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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
45/79

45 寓居の書斎

予定より少し早く貸家が完成したので、遅めの桜が舞い散る中で木花咲耶姫の祭礼と一緒に竜さんの入居祝いをしようと思う。

彼の家族は世間には喪中と言う事になっていて大っぴらにはまだ来れないが、これまでも数回はこっそり様子を見に来ていた。

以前の彼はがりがりに痩せていたのが今は標準体よりは少し太り、髪型も短く角刈りにした上に口髭を生やしたので、ちょっと見には元の芥川龍之介とはわからなくなっている。

しかし奥さん達がたびたび謎の男を訪れる訳にも行かず、当面一周忌までは我慢して貰うしか無かったのだ。

だが友人達が集まる祭礼の時なら世間向けの心配は要らない。

新居は普通の貸家よりは広く二階建で厨厠風呂を除いて五部屋あり、一家で暮らすにも十分だろう。

この当時の貸家は最低限の大型家具は家主が揃えておく習慣だったので、本棚食器棚などは古道具屋で調達し作り付けの棚や納戸も多めに設えてある。

旧居からの荷物は少しづつ小分けに送って貰うようだ。


その日は麗らかな陽射しの中に名残の桜がほろほろと散る好日だった。

また今年も私が祝詞を詠み透音さん達が巫女舞を姫神に捧げ、文士達はそれぞれ句歌を献納する。

庭では花の精達が嬉しそうに飛び交い、木花咲耶姫は桜の元に立ち微笑んでいる。

竜さんの家族も春の草花が乱れ咲く庭で、ゆっくり茶菓を楽しんでいるようだ。

まるで今彼が書いている「精霊物語」の中の一場面そのままの景に見える。

歴史上の彼の運命を知っている私には、これは格別感動的な光景だった。

ふと気が付けば春の陽に薄い雲が掛かり、女神の神域は柔らかな拡散光に包まれていた。

私は自然(じねん)と止観から寂光浄土の観想へ入り、夢幻界にて麗しき人々と美しき花鳥の永遠の楽園を守る天津姫神の心を具現視していた。

………………

[………日も影も薄れて花の色が勝つ………]

これが今の刹那の天啓により得た句だった。

そしてこの時に私はこの身が蒲原先生の言っていた観自在に至った事を自覚したのだ。

………………

「朝比奈君、君って奴は………」

竜さんが今の句を書いた私の短冊を覗いて溜息をついていた。

「これ程とはね………」

吉井さんも言いかけた言葉を飲み込み沈黙してしまった。

薄衣(うすぎぬ)のような雲が鎌倉の全天を覆い、春霞の山々が寂光の古都を静かに包んでいる。

私は短冊を木花咲耶姫の御前に供し、二人と共に酒宴の始まる母屋の座敷へ向かった。


座敷の床の間には朱木蓮の花と、最近入手した釈宗演師の「知天」の書軸が掛けてある。

我が庵には知天どころか姫神様達がいるので、皆実感を持って眺めている。

中でも吉井さんは老師とは若い頃に度々会っていて、感慨深い物があるだろう。

我ながら良い軸を選べたと思う。

「ここは本当に我々文人には楽土に思えるよ!」

「ああ、こんなに俗離れした茶屋は他には無いな。」

「ここに住める竜さんが羨ましくなるねえ!」

春恒例の鶯餅に抹茶碗で珈琲を味わいながら、お歴々も満足しているようだ。

皆の文名も近年ますます高まって来ているが、相変わらずここに来る時はしがない青年文士の時の口調そのままで、気の合う文芸仲間だった。

何よりこれほど日本文化を深く理解している面々ばかりが集う所もそうは無いだろう。

この仲間達がいれば竜さんも、もう芸術に迷う心配はせずとも良い。

確固たる信念で和風ファンタジーを書いて行けるはずだ。

「今日こうして笑い合えるのも皆のお陰だ。有難う!」

竜さんの心からの笑顔がようやく戻った。

「イエーツの翻訳も出るんだろ。楽しみだよ。」

「あれは僕よりこの道雄君が頑張ったんだ。」

「いえ、そんな……」

道雄君も心強い先輩達に囲まれて前途洋々だ。


竜さんの家族は今後の手筈を話し合うためにも新居に泊まり、次の朝は家族揃って玉依姫と木花咲耶姫に参拝してから帰って行った。

まだ足りない新居の家財道具は竜さんが道具屋で揃え、家族の荷物は奥さんが向こうからおいおい送って来るそうだ。

大家としての私の仕事はこれで済んだだろう。

あとは彼の書斎に飾る花入と掛軸でもプレゼントしよう。

そろそろ道雄君専用の書斎も要るだろうから、母屋の二階の荷物置場になっている部屋を空けてあげよう。

書斎用の大きめの本棚と机はまだ納屋にあるので、彼には文房四宝でも贈ろうか。

いろいろな事が動き出して、今年の春は瞬く間に過ぎ去って行った。


立夏を過ぎて竜さんの雑誌連載の「精霊物語」が大評判になっていた。

これまでに無かった和風の精霊や自然神が登場する物語は子供から大人まで楽しめ、また幻想的な描写は英国浪漫派を凌ぐ深さが感じられる。

他の出版社からの依頼も幾つか来て、相談を受けた私は青少年向けに平安時代の陰陽師が活躍する話を薦めておいた。

そして竜さんと道雄君の共作で「イエーツ浪漫詩集」も続いて書店に出た。

私は二人が贈呈してくれた物とは別に、鎌倉の本屋で取り寄せた本にも署名を入れてもらった。

一般の人達と同じように、街の本屋で買ってみたかったのだ。

これも品位ある文語韻律の訳が高く評価され、少し前に出た堀口大学の「月下の一群」と並び称されるほどだった。

菊池君の文藝春秋社も十分予算を注ぎ込み、装丁も実に美しい本になっている。

売れ行きも悪くなさそうで、道雄君には早くも次のキーツの訳詩の依頼が来た。


竜さんが大っぴらに出版記念パーティーを開くのはまずいので、また内輪だけでささやかに二人のお祝いをした。

私からのプレゼントは二人とも大喜びで受け取ってくれた。

竜さんは自分ではあまり花を活ける事はなかったが、これからは原稿を書く卓上に気に入った花を置いて心を休めて欲しい。

道雄君には筆硯は似合わないだろうから、少し上等な万年筆とペン皿にしておいた。

これも卓上に置いてあるだけで一人前の文人の気分になれるとはしゃいでいた。

今回の原稿料もどうせ全額欲しい本を買い込んでしまうだろうから、これを選んで良かったと思う。

そして数日後、友人一堂の連名で二人に茶画詩庵のネーム入りの特注の原稿用紙がどっさり届いた。

実を言えば二人はこの原稿用紙に一番感激し、見ていた私には少し涙ぐんでいたように思えた。

女神の浄域の中で好きな小説や詩に没頭出来る事を、彼らがどれほど感謝しているか私にも良く伝わって来た。


お祝い事が終わると私は年内には完成するカフェの椅子机を見に横浜まで行き、家具店をかなり歩き回った末にそこそこの物を発注して来た。

納期に余裕があったので製造元も特注のデザインでやってくれるそうで、簡素ながら重厚感があり古びるほど味が出て来そうな家具を頼んだ。

また版画専門の画商に問い合わせたところ竹久夢二の大判のシリーズ物が昨年から出ているそうで、店には見本の一枚しか無かったが全部取り寄せて貰う事にした。

後世での夢二の価格の数十分の一ほどだったから、シリーズ十六枚全部揃えて季節季節で掛け替えようと思う。

店内の正面はラング装丁のフェアリーブックの表紙絵をアレンジした壁画擬きにする予定で、夢二の額は両脇の壁面に二枚づつ計四枚を飾り十六枚あれば四季で入れ替えられる。

これが完成すれば古き良き抒情と浪漫の雰囲気に満ちたカフェになるだろう。

食器はまとめて益子焼の業者に注文した。

当時の民芸陶器は全て手造りで厚く頑丈なのが取柄で、中でも益子の釉調は暗めで地味ながら料理の色が引立つのだ。

椅子机などや店の内装にも合うはずだ。

さらに言えばこの当時の民芸陶器は色絵磁器に比べて遥かに安いのだ。

将来破損した時に備えて、十分な補充の数も買っておける。

残りの細かな装飾品はまとめて注文は出来ない物ばかりだから、こまめに買い集める他ない。

さあて、残るは最大の難題である調理人だ。

誤字報告をいただき、内容を修正致しました。ご報告ありがとうございました。

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