救えるさ」


「それよりも、俺のせいで死ぬ人のほうが多いでしょう」


 錬魔の瞳はもう優人を捕らえていなかった。どこか遠くを見ているその瞳が優人の神経を逆なでする。


「兄上も忘れたわけではないでしょう。俺が闇の子だということを」


 その言葉を聞いた瞬間、優人は頭に血が上り気づけば錬魔の頭に拳骨を落としていた。


「こんの馬鹿が!」


 優人の怒声に錬魔は痛む頭を押さえて身を小さくした。突然落ちてきたような痛みに錬魔は目を白黒させる。


「まだ餓鬼のくせして何人生悟ったようなこと言ってんだよ。反吐が出る」


 錬魔は俯いたまま顔をあげない。


「闇の子がなんだよ。お前は全て闇の子のせいにすんのか? 逃げてんじゃねぇよ。そんな負抜けた面してる暇があんなら、もう一度お前にできることは何か考えろ!」


 優人は一息でそう言い放つと、くるりと錬魔に背を向けて荒々しくドアから出ていった。

 優人の説教をくらった錬魔は、悲しげな表情をドアへと向けた。


「それでも人は、死ぬじゃないですか……」


 錬魔は広い空へと視線を飛ばした。

 忘れられない。消えない罪。


(消えるべきは……俺なのに)


 錬魔は静かに椅子から下り、簡単に身支度を整えた。何も考えなくても体が勝手に動く。

 最短ルートで騎獣のもとへ行くと、騎獣は待ちわびていたように錬魔にすり寄って来た。

 世話をしてくれている兵士に、出かけてくるとだけ言って空へと駆ける。長い時間を共に旅した騎獣は錬魔の意を理解し高く高く上り王都から離れていく。

 茶色い毛並みをした豹に似た獣。豹よりも体躯が一回り大きく、毛質が柔らかい。

 心地よい風を感じながら、錬魔は遠くへと視線を飛ばす。行く当てはない。


(あそこにいても、することはないしな)


 書置きをしてくるべきだったかと錬魔は思ったが、まぁいいかと頭中から追い出した。

しかし無断で出ていったせいで俺のせいかと優人が騒ぎ、城中に話が回ったあげく、錬魔捜索隊が編成されかかったことを錬魔が知るのはずいぶん先の話。

何の目的もない気ままな旅が始まった。






 風が頬を撫で、髪がなびく。

城を出てから錬魔はフードを被っていない。

 神の子であると思われたくなかったのと、なんとなくばかばかしくなってきたからだ。

 路銀はこっそり貯めていた銅貨。

 身を守るために短剣は腰に佩いている。

 ディオフィルメイト王国は全体的に治安がいい方とは言っても夜は盗賊が横行し、地方によっては紛争の火種がくすぶるところもある。

 旅をする者は、夜は安全な宿屋に泊ることが定石だが、錬魔はそれをしなかった。子どもということで足元を見られることと、騎獣も共に泊まるとなると専用の宿となり数が少ないからだ。

 錬魔にとっては、下手に宿に泊まるよりも森の中で騎獣と眠るほうが安全だった。危険が近づけば騎獣がいち早く気づいてくれる。

 なによりも、あまり人の間に入りたくなかった。

 街を巡り、人の様子を眺めて過ごす。興味の惹かれたものを尋ね、見聞を広げていく。

 錬魔の紅い髪を珍しそうに見る人は多かったが、とくにもめ事に巻き込まれることも無く東へと進んでいった。


(あ……村があるな)


 錬魔は先に村があることに気づき、高度を下げていく。村全体を見回して、下りるかどうかを考える。街と違って農業が主となる村ではあまり得られるものも少なく、飛ばすことも多い。

 錬魔は目線を動かし、一つの家で留めた。

 村には不似合いな屋敷が一つ。大きいとは言えないが、街の一角にあるようなしっかりとした造りの屋敷だ。


(めずらしいな……)


 錬魔はなんとなく興味を惹かれて村から少し離れた森へ下りた。騎獣を森の中に放し、森から出るなという命令を与える。賢い獣は自分の食料を狩って生きてくれる。

 錬魔は森から出、村へと近づいて行った。

 森に囲まれた村。鳥が頭上を飛び、なんとも和やかな雰囲気がある。

 日もだいぶ昇ってきているので、外に出て働いている者は少ない。火の国は、昼間はかなりの高温になるので、農業は特に朝早く行われる。街でも村でも昼間は外に出ずに家や店でゆっくり過ごすのが常だ。

 錬魔は額に浮かぶ汗を拭い、村を歩く。

 昼間といえども誰も道を歩いていないことはない。錬魔は向こうから籠を持って歩いてきた初老の男に声をかけた。


「こんにちは」


「こんにちは。旅の人ですか?」


「はい」


 どこへ行ってもこんな感じで話が始まる。そしてその街や村の特産や、名物などの情報を集めていくのだ。

 錬魔は男性の服装に目を留めた。村では珍しい絹が使われた服。型も平服というよりも、使用人が着るようなものだ。

 錬魔は屋敷に雇われているものかと推測をつけて話を続ける。

 この村は農業と陶芸を生業とし、村の北には窯が多くあるそうだ。男性は王都に売りに行くこともあるのだと自慢げに言った。

 錬魔は頷き、後で見に行ってみようと思っているとじっと見つめてくる男性の視線に気がついた。


「……何か?」


 錬魔の警戒心が首をもたげる。


「旅人ということは、様々な街を見て来られたのでしょう?」


「まぁ、そうですけど」


 錬魔は曖昧に返事をする。男性の意味することが分からない。


「よければお嬢様に旅の話を聞かせてくれませんか?」


「お嬢様?」


 錬魔はすぐにその言葉が屋敷と結び付いたが、それでも違和感は拭えない。

 なぜそう呼ばれるほどの者がこんな村にいるのか、と。


「はい。私は村はずれの屋敷に仕えているものなのですが、お嬢様が暇を持て余されているので……」


 男性の言葉に訛りは無く、綺麗な言葉を話す。その口ぶりや垣間見える所作は洗練されており、使用人の中でも上の者に感じた。

 それも、この村ではいささか浮いた存在に思える。


「別にかまいません。旅人のささいな話でいいのなら」


 太陽を遮る屋根が欲しかったところだ。

 錬魔はよかったと目元を和ませる男性の後について行った。道すがら籠の中身は何かと訊くと、お嬢様の好きな果物が入っているのだと返ってきた。


(お嬢様……か)


 城にいた頃は様々な貴族を見てきた。彼らは錬魔を見ると恭しく頭を下げ、影で闇の子がと蔑む。錬魔は貴族が好きにはなれなかった。


(適当に話して、夕方には出よう)



 

 屋敷は村の集落から少し離れた森に近いところにあり、庭と森が一続きになっていた。

 小さな屋敷だが、造りはしっかりしている。

 男性はどうぞと、一礼をしてから扉を開けた。こぢんまりとした玄関ホールの先に廊下が続いている。


「どうぞこちらへ」


 男性に案内されて錬魔は廊下を進んでいく。


「あまり人がいないのですね」


 城の奥、王族が住む区画には侍女や使用人がうじゃうじゃといる。貴族の屋敷でも、使用人の多さが権力に比例していた。


「ここにはお嬢様と、私と、奉公人二人しかおりません」


 錬魔はあまりの少なさに一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに無表情の仮面を被った。


「この部屋がお嬢様の部屋です」


 男性が足を止めたのは屋敷の南にある部屋の前。男性は籠に一度目を落としてから、静かにノックをした。


「ダルジェンでございます」


 男性は一拍置いてからドアを開けた。


「おかえり。外は暑かったでしょう?」


 柔らかく透き通った声。

 男に続いて部屋に足を踏み入れた錬魔は、その声の主を見て足が止まった。

 想像していたお嬢様とは全く違った。

 正面の窓辺の安楽椅子に、その女の子は座っていた。年の頃は錬魔よりも上で、子どもっぽさと大人っぽさを両方持っている。髪は長く淡い水色と青の中間の色。水の国、アクアディナ王国の色だ。

 服は簡素だが生地は良いものを使っている。

 その女の子は錬魔に気づくと、好奇心に目を丸くして錬魔をじっと見てきた。


「ねぇ、その子は誰?」


 声が弾む。男性が穏やかな笑みを浮かべて答えた。


「旅の人ですよ。たまたま村に来られたので、何かお話でもと思いまして」


「本当?」


 女の子は目を輝かせ、旅の人と呟いて錬魔を上から下まで見る。

 錬魔は軽く会釈をし、その珍しい髪色をまじまじと見ていた。

 ディオフィルメイト王国は火の国であり、国民は赤系統の髪色を持つ。城では外交特使以外に違う色の髪を持つ者はおらず、王都でも行商人等しかいない。

 ましてこんな街から外れた村にいるのは珍しい。


「後、お嬢様が好きな果物を買って参りましたので食べてください」


 男性は女の子に近づき、椅子の傍にあるテーブルに籠を置いた。籠を覗きこんだ彼女は満面の笑みを男に向けた。


「ありがとう。ダルジェン」


「くれぐれも無理はなさらないよう」


 男性は女の子に一礼すると錬魔に目礼をして部屋から出ていった。


「はじめまして」


 錬魔は軽く一礼をした。城で貴族に対する使用人の例を何度も見たことがある。


「旅人くん。こっちに座ってよ」


 女の子がひらひらと手招きをする。

 錬魔はテーブルの向かい側にある椅子に座ると、彼女は期待に満ちた眼差しを向けてきた。

 錬魔は気恥ずかしく思いながら、少しずつ会話を始める。錬魔自身人と話すのは得意ではないが、引き受けたからにはやるしかない。

 錬魔は真実と嘘を織り込んで一人の旅人を作っていく。

 女の子はうんうんと相槌を打ち、錬魔の話しに聞き入っていた。

 王都で見た様々な人や物。森で遭遇した獣や山賊。人の噂で聞いた他国の話。

 彼女の表情はコロコロ変わる。驚きから興味深そうなものへ、わくわくと期待し、錬魔よりも楽しそうな表情をする。

 錬魔は彼女の千変万化する表情がおもしろく、次から次へと話を続ける。

 途中果物が食べたいと言った彼女に、錬魔は携帯していたナイフで皮をむいた。球状で緑色の皮をむくと果実は白くみずみずしい。

 彼女はラルスタと言っていた。

 最初は女の子がやろうとしたのだが、手が震えて危なっかしかったので錬魔がナイフを取り上げたのだ。

 器用な錬魔の手つきに彼女はすごいすごいとはしゃぐ。


(見た目は大人なのに、ずいぶん子どもっぽいな)


 果物を食べ、話を続けながら錬魔はそう思った。

 そうして話しているといつの間にか窓の向こうでは日が暮れようとしていた。


(しまった……ずいぶん長居をしたな)


 これほど話したのは旅をし始めてからは初めてのことだろう。

 そろそろ行かないといけないと錬魔が告げると、女の子は残念そうな顔をした。


「泊まってくれてもいいのよ?」


「先を急ぐので」


 錬魔は申し訳なさそうな顔をして、お嬢様に一礼をした。

 彼女は引きとめたそうにしていたが、やがて諦めすっと果物を差し出した。


「あげる。今日のお礼……よかったら、また来てね」


 錬魔はそれを受け取ると、お元気でと彼女に背を向けた。


「ねぇ」


 ドアの一歩前のところで、女の子は錬魔を呼び止めた。錬魔はゆっくりと振り返る。


「名前を、教えてくれない? 旅人くん」


 そう言われて、錬魔は自己紹介をしていなかったことに気がついた。旅では名を知らない関係があたり前になっていたのだ。


「俺は錬魔」


「私はカレンっていうの……またね」


 手を振る彼女に目礼をして、錬魔は部屋を出た。もう会わないだろうな、と心の中で思いながら廊下を歩く。

 一応使用人のあの男性にも挨拶をと探していると、どこからかいい香りが漂ってきた。香りと音を頼りにその場所に辿りつくと、厨房で料理を作っている男性を見つけた。


「あの、俺はこれで」


 錬魔がそう声をかけると、彼はもう帰るのですかと驚きの表情を浮かべた。


「ご夕食を一緒にと思っていたのですが」


 錬魔はすっと作られている料理に目をやった。おいしそうで、湯気が出ている。

 自然と涎が出てきたが、錬魔は首を横に振った。


「そうですか……。なら、これを持って行ってください」


 残念そうな表情を浮かべ、彼は冷ましてあった焼き立てのパンを布に包むと錬魔に手渡した。


「ありがとうございます……」


 布越しに伝わる温かさ。立ち上る焼き立てのパンの香り。


「今日はお嬢様とお話をしていただき、本当にありがとうございました。お嬢様に幸せな一時をくださって……本当に」


 彼は嬉しさの中に寂しさを交え、その瞳には涙を滲ませていた。


「あ、いえ……こちらこそありがとうございます」


 錬魔はそう言い置いて、見送ると言う男性の申し出を断り屋敷を出た。早足で屋敷から遠ざかる。

 夕日は山の端ぎりぎりのところまで落ち、すぐに暗くなるだろう。家々からは灯りと、夕食を作る香りが漏れている。

 錬魔はパンの包みをそっと胸に抱いた。


(温かいな……)


 錬魔は胸に温かさを感じながら、村の外に出た。


(俺には、あの温かさに入ることはできない……)


 錬魔はふっと自嘲の笑みをこぼして、騎獣の下へと歩いて行く。

 今日も一人、騎獣の温かさに抱かれ眠った。







 翌朝。錬魔は目が覚めるとすぐに騎獣に乗って次の街へと向かった。眼下に昨日の屋敷が見えると、女の子の顔が頭に浮かんだ。

 次の街。その次の街へと錬魔は旅を続ける。

 ここ一帯は陶芸が盛んなようで、街では陶器がよく売られていた。それを横目で見ながら錬魔は多くの人とすれ違い歩いて行く。

 何気なく通りの店を見ていると、果物屋が目に入った。その店先に見たことのある果物が積まれている。


(たしか、かれんさんがくれた……)


 名前は覚えていなかったが、味は覚えている。錬魔は店先で足を止めて、一つ手にとってみた。


「そのラルスタは新鮮だよ。何といってもこの街の名産だからね」


 突然声が飛んできて、錬魔の心臓が跳びはねた。果物屋の女主人はおかまいなしに笑顔で説明をし始める。


「しかも今が一番おいしい時さ。甘くてみずみずしいよ」


 錬魔は掌より少し大きいその果実をじっと見つめる。脳裏においしそうに食べていた女の子の顔がよぎる。

 最後に見せた男性の涙も気にかかっていた。


「これ、二つください」


 考えれば考えるほどもやもやしてきた。


「はいよ」


 錬魔は代金を支払うと、それらを鞄の中に入れ早足で歩いた。

 町はずれで騎獣に乗り、空に飛び立つ。街から村へはそこそこ距離があるが、空は別だ。

 騎獣は空気を切るように走っていく。

 村につくのに一時間もかからなかった。

 屋敷に近い森に騎獣を待たせ、錬魔は木立の間を縫って歩くと屋敷の庭に出た。

 錬魔は花の香りと美しさに足を止める。城にも庭はあるが、面積が広くちょっとした公園だった。

 この屋敷の庭はほどよい広さで、四角く区切られている。道が煉瓦で舗装され、おもしろい幾何学模様を織りなしていた。道の両側に色とりどりの花が植えられ、太陽に向かってしゃんと背を伸ばしていた。

 庭の奥に池が見え、その手前に四阿があり座って休めるようになっている。


(感じのいい庭だな……)


 錬魔が玄関の方へと体の向きを変えた時、高い声が聞こえた。


「あ、れんまくん!」


 ぴょんっと跳ねた声に、錬魔の心臓が跳びはねた。

 一つの窓から水色の髪をした女の子が手を振っている。その隣にあの男性もいた。

 男性が笑顔で迎えに出、すぐにカレンの部屋に通された。

 男性はまた来てくれてありがとうございますと、お礼を言うと買い物に行くと言って出かけていった。

 錬魔が通されたのはカレンの寝室で、彼女はベッドの上から窓の外を眺めていたのだ。

 服装も前に会った時よりもゆったりとした、楽なものだ。


「ごめんね、こんな恰好で」


 カレンは恥ずかしそうにそう笑った。錬魔は別に……、と返しベッドの傍にあった椅子に座る。

 ベッドで身を起こしているカレンを見ると、自然とるなのことが思い出されて錬魔は視線を落とした。


「あ……これ、お土産です」


 錬魔が鞄からラルスタを取りだすと、カレンはパッと顔を輝かせる。


「ありがとう」


「今日は具合でも悪いんですか?」


 日が昇っても寝台の上にいるカレンを、錬魔は風邪か何かだろうかと思った。


「うん……今日はちょっとね」


 カレンは困ったように微笑んだ。

 錬魔は特に気にせずラルスタを剥きながら、街の話を始める。あの街は果物やといえばラルスタだった。街の外には果樹園が広がり、人々が働いていた。ラルスタのジュースやジャム、そしてお菓子と様々に加工されている。

 その話を聞きながらラルスタを齧ったカレンは目を見開く。


「甘い……ここら辺で売ってるものと味が違うわ」


 その反応に錬魔も一つつまんでみると、この前食べたものよりも甘みが強かった。


「おいしいな」


 錬魔はこの村の後に訪れた街を中心に話をした。カレンは知っている街の名前が出て、相槌を打ち質問をする。


「そっかぁ、あの街ってそういう感じだったんだ」


 話が一区切りつくと、カレンは遠い目を窓の外へと向けた。


「行ったことはないんですか?」


「……ないよ」


 静かでどこか諦めた声。


「私は、ほとんどこの部屋から出られないから」


「出られない?」


 カレンは小さく頷くと、視線を錬魔に戻した。微笑む彼女は、何でもないことのように穏やかに続ける。


「生まれた時から病弱で、五分も歩いたら息切れをするの」


「病気……?」


 錬魔はカレンの体に視線を滑らせた。灰色の瞳では視えるはずもない。

 ざわざわと胸が騒ぐ。神祈の瞳が疼きだした。


「医者には診てもらっているんでしょう?」


「小さい頃はね。でも薬の副作用が辛いだけだったから止めたわ」


 カレンは普通の世間話をするように話す。

 それは諦め、その事実を受け入れてしまった人の顔。錬魔の眉がぴくりと動いた。


「庭を歩くこともしないんですか?」


「ここから眺められるし」


 カレンの答えは、錬魔にかすかな苛立ちを生んだ。


「走ったことは?」


「小さいころから、この体だったからね」


 カレンは微笑んでいた。

 苛立ちは大きくなっていく。

 落ち着いた声が。微笑の裏の諦めたその顔が。


「外に出たいと思わなかったんですか?」


 口調がつい刺々しいものになった。

 カレンは困ったような顔をして、駄々をこねる子どもを諭すような口調で言った。


「だって、病気なんだからしかたないじゃない」


「しかたない……?」


 錬魔はぼそっと低い声で呟いた。

 カレンが不思議そうな顔をする。


(病気だから、何もかも諦めてるのか)


 錬魔は多くの病気を見てきた。たくさんの患者を診てきた。彼らは病気に負けまいと、歯を食いしばっていた。どんなに苦しくても、わずかな希望を探して生にしがみついていた。

 なのに……。


「病気と闘う前から、負けてどうするんですか」


「え?」


 兄の言葉が錬魔の頭に蘇る。優人は病気に勝つというのは、自分が生きたいように生きることだと言った。幸せに生きることだと。

 カレンは急に錬魔の口調が刺々しく、強いものになったので目を丸くした。

 いつもはこうやって病気の話をすると、その人は気の毒がって励まして終わりだったのだ。怒りが向けられたことはない。


「病気だからなんですか? 何もかも病気のせいにしないでください」


 その言葉に、カレンの口元にわずかに残っていた微笑が崩れた。


「何も知らないくせに。できないから、部屋にいるのよ」


 カレンはついっと錬魔から視線を外した。くっと眉をひそめたその顔は、辛さを押し殺した顔。


「病人でも、やりたいことをやればいい。本当は外に行きたいんだろう」


 錬魔の口調が荒いものになっていく。

 カレンは痛いところを突かれたように、一瞬泣きそうな顔になったが、キッと錬魔を睨んだ。


「外に出て、その後倒れたら迷惑かけるだけじゃない。私だって元気なら外に行きたいよ!」


 カレンは錬魔の話を聞いて、外の世界を夢に描いた。だがそれは叶わないとしった夢だった。


「私だって……普通に生きたかったよ!」


 病気は体を蝕み、心を喰らう。

 だがどれほど絶望的な状態になろうとも、人は最後の一欠けらの希望は捨てない。必ず隠し持ち、助けを待っている。

 生を求める、人の姿。

 錬魔の心臓がとくりと脈を打つ。


(美しい……)


 必死に生きる姿が、錬魔を惹きつける。


(助けたい……病気に勝たせたい) 


 錬魔は見たいと思った。カレンが笑う姿を。

 人に心配をかけまいとする微笑みでは無く、命が溢れ出るような笑顔を。


「俺が、力になる……。願いを、叶える」


「あなたに何ができるのよ」


 気休めを言わないでと、カレンは怒りを瞳に映した。


「俺は……」


 次の言葉が出てこなかった。

 自分は何なのか。

 暗い闇に囚われたように足がすくむ。


(俺は……)


 王族でありながら、闇の子として生まれた。

 人の命を救う裏で、たくさんの命を奪った罪人。

 罪を贖おうとしても、さらに人の命が散り錬魔は旅人になった。


「れんまくん?」


 怖い表情で固まった錬魔を、訝しげにカレンは見つめる。


「俺は……」


 命の壁にぶつかっても、忘れられないものがあった。何度裏切られても、消えない思いがあった。

 人を救いたいという思い。そして、人に幸せに生きて欲しいという願い。


「俺は、医者だ」


 錬魔はカレンの目を見て、そう言い切った。


「医者?」


「そう。だから……俺にお前を治させてくれ」


 できるなら、医者として。神の子と呼ばれた神祈の瞳の使い手ではなく、命とともに歩む医者として。

 錬魔の真剣な表情に目を丸くしていたカレンは、やがてくすくすと笑いだした。


「その年で、医者って……。いいわ、一緒に闘ってあげるわよ」


 カレンはすっと手を錬魔に差し出した。

 錬魔は無言でその手を握り返す。

 ぐっと伝わる強い力。


「俺が、生きさせてやる」


 幸せに、よりよい人生を。優人の言葉が心の芯にある。


(もう一度、今度は医者として、俺は人を救う)

 



 その後、錬魔は冗談と思い込んでいたカレンに本当に医術を修めていると信じさせるのに小一時間かかるのだった。




 ラルスタは、梨です。

 錬魔君ちょっと浮上しました。あと一話で終わらせたいところですが、さてさてまとまってくれるかどうか。

 そしてやっとカレンがでてきましたね。赤き瞳編はそろそろ終盤です。

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