50 惜春の賦
緊迫した勝負が終わり皆に茶菓が振舞われた。
茶画詩庵自慢の柚子餡の鶯餅だ。
与謝野さんが
「こんなに可愛い鶯餅は初めてよ!」
と、口の付け所に迷っていた。
観客達もくつろいで誰隔てなく歓談している。
久米君や室生君は親友だった芥川時代の俳句を良く知っているから、今日の竜さんの句の上達振りに驚きかつ喜び、萩原君も交えて盛り上がっていた。
大佛君はまだ忙しく観戦記の筆を走らせている。
今回の記事はきっと文芸誌上でも話題を攫う事だろう。
「大佛君、今日の句歌にふさわしい美文を期待しとるよ!」
彼の顔がさっと青ざめるのを傍に、蒲原先生のご機嫌も宜しかった。
虚子先生は床の間に掛けてある釈宗演老師の[四智園明月]の書軸を眺めている。
「宗演さんの書はやはり良いですね。本当に懐かしい。」
「四智円明の語は臨済宗にありますが、それに一字付け足して明月としたのが老師らしいですな。」
吉井さんが合槌を打つ。
「鎌倉の文雅の宴にこれ以上無い軸ですよ。朝比奈君はこういった物の目配りも一流ですねえ。」
「恐れ入ります。俳人歌人詩人に姫神の四智園だと思いまして。」
「それは気が利いている。きっと宗演さんも天上で微笑んでおられるでしょうな。」
また吉井さんも宗演師とは深い縁でその生前には何首も歌に詠んでいる。
[宗演はなほすこやかにわれを見て 笑ひたまひぬ戀はいかにと]
「私も老師の笑顔は忘れられないよ。」
「私も宗演様の美僧振りが忘れられませんわ。」
ああ、与謝野さん御夫妻も老師とは旧知の仲だった。
鎌倉の大先輩方が揃って今日の床の間飾りを喜んでくれた。
この一流の文化人達に心から喜んで貰うのは、本当に難しいのだ。
茶画詩庵から場をカフェ浪漫主義に移し、今日を惜しみ春を惜しむ宴は続く。
この店が初めての堀口君と佐藤君は店の佇まいにしきりに感心してくれ、やはり正面壁画のモチーフとなったラングの表紙絵も知っていた。
「うん、ここは気に入ったよ!」
「僕は近くの逗子に良く来るから逗留中は通いたいな。」
堀口君は長い欧米放蕩の旅の末に、ようやく日本に落ち着いた所だった。
二人には蒲原先生と道雄君の卓に座って貰い、英仏漢の違いはあれど訳詩家同士の良き懇親の場となった。
蒲原有明ファンで今日の難しい選者役を務めてくれた詩人二人も同じ卓にやって来て、古今東西の詩の話が飛び交っている。
道雄君も頬を紅潮させながらもその話題に付いて行けているのだから立派になった物だ。
竜さんとその旧友達も一卓を囲んでいる。
久米君、室生君、萩原君、加えて仕事で遅れて来た菊池寛の顔も見える。
彼らは皆心底竜さんの復活を喜び、また一緒に吟行の旅に行こうと言っていた。
しかも段違いに明るく美しく深くなった竜さんの俳句に感動して、また秋には鎌倉文士の句会をやろうと張り切っていた。
それぞれが彼に負けない気迫を持って、この夏は精一杯俳句に精進すると息巻いているほどだ。
竜さんも旧友達のその姿を楽しそうに見回していた。
当時の文士達には意外に俳句好きが多く、久米君も声さえ掛ければもっと大勢集まると言う。
茶画詩庵の句会では十人程度しか入れないが、このカフェなら二〜三十人でも参加出来るだろうと恐ろしい事を言い出した。
文壇に顔の広い久米君だから彼の言う事は本当になりそうだ。
竜さんも菊池君も苦笑い、いや久米流の微苦笑を浮かべるしかなかった。
そして奥の一卓では今日の主役だった与謝野晶子、高浜虚子両巨頭と吉井さん秋桜子君がまだ短歌と俳句の比較論を熱く語り合っていた。
その卓にもう一人いたのは私とは初対面だったが、鎌倉在住のホトトギスの俳人でまだ若き頃の松本たかしだ。
さっそく挨拶を済ませたところ、彼は茶画詩庵の茶菓を気に入っていて何度か来てくれていたそうだ。
能楽師の家の御曹司で品の良い句を作る、私も名前と句は知っている青年だった。
彼ともまた虚子庵の句会で会えるだろう。
その他の客達もそれぞれの知合いの卓に収まり、句歌対決の時からの興奮がいまだに衰えず文芸を語り合っていた。
私と透音さんとまだ観戦記を書き続けている大佛君がもう一つの卓に座り、朝子さんや店の給仕をやってくれている女学校の後輩達も入れ替わりでその卓で休んで行く。
店にこれだけの文化人が来てその内の何人もが常連になって行く事は、従業員の彼女達にも誇らしいだろう。
私は皆の卓を回り接待役を務める為に始終席を立っているので、自席で落ち着いてはいられなかった。
皆は木暮さん考案の今日の特別料理、フィッシュフライのタルタルソースと梅肉風味のチキンサラダ盛合わせと酒に舌鼓を打っている。
ほとんどの人が唐揚げ料理は初めてだろうし、未来の日本でも唐揚げは病み付きになる料理だったからどんどん注文が増えて行く。
フライドポテトとビールを合わせれば全員が当然カロリーオーバーだが、今日ばかりは仕方ないな。
この文雅の香り高き浪漫主義の殿堂、古き良き鎌倉の文化を後世に伝える店に、これほどの面々が集ってくれたのは滅多にない僥倖なのだ。
朝子さんが気を利かせて借りて来た二眼レフの写真機で、この日の皆の姿を写してくれている。
写真まで撮れるとは彼女もなかなか多才な人で、他の面でも店は大いに助かっている。
暮れゆく窓の外は鎌倉を囲む山々に遅咲きの桜が白々と浮かび、だんだん朧夜の夢幻の闇が降りて来た。
山の麓にぽつぽつと灯る春燈が窓の玻璃に滲み、惜春の想いはいよいよ深まる。
来年は必ずやって来る昭和大恐慌の後もまた戦中戦後にも、この文芸と美を愛する人々が共に集まれるとは限らないのだ。
少しの間私がそんな想いに耽っていると、隣に座っている透音さんが話しかけて来た。
「今日は素敵な会になりましたね。皆さん喜んでくれて良かったです。」
「ああ、君も昨日から色々手伝ってくれて有難う。助かったよ。」
「うふふっ。私も蒲原先生や与謝野先生とお話し出来て、良い思い出になります。」
「うん、この店も皆気に入ったようで、またちょくちょく来てくれるだろうね。」
「朝子さんもとっても喜んでいましたよ。彼女は女学校の頃から与謝野先生の大ファンですから!」
「そうなの。じゃあ後で誰かに二人並んだ写真を撮って貰おう。」
丁度そう言っていた所へ朝子さんにカメラを貸してくれた本人が店に入って来た。
彼は安藤さんと言い木暮さんの友人で、しばらくアメリカで写真の修行をして来た人だった。
そのカメラを良く見るとその頃欧米で出たばかりのローライスタンダードじゃないか!
良くそんな貴重な物を貸してくれたよ。
どうやら朝子さんも写真に興味があり、少し前から彼に教わっていたようだ。
私も彼にお礼を言うと、将来鎌倉で写真屋を開く予定らしい。
それは好都合だ!
古き良き鎌倉を将来に残す写真資料は、以前から何とかしたいと思っていたのだ。
さっそく茶画詩庵と庭の撮影を頼むと快く引き受けてくれた。
そして朝子さんからローライを受け取ると、宴の様子と皆の記念写真を撮影し後日現像してプリントを持って来てくれるそうだ。
当時はフィルムも印画紙も輸入品が主で、写真も現像も特殊技術だったからこれは有り難かった。
私が声に出したローライと言う言葉に久米君と大佛君も寄って来た。
彼らも大のカメラマニアで自分達も欲しいと大騒ぎで、後の鎌倉写友會はこの時がきっかけとなって出来たのかもしれない。
この夢のように楽しく美しかった惜春の宴もそろそろ終わる。
虚子先生と与謝野さんに閉会の挨拶をお願いした。
「皆さん、こんな有意義な文芸の宴は私も初めてでした。また鎌倉でお会いしましょう!」
「朝比奈さん、皆さん。今日はお呼び頂いて有難う御座いました。私もこんな楽しい会ならいつでも参加したいので、是非またお声掛けくださいね!」
他の皆も両巨匠の言葉に立ち上がって拍手だった。
お土産には恒例の猫八幡と私の心ばかりの歌の短冊を手提げに入れて人数分用意してある。
皆とても喜んでくれ、今日の一日は忘れないと口々に言いながら帰って行く。
蒲原先生と東京から来た竜さんの旧友の何人かは茶画詩庵に泊まって行く予定だ。
与謝野さんは定宿があると人力車に乗って行った。
この日の皆の笑顔もこの春宵の光景も、私にとってかけがえのない美しい記憶となるだろう。
カフェ浪漫主義の扉を照らすランタンに、少し離れた山から飛んで来た一枚の花びらがよぎる。
晩春の月光は朧げに鎌倉の街の上を漂っていた。




