75 哀悼菊池寛
私がこの時代に移転して来た時からの友人、菊池寛が遂に亡くなった。
公職追放を食らい失意の日々を送る中、心臓発作での突然の死だ。
彼と竜さんと久米君は学生時代以来の親友で、特に芥川龍之介の自殺事件からは私も含め常に行き来を欠かさず助け合う仲だった。
私には未来の知識でこうなる事はわかっていても病気の発作ではどうしようも無く、返って死の直前まで[新明星]の出版や販売面でも世話になっていたのだ。
久米君が委員長となって音羽の護国寺で行われた葬儀には、当時の芦田首相も列席したほど盛大だった。
さすがに竜さんも落ち込んでいて、お互いに慰める言葉も無い。
川端君も菊池君には散々世話になった口で、金に困った時は必ず彼の所に行っていた。
菊池寛が築き上げた文芸春秋社は一時経営が危ぶまれたが社員一同が頑張って立て直した。
その後は平成時代まで文芸誌の雄として継続し、文芸春秋の主催する芥川賞直木賞は日本の小説界を牽引する賞にまで育つのだ。
社の編集長で取締役だった永井君もその後長らく隠れ顧問として、また賞の選考委員として協力して行く。
みなあのユーモラスに太った親分肌の、偉そうな笑い声は生涯忘れられないだろう。
同じく公職追放された永井君は文芸春秋社を辞めてからは小説家業に専念する事になったが、[新明星]の編集は引き続きやってくれている。
しかも以前よりやる気を出して、歴史に残る文芸誌にすると意気込んでいた。
[新明星]は月刊になっても同人誌のままだったが、誌面を増やし新規に企画物を入れたいと言っている。
菊池寛追悼の文を久米君に頼む他に、詩句歌それぞれでゲスト欄を設ける事と随筆を増やしたいようだ。
随筆の執筆者は永井君自らと大佛君にもすでに承諾を取ってあるそうだ。
詩句歌はそれぞれの部門で推薦し、この際出来るだけ有望な新人を育てようと言う話になった。
短歌部門は飛鳥井雅影君にやって貰おうと思う。
有り難くもこれまでの実績で世間では[新明星]に載れば一流作家と目されるようになっている。
その分各作家には内容の充実が求められる。
雅影君にはかなりの重責とは思うものの、もうしばらくは私が推敲添削の面倒を見れば大丈夫だろう。
その内に彼が短歌結社を主催して伝統派の砦を築いて欲しい。
俳句は虚子先生や水原君に任せておけば心配無いし、詩方面は西條八十君を始めとする戦後歌謡曲の作詞家達を取り上げてすでに大評判となっていた。
ただ短歌の方はなかなか良い人材が見当たらず、私がある程度まで道筋を付けなくてはならないだろう。
また例のO氏が出版する[短歌的抒情の否定]の影響で、未来の戦後昭和では伝統派が急激に萎んでしまうからだ。
そこで例の如く先手を取り今回は保田君に頼み、日本の万葉古今集は世界的に見ても最古の抒情詩である事、ギリシャローマでは英雄叙事詩が中心で西洋に一般的な抒情詩が出て来るのは近世である事、また寂しい悲しいばかりの連発は困るが抒情は人間の未来永劫変わらない本情で進歩発展するような物では無い事、などを含んだわかり易い歌論を書いて貰おう。
やがて夏になり戦時中は中断されていた鎌倉カーニバルも復活した。
そちら方面では実に頼りになる久米君や大佛君が祭りの舞台で大活躍している。
歌壇も今の所は他の短歌雑誌も落ち着いており、新しい傾向の歌も出て来てはいるが伝統的な物も健在だ。
また戦後に出た与謝野晶子歌集も良く売れていて、若い文芸ファンにも好評のようだった。
ただし各方面で戦争協力者の汚名を着せたりしての戦前派排斥が盛んになるのはこの年の秋頃からだ。
そんな中で[短歌的抒情の否定]が発売された。
この題が短歌界に与えた衝撃はさすがに大きかった。
よく読めばこの論の拙さがわかるのだが、短歌俳句は平凡な一般人が日常の喜怒哀楽の中で作ったり読んだりして楽しむ物だ、と言う事を知らない人々にはこんな愚説でも説得力がある。
日本の短歌俳句は西洋の芸術のように一人の天才が世紀の大名作を打ち立てるのでは無く、普通の人間の普通の生活詩の中から極稀に名句名歌が生まれるのだ。
日本人は古来から一人の天才よりも、多くの人々が高雅な詩的生活を送る事を重視して来た。
そんな事も知らずに西洋の芸術概念で伝統の和歌短歌を貶しているのだが、現状に不満を抱く人々にはこのシンプルな標語が神の御告げのように響いた。
従来の普通の喜怒哀楽の表現では駄目だ、となると必然的に前衛がかった特殊心理の描写になって行く。
二十世紀人は科学文明の進歩の影響で新しい物が善で古い物を悪と見做す傾向があり、短歌界内部でも刷新を求める風潮が強くなっていた。
もう一つの傾向は旧来の典雅な文語の調べでは現代都会人の苦悩を表現出来ないからと、口語や俗語の表現が増えて来る所だ。
私には現代人の苦悩などは昔からある単なる煩悩としか思えないのだが、こちらは戦前から萩原君達の口語自由詩があったので世間にもそれほどのインパクトは及ぼさなかった。
短歌界だけで言えばいずれは大衆向けの口語のポップ短歌が優勢になる。
ただ格調高く本格的な深みを持つ伝統の和歌は、文芸だけに止まらず日本の精神文化の根幹だ。
未来の平成令和のようにそれが壊滅してしまい、日本から聖性が消える事だけは避けなくてはならない。
私は大衆文化の片隅でも良いから、せめて知識層の一部だけには細々とでも高邁な精神文化を生き延びさせたいと思っていた。
[短歌的抒情の否定]の出版に対して同月の我が[新明星]は新企画も好評でますます部数を伸ばした。
企画や販売戦略における永井君の手腕は大きい。
経営者が変わった文芸春秋社はじめ他の大手雑誌社にも昔から顔が効き、今は一同人誌の編集だけを手掛けている彼への同情もあり協力者は大勢いた。
その永井君にしても短歌部門を最も心配して、私にはっぱを掛けて来る。
だが彼も今月号に載った雅影君の歌を見てひと安心したようだ。
[首傾げ人に聴こえぬ幽かなる 聲を聴きをる小鳥の仕草] 雅影
愛らしさに加え品位ある調べと新鮮な透明感があり、同時に新人とは思えない深い静けさを湛えた歌だった。
聖性に通じる自然観応力も十分で、しかも中世飛鳥井流の幽玄さにも通じている。
これなら他の前衛派やポップ短歌に引けを取る事は無い。
そして彼と同年代の若い歌人や文芸ファンに、新たな希望を抱かせるに足る出来だろう。
まあ今の私に出来る事は若い世代に伝統和歌の良さを伝える事だけだから、今後彼には世間の矢面に立って大いに頑張って貰いたい。
他の頁では川端君が茶画詩庵での歌会を美しく描いており、三島君が古歌学を味わい深く説いてくれ、今号も日本の伝統文化の良さは十分伝わってくる。
肝心の皆の詩句歌も質の高さを保っていた。
更には大佛君の紹介で次からはあの鏑木さんが[新明星]の口絵を描いてくれる事になった。
鏑木さんはその口絵のために、よく我が女神の庭の花をスケッチしに来ている。
また[新明星]とは別にカフェ浪漫主義で「大正浪漫の夕べ」と名付けたイベントを企画した。
その第一回は明治大正時代の[明星][スバル]のバックナンバーの展示と座談会だ。
そのポスターを店内や街角に張り出した途端に予約が殺到し、結局一日の予定が三日間やる事になった。
料理の方も木暮さんが張り切って、近頃ようやく安定して仕入れられるようになったハムソーセージ類のメニューが増えた。
壁に並べた竹久夢二の絵は勿論、ランプや食器類も調度品も今やだいぶ古びて懐旧の雰囲気は抜群だ。
当日は吉井さんが京都から来て、虚子先生や蒲原先生と座談会をやってくれた。
客達も日本の詩歌の黄金時代を、各々の古き良き時代の美しかった光景と共に十分に想い起こしてくれたろう。
当時はまだ珍しかったこの種のイベントは、各新聞雑誌などでも取り上げられ大きな話題になった。
単なる講堂などでやっていた講演会とは全く違う、実物の美術工芸品を設えた会場での文雅の宴だ。
大正袴の女給さん達もカメラに囲まれて大人気だ。
文芸と共にカフェ文化や浪漫主義を後世に伝えるのもまた我が使命なのだ。




