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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
70/79

70 攻勢

昭和二十一年の夏はいよいよ新憲法の審議が始まり、十一月には公布される。

一般の人々も国の行く末が見えて来れば落ち着いて生活再建に取り組めるだろう。

食糧難や資材難も徐々に解消し、秋以降は出版界でも活気が見られるようになる。

六月に出た[季刊明星]の夏号も早々に完売し、どうやら人気も定着したようだ。

政治思想界の方では国粋主義に代わって共産主義が流行り出したが、私に取ってはどちらも似たような物だった。

しかし世情では何もかも新しくしようと言う風潮は止めようも無く、新思想、新教育、新生活などの言葉が新聞雑誌の表紙を賑わせている。

新しい物が出てくる事自体は歓迎すべきだが、その勢いで旧勢力を駆逐し古き良き物をみな否定してしまったのが未来の日本の愚かさだった。

その風潮を押し留めるためにも、[季刊明星]の次号では更なる強化を考えている。

文芸以外の各芸術分野も含めて新しく出てきた良質の物と、新しくて駄目な物の論評を他に先駆けてやってしまうのだ。

その役には小林君が打って付けだろう。

小林君にはすでに話は通してあり、彼もその内容について川端君や三島君と楽しそうに話していらから十分期待できそうだ。

他の雑誌等に発表された作品が対象になるので、他社にも皆の根回しで協力を得ている。

ついでに明星の同志諸君の関係する各雑誌でも、新生活文化のような企画では旧来の茶道華道等の全てをを攻撃するのではなく、正座などの悪習と行き過ぎた礼儀作法の強要さえ刷新すれば伝統の美風は生き残れるだろうと、そちら方面にも示唆して貰っている。

戦後の日本の住宅から急速に和室が無くなって行ったのは、正座の生活が嫌われたからに他ならない。

正座は元々の公家武家の風習には無く、江戸後期からの町衆の卑屈な(へりくだ)りの作法に過ぎない。

それが薩長明治政府が江戸の文化を否定したいが為に、京都の町衆の風習を大衆に奨励した事で全国に行き渡ってしまったのだ。


そしてこの夏に最も活躍してくれたのは道雄君だった。

通訳を務めているダンカン大佐の紹介で、ニューヨークの書肆から彼の訳した日本の俳句短歌の本が出版される事になったのだ。

以前ダンカン大佐が茶画詩庵に来た時に私の俳句を訳して聞かせてから、折々に日本の詩歌を英語詩にして聴かせていたのだ。

また大佐の夫人のティーパーティーなどでも日本の俳句短歌を訳し、その上に古伊万里の花瓶を贈って和風の華道まで紹介して気に入られていた。

四季の花を飾り時節の詩歌を味わうティーパーティーの高雅な趣きに、大佐よりも夫人やその友人達の方が惚れ込んでしまったようだ。

私もこの春に大佐夫妻が茶画詩庵を訪れた時に、江戸版の古華道の図解書と青磁の一輪挿しを贈った甲斐があった。

そんな経緯で今年中にも道雄君の俳句短歌の翻訳本が出版される運びとなったのだ。

これは来年から盛んになる日本国内での伝統文化排斥に対する強力な反撃となる。

欧米人が日本の俳句短歌の良さを理解していると言うだけで、あの論拠も何もない乱暴なだけの[第二芸術論]などたちまち吹き飛んでしまうだろう。


この話を聞きつけてつい最近鎌倉の隣の逗子に転居して来た堀口君が久しぶりに顔を見せ、蒲原先生も加わりカフェ浪漫主義で道雄君のお祝いをしてくれた。

これを刺激にまたこの三人が中心となり海外詩の日本語訳のレベルも上げて欲しい。

戦後は訳詩の方も口語訳一色となり、原作の韻律はまるで無視されるようになる。

要するに大衆化が即低俗化に繋がって行き、時間と金と才能を注ぎ込むような定形韻律の翻訳は淘汰されてしまう。

娯楽小説などの訳本ならそれも良いだろうが、詩はどこの国でもその民族の歴史文化の結晶なのだ。

ひいては口語の低俗な訳詩は、その国の文化に対する尊敬の念まで失わせてしまうだろう。

ギリシャの英雄叙事詩も中国の漢詩もシェークスピアの劇詩も、その格調高き響きこそが最も重要なのだ。

今回の道雄君がやった日本の詩歌の英語訳は、英語詩としての韻律の強弱もしっかり出来ている。

蒲原先生も残生は日本の古典詩歌の英訳に取り組んでみようかと言っていた。

そんな話で堀口君達三人の意気も上がり、次回は日夏君や西條君三好君らも呼んで訳詩家の大宴会をやろうと言う事になった。


俳句の方では虚子先生も疎開先から鎌倉に戻り、水原君と竜さんも張り切っていた。

虚子先生さえいれば俳句界は安心して見ていられる。

また戦後の俳壇では水原秋桜子門の結社誌[馬酔木]から、優秀な若手が沢山出て来る。

問題は短歌と詩で、戦前の作家達が皆亡くなったり隠居してしまい元気が無い。

我々の[季刊明星]が唯一気を吐いている状態で、未来の日本では伝統の和歌は廃れて前衛短歌とポップ短歌しか無くなるし、詩も文語定形詩は全滅し口語自由詩しか無くなる。

新しい短歌も新しい自由詩もそれはそれで結構なのだが、王道が廃れてしまった後の短歌人口は激減する運命なのだ。

伝統の和歌では江戸時代にも俳諧歌や狂歌や小唄が大衆の間で流行していたが、それも正統の高雅な和歌が常に中心にあってこそのバリエーションの豊かさだった。

残念ながら私も吉井さん谷崎君保田君も、揃いも揃って主催誌をやる気が無いのだ。

困った事に皆して西行や芭蕉のような隠者になりたい連中だった。

また宮中御歌所が廃止されたのも正統派の歌人達に取っては痛手だ。

こればかりは実作の質と歌論で示して行くしかないだろう。


そんな中で吉井さんが京都の古書店で見つけた頓阿の[草庵和歌集]の中世写本を送って来てくれた。

頓阿は鎌倉の二階堂氏の出で飛鳥井雅世や宗尊親王とも親しく、[草庵和歌集]は後々まで二条派の教科書になった名作だった。

思わずそれに読み耽っていて、三島君がやって来たのに気が付かなかった。

三島君には先に宗尊親王の歌書を入手した時に、ここ鎌倉での皇子将軍達の歌会の話をしていた。

その話に彼は大変興味を示し、それからは中世幽玄体についてかなり勉強したそうだ。

宗尊親王に次いで頓阿の歌書も入手出来たのには彼も驚き、後で読ませて欲しいと言う。

二階堂の名は今も鎌倉の地名に残っていて、丁度蒲原先生や久米君が住んでいる辺りだ。

頓阿や宗尊親王が歌会を開いていた永福寺の庭園跡も残っている。

そこを見に行った時に三島君は良い小説の構想が浮かび、もう書き出しているようだ。

[幽玄の皇子]と言う題で、中世鎌倉を舞台に京の貴人と東夷達の夢幻の歌苑(うたぞの)を描きたいらしい。

それは良い題材を見つけてくれた。

三島君ならこの上なく美しい中世の歌世界を描いてくれるだろう。

私も精一杯協力するので後世に残るような小説にして欲しいと、早速資料や私のアイデアも教え頓阿も先に読んで良いと彼に渡した。

また春に京都でやった吉井さん達との歌会が、この十月には鎌倉であるので彼も誘っておいた。

和歌の幽玄体は単独で読むとやや難解だが、歌会の流れと共に味わえれば理解し易いだろう。

京の雅に対して鎌倉の幽玄は好対照だ。

私もそれなりの席を設えたいと思っている。


三島君が帰った後に永井君の使いが来て、カフェ浪漫主義に何人か客が来ているので都合良ければ顔を見せてくれと言ってきた。

店に着くと蒲原先生、堀口君、道雄君、加えて何と西條八十と永井荷風が揃っていた。

別卓には日夏君、三好君にもう一人初対面の男性が座っている。

まずは堀口君が永井荷風を紹介してくれた。

西條君とは前に一度会っている。

四大訳詩集の著者のうち、亡き上田敏以外の三人が揃っていた。

そこに蒲原先生と日夏君三好君に道雄君が加わり、他の数名も含めて訳詩家の会と機関誌を作るそうだ。

また日本の古典文芸を海外に紹介する仕事にも取組むので、私にも協力して欲しいと言う話だった。

翻訳は彼らがやるので、私は訳すべき和歌俳句の原典の選をするようだ。

勿論私に否やは無い。

傍の卓に顔を向けると、三好君が同級生の仏文学者だと言って隣の男を紹介してくれた。

そして、この男こそ例の[第二芸術論]を出すK氏だった。

彼は今のところ瘴気に囚われている気配は無い。

もともとあの[第二芸術論]には理論立った考察は全く見えず、ただ愚かな不満をつらつら並べただけの本だったが、新しがりたい輩に大いに受けてしまったのだ。

西洋文化に比べて日本の伝統文化は古い、戦争に負けたのも日本的な古い考え方が悪かったのだ、従って日本は全て駄目でフランス文化西洋文化こそ正しいのだ。

反論するのも馬鹿らしくなる本だが、強いて言えば題が大衆に受けたのだろう。

私は

「朝比奈です。」

とだけ、盛大な神気を纏いながら挨拶しておいた。

彼はそうで無くとも永井荷風始め錚々たる先輩方の中で縮こまっていたのが、青い顔でますます俯き勝ちになってしまった。

一方で永井先生は大正浪漫風のカフェが大変気に入った様子で、卓の皆も楽しそうに盛り上がっている。

我がカフェ浪漫主義もようやく食材確保に不自由しなくなり、唐揚げ類とビールが山のように卓に運ばれていたのだ。

木暮さん達は笑顔でそれらの客の様子を眺めていた。

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