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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
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74 奴隷の韻律

この茶画詩庵での歌会の模様は次号の[新明星]の川端君の随筆で世間に披露された。

麗しき和歌の姫神の絵姿の元に、名だたる歌仙達と若き名門の嗣子の文雅の(うたげ)が繰り広げられ、更にそれが川端君の深い審美眼により美しい文章に仕上がっている。

他の文芸誌の書評でも、これぞ伝統の日本美の象徴と評価されていた。

この反響を見ると未来で起こっていた伝統文化排斥の風潮はだいぶ下火に抑えられたようだ。

未来の日本では戦前までの伝統文化を担っていた主だった人々が敗戦で皆自信を失くし、新興の欧米文化を賛美する連中に良いように追いやられたのだ。

今の所一部のジャンルで多少はそう言った事も起こっているにしても、多くの国民には日本の自然に即した暮しや文化の良さは戦前と変わらずに受け入れられている。

この流れを後々の朝鮮戦争特需から日本経済の高度成長期の入口まで維持出来れば、将来に来る日本の精神文化全ての荒廃は防げるだろう。


更に嬉しい知らせで道雄君の日本詩歌の英訳本のイギリスでの出版とアメリカ版の重版が決まり、堀口君らの訳詩家達が集まってカフェ浪漫主義で祝宴を開いてくれた。

私も宴に呼ばれ、彼らの上げる気炎には大いに励まされた。

道雄君の本はこれまでの日本文芸の英訳本の売上記録を大きく更新しているらしい。

この事は新聞記事でも取り上げられ、日本文化は世界に誇れる物と認識されたのだ。

そして道雄君本人の次の計画は[明星歌会]の、歌会まるごとの英語訳だと言う。

川端君の歌会の随筆を読んで、意を強くしたのだろう。

欧米には日本の句会歌会のような多人数で行う詩会の様式は無く、特に茶画詩庵のような床飾りや茶菓など様式美の整った中での文雅の会がある事には大変驚くそうだ。

そこで句歌の翻訳だけで無く四季の句会歌会の様子全てを紹介出来れば、日本人の暮しにどれほど詩歌が溶け込んでいるか良くわかるだろう。

アメリカは比較的新しい国だけに、そう言った伝統的な文化に対する憧れは強い。

確かに彼の言う通り、欧米の個人主義的な詩のへ考え方と日本の句会歌会における集団の文芸の対比は知的興味を引く。

専門詩人でもない市井の人々が日常生活の中で普通に句歌を詠んでいる事にも驚くはずだ。

また連歌などの詩歌による気持の遣り取りや、手紙の中に一句一首を添えるような日本の伝統は世界に紹介する価値があると思う。

いやあ、彼のこの洞察力は見上げた物だ。

道雄君もすっかり国際的な文化人に育ってしまった。


こうして昭和二十三年となった。

東京始め戦災で焼けた各都市の復興もだいぶ進み、市民の顔も明るい。

相変わらず戦後インフレは加速しているが、食糧難は何とか耐えられる状態に戻った。

鎌倉は戦災の東京を逃れた人達の移住で人口が激増し、土地価格の高騰が凄い事になっている。

凄いと言ってもその後の高度成長期にはまだまだ及ばず、農地価格が宅地価格に変わった分の上昇が大きい。

カフェ浪漫主義の売上も順調で、戦前の良かった時期を遥かに上回る。

茶画詩庵はそれほど大きな変化は無く、例の如く路地の奥でひっそりと営業していた。

変わったのは川端君が由比ヶ浜の方に瀟洒な新居を建てて引越し、その後に道雄君が入った事だ。

川端君の新築祝いには沢庵禅師の「露」一文字の書軸を贈った。

この軸はもはや毎年定例となった京都方面への買出しで見つけた物だ。

京都では敗戦直後ほどでは無いが、まだまだ貴重な古書画が続々と放出されている。

それでも全てが灰燼と帰した東京よりは遥かにましだった。

川端君は前回の買出しに新聞の連載小説で忙しくて行けず悔しがっていたから、丁度良いお土産となっただろう。

私はまた歌書歌学書の中世写本をごっそり仕入れて来たのだが、例によって三島君がすぐ持って行ってしまった。

まあ彼は几帳面に借り本のリストを書いて置いて行くから、笑って許さざるを得ない。

竜さんも三島君に触発されたのか古俳諧の研究に浸り出した。

彼の所には蕪村や天明俳諧の江戸版句集がごっそりと行っている。

川端君に貸していた家に入った道雄君は、以前の茶室に付け足した程度の書庫には到底納まり切れなかった本類が、この新たな書斎ならまだまだ入ると一気に買い込んでいた。

収入のほぼ全部を注ぎ込みアメリカやイギリスから直接取り寄せている。

シスタークリスが帰って来たメソヂスト教会へも毎週通っているようで、そちら経由の英国書籍もどんどん送られて来る。

最近は同じ作家の本でも、十八十九世紀の初版に拘って注文しているのだと得意顔だった。


大佛君が鎌倉文庫を発展させて出している文芸誌[苦楽]の表紙絵は、後に虚子先生と同時に文化勲章を貰う事になる鏑木清方が描いている。

その美人画の巨匠鏑木さんが鎌倉に転居してくるそうだ。

今はまだ近くの金沢八景に住んでいるがちょくちょく鎌倉に来ていて、この日は大佛君と共に茶画詩庵を訪れた。

私は鏑木さんの絵は美人画と言うより、古き良き日本の美しい生活文化そのものを描いた物だと思っていた。

そう話すと鏑木さんも

「その通りですよ。東京の町並みもこの復興で昔の風情がすっかり失くなってねえ。それでまだ路地裏の風情が残っているこの鎌倉に来る事にしましたよ。」

新居の場所はこの茶画詩庵のすぐ南で歩いて一分もかからない。

「お気に召したなら茶飲み友達と思って、毎日でも気軽にお越しください。」

「有難う。ここは心から落ち着くから度々寄らせて貰うよ。」

床の間には鏑木さんの好きそうな繊細優美な鈴木晴信の肉筆画を掛けてある。

古備前の徳利にちょこんと首を出しているのは薄紅の侘助だ。

これもきっと彼の好みに合っただろう。

案の定座敷に入るなり床へにじり寄り眺めていた。

未来では鎌倉の文化を語るには欠かせない最後の大物がこの鏑木清方だった。

その人が我が茶画詩庵の御隣と言っても良い所に越して来るのは大歓迎だ。

帰り際に玉依姫のやぐらに案内すると

「おおっ、この庭の安らかさはこの姫神様の………」

と、長い間手を合わせて瞑目していた。


やがて鎌倉の山藤の花が終り牡丹芍薬の時期になると、例のO氏の[奴隷の韻律]が発表された。

そもそも彼は口語自由詩を書いているのだから、あえて短歌の定形を否定する理由は全く無い。

にも関わらずこんな稚拙な論をわざわざ活字にするのは、ただ目立ちたかったのか生来の凶暴性なのか理解し難い。

「日本の短歌は三十一文字(みそひともじ)と言う鎖で雁字搦めに縛られている!」

如何にも元々声に出して唄う歌謡の流麗な調べ、リズム感、音楽性を全く感じ取れない輩の言いそうな言葉だ。

世界中のほとんどの民族の詩が定形韻律を持っている事も知らないのだろう。

反論するのも馬鹿馬鹿しいほど愚かな論理だが、無知な若者にはこの乱暴さが受けたのだ。

ただこの本の面白さはその止めどなく溢れ出る罵詈雑言の羅列が、怨嗟の呪文の高まりのような一種の酩酊感を持つ所だった。

O氏の愚劣な言動に対してはもう相手にしたく無い気もするが、それでは従来と同じ聖性を失ない俗化した昭和平成となってしまう。

自由律の詩はいくらあっても構わないが、聖なる言霊の調べを否定する事は断じて許さない。

さあ、戦闘開始だ!

そうなるとここは古歌学に浸っている三島君の出番だろう。

さっそく数日後三島君が庵に来た時に、伝統和歌の調べ、世界中の古詩の音楽性、全ての人類が持つ原初のリズムなどの考察を頼んでおいた。

七五調の詩歌は声に出して唄う時の長音や休符を楽譜に記せば、ロックミュージックなどのエイトビートの拍子と同じになる。

三島君には長唄、清元、浄瑠璃も民謡や津軽じょんがらもほとんどはエイトビートだと言うヒントを与えておいた。

それを聞き彼も中世歌学に良く出てくる「調べ」と言うキーワードが気になっていたのだと、張り切って引き受けてくれた。

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