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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
54/79

54 昭和十二年

二二六事件後の日本は急速に軍事色を強め、この昭和十二年の夏には日中戦争に突入する。

経済統制と戦時インフレが酷くなるのはもう少し先の昭和十四年からで、我が鎌倉はまだ伸び伸びした雰囲気が残っていた。

恐慌後の昭和九年には残念な事に吉井さんが伯爵家のスキャンダルで降爵され、鎌倉を去り土佐に隠棲してしまったのだ。

蒲原先生に続き大事な人が鎌倉から居なくなるのは本当に寂しいが、手紙での文芸のやり取りは返って頻繁になったかもしれない。

しかし彼の歌風は放浪隠棲の中で一層深みを増しており、来年は京都の洛北に庵を編むはずだから、その頃に機会があれば京都に訪ねて行きたい。


この春の鎌倉は軍服姿が目立つようになったものの、元々横須賀海軍基地の軍人達は武神である鶴ヶ丘八幡宮へは良く参拝に訪れていたから、地元市民達にさしたる動揺も無く茶画詩庵もカフェ浪漫主義も通常の営業を続けている。

何度かカフェで粋がった若い軍人が壁画の英語や洋書棚にいちゃもんをつけて来たが、酒を出す店では良くある事で木暮さんも難なく対処してくれた。

ここは横須賀海軍のお偉方お気に入りの店だと言えば、そんな連中も尻尾を巻いて大人しくするしか無いだろう。

海軍と言えばお隣りの山村さんの奥さんが寄る歳波のせいか伏せりがちの所に、今は外務省からの出向で海軍将校になっている息子さんが隠居所を建ててくれたので、その横須賀の方へ移るそうだ。

ついてはこの鎌倉の家を買う気はないかと言うので、その百五十坪ほどの土地家屋を喜んで買わせて貰う事にした。

彼の息子さんの所には家政婦もいるから奥さんの看病の人手はあるが、息子に迷惑をかけない程度の老後資金は必要だったから助かると言っていた。

山村さんの家も草庵風の造りで佇まいは茶画詩庵とも調和し、女神のやぐらがある我家の裏山は当然お隣りまで続いていてその浄域も及んでいる。

そもそも今後極度の戦時インフレが進む事を考えれば、現金資産を土地に変えておくのは悪くないとは思っていた。

私はさっそく植達さんに頼み、隣りを茶画詩庵と続きの庭にして貰う事にした。

元々手入れの行き届いた和風の庭だったから、垣根を取り払い多少の手を加えるだけで済む。

建物の方は今のままで十分使えるから、どう使うか決まってから内装などを考えれば良いだろう。

この土地を買っても戦前の土地価格は驚くほど低かったから、例の株で儲けた資金はまだたっぷり残っている。

統制経済でやがては配給でしか手に入らなくなる物資を予め買い溜めるにしても、食料品はそう大した金額にはならない。

他に何か良い投資先は無いものか。


私には資産運用の良案など浮かぶ筈も無く、取り敢えず店用の物資貯蔵と隠匿のため納屋の改築と秘密の地下倉庫を作ろうと決めた。

例の顔馴染みの大工の親方も上手く恐慌を乗り越え、今では立派な工務店の社長になっている。

恐慌時に私のアドバイスで損害を免れたと恩義を感じているらしく、茶画詩庵の毎回半端な仕事も喜んで引き受けてくれた。

ついでにその足で顔役の田端さんの所へ寄り、地元鎌倉で何か良い投資先は無いか聞いてみた。

そんな美味い儲け話があればとっくに自分がやっていると笑いながら、由比ヶ浜通りの古道具屋の息子が古美術方面に進出するのに出資者を探していると教えてくれた。

真面目で見所のある若者だと言うので、一度会ってみる事にした。

数日後に茶画詩庵を訪ねて来たその青年は以前から何度も客としてここに来ていて、我が庵の床飾りに啓発されて古美術の勉強を始めたのだと言う。

名は井上君と言い田端さんの言う通り真面目で向学心もあり、鑑識のセンスも良いようだ。

今後の日本はしばらくインフレが続くが、市民の生活は次第に困窮し物は売れなくなって行く。

ただその中でも裕福層に向けては国粋主義的な書画や置物だけは人気があり、まだ数年は売れ続ける。

日本の古書画骨董類は敗戦で大暴落するので、商売なら今は下手に手を出さない方が良い。

それより私の最大の狙いは当時日本の併合下でまだ評価の低かった李朝初期から中期頃の陶磁器だ。

現地ではただの古びた雑器としか扱われていない皿碗壺類と文房水滴、儒教に押されて捨て置かれている仏教美術品は今が仕入れのチャンスだった。

彼に聞くと朝鮮半島に買い出しに行くのは自分の夢でもあると言うので、私は幾つかの条件とアドバイスを付けて出資に応じる事にした。

店舗は今の古道具屋の一画を改装する予定だから心配無いそうで、出資額は仕入れ資金と朝鮮半島への旅費だけだった。

我ながら土地や株の事にしか目が行かず、地元の若い人材への投資は盲点だった。

田端さんに聞いて良かったと思う。

これでもまだ手持ちの資金は大して減っていない。

現金や証券類は全て、やがて来る敗戦で紙屑と化すのだ。

かと言って使う予定も無い土地を買うのも、未来で悪名高かった土地転がしのようで気が引ける。

知り合いの文士達が貧窮に喘いでいるならいくらでも援助したいが、彼らは茶画詩庵より余程高収入の連中だからね。

そう言えばあの菊池寛も困っていそうな作家には無理矢理にでも金を持たせるので有名だった。

帝大卒業したての頃の川端君なんかは結構その恩恵を受けた一人だった。

あとは他に良さそうな投資先が無ければ、金塊で持っている位しか知恵が浮かばない。

株で儲けた時にも円安が進む前にその半分は金塊にしておいたが、敗戦後すぐ日本の古美術や文化財が二束三文でアメリカに買われて行くのを少しでも阻止するなら、残りの現金もやはり土地より即時換金出来る金塊が良いだろう。


そしてその川端君が鎌倉に転居して来た。

もう少し後から文壇で活躍する林房雄や永井龍男もこの頃に鎌倉の住人となっている。

川端君の新居はあの蒲原先生の二階堂の貸家だ。

転居早々に茶画詩庵に挨拶に来てそのまま常連客となった。

この小さな茶屋は彼の好みにぴったりらしく、また酒の飲めない彼に取ってはお(あつら)えの寛ぎの場所になる。

次に来た時には二人の連れがいて、私も写真で知っている中原中也と小林秀雄が一緒だった。

川端君と小林秀雄は共に文芸誌『文學界』を創刊した仲で、その小林秀雄と中原中也は大の親友で近頃鎌倉の住人となっていた。

ああそして………確か中原中也はこの年の晩秋に病没してしまうのだ。

私は未来の知識でわかってはいるものの、彼はすでにこの時点で病魔に冒されていてもうどうしようも無い。

せめて玉依姫の加護あれかしと一同を女神のやぐらに案内した。

中原君はやぐらの浄域に打たれたように女神の前に蹲り、長い間頭を垂れている。

小林君にはどうやら神気は感じ取れない様子だった。

私は精々我が庵で一番良い桃山古唐津の抹茶碗で彼等をもてなし、紫陽花の咲き出した初夏の庭で帰りを見送った。


翌朝我が日課となっている玉ノ井での洗顔と玉依姫への挨拶を終え戻ろうとした所に、何と中原君が立っていた。

「姫神さまに僕の詩を読んで欲しくて持って来たんだ。良いかな?」

その手にはあの幻の名詩集『山羊の歌』がある。

「ああ、勿論良いとも!玉依姫は詩歌が大好きなんだよ。ちょっと待ってて。」

私は庵から供物盆を持って来て神前に置いた。

彼は詩集をその盆上に供え、長い祈りに入った。

私はその脇に燭明を灯し彼と共に手を合わせた。

庭に爽風がそよぎ、山からは夏鶯の声が聴こえる。

初夏の光は女神像とこの天才詩人を祝福するかのように降り注いでいた。

「有難う!その本は置いて行くから、良かったら読んでくれ。」

「おおそうか、嬉しいよ!実は欲しくて書店に頼んでいたんだがなかなか見つからなくてね!」

「へえ、知っててくれたのか。」

「君と宮沢賢治は良く知っているよ!」

「そりゃあ奇特な人がいたもんだ。あっはっは!」

「はっはっは!」

そしてそれが元気な彼と話せた最後の機会だった。


その日の昼にはまた川端君が食事に来て、久しぶりにやって来た大佛君と出会(でくわ)した。

二人は同じ帝大卒で歳も近いためすぐに親しくなり、やがて戦後まで鎌倉文士の代表として共に活躍して行く。

大佛君の方は鞍馬天狗の人気で執筆依頼が殺到してかなり忙しそうで、最近は横浜のホテルに缶詰め状態で書きまくっているとの事だ。

私はふと気になって、あまり見かけなくなった神猫の白妙の事を聞いてみた。

すると白妙は彼も知らないうちに何処かで子猫を産んで来て、今はその子猫を連れ大仏付近の大ボスに君臨しているそうだ。

そして近頃また増えて来た人家周辺に出る小さな瘴気を、神猫親子で片端から祓っているらしい。

さすが白妙の子、是非今度その子に会いに行きたい!


我家の長男も満五歳になり、端午の節句とお宮参りの時に親子三人めかし込んだ写真を撮った。

結婚式の写真を撮ってもらった安藤さんが洒落た写真館を鎌倉に開店したのだ。

鎌倉には写真好きの人も多く、すでにそこを拠点にした写友會も出来ている。

久米君と大佛君もその会員となっていて、なかなか盛況の様子だった。

私は以前から彼には古き良き鎌倉の景観を後世に残すよう依頼してあり、彼自身も自分のライフワークとして意気揚々と取り組み普段から街を撮り歩いている。


そしてこの年の最大の懸念だった道雄君の、横須賀海軍基地の英米文書翻訳係への採用が決まった。

強制徴集され外地に送られるより前に、海軍関係の伝手を頼り横須賀の勤務に志願していたのだ。

専門技能職としての勤務だから待遇も悪くなく、鎌倉からの通勤時間も読書に当てられるので彼には好都合だった。

長くても三四年勤めれば済み、太平洋戦争の酷くなる前には除隊出来るだろう。

ああ、言い遅れたが先年に菅原道雄訳の力作『シェークスピア戯曲全集』全五巻が完結したのだ。

対英感情があまりに悪化する以前に出せて良かった。

評判はこれ以上無いほど上々で、これを読まずして知識人と呼ぶなかれと言われる程だった。

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