第5章の17 朧月夜の自由人
勇輝は深呼吸をした。しかしいくら酸素を吸い込んでも気は鎮まらない。緊張か、興奮か、高鳴る鼓動が勇輝を急かすが足は根っこが生えたようにそこから動かない。
勇輝は隊員服に身を包み、腰には弥生からもらった剣を佩いていた。立派な正装だが、まだ剣を下げることに違和感がある。
目の前には大きな扉があり、門に当たるのだろう。開け放たれたその先に人気は無く、遠くの方で訓練する声が聞こえる。それはどこか、学校の放課後を思い出させた。
(やっぱりここは、たのも~とか声を上げたほうがいいのかな)
道場を破りに来たのではなく弟子入りに来たのだが、緊張で身体も頭も硬くなった勇輝には思考のおかしさに気づく余裕がない。
勇輝は不良として格上の相手と対面し、話し合い、時には拳で語り合ったこと多数。度胸は人一倍、売りたいほどある。
だが弟子入りの嘆願やバイトの面接といった真っ当な対面の経験はほとんどなかった。
まずどうやって入ればいいのか。そこから悩む勇輝だ。
勇輝はまずは頭をすっきりさせようと、そっと胸元のポケットに手を入れた。そこには二枚の紙、二通の簡単な書状が入っている。
一通は秀斗の、もう一通は弥生からである。弥生に修行に行くと断ったところ、一言書いておいたと紙を渡された。その後他の皆にも挨拶をして回ると、本部での注意や綾覇への対処法などを教わった。
過保護とも取れる注意をされた勇輝は、少し不安を覚えながら如月を出発したのだった……。そのことを思い出した勇輝は、一気に胸の内が重くなる。
「ん? そこで何してんの?」
突然背後から声をかけられた。勇輝が肩をびくっとさせて振り向くと、そこには隊員服を来た青年が立っていた。肩から大きな荷物を下げている。
「え、えっと、俺は……」
「あ、もしかして訓練希望? 見たところ新人っぽいし」
人当たりの良さそうな青年は、にこやかに勇輝の背を押して中へ入る。
「あ、そうですけど……ど、どこへ?」
ぐいぐいと、顔に似合わず強引に彼は勇輝を中に入れ、先へと進んでいく。
「綾覇さんのとこ。訓練希望者はまずリーダーに会わないとね」
秀斗にまずは綾覇に会えとは言われていたが、いざ会うとなると心臓が飛び出しそうだ。
「あの、あなたは?」
先を歩く彼は勇輝の問いに肩越しに振り返って、
「俺は朧月夜第二師団団長、シン。気軽にシンさんと呼んでくれ」
とさわやかな笑顔を見せた。
「え……団長?」
確かに歳は上のようだが、なぜここに団長がいるのかという疑問がわく。団長と聞けばがたいのいい強面の男をイメージしてしまう勇輝は目の前の男とのギャップに戸惑った。
「渡りのシンさんだからあんまり師団には帰ってないんだけどね」
あははと軽く笑う彼に、勇輝はもあははと半笑いを浮かべた。
(本当にここで大丈夫なのかな……)
シンに案内されること数分。勇輝は以前抱えて連れ込まれた部屋の前まで来ていた。扉には大きな傷があり、素材の木が見えている。
(うっわぁぁぁ……何があったんだろう)
勇輝がそれに視線を奪われていることに気づいたシンが、丁寧に説明する。
「それはね、三か月ほど前に皆で遊んでて、酔ったリーダーが斧を振り回して飛ばしちゃった後なんだ。いや~、あの鬼ごっこはなかなかスリルがあったなぁ」
正直聞きたくなかった。勇輝は恐ろしい遊びを耳にして、不安をさらに募らせる。
シンは青ざめる勇輝を見て楽しんでいるように見えた。にこにこと人当たりの良い笑顔に変わりはないが……。
(俺、鬼ごっこされて逃げられるかな。どこか隠れるとこを探さないと)
これから起こるかもしれない命の危険への対処を考えていた勇輝は、硬質な音で現実に引き戻された。隣でシンがドアを叩いたのだ。
(ええぇぇ。まだ心の準備してないんですけど!)
心拍数が急増する勇輝の耳に、入ってと女の声が届く。勇輝は深呼吸を繰り返し、頬をマッサージした。いい笑顔のためには表情筋をリラックスさせないといけない。
そして挙動不審な勇輝には関せずに、シンはドアを開け、能天気な声をあげるのだった。
「リーダ~、訓練希望者を一人連れて来ましたよ~」
正面の机で書類に目を通していた綾覇は視線を上げて二人を見た。
赤い短めの髪が彼女によく似合っている。つり上がった目がきつめの印象を与える姉御肌の三十路手前。剣の腕は隊内一を誇り、男女ともに慕われている朧月夜のリーダーだ。
(綾覇さん……仕事してる)
真面目に仕事をしている綾覇に、勇輝は初めてリーダーというものを感じた。そして自分のリーダーを振り返り、零華の偉大さを再確認するのだった。
「シン! あんたはまたふらふらとどこかに……って勇輝君じゃない! ひさしぶりね~」
綾覇は眉間に皺をよせて怒号を飛ばしたが、勇輝と目が合うなり顔を輝かせて椅子から立ち上がった。それと同時に豊満な胸が揺れる。
「あれ? 知り合いなんですか?」
「ちょっとね~。相変わらず可愛い顔をしてるわね」
綾覇は勇輝の正面に立ち、頭をわしゃわしゃと撫でまわし肩をバシバシと叩いた。そして一歩引いて、刀を吟味するように勇輝の姿を見る。
「なかなか様になってるじゃない」
「……ありがとうございます」
突然頭を撫でられ肩を叩かれて目を白黒させていた勇輝は、少しうわずった声で返した。強烈過ぎて子供扱いされても手がでない。手を出せば問答無用で床に叩きつけられていただろうが……。
「それでシン、この子が訓練希望者って本当?」
「はい。門の前で固まっているところを捕獲しました」
「ふ~ん」
「あ、あの。ここで強くしてもらえると聞いて。俺強くなりたくて。それで……」
じっと見つめられ、耐えきれなくなった勇輝はスイッチを押されたように話し出した。
「あ、手紙を預かってます。秀斗と弥生から。綾覇さんに渡してくれって」
勇輝は急いで二通の手紙を出し、綾覇に手渡した。
綾覇はその書状に目を落とし、もう一度勇輝を見ると吹き出した。
「あはは! そんなに固くならなくても大丈夫よ。へぇ、あの二人がねぇ」
綾覇はそれらを開くとさっと目を通した。さっと終わるほど、内容は短かった。
綾覇は紙を閉じ、勝気な笑みを見せる。
「……ふ~ん、わかったわ。私たちが全力で鍛えてあげる」
そして綾覇は先程から成り行きを見守っていたシンへと顔を向けた。
「シン、あんたに任せるわ。久しぶりに帰って来たんだから働いてね。彼の他にも二人新人がいるから、そっちもまとめてお願い」
「えぇぇぇ。俺? 綾覇さんが見るんじゃないんですか?」
急に話が回って来て、シンは目を丸くした。自分を指差して問い返す。
「もちろん私も見るわ。ただ第一師団は隊長が回してきた実習組を預かってるから、部屋の空きがないの」
「あ~、親衛の底上げですか。なら第三と第四は?」
「三はアメリカ、四はスイスで軍事演習に参加中よ」
シンは頭をかいて、勇輝に視線を移した。そして観念したようにはぁと息を吐きだす。
「わかりました。全部まとめて俺が面倒見ますよ」
「頼んだわ。もう後の二人は第二師団に入れてあるから」
「もうそれ、俺の意思関係ないじゃないですか……」
シンは肩を落として、恨みがましい目を綾覇に向けた。綾覇はそれに一切取り合わず、早く行けと手を振る。
「それと勇輝君。誰かに会っても、所属は言っちゃだめよ? 紹介の時のお楽しみなんだから」
綾覇は内緒と人差し指を立てて唇に当て、にこりと意地悪そうに笑った。楽しげに何かを企んでいる綾覇を見て、ここに来て果たして良かったのだろうかとまた不安になるのだった……。
夕食までまだ時間があるということで、勇輝はシンに連れられて朧月夜の中を見学していた。シンは最初こそ渋っていたが、面倒見はよいらしく勇輝に丁寧な説明をしてくれた。
朧月夜は如月よりも広い。屋敷の大きさというよりは建物の数が多いのだ。如月は異空間にあり、屋敷が一つに後は広大な自然が広がっている。一方の朧月夜は本部と同じ空間ながら、師団ごとに小さな建物に別れ、一番大きな洋館が綾覇率いる第一師団の宿舎兼朧月夜の本部。他の三つの師団はそこからそれほど遠くないところに点在している。武器ごとに演習所があり、馬小屋や近代兵器が眠る武器庫まであらゆる武術、兵器に精通できる環境が整っていた。その特性ゆえに朧月夜の区画は軍事関係の施設が大多数を占めている。
勇輝はシンの説明を受けながら、口を開けてそれらを食い入るように見つめるのだった。
「俺たちは綾覇さんの下、四つの師団にわかれててね。師団ごとに特性があるんだ」
シンは建物と建物を繋ぐ回廊で立ち止まり、遠くに見える一団を指差した。勇輝がその指の先を見ると、十数人の男女が剣を振っていた。
「あれが俺の可愛い第二師団の連中だ。第二師団は剣に重点を置いて鍛えてる部隊で、仕事は護衛とかが多い」
遠目ではっきりとはわからないが、年齢の幅は広いらしく二十代後半から勇輝と同じ年頃までいるようだ。熱心に鍛錬していると見えて、声が二人のところまで届いている。
「みんないい奴だから、楽しくなると思うよ」
一瞬、楽しくなる、の一言が悪魔の色を帯びて聞こえたのは気のせいだと思うことにした。
「はい……楽しみにします」
シンはいい返事だと満足そうに頷いて歩を進める。
「他は綾覇さんが第一師団をまとめていて、ここは精鋭部隊ってとこかな。どんな武器でも扱えて、軍隊で言えば全員が将校クラス。後の第三は射撃に重点を置いていて、第四は隼と混合の索敵・工作専門部隊ってかんじ」
「けっこう多いんですね」
「そーだなぁ。特殊な隼を抜きにすると、隊内で一番多いかもね。上の誓祈はせいぜい五十人くらいだし」
「五十……」
全構成員六名の如月からすれば、十分多い人数だ。
「朧月夜は百に少し足らないくらいかな。今はその半分しかいないけど」
「これで衰退してるんですか?」
目を丸くする勇輝に、シンは喉の奥で笑った。
「戦争のころは鎌堂二には二部隊あって、龍牙隊全体では五千を超えてたらしいよ。今はせいぜい千いるかいないかだろうね」
「それでも十分多いと思います……」
勇輝は今まで知らなかった龍牙隊の実態を聞いて、どれほど如月が異色かを思い知るのだった。
回廊から射撃場に入り、厨房を抜け、建物の裏を通り、細道を抜けると一つの建物に出た。それは西洋風の作りをした小ぢんまりとした建物だ。三階建てで、年数もかなり経つらしく風格を感じる。
「ここが俺たち第二師団の宿舎。第一師団のとこからは、この道をまっすぐ行けば着ける」
煉瓦で舗装された道の先を辿ると、大きな建物が前方にあった。その途中にいくつか鍛錬場があり、先程の男女は模擬試合を始めていた。
「なんでわざわざ遠回りをしたんですか?」
中に入るシンの背中を追いながら、そう尋ねる。一階の玄関を抜けると広間があり、階段を上った。
「あいつらに君の姿を見せたくなかったのと、俺も今見つかると怒られるからね。逃げた」
「……え、怒られるんですか?」
「うん。うちの副団長は怖いよ~? この間は一カ月放浪しただけで五時間は怒られたからね。いや~今回は二カ月帰らなかったから、十時間かな」
事もなげに笑顔を浮かべているが、少し目が遠かった。
「そんな長い間、どこへ行ってたんですか?」
「今回は中国で気功法を修行して来たんだ。おかげでいいマッサージ師になれそうだよ」
ふっと自慢げにシンは髪をかき上げる。キラキラと特殊効果が見えそうだ。
(え、マッサージ? 気功で敵を倒すとかじゃなくって!?)
勇輝はつっこむべきかどうか迷い、諦めた。彼は自由な人間。そういう人間につっこんでいたらきりがない。
まだ知らぬ副団長の気苦労に涙が滲む思いになるのだった。
「さぁ、ここが君の部屋だよ」
シンは一つの部屋のドアを開けた。中は四人部屋で、二段ベッドが二つに小さな机が二つ。部屋の隅にタンスが身を寄せて四つ並んでいた。
「なんか寮っぽい」
「まさしく寮だからね。君の部屋に比べれば狭いだろうけど、ルームメイトは同じ訓練生だよ」
如月の部屋に比べれば狭いが、勇輝にはちょうど良い。
「落ち着きます。俺一回寮に入りたかったんですよね」
身体の小ささを感じさせるベッドもなく、首が痛くなるような高い天井もない。勇輝に安心を与える部屋だった。
「俺この部屋気に入りました!」
目をキラキラさせて答える勇輝に、シンは大笑いした。何かがツボにはまったのかしばらく笑い続ける。
「あははっ、これがあの如月のメンバーだなんて信じられないよ」
「え、なんで俺が如月って分かるんですか?」
勇輝はまだ自分の所属を話していない。綾覇に口止めされたからだ。
「分かるよ。秀斗と弥生の名前を聞けばね」
それが高名なのか悪名なのかは知りたくないが、紹介されるまで二人の名前も出さないようにしようと勇輝は思った。
(というか、あの如月って……やっぱりあいつらろくなことしてこなかったのか)
過去もそうだが、勇輝が入ってからもろくなことをしていないのだが。
「まぁ、その服の紋を見れば分かる人もいるだろうけど」
勇輝の隊員服の左胸には如月の紋章が刺繍されている。さらに言えば剣を持っていることも、通常の隊員ではない裏付けだった。
「……あ」
なんとも間抜けな声をあげた勇輝にシンは笑いのツボを刺激されたのかまた笑いだした。
「くくくっ、夕食までに、そのタンスの中から……自分にあう訓練着に着替えるといいよ」
「はい、そうします」
シンは何とか笑いをひっこめ、人当たりの良い笑顔に戻した。
「じゃぁ、ここで少し待ってて。夕食の前にまた迎えに来るから」
「わかりました。色々ありがとうございます」
勇輝はペコリとお辞儀をし、シンは爽やかに手を振ってドアを閉めた。
勇輝はふぅと息をついて窓に近づき、外の景色を見る。そこからは第二師団のメンバーが鍛錬している様子が遠くに見えた。
(俺も、あの中に混じるんだ……)
そう考えるとワクワクする。ここに彼らはいない。全て自分でどうにかしなくてはならないのだ。不安がないと言えば嘘になる。だが、それよりも期待の方が大きい。
(絶対強くなって、あいつらと一緒に戦うんだ)
勇輝は窓の外を眺め、小さく拳を握るのだった。
久しぶりに登場綾覇。
記憶にない方への用語説明
鎌堂二 隊内の階級二番目の称号
朧月夜 綾覇がリーダーの部隊
隼 鷺がリーダーをしている隠密部隊。階級は黎明(0)
誓祈 美月がリーダーをしている部隊の名前。階級は夜一星(1)
でわ、また次回。しばらくコメディーになる予定です。