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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
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66 不滅の日本美

昭和二十年十二月、ついに我々の[季刊明星]が発刊した。

初版部数こそ千部と少ないものの新聞各紙や文芸雑誌には広告を出せるだけ出し、また永井君や執筆者それぞれの伝で各雑誌にも書評を頼みまくっておいたのだ。

宣伝文は蒲原先生が考えてくれた「美よ甦れ!」だった。

それらの甲斐あって何と発売後三日で完売した。

知識層は勿論、娯楽に飢えた民衆にまで受けたようだ。

残念ながら用紙不足で重版は出せないが、来年の春に予定している第二号の注文が殺到している。

私は各方面への挨拶状や連絡に追われまた初号は先ず女神像の御前に奉納と思い、本にじっくり目を通せたのは完売の知らせの後だった。

本が届いた時にその表紙を見て

「ほう、嘗ての明星の雰囲気を良く継いでいるよ。特にこの浪漫主義的な表紙絵は上出来だ!」

と言った事は覚えているが、そのまま即女神に奉納して画家の名をまだ見ていなかったのだ。

今その名を表紙裏に見付けて、びっくりしてしまった。

「表紙絵 菅原道雄」

そう言えば女神に奉納する時に彼も隣にいて、やけに嬉しそうにしていた。

去年からは翻訳の仕事も無く部屋に篭っていた中で、こっそり絵の修行をしていたらしい。

考えて見れば道雄君の好きな英国の詩人達はまた、ロセッティもモリスもブレイクも皆して画家でもあった。

彼が絵に憧れるのも当たり前だろうが、ここまで画才があるとはね。

そして蒲原先生の序文の大意は、「自然と共にある日本の美しい暮しは未来永劫甦る!」と高らかに謳い上げていた。

次いで各氏の句歌詩文には、困難な時ほど美しい心を失うなと言う力強い想いが込められていて感動的だった。

世間では歌人より思想家だと思われている保田君が、その歌文の中で

「勝敗は兵家(ひょうけ)の常、風雅の士こそ永らはめ」

と、独特の語り口で述べているのが頼もしいと言うより安心した。

予め皆には極力政治や思想色を抑え四季の美的生活に焦点を絞って欲しいと頼んであったのだが、皆私の期待以上にその意図を汲んでくれて永久不変の自然美と不易なる日々の心情を描いている。

そして肝心の詩句歌は永井君が言っていた通り近年稀に見る力作揃いで、全員に共通しているのは美しき日本語の詞華雅言を競うように駆使している所だった。


元々和歌や俳句など日本の詩歌は、身辺の自然や日常の茶飯事の中に聖性を見い出すのに適した様式だ。

戦争が終われば一般の人々もまた落ち着いて身の回りに目が向くようになる。

敗戦後の困窮時だからこそ、返って美しい風土に根差した質素な暮らしの良さを見直す事にも繋がるだろう。

川端君の茶画詩庵をモデルにした連載は短編小説の趣向で、透音さんをヒロインにした茶屋物語だった。

元々武神の巫女、神鈴の舞姫と謳われた彼女が、鎌倉の小さな茶屋を切盛りして行く話だった。

戦前戦中の困難な時代を慎ましく美しく生き抜くヒロインは、いかにも世間の御婦人方に人気の出そうな設定だ。

私は菓子作りと短歌だけはうまい道楽亭主として登場していた。

茶屋の日常の淡々とした営みの中にも鎌倉の四季の美しさがしっかり描かれ、床飾りや活花に工夫を凝らし客と詩歌を語る賢夫人像だ。

日本の伝統的な暮らしの良さが川端君お得意の耽美な文体で描かれた名随筆だろう。


年末までには各新聞雑誌に[季刊明星]の書評が次々に載り、三日で完売と言う結果も含めて予想以上に好評を博していた。

特に短くて読み易い俳句短歌はあちこちで紹介され好評で、この調子なら国民が落ち着いて平和な暮しを取り戻す光明にもなれそうだ。

進駐軍は軍事施設の接収に次いで放送局や新聞雑誌社を監督下に置いたが、中小の出版社は内容は検閲されるが文芸出版物が禁止された訳では無い。

政治思想面にさえ気をつけていれば、[季刊明星]の第二号三号と出して行ける目処も付いた。

私は早速執筆者全員に初号の報告と次号の予定の手紙を書いて送った。


正月には京都から吉井さんが鎌倉に来た。

一緒に与謝野さんの墓前に新しい[明星]を見せに行こうと約束していたのだ。

鎌倉から与謝野さんが眠る多摩霊園までの往復は一日掛かりなので、吉井さんは今日は茶画詩庵に泊まって貰う。

そこに竜さん大佛君に蒲原先生も来て久しぶりに瘴気祓いの頃の面々が集まり、嬉しい正月となった。

勿論透音さんに道雄君もいる。

大佛君は神猫の白妙も連れて来て、女神像の前に毛布と畳鰯を設えていた。

神猫だけあって白妙には些かの衰えも見えない。

己が領土である鎌倉大仏方面を、もう二十年以上しっかり守っているのだ。

しばらく昔話で盛り上がった頃、川端君が顔を出した。

吉井さんに京都の状況を聞きたいそうだ。

川端君はこの四月からの新聞の新連載が決まり、京都を舞台にした小説の構想を練っていると言う。

京都は戦災には遭わなかったが、敗戦後の観光業や文化産業はかなり苦しいらしい。

その中で吉井さんや谷崎さんの今回の短歌は京都人にも大変評判が良く、日本の伝統文化復興の気運を盛り上げてくれと周りからも激励されているそうだ。

話が去年の秋の古書画漁りになると、川端君が春には是非自分も行きたい、どうせ小説の下見に行くつもりだったので一緒に連れて行けと言う。

川端君なら我々も大歓迎だ。

彼が作家として日本美を生涯のテーマにするなら、京都の古寺や古美術の研修は必ず役に立つ。

雑誌の二号が出た後の三月下旬頃、京都の桜を共にゆっくり楽しもうと決まった。


翌日の多摩霊園には冬麗の雲一つなく澄んだ青空が広がっていた。

私と吉井さんは持って来た[季刊明星]初号を墓前に広げ、掲載の各作家の詩歌を一人一つづつ詠み上げ晶子さんに聴いてもらった。

私には晶子さんが

「良い表紙じゃない!」

と言うのが確かに聞こえた。

全員の作品を詠んだのに、彼女には表紙絵が一番お気に召したようだ。

帰ったら道雄君に話してあげよう。

吉井さんは長い時間黙祷している。

きっとお互い若かった頃の[明星]を語り合っているのだろう。

そして後ろに控えていた私に

「与謝野さんがとても褒めてくれたよ!昔はこんなに人を褒めた事は無かったのに、心から喜んでいた。」

「有難う御座います。明星の名を辱めないよう、次号も頑張りましょう!」

「ああ、私も京都の良さを詠みまくってやろうと思っているんだ。また春に会おう。」

「昨夜は皆吉井さんの元気な姿を見て喜んでいましたよ。御足労様でした。」

吉井さんは東京に幾つか用事があるそうで、我々はそこで別れた。


年明けから先ず新聞の文化欄あたりで、日本人の古い考え方を改めるべきだと言う論調が出始めた。

きっかけは進駐軍の中枢部による戦時中の行き過ぎた国家神道を指摘する発言だった。

彼らには集団狂気としか思えないあの特攻戦術は、狂信的な宗教心から出た物と結論付けたのだ。

公式な発言では無いものの、支配者の意向を過剰に読み取るのは日本人の性だ。

私が知る未来の日本では日本人自らが伝統の日本文化撲滅に動き出す。

あるいは自分の上司や先輩に取って代わろうとする輩が、古い思考を全て悪と決めつけ過去を糾弾し始めるのだ。

だがそうした連中もまだ様子見の段階に見える。

未来の日本のようにここで文化人達が元気を無くし隙を晒せば、伝統を否定する西洋かぶれの連中ばかりがのさばり、日本人は高貴な魂を失いただただ拝金に走るだけになる。

それだけは避けたい。

吉井さんと電車の中で話していたのは、自然美や詩的生活の良ささえ読者諸賢に伝われば敢えて伝統否定派を攻撃する必要も無いだろうと言う事だった。

一般大衆はその時々でどちらにも付く。

問題は伝統文化の指導者層が如何に自信を無くさず良い作品を世に出し続けられるかだ。

更には書評や理論武装を優れた批評家に頼む事も重要だろう。

次号ではそんな評論家も加えたいと思った。

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