表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
133/301

第5章の5 疼く傷痕

 よく手入れされた部屋。やわらかで清潔なベッドの上に彼女は横たわっていた。

 青白い顔に淡い微笑を浮かべている。


“どうしてそんな顔をするの? あなたは私のためにこんなに頑張ってくれたじゃない”


 彼女を握る手に力が入る。だが、彼女はもう握り返す力もない。


“ねぇ錬魔君……私、今とても幸せよ?”


 徐々に彼女の姿は滲み、見えなくなる。


(だけど、だけど……俺は……)


 彼女は笑ってた。

 最期までずっと、笑ってた……。





 如月、錬魔の部屋。普段はあまり使用されないベッドの上に彼は横たわっていた。

 瞳は固く閉じられ、浅い呼吸を繰り返している。

 朝になっても錬魔は目覚めなかった。如月の皆が交代で錬魔の看病をしている。


「勇輝君」


 勇輝は背後から声をかけられてハッとし、錬魔の顔を見ていた視線をのろのろと起こした。


「零華……もう朝なんだ」


 ぼうっとしていたせいで、零華が入って来たことにも気付かなかった。起きていたか寝ていたかの境界も定かではない。気づけば外が明るくなっていた。


「勇輝君寝てください。昨日はあまり寝ていないでしょう?」


「うん……錬魔が起きたらすぐ言ってね」


 勇輝は付き添い役を零華にバトンタッチすると部屋から出ていった。

 零華は勇輝が座っていた椅子に腰かけ、錬魔の顔をじっと見る。

 その顔色は最初に見つけたときよりはだいぶましになっていたが、どこか辛そうな表情をしている。たまに瞼がわずかに動く。

 零華は錬魔の顔を見て、見つけた時の心の底が冷えた感覚を思い出した。

 地面に倒れ伏す錬魔。その傍に立つ女の子。

 零華の声に振り向いた女の子は零華たちと同じ年頃。長い淡い水色と青色の中間色の髪をしていた。

 細身の彼女は小首を傾げてじっと零華を見つめた。その手に血のついた短剣がなければ、彼女を敵と認識して警戒することができなかっただろう。それほど彼女から敵対心も殺気も感じられなかったからだ。

 だが零華が錬魔に駆け寄ろうとした瞬間、彼女は怒りのような表情をした後、すっと消えた。

 零華は一瞬彼女を追うべきか考えたが、錬魔が重傷を負っていることに気づくとすぐに応急処置をし、駆けつけた仲間とともに如月に錬魔を連れ帰ったのだ。


「錬魔君……」


 そっとそう呼びかける。目を開けてくれないかと期待しながら。

 錬魔のまぶたがピクリと動く。そしてうっすらと目を開けた。

 零華は目を見開いて椅子から腰を浮かせる。


「錬魔君!」


 錬魔はわずかに開けた瞳をゆらゆらと動かした。焦点が合わないらしく、その瞳はどこも見ていない。

 のろのろと錬魔は視線を零華へと向けた。

 苦しげに顔を歪め、手を伸ばす。零華はその手を取り、彼の顔をじっと見る。


「すまない……カレン」


 零華の瞳が見開かれた。絞り出した切ない声。


「お前を……救えなくて」


 零華は声を出せなかった。動揺が隠せなかった。

 彼の言葉と……その瞳に。

 錬魔の真っ赤に染まった瞳。それはすぐに閉じられ、手の力が抜けた。再び気を失ったようで、規則正しく胸が上下している。


(火煉……かれん? 火煉は錬魔君の能力の名……でもさっきの瞳は……まさか)


 知ってしまった事実に胸の鼓動が速くなる。垣間見てしまった彼の過去に、さっと血の気が引いた。


「錬魔君……一体貴方は何を背負ってるの?」


 零華は錬魔の手を強く握りしめた。彼の苦しみが少しでも楽になるように願いながら……。






 勇輝は錬魔の部屋を出ると、ホールへと向かった。

自室で寝る前に彼らに錬魔の状態を言っておきたい。


(錬魔……)


 勇輝が錬魔の負傷を知ったのは、零華の応急処置が終わった後だった。敵はあの後すぐに撤退を始め、仕留めることはできなかった。

 それからは敵のことどころではなく、錬魔の処置をした後は二時間交代で錬魔についていたのだ。

 勇輝がホールの扉を開けると、彼らの顔が一斉に勇輝へと向けられた。皆心配そうな表情を隠しきれないでいる。


「勇輝君、お疲れさま」


 癒慰が労いの言葉をかけてお茶を勧めた。

 勇輝はソファーに座って、差し出されたお茶を飲む。心が安らぐようにとカモミールティーだ。


「錬魔はまだ目ぇ覚まさねぇのか」


 苛立ちを隠さずに秀斗はそう言った。

 本当ならばすぐにでもやった犯人を袋叩きにしなければ気が済まない。

 だが敵を見たという零華も曖昧な容姿しか覚えておらず。十中八九錬魔の力が具現化したものなのだろうが、居場所などわからない。


「うん……容体は安定してるけど」


 お茶の香りを嗅ぐと、少し心がほぐれる。


「みっともねぇ……医者が怪我したら誰が治すんだよ」


 皆、あまり寝ていない。さすがに疲れの色が見えていた。


「本当……錬魔君がやられるなんて。それに変な能力つけて、あんなのもう御影じゃないわ」


 癒慰は膝の上で拳をつくった。ぐっと握られた拳に悔しさが滲み出る。


「レガーシア……なぁ弥生……」


「黙れ」


 秀斗が投げかけた言葉を弥生は遮った。鋭い眼差しが秀斗に向けられる。


「錬魔が目覚めていないのに、私たちがここでぐだぐだ言っても何も変わらん。私は二度手間が嫌いだ」


 秀斗は何か言いたげだったが、すぐに表情をひきしめて小さく頷いた。


「奴については全員がそろってから話すことにする。だからお前らはとっとと寝ろ」


 皆熟睡はしておらず、体調は万全ではない。

 有無を言わさない目で彼らを見る弥生は、彼らの中では一番疲労の色が無かった。


「でも……」


 部屋へ戻ることにためらいを示す癒慰に弥生は脅迫ともとれる視線を送った。


「休まないなら私が寝かせるが?」


 無論武力行使。


「……わかったわ」


 癒慰は後ろ髪を引かれながらも自室に帰り、秀斗も弥生の頭を撫で、鞘で顎を打たれてから自室へ下がる。


「弥生も無理すんなよ」


 勇輝もそう弥生に声をかけてから、自室へと戻った。


「私はお前たちとは鍛え方が違うんだ」


 そう返す弥生に、勇輝は素直じゃないなと苦笑を浮かべるのだった。





“その能力ちからは使うな。その瞳は必ず災いを招く”


 錬魔の瞳を見た父親はそう命じた。


“錬魔、人にやさしくありなさい。己を鍛錬し、魔に打ち勝ちなさい”


 闇の子であっても、愛そうとしてくれた母。いつもおだやかに錬魔を受け入れてくれた。


“錬魔、お前の能力は人のために使える。お前、医者にならないか?”


 錬魔を外に連れ出し、医者の道を進めてくれた兄。


“錬魔君の髪ってきれいね。私ここまで綺麗な赤色って見たことないわ……暖かい火の色みたい”


 絶望の底にいた自分を救ってくれた人。血の色にしか見えなかった自分の髪色が好きになった。彼女はたくさんのものを錬魔に教えた。


(俺は……たくさんの人を裏切り続けた。結局誰も救えず……俺は、俺は……)


 錬魔はふっと覚醒した。零華が傍についてから一時間が経っていた。

 身体の重さを感じ、ついで視界が明るいことに気づく。しかも自分は寝ているらしい。


(……何があった?)


 直前の行動を思い出そうとして、彼女の顔が浮かんだ。

 同時に蘇る彼女の頬の感触と、甘い香り。


(あれは……夢か?)


「錬魔君!」


 突然耳元で声がして、錬魔はそちらに顔を向け、目を見開いた。


(カレン……?)


 だが自分の手をぎゅっと握る感覚に、彼女が零華だということに気づく。


「……零華、か」


 錬魔は全身で息を吐き、深く息を吸ってぼうっとする頭に酸素を行きとどかせた。

 錬魔は身を起こそうとし、胸部に鋭い痛みが走って顔をしかめる。

 そこでやっと、自分が怪我をしたことを思い出した。そして彼女が現実だったことを思い知る。


「だめです錬魔君! 寝ていてください」


 零華が錬魔をベッドに押し戻そうとするが、錬魔はむりやり身体を起こした。自分の胸に手をあてて、傷の状態を探る。

 完璧に処置されていた。


「大丈夫だ……」


 錬魔はじっと自分の掌に視線を落とした。


(俺は……生きているのか。生きてしまったのか……)


「みんなに、知らせてきますね」


「いや……今は一人でいたい」


 力のない彼の声に、零華は安堵で緩んでいた表情を引き締めた。


「みんな心配しています……傷を治して」


「いや……」


 強い語気で否定され、零華は続きの言葉を飲み込んだ。錬魔の張り詰めた表情に、零華は今までにない不安を覚える。


「この傷は治せない。俺には……治せない」


 零華は言いたい言葉を全て胸にしまって椅子から立ち上がった。


「お昼が過ぎたら、皆を連れてきます。怪我人らしく、大人しくしていてくださいね」


「あぁ……すまない」


 錬魔はそう呟き、出ていく零華の背中をじっと見ていた。髪を揺らして出ていく後ろ姿にカレンが重なる。

 彼女の墓前で抱いた悔いは今でもまだ残っている。

 錬魔が少し前かがみになると、肩から髪がはらりと落ちた。それを見た瞬間、血を流して死んでいった人の山を思い出して胸の奥に痛みが走る。

 錬魔は右手で両まぶたを抑え、ぐっと強く押した。


(カレン……俺が憎いなら……どうか俺を殺してくれ)


 瞼の奥の赤い瞳から、知らないうちに涙が零れた……。





 零華はホールの扉を開け、目を瞬かせた。零華は錬魔が起きたことをどう説明しようかと考えていたのだが、そこにいたのが弥生一人で肩透かしを食らった気分になる。


「ん……零華か、早いな」


 弥生は一人、癒慰の茶器でお茶を飲んでいた。じっとテレビの情報番組を見ている。


「皆は部屋で休んでいるんですね」


「あぁ。疲れた顔の奴にここにいられると目障りだからな」


 彼女なりの気づかいに零華は微笑を浮かべる。皆もそれが分かったから大人しく部屋に帰ったのだろう。

 零華は弥生の隣に座り、彼女が飲んでいる物を見てしばし考えるそぶりを見せた。


「あの……それカモミールティーですよね」


「あぁ。癒慰が勇輝のために淹れて置いていった」


 当然のように飲む弥生に、零華は知らず知らずに入っていた肩の力を抜いた。彼女はどれほど戦乱で緊迫していても変わらない。それがとても頼もしく思える。


「まぁ、お酒が飲みたい気分なのは私もですけどね」


 疲れた身体と張り詰めた心を休ませてあげたい。それには酒でも飲んで寝るのが一番だろう。


「なら飲め。で? 錬魔はどうした」


「目を覚ましました。ただ少し動揺しているらしく、今は一人でいたいと言ったので放置しましたけど」


 零華は空いているカップにカモミールティーを注ぎながら答えた。

 弥生はやや棘をもった零華の言い方に、怒っている零華はつつくまいと視線をテレビに戻す。


「目を覚ましたならいい。話せる元気があるなら、午後にでも話がしたい」


「大丈夫だと思います」


 零華の言葉に、弥生はそうかと短く返す。

 CMが終わりニュース画面に切り替わった時、弥生が口を開いた。


「昨日のことはすでにニュースになっているが、何も進展はなさそうだ」


 その言葉に零華もテレビを見る。画面にはあの山林が映っており、警察官が殺されたことが繰り返し流されていた。幸い彼らは誰にも目撃されておらず、現場が少し荒らされた跡があるとの報道で終わっている。


「次、彼女はいつ現れるでしょうか」


「さあな。前も追い詰めるのにずいぶん時間がかかった。奴は用心深いから、これは長期戦になりそうだ」


 零華は硬い面持ちで頷いた。

 そして二人は、情報番組が終わって賑やかなバラエティーが始まっても無言でテレビに視線をやっていたのだった……。





 めずらしく錬魔、動揺してますね。

 第五章のプチテーマの一つは錬魔の過去です。他のみんなはだいぶ書きましたが、錬魔はかなり謎の多い人でしたからね……。

 作者は、彼らの中で一番錬魔の過去話が好きです。

 と、うだうだ言っておきながら本格的に過去話をするのはもう少し後です、すいません。彼は一つ明かすと芋蔓式に全て明らかになる危険分子ですので……。


 次回はちょっと如月から離れます。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ