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第5章の6 人の好みは十人十色

 カツカツと靴音が響く。日の光が差し込む廊下に人影は無い。

 綺麗に磨かれた大理石の床は、太陽の光を反射させながらもどこか冷たい表情を与え、白い壁は無機質な印象を与える。たまに現れるドアはどれもきめ細かな装飾が施され、天井は高く緩やかな曲線を描いている。

 阿修羅が歩いているのは黒騎の中でも限られたものしか入れない区画だった。

 阿修羅は静まりかえった廊下を抜け、明るい庭園に出た。如月や氷騎と比べると花は少ないが、よく手入れされている。小さな川と池があり、その所々に石橋がかかっていた。

 池の上にかかる石橋に人影を見つけて、阿修羅は眉間にしわをよせる。

 欄干に座って池の鯉に餌をやっていた彼は阿修羅に気づくと片手をあげた。


「よぉ、阿修羅! 久しぶりじゃねぇか。陛下に会って来たのか?」


 人懐っこい笑みで声をかけてきたのはサクリスだ。阿修羅は不愉快さを隠しもせず、険のある目で彼を睨み、近づく。


「そうだ……それとその名を呼ぶなと言っているだろ」


「うぉ~……冗談抜きで阿修羅みたいな顔になってんぞ?」


 サクリスは悪い悪いと軽いノリで謝った。

 残りのパンくずを全て池に投げ入れると、欄干から降りる。バシャバシャと池の魚が暴れた。

 彼は阿修羅と向かい合うと、頭一つ分低かった。

 阿修羅はサクリスを観察するような鋭い眼差しで見下ろす。

 阿修羅はサクリスの前の名を知らない。それ以前に彼のことをほとんど知らなかった。  

 サクリスは幹部の中では最後に迎え入れられたが、一番覚醒するのが早かった。気づいたころにはすでに人間界に潜伏し、黒騎から消えていたのだ。

 だが何よりも彼と関わろうとしたくなかったのは、この性格のせいだった。常にへらへらと笑い、核心の部分を決して見せない。そしてとどめにうるさい。


「お前は人間界に潜伏中じゃないのか?」


 阿修羅はできるかぎり気を落ち着かせてから口を開いた。


「まぁね。でも案外暇でさ、遊びに来た。レガーシアが覚醒したって聞いたしな」


「あぁ……らしいな」


 陛下に好みの女と言われたが、どうも興味がわかなかった。まだあの時名を呼ばれたことが引っかかっている。


「ん? その反応はまだ会ってないなぁ?」


 サクリスは得意顔で、阿修羅の顔を下から覗き込んだ。


「興味が無い」


「相変わらずお堅いねぇ。彼女、すっげぇ美人だったぜ? もう溢れる母性みたいな? 俺を甘やかしてくださいみたいな?」


 レガーシアを思い出しているのか、サクリスの顔がにやけている。何のはばかりもなく品定めをするサクリスに、さらに不快感が増した。


「まぁお前もすぐ会えるって、楽しみにしてな」


 サクリスはバシッと阿修羅の肩を叩いた。


(……この能天気が)


 阿修羅の足元で闇が揺らいだ。今すぐにでも池に落としてやりたい気分だ。


「にしても、ロビナシアはなかなか覚醒しねぇよな」


 相槌を打たなくとも、何の返事がなくともサクリスはしゃべり続ける。


「俺と同じくらいの女の子って聞いたから楽しみにしてんのに」


 ロビナシアはもうずいぶん前に幹部に入ったが、まだ目を覚ます気配がない。


「なぁアフラン。お前はロビナシアの顔知ってんだろ? どんな感じ? かわいい?」


「お前よりは断然可愛い」


「やっぱり~。レガーシアが美人系だからロビナシアは可愛い系だと思った!」


 勝手にテンションをあげているサクリスを、阿修羅は池に落とすべきか串刺しにすべきかで迷い始めた。彼の足元で闇の触手が右に左にと揺れ動いている。


「そのテンションでロビナシアに近づけば殺されるぞ」


 彼女は眠りにつく以前、気に入らない者は片端から斬り捨てていった。指令の暗殺関係は全て彼女がやっていた気もする。


「えぇ? ビシバシいくタイプ? 萌え萌えな妹キャラじゃなく?」


 阿修羅は彼の頭を割って見てみたくなった。


(覚醒したロビナシアに会って妄想とのギャップを思いしれ)


 そしてそこで殺されればいい。


「残念! お兄ちゃんって呼ばせたかった!」


「……お前が一番下だぞ?」


 幹部内での席次はサクリスが四番、ロビナシアは三番目だ。


「そこは、俺の方が早く覚醒してんじゃん」


「ならレガーシアも妹だろ」


「う~ん……実物を目にすると残念ながら」


 サクリスはいやいやと胸の前で手を振った。


 彼の言い分でいくと、阿修羅は兄に当たるのだが尊敬の念はゼロである。

 妹、妹と呟いてうんうん唸っているサクリスの身体がピクリと震えた。訝しげにポケットを探って携帯電話を取りだす。


「メール来たし」


 そう言って携帯を触りだしたサクリスに、もうかまってられるかと阿修羅は踵を返して歩きだした。


「ばいばーい。またなぁ」


 サクリスは携帯画面から顔をあげて大手を振る。にこにこと笑っているサクリスの残像を頭から振り払い阿修羅は建物へと入っていった。

 静かで少しひやりとした廊下。

 一人になるとどっと身体が重くなる。サクリスと話したことでだいぶと疲れたらしい。

 サクリスは、全員が仮面をつけ振舞っている黒騎において自由に感情を出す男だった。いたって稀有で異端でもある。

 阿修羅はふぅと息を吐いて首を回した。


(当分あいつには会いたくないな……)


 阿修羅は黒騎の屋敷をさらに奥に進み、小さなホールの扉を開けた。ソファーに座ってお茶でも飲みたい。

 阿修羅は部屋に踏み入れ、その空気の清々しさに訝しさを感じた。この部屋は阿修羅以外使うものはいないため、まず換気からというのが常だったのだ。


(サクリスがいたのか……?)


 阿修羅はどうでもいいかと疑問を頭から振り払い、ソファーに身を深く沈めた。闇を足元から伸ばすと自分から完全に切り離す。その影はみるみるうちに人型をとってぴしりと直立した。闇を自在に操れるのは闇の魔術師の特性だ。


「適当に茶を」


 そう命じると影は慇懃に礼を取って隣の厨房へと姿を消す。

 そして数分で影は盆にお茶を乗せて戻り、カップにお茶を注ぐ。ふわりとラム酒の香りが漂った。

 すっと机に置かれたカップを取り、阿修羅は足を組む。尊大な態度がまったく違和感ない。彼はこの部屋の主だった。

 阿修羅は一口飲むと、思い出したように影を解いて闇に戻した。一人の空間を彼は満喫する。


(一息ついたらすぐに帰ろう)


 阿修羅はお茶を飲み干すと、残りのお茶を全てカップに注ぐ。

 そのカップを持ちあげた時、扉が開く音がした。


(ちっ……サクリスか)


 阿修羅は内心苦々しく思いながら、そちらに視線をやり、愕然とした。

 あまりの衝撃に手からカップが滑り落ち、派手な音を立てて割れる。ズボンの裾にラム酒がかかったが、全く感じ取れない。


「あら阿修羅、やっと会えたわね。待ち焦がれてたわ」


 扉の所に立っていたのはレガーシアだった。

 優しく真綿のような柔らかい声がさらに阿修羅の心をかき乱す。阿修羅の思考回路は麻痺し、何の言葉も出ない。


「あらあらそんなに驚いちゃって、可愛いわね」


 レガーシアは目元を和ませ、全てを包み込むような笑みを見せた。彼女は上品に笑いながら阿修羅へと歩み寄る。


「昔みたいに、お母様って呼んでいいのよ?」


 レガーシアは呆然としている阿修羅に近づき、その頬に指を這わせた。阿修羅は固まったまま視線は空の一点に縫いとめられている。


「ねぇ、阿修羅」


 すっと頬を撫で阿修羅の顔を覗き込んだ途端、阿修羅はおぞましいものを見たかのように顔をひきつらせ、彼女の手を払いのけた。

 そして彼女に触れた自分の手を蒼白な顔で見つめ、もう一度彼女を見る。


「痛いじゃないの……」


 レガーシアは悲しそうに顔を歪める。

 阿修羅は半分パニックに陥りながらも闇誡を発動させ、それが誰だか理解すると彼女を押しのけて立ち上がった。

 彼女を見る表情は、戸惑いから怒りと憎悪に変わっている。


「貴様……御影か」


 押し殺した声。目は吊りあがり、怒気が彼の足元から揺らぎ立っている。


「その名前はもう捨てたわ。私はレガーシア、あぁ……ソフィアって呼んでくれてもいいけど」


「悪ふざけもそこまでにしなければ殺すぞ……その変装を解け」


 阿修羅は自身の背後に闇を広げた。そこからは魔獣の爪が覗いている。

 だがレガーシアはその脅しに肩をすくめて答えた。


「残念ながらこれは変装じゃないの。私の顔よ」


「……なんだと?」


 御影は陛下によって造られ、変装能力を持った成功体だった。彼らが人間界に渡る前からいる古株と聞いている。


「覚醒した時にどうも変装の能力は消えちゃったみたい。その代わり、陛下は私に新たな能力と、この顔と声を下さったの」


「陛下……が?」


「えぇ。私に愛おしげに口づけをしてくださったわ。陛下は正妃様を溺愛しておられましたもの」


 レガーシアは恍惚の表情を浮かべ、手を頬に当てた。


「だから私が、正妃様に変わって陛下を慰めてさしあげる」


「黙れ!」


 阿修羅の怒りが頂点に達した。目を血走らせ、声を荒げる姿はまさしく阿修羅。そしてなぜ王が阿修羅と呼んだか理解した。母親を慕ってはいたが……。



「それ以上母を汚すな! 次に下賤な言葉を吐けばその顔を潰す」


 それはもう脅しではなく宣告。

 レガーシアはやれやれと困ったような笑みを浮かべた。


「そう怖い顔をしないでよ……ほんと堅物ね。私だって正妃様を落としめることはしないわ」


 王家に忠誠を誓う臣下の一人なのだからとレガーシアは続けた。


「それとアフラン」


「……なんだ」


 その名を呼ばれることで、少し頭が冷えた。すっと闇を納める。


「同じ闇の魔術師どうし、仲良くしましょうよ」


 今度は逆にレガーシアの足元に闇が現れる。

 阿修羅はその光景に目を剥いた。その眼に再び怒りが宿る。


「貴様は母だけではなく闇まで汚す気か!」


「もう、いちいち怒鳴らないで。陛下から賜ったものよ。全て陛下の意思……」


 にこりと笑って、レガーシアは歩きだした。

 彼の隣を通り過ぎる瞬間に、そっと囁く。


「私は闇を賛美し崇拝するわ。だから何も心配しなくていいのよ? 殿下」


 最後の言葉に阿修羅が振り返ると、すでにレガーシアの姿は消えていた。残った闇が霧散して空気に溶け込んでいく。


「なぜ……」


 思わず呟いた言葉は、誰にも聞かれることなく天井に吸い込まれていった。

 阿修羅は何もかもを振り払うかのように素早く踵を返し、扉から出ていく。

 部屋には割れたカップが残るだけだった……。


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