63 敗戦直後
鎌倉文士達も当面の仕事が延期や中止となり、八月中は暇になったと毎日のように茶画詩庵にやって来る。
その中に菊池君が一人の若者を連れて来た。
「うちの社も少し暇になったんで、この腕利きの編集者を貸してやろう。永井龍男君だ!」
永井君は戦前は主に文芸春秋社の敏腕編集者で、戦後は小説家として一流になる人だ。
しかも鎌倉在住で俳句好きの人だから私もいつか会えるだろうと思っていたのだが、これまでは菊池君の社で忙しくこき使われていたようだ。
「朝比奈です。今企画している[季刊 明星]を手伝って頂けるなら助かります。」
「お噂はかねがね伺っています。宜しくお願いします。永井です。」
彼は川端君らとはすでに知り合いだったようで、すぐに茶画詩庵の面々とも打ち解けた。
「この雑誌の趣旨は敗戦で自信を無くした国民達に、日本の伝統文化と暮しの美しさを取り戻して貰おうと言う物です。今後はおそらく日本の文化は駄目だ、西洋文化に切り替えろ、と言う輩がわんさか出て来るでしょう。それに対抗していち早く先手を打ちたい!」
「ああ、それは僕も予想していましたよ。」
「印刷所と用紙は確保してあります。紙は潤沢とは言えませんので、先ずは短歌俳句と詩を中心に据えれば薄い雑誌でも文化的内容を高く保てると思います。」
「ほお、それは大した先見の明ですね!それなら僕のやる事も殆ど済んでいるような物ですよ。」
「後はこんな世情ですから販売や宣伝は私では難しいかと思っていたのですが、永井君なら安心して任せられそうだ。」
「その辺は僕や文芸春秋社の伝で何とかしてみましょう。」
「心配するな、彼はうちの社のエースだぞ!皆も有り難く思えよ!わっはっは!!!」
菊池君はこの二年後に文芸報国会を主導した罪で公職追放を受け、永井くんもそれに連座して職を失ってしまう。
だが永井君がこの雑誌と共に歩めれば、その失意もだいぶ軽減出来るだろう。
「あの与謝野さんの[明星]の名を継ぐのです。表紙は是非とも抒情と浪漫に溢れた意匠にして下さい。」
「はい、任せて下さい!僕も[明星]には憧れていましたから、その名を継げるとは光栄ですよ!」
「初号は出来るだけ年内に、そして二号は来年の早春に出したいので宜しくお願いします。」
我々の勝負の時は西洋かぶれの輩がまだ大勢を伺っている昭和二十一年の内だと思っている。
二十二年には日本の古い物は全て駄目だと言う奴らの論調が巷に溢れて出て、色々な分野で伝統派を追落とし主導権を握ってしまう。
挙げ句の果てに日本人は文化はおろか伝統の生活まで捨てて、衣食住全てが国籍不明の似非西洋風となって行く。
文化も宗教も哲学も無くせば、あとは拝金主義しか残らないのだ。
今の知識人達が百年後の令和日本の有り様を見れば、地獄の亡者達の世に思えるだろう。
せめてここ鎌倉だけでも古き良き自然の風土と共にある美しき暮しを残したい。
その為にはこの敗戦後一年間の世論の動向が鍵となる。
今は魂の抜け殻となっている日本の知識層に日本美の良さを再認識して貰い、伝統文化への自信と愛情を速やかに取り戻させるのだ。
宗教面でも強制的で行き過ぎた国家神道では無く、生活の中自然の中の小さな神々への親しみを取り戻す好機でもある。
そこからまた竜さんのように新しい日本の浪漫主義やファンタジーも芽生えて来るだろう。
そして九月になり蒲原先生が鎌倉へ帰って来るとの知らせが届いた。
蒲原先生の旧邸には今川端君が住んでいるので、川端には茶画詩庵の隣の山本さんから買い取った家に入らないかと申し出たところ喜んで承諾してくれた。
彼は数年後には由比ヶ浜の方に立派な邸宅を造るのだが、本来はそれまで二階堂の蒲原先生の所で共同生活をしていた筈なのだ。
茶画詩庵の女神の庭を心底気に入っている彼だから、ここには喜んで移って来ると思う。
川端君が自宅を建てた後には道雄君が結婚でもしたら入居してもらえば良いと思っている。
川端君は早速一週間後にリアカーを引いて引っ越して来た。
その次の日は鎌倉文士が集まって引越し祝いとなった。
私も隠匿してある酒を惜しまず提供して、後のノーベル文学賞の大作家の再出発を祝った。
彼のこの庵での生活は今度の雑誌に書いてくれる随筆の良い取材になるだろうし、何よりその後の彼の生涯のテーマとなる「美しい日本」を掘り下げるにも打って付けの環境だろう。
また彼の家の床の間飾りに使うなら、いつでも我が庵の古書画を貸し出す事にした。
ここに住んでいるうちに古美術の勉強もして作品に生かして貰えば、日本の伝統美を守って行く為にも大きな影響力を発揮してくれるだろう。
女神の庭の小菊の盛りのある日、ふと見ると蒲原先生が玉依姫のやぐらに参拝していた。
先生が何の前触れも無く女神像の前に現れるのは二十年前と変わっていない。
私は懐かしさに涙が出る思いだった。
「先生、良くご無事で!」
「おお、朝比奈君。だいぶ貫禄が出てきたのう!」
手紙のやり取りは頻繁にあったが、直に恩師の姿を見るのは何年振りだろうか。
「玉依姫様も鎌倉も戦災を免れて良かった!その変わらぬ御姿を一刻も早く見たかったんじゃ。」
「大佛君も皆も元気でやっていますよ。茶画詩庵も姫神の加護のお陰で何とか生き延びています。さあ、中へどうぞ!」
「ようやく懐かしの抹茶奥麗が飲めるな!」
「はっはっは!猫八幡も笑顔でお出迎えしますよ!」
座敷にはすぐに達さん川端君道雄君が挨拶に出て来た。
透音さんが抹茶奥麗と猫八幡を皆に運んでくれる。
やがて大佛君もやって来て秋風の縁側の障子を開け放ち、明るい陽射しの菊花の茶宴となった。
皆の積もる話で、秋の宴は夕月が出るまであっという間に過ぎて行った。
九月末には文士達や出版業界も少しは先行きが見えて来たようだ。
久米君が東京の様子を見に行った帰りに庵に寄っていろいろ教えてくれた。
東京が丸焼けになってからはもう半年以上が過ぎ、今は復興に向けての計画が次々と打ち出されている。
流通機能も最低限は持ち直し、焦土の上にはバラックの仮店舗が増えているそうだ。
私がこの世に移転した関東大震災直後の様子と同じように、人々は逞しく生活を再建して行くだろう。
ただ二度と戻らぬ物も多く、敗戦前より悪くなる物もまた多いのだ。
多分あの三月十日の東京の空高くまで渦巻いていた瘴気は決して消えたのでは無く、小さく分裂して多くの人々の心に邪念となり残っている事だろう。
その邪念が戦勝国アメリカには向かず日本の古い体質批判に向かう。
今後は日本人自らが日本文化を破壊し、物質主義の欧米賛美へと変わって行くのだ。
敗戦からひと月余り経ち鎌倉の人々の暮らしもやや平常を取り戻して来た。
だが食糧は今も配給制が続き、残念ながら浪漫亭の再開はもう少し先になる。
茶画詩庵の備蓄はあと一年分はたっぷりあるから、戦中戦後も変わらず通常通り営業を続けられる。
雑誌の方は永井君と言う頼もしい編集者が来てくれたので、私はこれから京都での戦後の経済混乱で放出されるであろう古書画や伝統美術品集めに専念しよう。
吉井さんへ京都の状況を問い合わせた返事が届き、思った通り旧家から大量の古書画骨董類が売り出されているようだった。
購入の最大の好機は決算期で処分された物が出回って来る年明けから三月頃になるはずだが、その前に予算のおおよその下見をしておきたい。
京都の文化財もこの時期にみな二束三文でアメリカに渡ってしまうのだ。
我々の雑誌の初号が出る前に一度京都に行く事にした。




