第1章の11 転校生プラス1
二時限目は化学。担任の教科だ。
彼らがぞろぞろと教室に入ると一斉に目を向けられた。中にはあからさまにガンを飛ばしてくる奴もいる。
この教室では席はあって無きが如しなので、五人は後ろの一列の好きな所に座り、勇輝の後ろには秀斗、歩の後ろには癒慰が座った。
そして始業のチャイムが鳴り先生が来るまでの間に注がれた熱烈な視線を流しながら、勇輝は早くも乱闘を予感していた。
そしてそれが現実となり彼らは一日で教室を手中に収めるのはもう少し後となる……
普段、どの授業でも教師が来ようが怒鳴ろうが静かにならない教室が水を打ったように静かになったのは、入ってきたのが担任ではなかったからだった。
「ど~も~」
寝ぐせのついたままの髪に白衣、眼鏡をかけた二十代後半の男は軽いノリで教室に入ってきた。
皆がその男を凝視している中、後ろでげっ、と低くうめく声が聞こえた。
その男は教壇に立つと満足そうに全体を見回し、自己紹介をした。
「初めまして。僕は葉月透、事故で緊急入院された先生に代わって今日から君たちの担任兼化学の教師をすることになりました。よろしく」
そしてその男は挨拶もそこそこに授業を始めたのだった。
教室中、あまりの突然のことに教科書すら開けられない。というか教科書すら出していない。
そして彼は楽しそうに授業をし終了のベルが鳴ると、まだ状況の把握ができていない生徒を残して颯爽と教室を後にした。皆でその背を見送った後、秀斗が急いで教室を飛び出していった。
「どうしたの?」
「トイレじゃない?」
勇輝の質問に癒慰が答えた。後ろを振り向くと、彼らも教科書などを広げた形跡は無い。
彼らが教科書という物を持っているのか少し気になった勇輝であった……。
秀斗は見覚えのある男を追いかけ、廊下の曲がり角でその肩を掴むとそのまま壁に押し付けた。
「おい葉月! てめぇなんでここにいやがる!」
「いや~。久しぶりだね秀斗君。すっかり男前になって」
葉月は、秀斗の突然の狼藉にも動じず笑ってその顔を眺めた。
「お前が来るなんて聞いてねぇぞ」
「僕も昨日言われたからね。もうびっくりびっくり。でも担任に暴力振るっちゃいけないんだよ?」
さすがに秀斗もやりすぎたと思ったのか、罰の悪そうな顔をしながら葉月を放した。
「俺らの監視役ってことか……」
「ん~ていうか、保護と抑制と援助って感じ?」
笑って受け流す葉月に、秀斗はそれ以上の追及を諦めた。そしてふと気付いたような口調で問う。
「ところで、その元担任の事故ってのは偶然か?」
「さぁ……なんか事故っていうか事件だったみたいだよ? ひき逃げだって」
「おい……まさか」
「怖いよね~。あんなに人通りの多いところなのに目撃者が誰もいなくてまだ犯人さん、捕まってないんだってさ~」
葉月の笑みが三割増しで輝いている。
「じゃ、僕は次の授業があるから」
唖然とする秀斗の脇をすり抜け、葉月は鼻歌まじりで去って行った。
(おいおい……そこまでやんのか?)
そして午前の授業は滞りなく終わり、昼休み、校庭は戦場と化した。クラス内の派閥の頭がそろって喧嘩を叩き売り、血気盛んな秀斗がそれを高額で買い取ったという簡単な図式だ。
不良クラスで無法地帯と言っても、暗黙のルールという物がある。その一つが校舎内でやりあわないこと。
これはこの校舎がオンボロで床が抜け、相手を床に叩きつけたと同時に下の階へと転落。両者もろとも大怪我を負ったことに由来する。
そして、教室の風景は朝と一変した。
「みんなやっぱり強かったんだ」
「お前らだって結構な数やってたぜ?」
勇輝たちは転校生側に肩入れし、日頃あまりやり合うことのできなかったクラスの連中を思う存分殴り飛ばし、大勝利を収めた。
「でもよかったの? こっちに味方して」
ちなみに女子三人は、木陰で観戦していた。
「いいんだよ。俺あいつら嫌いだし、それに多勢に無勢は許せないしな」
「そーそー。だから気にすんなって」
「二人って優しいのね~」
そんななんともほのぼのとした会話をしているのは授業中。
血の汗を流している生徒達に、教師が驚き怪我人を保健室へ強制連行したので、教室は只今彼らだけだ。
「あの。この教室って女の子は私たちの他にいないのですか?」
零華が遠慮がちにそう訊いてきた。
連行されていった人の中にも女子はおらず、彼女がそう思うのも無理はなかった。
「あ、いや……たしか二、三人いたよ? まだ見たことないけど」
「そうなのですか。学校は同じ年ごろの女の子がたくさんいるところだろ思っていたのですが……」
確かにこんな男だらけの場所では過ごしにくいだろう。
彩がいたら、少しは話し相手になれただろうが……。
「前の学校は女子多かったの?」
「あ、いえ。私たち初めて学校に通うんです」
予想外に言葉に勇輝は驚き、慎重に次の言葉を待つ。
「みんな、同じところで働いていて、そこの社長が学生というのを経験したほうがよいとおしゃったので」
「へ~。じゃぁおもいっきり高校生活楽しまないとな」
人にはそれぞれ事情があるんだなぁと思う一方で、社長の思いやりに感動した勇輝は、隣で歩が神妙な顔をしているのに気がつかなかった。
その時、教室のドアが音を立てて開き、葉月が駆け込んできた。
「君たちは来て早々何をやってるんだい?」
担任の登場に誰かが舌打ちをする。
そして葉月はゆっくり彼らを見回し、勇輝に目を留めた。
「おや、可愛い」
ほろりと感想が漏れる。
勇輝の心にゆらりと怒りの炎が灯った。
「今何かおっしゃいましたか?」
「あ! 先生もそう思った? 実は私も~」
前の敵に集中していたら、後ろからざっくり斬られた。
「っ!」
あまりの怒りに言葉もでない。
勇輝は今にも噛みつきそうな形相で葉月を睨んだ。
(おや、これは可愛い子犬かと思いきやなかなかの猛犬だね)
葉月は笑みの下で彼らと交流をもった二人を見定めた。
「ところで、この喧嘩騒ぎは何だい?」
葉月は勇輝の怒りをさらりと流して、彼らに向きなおった。
「別に~。てかあっちから吹っかけてきたんだぜ?」
「俺達は高値買取りをしただけでーす」
あきれ顔の葉月の問に、秀斗と歩が答えた。
「……よほど僕を倒れさせたいのかい?」
「大丈夫ですよ先生。あれだけやれば当分は私たちに喧嘩を売ろうとする命知らずは現れませんから」
おしとやかでいて、芯のある零華の笑みが炸裂する。 触らぬ神に祟りなし。
葉月はその笑顔の下にあるメッセージを読み取ると、溜息をついてやや遠くを見やった。
「そういえば、明日の実験に使う菌を繁殖させないとね……」
葉月は意味の分からない独り言をつぶやくと、逃げるように教室を去った。というか逃げた。
(いや~あの3人に睨まれるとさすがに生きた心地がしないねぇ。あはは、これは事件そのものをもみ消したほうが楽そうだ)
教師の片隅にもおけぬ発言を心の中でしながら、葉月は職員室へと続く階段を下りたのだった。
葉月の去った教室で、勇輝はゆっくりと癒慰を振り返った。
「俺が何だって?」
「うん? 可愛いねって言ったの」
勇輝の怒りなどつゆ知らず、癒慰は子犬に語らうがごとき口調で答えた。
「俺が?」
勇輝は顔がひきつっている。これを言ったのが男だったらすでに地を這わされていただろう。
「そうだよ。それはもう女装とかさせたいぐらいに」
「あ、それ地雷」
ことの成り行きを楽しく見守っていた歩がつぶやいた。
実際勇輝は、中学の文化祭で女装をさせられたことがあったのだ。その年の文化祭は伝説の文化祭として語り継がれている。
「癒っ」
癒慰の名前を叫ぼうとして息を詰まらせ、行き場を失くしたエネルギーは虚しく口を動かしただけだった。さすがに今日会ったばかりの人を名前で呼び捨てにするのは気が引ける。
「あれ? 不発弾?」
(というか呼び捨て云々の前に……)
「苗字聞いてないんだけど」
「え、今さら?」
呆れた突っ込みは歩から、勇輝はそれに口をへの字に曲げる。
「苗字って言わなきゃだめなの?」
癒慰は小首をかしげて勇輝に訊く。
それだけで先ほどのことは水に流してもいいと思った勇輝である。
「いや……名前を呼ぶ時にさ」
「苗字なんて普段使わないんだよね~」
「別にいいんじゃねぇの? 名前で呼べば?」
「そうよ。耳慣れない呼び名で呼ばれても気持ち悪いからね」
勇輝のささいな希望は、二人の気にするな論に封じられた。
葉月先生。
彼について書く日も来るのかな?
それ以前に彼に彼らが止められるんだろうか…