76 復興の新都
昭和二十四年、東京は車道が広がり新しいビルが次々と建ち、戦前より遥かに整った都会となって行く。
この翌年には銀座通りで戦災からの復興が成った記念パレードが華々しく行われ、世界中に奇跡の復興と驚かれるのだ。
しかし古くからの住人達はすっかり西洋風になってしまった街並みに戸惑っている様子だった。
一面の焼野原からの復興のついでに政府主導で徹底した西洋風の都市整備を行ない、江戸名所図会にあった景観もほとんど無くなり江戸文化はこの世から姿を消した。
行く行くは東京砂漠と唄われ、令和に至ってはエジプトより蒸暑い街となる。
今の東京人は復興の明るい気分に満ちて瘴気もほとんど見えないが、未来の令和時代は拝金主義の瘴気邪念を纏った輩がこの都市を牛耳るのだ。
私は久しぶりにそんな東京に出て、三好君や室生君らの詩人達と銀座に居た。
新装オープンしたカフェで待つと、しばらくして新進作詞家のなかにし礼と西條君がやって来た。
なかにし君は鎌倉の隣の逗子に住んでいて、我がカフェ浪漫主義には度々来ているそうだ。
この戦後の昭和歌謡を代表するヒットメーカーの詩を西條君の次に[新明星]のゲストに呼ぼうと言う事だった。
この端正で礼儀正しい青年は後に久米君らを継いで鎌倉ペンクラブの会長もやってくれる人だ。
彼は[新明星]は欠かさず読んでいて起用して貰えれば光栄だと、気持ち良く承諾してくれた。
折しも街角のラジオからは西條君のヒット曲[東京行進曲]と[銀座の柳]が続けて流れている。
次いで我々は互いの挨拶もそこそこに今の詩壇の話になった。
現在の詩壇では口語自由詩が主流だが文語派もそこそこ生き残っている。
短歌と同じように詩の方面でも大衆受けする口語詩の隆盛は止めようも無いが、大衆化なら口語自由詩より歌謡曲の歌詞の方が遥かに売れるのだ。
その売れっ子作詞家の西條君となかにし君が[新明星]に参加してくれるのは有り難い。
やがて出てくる昭和歌謡の巨人阿久悠も引っ張れるだろう。
また歌詞方面では日本の詩本来の抒情と浪漫主義を素直に受け継いでいるのが心強い。
戦後は詩壇もまた[短歌的抒情の否定]の悪影響で抒情を排除して行くのだ。
しかしその前衛詩やモダニズム詩の行く末もやがて更に大衆化したポップ詩に取って代わられる。
我々としては新傾向の詩方面は放っておいても構わないが、如何に気韻を備えた正統派の文語定詩を生き延びさせるかは考慮しておきたい。
そこで私はこの機会に定形詩は文語七五調の四行詩を基準に据える事を提案した。
もともとこの詩人達の多くの作品が四行を一単位として書かれてはいたが、どうも皆自分だけの詩形を作りたがり四行詩がスタンダードとはなっていない。
西洋でもあくまでソネットを基準としつつ各々独自の詩形がある訳で、日本でもまず文語四行詩を基準とし後世にまで伝わる様式を確立すべきだった。
明治の新体詩以降さっぱり定着しない文語定形詩の様式を、この辺で思い切って統一する必要があると呼びかけたのだ。
学生や初心者に取っては作家一人一人でばらばらな定形詩など、誰も確立した様式とは見なさないだろう。
それに対して当初は詩人諸君の反応は鈍かったが、基準とするなら七五調の四行が最適だろうと言う所に誰も異論は無かった。
かなり盛り上がった議論の結果変形も排除しない事を前提として、初学者には読み易く作り易い四行詩を推薦するのは皆賛成してくれた。
彼等も初学は漢詩の絶句や文語四行詩からスタートしたのだから、言われてみればこの問題点の重要さは理解できて当然だった。
戦前から詩壇の主要作家であった面々の同意を得て、ようやく[新明星]においても堂々と文語定形詩の基準様式が打ち出せる。
多少強引にでも今日本の定形詩を定着させなければ様式はさらに拡散し、やがては求心力を失いばらばらな散文詩となって行く。
この問題は[新明星]の詩人以外の諸文芸作家達も等しく憂慮していた。
当の詩人達だけが漢詩や西洋詩との差別化やそれぞれの個性を重視し過ぎて、肝心の基本形式が明治以来全く纏まらなかったのだ。
口語自由詩に惨敗しかけている今こそ、文語定形派がまとまる好機だと思う。
同席していた西條君となかにし君が真っ先に拍手してくれ、他の皆の賛同も得たこの宣言を次号の[新明星]に載せる事となった。
皆と別れた帰り際の新橋駅の周辺はまだ闇市の名残があったが、混乱期に乗じて大儲けした闇商人連中は今では新築の銀座のビルのオーナーにでも収まってもう表には出て来ない。
私も経済分野の裏にまで関与するつもりは無い。
東京の俗化はもう誰にも押し留められず、高度成長期へとなだれ込んで行くのみだ。
そして次号の[新明星]には蒲原有明、西條八十、高浜虚子の名でこの定形四行詩の基準に対する期待が述べられた。
詩人達もやってみると自分以外の作品は読み易いと、少しは受け入れてくれたようだ。
いやあ、君達は今まで自由にやり過ぎていただけで、未来の詩人達の指針になるのが最も重要なのだからそれを認めないと。
世間ではこの号を口語自由詩に対する文語定形派の反撃と受け止め、良くも悪くも話題にした。
文語の四行詩自体は別に新しくも無いのだが、それをスタンダードとするなら漢詩やソネットと並ぶ重要な様式となり得ると認識されたのだ。
また西條君はこの号であの[青い山脈]を堂々と純粋詩として発表し、加えて先年大ヒットしていた[悲しき竹笛]を文語定形の四行詩に改作して出してくれた。
これには彼とは学生時代からの付き合いがあった竜さんが格別に喜んでいた。
竜さんは西條君の大正時代の名詩集[砂金]の愛読者だったから、彼が純粋詩を忘れていなかった事が嬉しいのだろう。
西條君は正に万能の天才で、詩、翻訳詩、童謡、少年少女小説、歌詞など全ての分野で後世に残る名作を残している。
軍歌の名作[若鷲の歌][同期の桜]の歌詞では戦争犯罪人に指名されないかと皆心配していたのが、戦後歌謡の作詞家としての大活躍を見て安心したのだった。
この[新明星]の歌謡曲の歌詞を文語定形詩と同列の純粋詩と認めた事に対する自由詩前衛詩側の反応は、かなりばらけて纏まりの無い曖昧な物に終わった。
古いと決めつけて排斥しようとした抒情詩が、最新流行の歌謡曲で世間の大きな支持を得てしまったのだから、攻撃の糸口も掴めなかったのだろう。
更には純粋詩人と作詞家の垣根を取っ払った事により、詩人側には収入の道を作詞家側には純粋芸術の誇りをもたらすようになる。
元々がどの国でも詩歌は古来から声に出して唄う物だったのだから、これはごく自然な流れでもあった。
従来ばらばらだった定形詩の基準形を打ち出した事と詩は唄う物と世間に思い出させた事が、未来において劣勢を強いられた戦後詩壇の伝統派排斥の風潮を押し返した。
また古き良き抒情も大衆歌謡の中に生き延びられれば、他の詩歌ジャンルでも死に絶える恐れはきっと無くなる。
ただし大衆文化のレベルで伝統文化の衰退が著しくなるのは、朝鮮戦争の特需で戦後インフレが収まり高度成長期に繋がる昭和二十五〜六年からで、加えて洪水のように押し寄せるアメリカ文化の影響も強力だ。
アメリカ文化の良い所は大いに受け入れるべきだが、アメリカ的物質主義を取り入れる代わりに日本古来からの魂の聖性を捨てるのでは愚か過ぎる。
しかし我々[新明星]だけでその大きな流れに抗するのは不可能だろう。
国全体が激変する高度経済成長の片隅で、四季の自然や伝統文化の簡素な美しさを後世に残して行くのは至難の業となる。
日本の精神文化の最後の砦と頼るべきは、やはり我が鎌倉の街や女神の楽園となるだろう。
[新明星]が赤字の場合に備えて貯めてあった金塊の残りがまだ半分以上ある。
戦後インフレの頂点もそろそろなのでこの辺で予算を茶画詩庵の強化拡張に注ぎ込み、高度成長時代に備える時だと思う。
茶画詩庵を中心にここ鎌倉を日本の伝統美生活美の梁山泊にするのだ。




