73 第二芸術論
春も弥生の桜の時期となり、[新明星]も三月号が出た。
以前の案で道雄君の挿絵は残念ながら実現できなかったが、その代わり川端君の随筆の中に茶画詩庵の床飾りや卓上飾りの写真が毎号載るようになった。
文章と写真でより生活の美が伝わり易くなり、世の御婦人方にも好評だ。
その分私がやっている床の飾付けには気を使うが、川端君が季節の書画軸や花入の解説を上手く書いてくれるので助かる。
そして三月号からの一番の注目作は新進作家三島由紀夫の[幽玄の皇子]だ。
当時の京から見れば野蛮な東夷の地鎌倉にお飾りの皇子将軍としてやって来て、その東国に和歌の楽園を築き鎌倉武士達に慕われた宗尊親王の物語だ。
鎌倉の無骨さと自然の美しさが相まって、如何にも幽玄の趣きを醸し出している。
この題材は三島君にぴったりで、彼の文体も一段と深まった感じだった。
竜さんの[精霊物語]の影響も多少あるのか、花鳥の精霊や自然神もすんなりと熟れた描写で出てくる。
我が庭の玉依姫像もその時代の作だから、三島君もごく自然に受け入れて描けるのかもしれない。
その上先年入手した宗尊親王の[柳葉集]と二階堂の頓阿の[草庵集]の中世写本が、何よりこの若き作家の想像力を刺激して止まないようだ。
その二冊は彼に貸したままもう長いこと茶画詩庵には帰って来ない。
また彼独自に北条氏の古歌書も探し出したようで、当時の歌会の様子も臨場感があった。
そして例の[第二芸術論]が発表された。
内容は未来で読んでいたのと変わり無く、「俳句は老人の消閑の具」「日本画は所詮床の間芸術で大美術館を飾る物たり得ない」などと、日本の各種伝統芸術を貶しまくっていた。
またわざわざ虚子先生の並みの出来の句と素人の句を並べて、どちらが良いかわからないと言っている。
俳句や短歌はどんな巨匠でも名作は数多の並出来の作中にごく少数ある程度なのだ。
それを選別するのが句会や歌会で、さらにそれを絞り込んで生涯の句集歌集が編まれる。
だからこそ皆で選をし合う句会歌会は楽しいのだが、このK氏はそんな経験も知識も無くこの戯言を吐いてしまったのだろう。
この論に対し当の虚子先生は
「ほう、俳句も二番目まで上がりましたか。わっはっは!」
と嘯いたと言うから流石だ。
現に今も[ホトトギス]や水原君の[馬酔木]からは戦後俳句を背負って立つ新鋭俳人が次々と出てきているのだ。
そもそも私は虚子先生のいる限り、俳句の将来の心配は全くしていなかった。
それよりこの本が俳句以外の伝統文化のジャンルに及ぼす影響を恐れていたのだが、世間では未来で私が見た物よりは遥かに弱い反響しか呼ばなかったようだ。
我々が先んじて手を打ち[新明星]や他の文芸誌で展開して来た、日本文化に対する自信回復の論調が[第二芸術論]を上回ったのだ。
若い世代からの多少の反響はあったものの、そこも我々の新しくて良い物は歓迎すると言う態度の前に、古い物は全て悪と言う暴論は自然と消えて行った。
問題は短歌和歌の方だった。
K氏の[第二芸術論]ではあまり触れられていなかった短歌だが、来年に出るO氏の[奴隷の韻律]と[短歌的抒情の否定]で壊滅的なダメージを被るのだ。
私が知る令和の日本では伝統派は全く振るわなくなり、前衛やポップ風の口語短歌が歌壇を制覇する。
戦後の新しい短歌の波が起こるのは良いが、日本の文芸の中核を担って来た伝統和歌の優美典雅な良さを全て失くすのはまずい。
しかし困った事に[新明星]の短歌部門には結社を持つ専門歌人がおらず、吉井さんにしても歌壇からは離れて活動しているため、若い世代との繋がりに乏しい。
我々の周囲にも俳壇の大結社[ホトトギス]を率いる虚子先生のような存在は見当たらず、伝統派の後進が育つような環境が無かった。
その事は以前から知人達にも語りかけ良い案があれば教えてくれと頼んでおいたのだが、何と意外にも透音さんの実家方面から話が来たのだ。
敗戦で御所歌所が閉鎖となり、そこに出仕していた飛鳥井本家が我が[新明星]に目を付けたようだ。
御所歌所の歌人であった透音さんの叔父君から、孫の雅影君の面倒を見てくれと言って来た。
今は大学生の雅影君も幼少時から古典和歌を仕込まれているが、これからは伝統の古今調だけでは駄目だと思い[明星]系の抒情や浪漫に憧れていたそうだ。
彼は透音さんから見ても飛鳥井一族の中でも屈指の才だと言う。
叔父君は中世幽玄体の完成者である飛鳥井雅親の再来とまで親族中に孫自慢をしているそうだ。
これは私に取っても渡りに舟で、彼には大いに期待したい。
さっそくこの秋の我々の歌会に招待しておいた。
彼岸過ぎてもまだ暑さの残る鎌倉の茶画詩庵に吉井さん始め京都の面々がやって来た。
雅影君に飛鳥井本家の叔父君もわざわざ挨拶に来ている。
「飛鳥井雅影です。宜しく御指導お願い致します!」
流石に名門の嗣子らしく、品のある立居振舞いだった。
「朝比奈君、皆さん、孫を宜しく御頼み申す。」
叔父君も流石な御挨拶だ。
その後叔父君は透音さんと一緒に彼女の実家に寄るそうで連れ立って出て行き、残ったいつもの連衆で歌会が始まった。
そしてまたいつものように川端君と三島君が見学に来ている。
床飾りには京都で仕入れた和歌の女神である衣通姫の室町時代の画軸と、庭の桔梗を李朝秋草手の染付壺に活けてある。
それを先程まで川端君があのぎょろ目で食い入るように見つめていた。
皆の歌が出揃い、披講が始まる前に一言挨拶させて貰った。
「今日から新メンバーが増えた事もあり、今後はこの会の名を[明星歌会]としましょう。皆さんもそれぞれに後進を育てるよう努めて下さい。では参りましょう。」
「ようやく晴れて[明星]の歌会を名乗れるか!与謝野さんもさぞ喜んでくれるよ。」
吉井さんが感慨深げに頷いていた。
今回は三島君に詠み人を頼んである。
最初の歌は
[夜ごと来て鳴けば親しもこのごろの われの心は梟に聴け] 勇
「ほぉ、梟の心持とは面白いねえ!」
「吉井さんは近頃上田秋成の江戸版を手に入れて読み耽っていたから、秋成のような狷介老人に憧れているんだよ。」
「梟は女神アテナの御使いで知恵の象徴だから、森の賢老のイメージもあるな。」
「自分では語らず梟の鳴き声に心を託して歌に深みが出ましたね。林中の侘棲まいの幻想的な景が浮かびます。」
次は期待の新人、雅影君の歌だった。
[夕暮の天地青く染み透り 諸身に浴びるかなかなの声] 雅影
「おぉ、若々しい感覚で良いね!深みもある。」
「全身が透き通って行く感じで[諸身]が効いていますよ。」
「うん、上出来だよ。[夕暮]を[夕寂]にすれば満点だね。」
「ああっ、それです!有難う御座います!!」
「夕寂の天地青く染み透り〜〜〜か。一字変えるだけで絶唱になってしまったよ!」
「これからは皆で朝比奈君に添削して貰おうか。全部名歌になるぞ。はっはっは!」
「いや、それは御勘弁!」
この一首の遣り取りは川端君が次の号の随筆に書き、鎌倉の楽しくも高雅な歌会と世間の評判になった。
[時じくに雨ふりくるは越えゆかむ 峯にかがよふ雲に入るらし] 與重郎
「雨雲の流れと共に常に時の流れて行く峯か。[かがよふ]が神々しくて、そこを越えて雲中に消え行く旅人の姿が目に浮かびますね。」
「はあ、そこまで深く観賞するんですね。言われなければわからなかったです。」
雅影君は歌より先に皆の観賞眼の方に感心したようだ。
彼のこれまでに経験した歌会では、なかなかこの深さまでは難しかったのだろう。
「保田君は公職追放されてから歌は返って良くなったんだよ。大した奴だ!」
「あっはっは!!!」
[わが庵は花の名所に五六丁 もみぢに二丁月はゐながら] 潤一郎
「これは上手い歌だよ。与謝野晶子さんに[ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里 水の清瀧夜の明けやすき]と言う歌があるがね、京都の地理を知らないと良さがわからないんだよ。それがこちらの歌は誰にでもわかるし季節を問わない分上だよ。」
「[月は居ながら]が親しみ易くて良いですね。」
「谷崎君もたまに技巧を凝らすから油断出来ないなあ。あっはっは!」
期せずして最後は私の歌となった。
[玉しぶき幾瀬連ねて煌めける 光の中に棲める鳥影] 新之助
「あぁ、もう皆で朝比奈先生と呼ぼうか!凄まじい上手さだよ!!」
「玉、水、煌、光、と綺羅を重ねて最後に影。ここに玲瓏極まれり!!!ですね。」
「う〜ん………調べの高雅さ、描写の確かさ、景の美しさ。もはや褒める言葉も思い付かない。」
「古今調の典雅な詞が京極風の写生で生きて、ついに夢幻浄土に到ったか。真に良い歌を見せて貰ったよ!!」
「これが[新明星]調なんですね!これからの伝統派の若手達が目指すべき新たな高みが見えて来ました!!」
余りに皆が褒めてくれるので、帰り際にこの一首を短冊に書いて全員に配っておいた。
雅影君は感動して受け取る手が震えていたようだ。
川端君と三島君にも配ったところ、この二人まで感激してくれた。
これは私の力と言うより茶画詩庵の女神達と、何より和歌の本来持つ力なのだ。
雅影君は歌人志望の友人達にも今日の事を話すと言っていたので、上手くいけば段々と伝統派にも若い歌人が増えて行くかもしれない。




