ユーレイ少女の陽気な憑依ライフ〜瀕死令嬢にとり憑いたのに、彼女ったら元気になっちゃったんですけど〜
ユーレイ少女ルーシーの日課は、瀕死の令嬢を探すこと。とり憑いて、体を乗っ取って、生きるためだ。
「できればそこそこの家柄で、お金に困ってなくて、美人な令嬢がいいなー」
そんな虫のいいことを考えている。
「十五歳から二十五歳ぐらいまでで。胸がバーンてしてる子がいいよねー」
下世話なこと、この上ない。
そんな、恵まれた令嬢が、都合よく死にかけなんてこと、あるんだろうかって?
「あるんだな、これが」
蝶よ花よと育てられた貴族令嬢。とても打たれ弱い。ちょーっとした挫折で心が折れ、世を儚んでしまう。毎日、次に食べる物のことを考えている平民女性とは、別の生き物ぐらい、違う。チョウとゾウぐらいの違いだろうか。
ユーレイ少女ルーシー。誰にでもとり憑けるわけではない。心が弱った人じゃないと、跳ね返されてしまう。それに、誰でもいいってわけではないし。
「衣食住に困らない、それが最低条件よ」
せっかく、とり憑くんだもの。楽しい生活を送りたいじゃない。ルーシーがもっか標的にしているのは、子爵令嬢のエラだ。サラサラな金髪、まあるい青い目、真っ白な肌、ほっそりした身体。
「胸はバーンってしてないけど、まあ、全てを望むのは贅沢よね」
ほっそりと、胸バーンは、なかなか両立しない。仕方がない。可憐な令嬢エラは、婚約者に振られかけで、ここのところ食事がのどを通らないのだ。元々細いのに、すっかり痩せ細ってカリカリだ。
「あんな婚約者、さっさと振ってやったらいいのにね」
エラの婚約者ジュードは、顔と家柄はいいけれど、とても高慢ちきだ。お高くとまって、エラに優しい言葉のひとつもかけやしない。その上、モテるのをいいことに、色んな女の子と遊んでいる。
「私だったら、頬に張り手いっぱつ。いや、腹に拳を沈めて、お別れするけどね」
残念ながらルーシーはユーレイなので、人を殴ることはできないし、エラは育ちが良すぎて、メソメソしているだけ。ウジウジモダモダシクシクして、痩せ細って儚くなりかけ。おまけにフラフラしてうっかり階段から落ちかけた。
「えーい」
この状態なら、憑きやすい。ルーシーはエラにとり憑いた。エラの意識は薄弱なので、抵抗することもできない。木の枝のような腕で、手すりになんとかすがりつく。せっかく憑依したのに、命が尽きたらもったいない。
「ああ」
ルーシーはため息をこぼす。少しこもった空気、固い手すりの感触、ジクジク痛む手の平、変に伸びた足のひきつり。
「生きてるって素晴らしい」
ルーシーは、手すりにウットリほおずりする。冷たくて、しっかりした木。
「最高だわ」
「お嬢さま、どうかなさいましたか?」
後ろから声をかけられたので、ルーシーはゆっくりと姿勢を正す。
「階段から落ちそうになったの。手すりのおかげで生き延びられたので、感謝していたところなのよ」
いぶかしげな様子の女中に、おっとりと伝える。
「わたくし、お腹が空きましたわ。何か、部屋に持って来てくれないかしら」
「はい、お嬢さま。すぐお持ちいたします」
女中が運んできてくれた紅茶とケーキ。女中が出て行ってから、ルーシーは泣きながら食べた。
「おいしいわ。食べられるって、なんて幸せなのかしら」
ケーキの甘さと紅茶の温かさが、体の隅々までしみわたる。
ルーシーは、最初の一週間はただ体づくりに専念した。きちんと食べ、運動し、よく寝る。エラの体は弱っちい。これでは新生活を満喫できない。
幸い、と言ってはアレだが、エラの家族はエラに無関心だ。エラが何をしようが、誰も気にも留めていない。ルーシーが入ったエラが、多少いつもと違う行動をしても、問題ない。使用人たちは、不思議そうにしているが、わざわざ口に出したりはしない。実に都合のいい憑依先である。
「体も馴染んできたし、そろそろ夜会にでも参加しようかしら」
新しいお茶菓子を堪能したいぞ。食べることは、生きること。無味乾燥のユーレイ生活と違って、今は何もかもが刺激的。ルーシーはおいしい食事を貪欲に追い求める。
やや肉のついてきた、それでもほっそりとしたエラの体は、色んなドレスが似合う。
「たくさん食べても大丈夫なように、お腹のあたりがピッチリしていないドレスがいいわね」
リボンやレースがほとんどついていない、ストンとした感じの空色のドレス。妖精みたい。ルーシーは仕上がりに満足した。鏡の前でクルリと回ってみる。フワリと遅れてついてくる空色のドレスとハチミツ色の髪。
「なんてかわいいんでしょう。この美貌を活かして、もっといい婚約者を見つけましょう」
婚約は父親が決めるものだし、エラには既にいるのだが。もっといい条件の男に見初められたら、父を説得して乗り換えればいいではないか。
ルーシーは意気揚々と夜会に乗り込んだ。今をときめく、公爵家の夜会。たくさんの貴族が招待されているので、獲物を探すのにもってこい。人混みにまぎれながら、気の済むまで食べることも可能だろう。
ルーシーは婚約者にエスコートされることなく、たったひとりで会場に入る。同情や蔑みの視線がチラリチラリと注がれるが、うつむいて悲しげな様子を見せて受け流す。
「婚約者に捨てられた哀れな女。それに食いつく男は、いそうだわね。ろくでもなさそうだけれど」
でも、いいのだ。婚約者といよいよダメらしいと、ウワサが出回ることが狙いなのだから。狩場に獲物が放たれた、そう狩人たちに知ってもらわなければ意味がない。集まった狩人の中から、いいのを選びたい。
消え入りそうな雰囲気を全面に押し出しながら、さりげなく食べ物が置かれている奥の方に移動する。皆の視線を注意深く観察し、誰も見ていないときにガンガン食べる方針だ。狙い目は、大物貴族が登場したとき。場内がざわつくと、すかさずお菓子に手を伸ばし、素早く口に放り込む。扇で口元を隠し、全速力で咀嚼し、飲み込む。
「はあー、さすが公爵家。いい料理人を抱えているわね」
ルーシーが感嘆のつぶやきを漏らしたとき、ひときわ大きなドヨメキが起こった。ルーシーは小さなクッキーを丸呑みしながら、皆の目の先を辿る。群衆がざわつくわけである。エラの婚約者ジュードが、別の令嬢とやってきたのだ。
婚約者と浮気相手のはち合わせ。モテ男ジュードはどちらを選ぶのか。どんな愁嘆場が見られるのか。皆の期待が悲劇の主人公、エラに集まる。
エラの中の人、ルーシーは即座に決断した。同情を集めつつ、毅然とした対応をしようと。ここで引き下がると、他の貴族たちから、こいつは歯向かわない、軽んじていい女だと認定されてしまう。
ルーシーは口の中をこっそり噛み、涙を絞り出した。ルーシーは震えながらジュードに近づくと、思いっきり頬をひっぱたいた。
「ジュード様、あんまりです。婚約者であるわたくしを蔑ろにして、他の女性と夜会に出るなんて。もう婚約を解消いたしましょう」
ルーシーはジュードの答えを待たず、さっさと会場を出た。
「ふふふ、これでジュードは針のむしろね。エラの体が弱すぎて、たいした痛みを与えられなかったのは悔しいけど。でも、あれぐらいのヘナチョコ平手の方が、好感をもたれるはず。会場の騒ぎを見られないのは残念ね」
楽しい光景に違いないのに。
「きっとすぐウワサが回るから、そのうち誰かから聞けるでしょう」
ルーシーは泣き顔を保ったまま、心の中はウッキウキで屋敷に戻った。
翌日から、ルーシーの元にはお茶会の招待状が山のように届くようになった。ルーシーはお茶菓子を堪能するために、せっせと出席する。悲しそうな顔をしながら、お菓子を食べるのにも、すっかり慣れた。
「エラ様、勇気がおありですわ」
「わたくし、胸がスーッといたしましたの」
「わたくしの婚約者も浮気三昧ですのよ。わたくしも平手打ちしたいですわ」
「平手打ちすると、手首が痛くなりますので、赤ワインをかける方がいいかもしれませんわ」
ルーシーは包帯を巻いた手首をそっと持ち上げる。痛々しそうな視線がルーシーに集まる。ルーシーはイタズラッぽい笑顔で肩をすくめる。
「ケーキを顔にぶつけてもおもしろいかもしれませんわ」
クスクスと笑い声が広まった。
「わたくしは、浮気相手の女性の方にも、なにか仕返ししたいですわ」
「分かります。だって、誰が誰と婚約しているかなんて、みんな知っているのですもの。浮気相手も同罪ですわよ」
「その通りですわ。トマトソースのお料理をドレスにぶちまけてやりたいですわ」
お茶会では、どうやったらスッキリするか、色んな案が出て盛り上がった。そして、触発された令嬢たちが、次々と実践するようになった。
「わ、わたくし、平手打ちもワインかけも、できませんでしたの。手が震えて、勇気が出なくて。でも、言いたいことは言えました。わたくしはいつもあなたに誠実でありました。あなたが誠意を返してくださらないのでしたら、父をまじえて婚約解消に向けてお話しましょう、って」
顔を紅潮させ、震える手をギュッと握りしめながら、仲間に報告する令嬢。皆は温かい拍手をした。
「あっぱれですわ」
「よくがんばりましたわ。あなたには、もっと素敵な殿方が似合いましてよ」
令嬢はそっと目をハンカチでおさえ、気丈に微笑む。
「わたくし、あの方が心を入れ替えて浮気をやめてくだされば、婚約を続けてもいいのです。きちんと書面を交わそうと思いますの。次に浮気したら慰謝料を払ってもらい、婚約解消だって」
「いい考えですわ。太い釘を刺すのは、大事ですわ。私も結婚の際には一筆書いてもらおうかしら。浮気したら、屋敷と慰謝料をもらう。爵位はわたくしの子供が継ぐって」
「わたくしも、そうしたいですわ。浮気されて、捨てられて、家から追い出されたら悲劇ですものね」
令嬢たちは、顔を見合わせて頷き合った。
「父と母にきっちり相談してみますわ。母と姉がよく言ってますの。たいていの男は浮気するって。子供がいればいいけれど、いなければ悲惨だって」
「殿方はいいですわよね。次々と若い女性に乗り換えられるんですもの。女性はそうはいきませんわ。二十五歳を超えると、殿方の視界に入らなくなりますし」
「殿方にとっては、二十五歳以上の女性は、地面に落ちたリンゴみたいなものかもしれませんわ。熟れすぎ、もしくは……」
深いため息が部屋に充満する。
「だからこそ、女は女同士で手を組みましょうよ。皆で知恵を出し合えば、幸せな結婚生活に近づけるかもしれませんわ」
「賛成ですわ。相談と愚痴をぜひ」
令嬢たちは、同盟を結んだ。ズッ友だ。
その夜、ルーシーは上機嫌だった。まだ、いい男は引っかかっていないが、いい女友だちはうなるほどできた。これらの伝手を使えば、素敵な殿方に出会えるだろう。鏡台の前で、かわいらしい顔を見ながらニヤニヤ笑っていると、突然、エラが話しかけてきた。
『守護天使様、ありがとうございます。こんなにしてくださるなんて。私ずっとお友だちが欲しかったのです。ジュード様とも、お別れできて、夢みたいです。あなたは最高の守護天使ですわ』
エラの感極まった感情がほとばしる。
「はえええーー」
ルーシーは、エラの喜びに跳ね飛ばされた。
「はわわわーー」
ルーシーは、慌てて一番近くにいた、入れそうな個体に、強引に入り込む。
『いっけなーい、昇天昇天。なんて冗談言ってる場合じゃないわよ、まったく』
『ニャーン』
『ニャーン?』
ルーシーは耳に届いた自分のひとりごとが、ニャーンと聞こえることに戸惑った。
「守護天使様。猫にお入りになったのですね。これからは、わたくしが守護天使様のお世話をいたしますわ」
エラの体にいるエラが、猫に入ったルーシーを潤んだ目で見つめる。
『えええー、猫になっちゃったー。こーまーるー。もうお菓子が食べられなーい』
『ニャニャニャー』
「猫でも食べられるお菓子を料理人に作ってもらいますわね」
『エラは、私の言葉が分かるのね』
無意味なので、まだるっこしいお嬢さま言葉はやめることにした。取り繕ったところで、ニャーンだし。
「はい。体を分け合ったからでしょうか。守護天使様の言葉が分かります。命を助けていただいたご恩は一生忘れません」
『いや、あれは、エラの体を乗っ取るためであって。恩人というよりは、罪人……』
ルーシーは後ろめたくて、そっと視線をそらす。
「いいえ、守護天使様の温かいお心は、誰よりもわたくしが分かっております。わたくしだけでなく、他の令嬢の人生も好転させてくださいました」
『えーっと、じゃあ、そういうことにしておくけど。とりあえず、守護天使様って呼ぶのやめてよ。ルーシーでいいから』
「はい、ルーシー」
エラはほんのり頬を赤らめて、ニコニコしながらルーシーの名前を大切そうに呼んだ。
そんなこんなで、ルーシーは猫になって割といい暮らしをしている。暖かい室内で、フカフカのクッションの上でゴロゴロ。ミルクとごはんとお菓子も食べられる。ちょっと気になっていた、元の猫の精神に恨まれないかってところだけど。
「あんたのおかげで、野良猫生活からお屋敷生活に変わった。最高だわ。ずっと中に居ておくれ。わたしゃ、だいたい寝てるからね」
てな感じで、うまく行っている。たまたまエラの部屋の窓の外にいた野良猫。すっかり弱っていたのだが。贅沢生活ですっかり健康になった。でも元の猫格は、だいたい寝ているので、ルーシーが好きにできる。
エラは、どこのお茶会にも猫のルーシーを抱っこで連れて行き、令嬢たちへの叱咤激励や助言を代言している。
「わたくしがジュード様とお別れでき、新しい婚約者と出会えたのは、ルーシーのおかげなのです。ルーシーがいつも元気づけてくれるのですわ」
堂々と怪しいことを言っているが、お友だちはすっかり納得している。かわいい令嬢たちに撫で回されて、ルーシーもまんざらでもない。
『エラが、お友だちの地味だけど真面目なお兄さんと仲良くなれてよかったわ。エラが結婚して子どもを産むぐらいまでは、そばにいてあげるわよ。そのあとは、また瀕死の令嬢にとり憑いて、キャッキャウフフの恋愛生活をやってみたいのよねー』
「う、いかないで」
そのたびにエラがメソメソするので、ルーシーは尻尾でバッシンバッシン、エラの背中を叩いてやらなければならない。
「でもきっと、ルーシーはその令嬢も元気にして、犬や鳥になってわたくしの元に帰ってきてくれるんだわ。だったら、待ちますわ」
『ちょっとー、縁起でもないこと、言わないでよー。なんか、すごくそうなりそうな気がするじゃないのー』
ルーシーはニャーニャーと抗議の声を上げた。
こんな生活も、悪くはないかなー、もうしばらくはエラの元でいようかなーと、ルーシーは思っている。
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