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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
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69 京と鎌倉

最後に吉井さんが飯尾宗祇の連歌切を、谷崎君は迷いに迷った挙句に菅茶山の漢詩軸二本と室町〜桃山頃の木彫の鹿を確保していた。

鹿は関西では春日大社の御遣いとして親しまれ、この木彫像にも神鹿としての気品がある。

私も目を付けていた物だったが、私にはやや高い値が付いていたのだ。

まあ谷崎君なら余裕で払える程度だろう。

店主に挨拶して出ようとすると

「残りの歌切も一括なら安くしておくが如何かな?」

そう言って店主が私を呼び止めた。

先程私が買った飛鳥井の短冊でさえかなり格安だった。

きっと京都周辺では中世美術はあまり人気が無いので、我々のような客を逃すと売れ残る懸念があるのだろう。

残りの懐紙短冊も二条や京極など公卿達の歌が多く、また書としても一級なのでこちらでも十分売れると思うのだが、店主は早く始末を付けたい様子だ。

「今は欧米人向けに色絵陶磁器が売れ筋ですから、そっちの費用にしたいんでしょう。」

また井上君が小声で教えてくれた。

そうだった。

今の情勢では日本人しか買わない古筆類の在庫は、商売人なら一刻も早く手放すのが賢い。

まとめての値段を聞くと、また思い切って値下げしてくれた。

これらの古筆は鎌倉の庵を飾るには申し分ない中世和歌のコレクションとなるだろう。

結局私はそれら全部を買う事にしたが、歌切が入っていた立派な金蒔絵の文箱短冊箱は付けてくれなかった。


夕方京都駅に着くと、今日の収穫物を早く家に帰って眺めたいと皆あっさり別れて行った。

川端君はしばらく京都の保田亭に滞在する予定だそうで、残された私と井上君で安宿に入った。

明日は東寺の骨董市が立つ日なので朝それを見てから鎌倉へ帰るつもりだ。

宿で荷物の整理をしながら井上君が京都の伝統文化が心配だと話し出した。

欧米のバイヤーの資金力は今の日本の業者ではとても立ち打ち出来ない。

元々円の価値がどん底に落ちている上に、今日本の客筋は美術品どころでは無い経済状況だった。

この数年で日本の貴重な古美術品の三割は海外に流出するだろう。

ただ私はそれを逆手に取って、欧米人も日本の伝統文化を認めて買い集めているのだと宣伝しようと思っている。

井上君にそう話すと、さすが朝比奈さんだと彼も笑っていた。


伝統ある東寺の骨董市は朝早くから開いている。

井上君はここで幕末から明治頃の輸出用の古伊万里や京焼の色絵陶磁器を買い集めた。

鎌倉の店で米軍兵が国へのお土産に良く買って行くのだ。

私は昨日で学んだ、こちらでは評価の低い中世仏教美術の小品を集めた。

多少痛みのある室町の木彫仏や密教法具が幾つも入手出来た。

その反対に茶道具や花器は関東より高めで、江戸後期の物でも手が出せない価格だった。

そしてこの京都行の最後の最後に、ぼろぼろの和綴本の山から宗尊(むねたか)親王の柳葉和歌集の中世写本が出て来た。

宗尊親王は鎌倉幕府の六代将軍で続古今集の幽玄体の大歌人であり、私の和歌の好みで言えば源実朝より宗尊親王の方が上だった。

鎌倉武士達に京の文化を伝え東国歌壇を開いたのは彼の功績で、北条氏や二階堂氏らからも格別に慕われていたそうだ。

その皇子将軍の幻の歌集が写本ながら見つかったのは、鎌倉の和歌史を知る者としては大収穫だった。

こうして我々は大荷物を抱えて午後の列車に乗り込んだ。

午後三時に出る列車でも、鎌倉に着くのは明日の朝になる。

それでも戦後復興で気軽に京都まで来られるようになったのは喜ばしい。

今度は保田君も鎌倉に来ると言っていたし、また楽しい歌会をやりたい。

詩歌の深い所で分かり合える雅友は、いつの時代でも得難い物なのだ。

保田君と川端君は戦前戦後を通じて仲が良いので、お互いの家を行き来するだけで東西の古都の四季を堪能出来る。

二人が競い合って戦後の日本の美を高めて行って欲しい。

ああ、そう言えば三島君も日本浪漫派だったから彼も一緒に楽しくやって行けるだろう。

帰ったら三島君にも今回の京都の歌会の話をしておこう。


春の夜は列車の中でも寒くはなく良く眠れた。

翌朝ようやく鎌倉に帰り着き荷物を解いていると、竜さんが顔を出し今日は恒例の文士句会だと言う。

鎌倉の桜も染井吉野はもうだいぶ散っているが、やや遅咲きの山桜は丁度今が満開だった。

我が庭の木花咲耶姫の山桜の見頃に合わせて、今日文士達が茶画詩庵に集まるそうだ。

それなら私も参加しない訳には行かない。

さっそく木花咲耶姫の祭壇を準備し、私も風呂で旅の垢を落とそう。

姫神の桜もこの二十年で更に大きくなり、ますます神気を宿すようになった。

京都の桜があくまで華麗典雅なのに対し、鎌倉の桜は雄渾幽玄な所が魅力だ。

特にこの古びた藁葺の茶画詩庵で見る夜桜はその趣きが強い。


宵近くなり文士諸君が集まって来た。

顔触れは竜さん、久米君、大佛君に今日から初参加の永井君と、仕事のついでと顔だけ出してすぐに消えてしまった菊池君だった。

宵の灯が点るまで茶菓でくつろぎ、その間にも句帳に書き込んでいる者もいる。

皆の話題はこの頃の雑誌の売れ行きの良さで、戦時中娯楽に飢えていた人々が回し読みまでして楽しんでいると言う。

そこに久米が浮かない声で、自分は売れても所詮娯楽小説しか書けないのだと、例の微苦笑を浮かべながら呟いていた。

大佛君も今だに鞍馬天狗の看板を背負わされ大衆向けの時代小説ばかり書いていると嘆く。

それに対しまた久米君が、看板があるだけ幸せで俺なんか何も無いと返す。

まあ、この二人は超売れっ子作家だから贅沢な悩みだ。

そして二人して、だから句会の時だけは芸術家になれるんだと意気投合していた。

竜さんも笑いながらそこに加わっている。

永井君も傍らで盛んに頷いていた。


やがて宵闇が迫り、透音さんが献灯の用意が出来たと呼びに来た。

皆で木花咲耶姫の祠の前に並び榊と灯明を捧げ、今回は初見参の永井君に御神酒を献じて貰った。

朧の宵闇に包まれた山桜が灯明に仄白く浮かび上がる。

この幽玄さは京都には無い鎌倉ならではの物だ。

簡素な祠に神気が集まり、女神と花の精達の姿がうっすらと見え出した。

そして今夜の女神達は輪になりながら天空に舞い消えて行った。

この光景は私も初めてだった。

我々敗戦にも関わらず、皆変わり無い心でいる事を喜んでいるのだろう。


一同座敷に戻り句会が始まった。

永井君も句会の経験があるようで、出句の折も堂々としていた。

結果今日の最高点は

[春燈や文士集へば嘆き合ひ] 龍雄

図らずも先程の情景をそのまま詠んだ、永井君の句だった。

「実に哀愁を感じるよね。」

久米君は人情物に弱い。

「“春燈”が明るからず暗からずで、ほのぼのしていますね。」

「文士は皆哀しみを背負って生きるんだよ。」

まあ、自己憐憫も小説の大事な要素だ。

普段からあまり表情を変えない永井君も、先輩方から褒められて嬉しそうだ。

他は皆仲良く並んで同点だった。

[原稿に鶯餅の粉付けて] 次郎

[山吹を浸せる水の又迅(はや)く] 正雄

[花屑に座りし猫の震へをり] 竜

[花吹雪浮世の人と逸れけり] 新之助

それぞれ結構良い出来だ。

文士句会は点数に関係なく楽しいのは、さっき久米君達の言った通り売行きを考えずに好きな句を詠める所だ。

また上手い句が高点になるとは限らない。

今日の永井君の句が良い例で、選者達の捻くれた気持ちを上手く掴んだ者が勝つ。


「永井君もこれからどんどん小説を書いて行くんだろ?」

「そうそう!戦前に出した短編集は良かったよ。」

「ええ、出来ればそうありたいと思いますが、なかなか食うのに精一杯で。」

「これからは小説も娯楽雑誌ももっと売れるような時代が来るよ。」

「君はいつも原稿を催促する側だったから、今後は催促される側に立ってみると良い。」

「あっはっは!彼は絶対締切に遅れない作家になるだろうな!」

京都の高雅な歌会に比べて鎌倉の文士句会は………まあ風狂ではある。

虚子先生が疎開から帰って来ればまた違うのだが、この文士句会の面白さは他では味わえない。

そもそも俳諧は和歌から派生した帰俗の文芸だからこれも良しだ。

小説等を書くのとは違い、俳句や和歌は普通の暮しの中に溶け込んで日々楽しむ物だ。

何より普段の小説の執筆は皆一人孤独にやっている連中が、句会では心置き無く語り合える雅友達が集まって楽しめるのだ。

彼らの人生の潤いのためにも、この鎌倉文士句会は欠かせない物となっていた。

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