51 恐慌前の日々
蒲原先生は二日ほど鎌倉に泊まるそうで、今日は貸家にしてある二階堂の旧居や知人達を訪ねている。
その間は道雄君が先生のお世話をしながら、英国浪漫派の訳詩について色々教えをうけていた。
そして先生が静岡に帰った後しばらくして、道雄君宛に大量の洋書が届いた。
シスタークリスの教会経由で割安で英書を購入して貰えたらしいが、この量ではきっと『イエーツ訳詩集』の原稿料のほぼ全てを注ぎ込んだのだろう。
茶画詩庵の給金が別にあるからそれで良いと思う。
もう英文学に関しては私より遥かに詳しくなっている。
若者の成長の速さは恐ろしい物だ。
彼はまだ私を師匠と呼んでいるが、最近では翻訳後の文語定形について多少アドバイスする程度で、訳詩のほとんどを自分一人で出来るようになっていた。
またカフェ浪漫主義に良く来るようになった堀口君とは随分と仲良くしていて、来月は彼主催の雑誌に寄稿もするようだ。
そして女神の庭に牡丹が咲く頃、竜さんの家族が鎌倉に移って来た。
奥方の文さんも以前一目見てからここを気に入って、子供達が小学校に上がる前には鎌倉に落ち着きたいと言っていた。
荷物や家財は少しづつ運んであったので引越しも楽に終わり、夕方には久米君と菊池君も駆けつけてさっそく転居祝いの宴となった。
この三人組は一高時代からの親友だし久米君は数年前から鎌倉の住人だから、今後は家族ぐるみで仲良く行き来出来る。
竜さんとしては二人には事件後の偽の葬儀から遺族の面倒まで大きな借りがあるので今日は頭を下げ通しだ。
私もようやく肩の荷が一つ下ろせた気分だった。
牡丹が終われば鎌倉のあちこちの水辺にあやめが咲き出す。
そして春の俳句短歌対決の記事が載った文芸誌が出ると、大佛君がわざわざ掲載誌を私と竜さんに持って来てくれた。
今日は神猫の白妙も一緒に散歩がてら寄ったそうだが、彼も自分の書いた記事の評判が良くてご機嫌だった。
読むとまるで剣豪同士の対決のような緊迫した描写で、また選者達の評の言葉が実に詩的かつわかりやすく書かれている。
竜さんの活躍が古豪の吉井さん与謝野さんに挑む若武者の雰囲気で描かれていて面白い。
大佛君には私の事は出来るだけ目立たず地味な、謎の人物像に仕立ててくれとお願いしておいたのを聞いてくれていた。
そしてその謎めいた書き方も、返って話の深みが増して好評だそうだ。
鞍馬天狗で謎の剣士の描写などは得意技だから彼にはお手の物だったろう。
大佛君は『鞍馬天狗』に続いて『赤穂浪士』が大ヒットとなり、今や時代小説では第一人者と目されている人気作家なのだ。
この観戦記で竜さんこと竜田川涼は新鋭のファンタジー小説家だけでは無く、ホトトギス期待の俳人として俳壇にも認知された事になる。
彼は芥川龍之介の頃から本当は詩人になりたかったと語っていたから、当人は大喜びで早速雑誌を持って虚子庵へ報告に駆けて行った。
鎌倉文士達が大いに活躍してくれる事は、ここを文士詩人達の楽園にすると言う私の夢にも近づく事だ。
女神の庭では杜若が楚々たる姿を見せ、玉ノ井の小流れには毎日小鳥が水浴びに来ている。
こんな日の庭は殊に浄光に溢れ、鳥達の声も楽しげに聴こえる。
この平穏がいつまでも続いて欲しい物だが………。
真夏の鎌倉は東京よりはだいぶ過ごし易かったが、盂蘭盆の後に秋風が吹き出すとさすがにほっとする。
九月に入ってすぐ、我が庵に透音さんがその御尊父と共にやって来た。
私と飛鳥井さんは前に一度遠目に会った事はあるが言葉を交わすのは初めてだった。
挨拶が済むや否や飛鳥井さんが頭を下げ
「朝比奈君、頼む!うちの娘を娶ってやってはくれんか!」
………………えっ?
「吉井さんや他の人達から君の評判は聞いている。今年から始めたレストランも今や鎌倉の人気店だ。君も身の固め時だろう?」
「いや、その、透音さんには大変お世話になって………」
「そうだろう?うちの娘は何の役にでも立つんだ!」
最初は気が動転したがだんだん事情が読めて来た。
朝子さんや同級生達が次々と結婚して、親としては透音さんの行き遅れが心配になって来たようだ。
私の事は耳にはしていたようで、詩歌人や小さな茶屋の主人では娘を嫁にはやれないが、高級レストランのオーナーなら文句は無い、と言った所か。
しかし考えてみれば私の方も透音さんには悪い事をしたと思う。
茶画詩庵とカフェ浪漫主義を恐慌から守る事ばかりに気を取られ、なかなか彼女の事を気に掛けてやれなかった。
彼女は見た目が若いから、もう結婚適齢期を過ぎる歳だとは全く思わなかったのだ。
「透音さんはそれで良いの?」
「はい!もう震災からこの身を助けて頂いた時から決めていました!!」
それは嬉しそうに頬を染めながらもはっきりと言ってくれた。
「ではこのお話し、謹んでお受けいたします!どうぞ宜しくお願いいたします。」
と二人に頭を下げた。
「いやあ良かった良かった!式はいつでも構わんから早めに籍だけは入れてやってくれ。頼んだぞ!」
「はい、ご心配なく。あとは我々にお任せください。」
「そうか、では二人に任せよう。これで家内にも面目が立つよ。あっはっは!」
「お父様、有難う御座います!」
「わざわざお越し頂き、有難う御座いました。」
私が頭を上げるともう飛鳥井さんの背は遠ざかっていた。
きっと御母堂にも一刻も早く知らせたいのだろう。
という訳で、何だかあっという間私と透音さんの結婚が決まってしまった。
気が付けば御尊父にお茶も出す閑も無かったな。
「透音さん、有難う!」
「どうも強引な父で申し訳ありません。でも嬉しい!!」
「ご両親に早く安心して貰うのにも、明日にでも二人で役所へ行って入籍しよう。」
「はい!どうぞ宜しくお願いします!」
もう来月にはアメリカのブラックマンデーから世界恐慌が始まり、それが来年初頭には日本にも及んで来る。
それからの二年弱は夥しい数の企業が倒産し、巷には失業者が溢れるのだ。
この恐慌が終わるまで彼女を待たせる訳には行かない。
なら善は急げで今年中に式と入居を済ませるべきだろう。
次の日に二人で入籍を済ませて彼女はご両親に報告に帰り、私は例の大工の親方の所へ行き茶室の改装を頼んで来た。
道雄君には急で申し訳ないが離れの茶室に移ってもらうので、そこに彼専用の書庫を付け足すのだ。
茶室は以前竜さんが静養していた時に厨と風呂以外は揃えてあったが、道雄君ももうすっかり一人前の翻訳家だから小さいながらも書庫は必要だろう。
親方はその程度ならと、二三週間で作ってくれる事になった。
これで母屋の二階の三部屋を夫婦と先々の子供部屋に使える。
一階の隅の書斎はそのまま私が占領するが納屋にもまだ空きがあるので、一家を構えるには不足は無いだろう。
飛鳥井の御両親もこのくらいの部屋数で納得してくれると良いが………
私が新婦を迎える家屋を考えている間に、透音さんは式の手筈を整えていた。
当時は結婚式場や大きなホテルでの披露宴の風習は無く、それぞれの家で式を上げるのが普通だった。
そして十一月の半ばに結婚式の日は来た。
秋が遅い鎌倉では丁度紅葉の見頃で、我が女神の楽園は色とりどりの小菊の盛りだ。
八幡宮からは宮司巫女職総出ではないかと思うほどの人数が透音さんの結婚式を祝いに来てくれた。
私は知らなかったが震災後社殿を再建するまでの苦しい時期を、鎌倉の舞姫とまで呼ばれた彼女の人気で種々の式典を絶やさずに済んだ大功労者だそうだ。
彼女の知人友人、飛鳥井家の親族一同。
そして鎌倉文士に加え詩人歌人俳人、地元の知人達もいつの間にかほぼ全員揃っていた。
かなり広いはずの女神の庭も、これほどの人々で賑わうのは初めてだ。
その間を小さな菊花の精が楽しそうに飛び交い、玉依姫と木花咲耶姫の神気が常にも増して濃く楽園を清めている。
宮司さんによる祝詞の音声が浄域に響き、巫女達が女神への奉納舞が終わり辺りが一瞬静寂に包まれた時……………
鎌倉上空に瑞鳥の白鳳が現れた!!!
この浄域にいる全員にその姿は見えた。
鳳凰はゆったりと庭の上空に舞い翻り皆に祝福の光を降り注ぎ、やがてうっすらと消えて行った。
………………………
一同声も無い。
式次第では私が挨拶する番だった。
「白鳳の斎ひ参りて称へ辭竟へ!!」
「また御来賀の皆さん。心から、有難う!!!」
私は知らぬ間に浄気を発し透音さんもそれに観応し、二人共に仄白く光っていたようだ。
そして静寂の後の皆の熱狂的な拍手歓声!!!
きっと庭の二柱の姫神様が白鳳を呼んでくれたのだろう。
カメラマンを頼んだ安藤さんが咄嗟にシャッターを切っていたが、たぶん真っ白で何も写ってはいないだろうな。
祝賀の宴会場はカフェ浪漫主義だが、この人数ではホールの座席が足りず立食パーティになった。
隅に多少の椅子を置くスペースは取れたものの、お疲れの人は二階でゆっくり休んで貰おう。
与謝野さんは夫妻で来てくれて、夫妻揃ってしきりに何か帳面に書き込んでいる。
きっと良い短歌が出来たのだろう。
他の歌人俳人詩人に文士達も先程の印象が消えないうちにと、次々にノートや句帳歌帳を取り出していた。
間も無く卓上に酒と料理が揃い、乾杯の音頭は与謝野晶子さんにお願いした。
「ああ!もう何と言えば良いか………この神々に愛でられし二人に!乾杯!」
「乾杯!!!」
たぶん我々には今日が大恐慌前の最後の宴になるだろう。
まだ暮れ正月までの国内はのんびりしているだろうが、来春二月から日本経済は一挙に悪化する。
そうだ、この場で株証券類を持っていそうな人にはそれとなく注意しておこう。
今日なら私の言葉も神のお告げのように聞こえるかもしれない。
私自身の打てる手は全て打ったと思うが、この上は私の周りの人達の被害も出来る限りは押さえてやりたい。




