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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
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43 芥川龍之介の遺作集

十二月に入り寒菊が路地に(うずくま)りながら咲いている。

女神の庭は生垣の山茶花が盛りで、まだ小さいが寒椿の蕾も付いて来た。

そんな冬晴の午後に竜さんの所に菊池君がやって来た。

芥川龍之介遺作集と全集の刊行が決まったと言う知らせだった。

「こう言っては悪いが人気作家の突然の死で話題沸騰だ。遺作集も全集も売れない訳が無い。この印税でもう君の家族の暮しは安泰だぞ。」

「ああ、安心したよ。何もかも世話になってしまったが本当に有難う。」

「良いさ。我が社も儲かるんだから気にするな。」

芥川君の遺作集や再版はどの出版社も奪い合いで、文藝春秋社の社長も大変だったようだ。

未来を知っている私から言えば、著作権が切れるまで彼の本はずっと売れ続けるのだから大した物だ。

「僕もまた一から出直すつもりなんだ。名前を変えてまずは英国浪漫派の翻訳から始めようと思っている。」

「そうか!それは良い。イエーツかワーズワース辺りなら是非うちの社で出させてくれ。」

「おう!その時は宜しく頼む。」

「浪漫派なら私も道雄君も協力できるよ。これは楽しみだな。」

「うん、有難う。みんな宜しくお願いするよ。」

病もすっかり癒えて竜さんの気力もだいぶ戻って来たようだ。

これなら年明けからは病気の再発も心配せずに、家族やごく親しかった友人達も気軽に来られるだろう。

以前はがりがりに痩せていた竜さんは今は別人のようにふっくらして来て、服装や髪型を変えれば街中でも芥川龍之介とわかる人はきっと少ない。

今後は新人作家の竜田川涼として人前に出て行くのだから、そろそろ彼も見た目を考えておくべきだと思う。

道雄君は最近丸刈りから少し伸ばした角刈にしたので、竜さんもこれまでの長髪から角刈に変えるのも良いだろう。

衣服は敢えて上等な和服に袴を常用すれば、以前の文士のイメージとはだいぶ離れる。

その辺は道雄君に頼んで面倒見てもらおう。

道雄君は英語詩の翻訳でも役に立ってくれそうだし、また少し給金を上げてやらないと。


私も昭和恐慌への備えにもう一段念を入れよう。

前から計画していた貸家とカフェ浪漫主義の建設を始めるのだ。

両方ともすでに土地は入手してあり貸家の方は以前改装を頼んだ親方にも話は通っていて、向こうの手が空き次第着手してくれる手筈だ。

親方は年明けから始められそうだと言っていたから、晩春には出来上がるだろう。

完成したら取り敢えず竜さんをそこに住まわせるつもりだ。

そこも女神の浄域に入っているから、きっと彼も満足してくれるだろう。

カフェ浪漫主義も図面は出来ているので、建設業者さえ選べばすぐに取り掛かれる。

鎌倉には木造の洋風建築を手掛けている業者が幾つかあるので、また顔役の田端さんにでも紹介してもらおう。

問題はカフェの料理人だがなかなか適任者が見つからない。

レシピは全て私が知っているから洋食の未経験者でも仕込めると思うのだが、やがては店を任せたいので人柄と意欲は見ておきたい。

いずれ募集広告を出して面接でもするしか無いか。

建物は遅くとも昭和四年のうちには完成させないと恐慌の年に入ってしまう。

恐慌の後の日本はかなりのインフレになるので建物はその前に建てておきたい。

この浪漫の時代の雰囲気を戦後にまで残し、若い世代に伝えて行ける建物にするのだ。

また転生前の新之助が株式の投機に失敗して朝比奈家の全資産を失ったのを、土地建物への投資で安全に回避できる。

さらに戦後の高度成長期まで生き延びれば、鎌倉の土地は今の数十倍の価格になる。

取立てて大金を儲けようと言う気は無いが、鎌倉の古き良き文化を守り女神の楽園を後世に残せるだけの物は確保しておきたい。


翌日さっそく扇ケ谷の田端さんの所へ、洋風建築の業者を紹介して貰いに行った。

手土産には田端さん一家も大好きだと言っていた猫八幡の菓子折を持って行く。

彼の知り合いでは二件の建築業者がいて、一つは横浜にあり華族の別荘などの大きな建物が専門の会社、もう一件が地元の小規模の洋館が得意な業者だ。

田端さんに礼を言い、私は地元の業者の事務所に向かう。

浄明寺に近いその事務所は資材置き場の一角のバラックだったが、聞けば私も道々見ている如何にもハイカラな洋館を幾つか手掛けている業者だった。

ここなら間違いないだろう。

私は前に建築士に頼んで書いて貰った設計図を見せた。

そこに丁度良く奥から社長が出てきて挨拶すると

「ああ何だ、茶画詩庵さんでしたか。」

と笑っている。

どうやら我が庵の常連さんだった。

そしてとんとん拍子に話は進み、四月から工事に入る事になった。

どこも震災からの復興需要が一段落し、人手や日程にはややゆとりが出てきたのだと言う。

私の目論見通り木材も今はだぶつき気味で、価格も少し下がっている。

この分なら貸家もカフェも来年中に完成出来るだろう。

内装はその後ゆっくりやって、開店は恐慌が過ぎてからでも良い。

残るは一番肝心のカフェを飾る絵や小物だ。

この美しき時代を象徴するような飾りを集めるのは私しか出来ないので、こまめに探し回るしか無い。


庵に帰ると竜さんと道雄君が洋書類を山積みにして翻訳に取組んでいる。

仏語詩では堀口大学の訳詩集『月下の一群』が今年出たばかりで、その文語韻律の見事な翻訳が評判になっていた。

しかし英語詩で韻律の優れた翻訳は戦後に至っても出ておらず、唯一ロセッティの詩を蒲原先生が訳した『天津郎女(あまついらつめ)』だけが、やはり今年出たパンテオン誌上で燦然と輝くだけだったのだ。

他にもフランス象徴詩方面は多士済々の名訳が出るのに、何故かイギリス浪漫派を手掛けようとする人は少ない。

竜さんと道雄君にはビッグチャンスだと思う。

またこれもどう言う訳か当時もその後も日本には浪漫主義ファンタジーの作品が生まれなかった。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がこの十年後に突然変異のように現れるがすぐ消えてしまうのだ。

小川未明らの童話の方は豊富な作品が生まれて来るが、一般向けのファンタジー方面の作家は皆無だ。

イエーツやラングの妖精物語を参考に日本風のファンタジーを書ければ、こちらもビッグチャンスとなろう。

英国でトールキンの『ホビット』や『指輪物語』が出るのも十年後だ。

今ならそれらの名作にも先行出来る。

竜さんや道雄君のような浪漫派好きなら、間違いなく面白い作品が書けるはずだ。

私がちょっと狡して、未来で読んだ種々の物語のさわりだけ教えても良いかもしれない。

まあ、取り敢えずは良い訳本を出す事だ。

それで少し名を売ってから、オリジナルのファンタジー小説を書けば良い。


それから一週間ほど経った頃、竜さんがこれを見てくれと原稿の束を取り出した。

イエーツの詩の格調高い文語訳だった。

「うん、良く出来ているよ。名訳じゃないか!」

「あっはっは、それは僕じゃなく道雄君だよ。彼は僕より雅語の扱いが上手いんだ。」

「へえー、凄いなあ!彼は十四歳で有明集を読み耽っていたからな。」

「もうすっかり有明流を身に付けているよ。」

「彼が翻訳家を目指すなら私も応援してやらないと。」

「ああ、それで今度出すイエーツの訳詩集は僕と彼の共著にしようと思うんだがね。」

「それはきっと喜ぶだろうが、君はそれで良いのかい?」

「竜田川涼もまだ無名の新人だ。とにかく道雄君の文語韻律は見事な物だから是非発表してやりたいと思うんだよ。」

「有難う。宜しく頼むよ。」

「では彼にそう伝えてくるよ。」

いやあ、道雄君の文語雅語がそんなに進歩しているとは思わなかった。

若者の成長は驚くほど早い。

それに訳詩の主力を道雄君が勤めてくれれば、竜さんはファンタジー小説に本腰を入れられる。

よし決めた!

竜さんに未来のファンタジー小説のネタを少しずつ伝授して行こう。

誤字報告をいただき、内容を修正致しました。ご報告ありがとうございました。また、ご連絡に気づかず、反映が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

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