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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
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41 春宵の詩人達

芥川君の俳句は傑作だった。

[微苦笑の小首傾げよ春帽子]

「微苦笑」は百年後まで残る久米君の造語で、本人もまたその通りの人柄なのだ。

春帽子の視覚効果も上手く久米君を言い表している。

久米君にそれを言うと正に微苦笑するばかりだった。

この句で大いに座を楽しませてくれた芥川君に皆拍手喝采だ。


吉井さんの料紙には十五首余りの歌が書かれていた。

彼ほどの歌人が良い情景に出会うと、こんなに次々と歌想が湧き出て来るものなのか。

その中の一首は後世に名作として残る歌だった。

[桜ありき桜のごとき人ありき 酔えばよく見るまぼろしの如]

もしこれが俳句なら「酔えばよく見る」の所を「酔はねば見えぬ」くらいにもう一捻り厳しくしたい所だが、酔李白のように大らかさを優先するなら「酔えばよく見る」の方が良い。

「吉井さん、あなたらしいゆったりした良い歌です。感銘しましたよ。」

虚子先生もこの歌の大らかさが気に入ったようだ。

この「桜のごとき人も」また、木花咲耶姫の事を例えているのだ。

見える人には至極当然の物も、見ようとしない人には一生見えない。

美の世界とはそう言う物だろう。


他の初学の人達も皆気持ちの伝わる詩歌を作ってくれたが、今宵の話題を一身に引き付けてしまったのは何と道雄君の詩だった。

[荒庭に蝶を追ふ猫 花深く小径途絶えて]

まるでラファエル前派のクリスティーナ・ロセッティじゃないか!

英国浪漫派の詩を読み耽っているのは知っていたが、十四才でここまで行くとは驚きだ。

「花深く」に伺える幽邃な詩魂は尋常では無い。

その上にさらっと万人受けする可愛い猫まで入れている。

「わあ、素敵ね!この猫が自分の分身みたいに思えて来るわ!」

「ここの庭の自然に荒れた美しさも良く出てるね!」

「白妙も喜んで尻尾を振ってるよ!」

道雄君はあまりの人気に返って縮こまっている。

「蒲原さんに書いて送ってあげれば、さぞお喜びになるでしょう。新体詩の行く末もこれで安泰ですね。」

「朝比奈君も道雄君も短歌に専念しないかねえ。二人が持っている透明感は全く新時代の感覚だよ。まさにリリカルだ。」

虚子先生や吉井さんにここまで気に入って貰える詩は滅多にないのだ。

彼がこれで自信を付けてくれれば私も嬉しい。


次の日は植達さんが奥さんと二人の子供を連れてやって来た。

奥さんは茶室での縁側でくつろぎ、父親は女神の庭で幼い兄妹に花の名前を教えている。

植達さんが茎立ち過ぎた花は剪った方が良いと言うので、花篭と花鋏を持ってきて子供達に渡してやった。

兄妹は父に剪って良い花を聞きながら、楽しそうに花篭を満たして行く。

陽当たりの良くなったまだ低い草花の辺りには、昨日と同じ花の精が出て来て春の光の中で飛び跳ねている。

植達さんにも精霊が感じられるようで、たまに何か話しかけていた。

奥さんは縁側からその情景を目を細めて眺めている。


今日は茶室の床の間には何も掛けていない。

彼等が摘んだ花を活けて飾るために空けてあり、兄妹それぞれに黄瀬戸の対の花入を出しておいた。

今度は母親が花の活け方を教えている。

兄は紫の諸葛菜を芯にして菜の花を脇に添え、それぞれの丈の調整を考えている。

妹は勿忘草と蓮華草が気に入ったようでこんもりと束ねている所へ、母親が束の柱に少し高めに薺を据えると良いと教えていた。

子供達が出来上がった活花を床の花台の上に飾り終えると、後ろで眺めていた父親が花入の向きをちょっと直してから、最後に茶席での鑑賞の仕方を教える。

皆が満足気に席に着いた時を見計らい、道雄君が茶菓を運んで来てくれた。

焼き立てのスコーンをオレンジとアップル味の二つづつと、大人には例によって抹茶碗に珈琲、子供達にはアップルジュースだ。

兄も妹もたぶん初めて食べる洋菓子ににこにこ顔だった。

猫八幡は御土産に準備してある。

道雄君が二人の活けた花に感心して、自分もやってみたいと言う。

子供達は自分達の活花が床の間の花台の上に飾られ、立派な作品として大人達に見て貰えた事を大いに誇らしく思うだろう。

今日自分達がいかに高雅な経験をしたかは彼らが大人になるほどわかって来るはずだ。

こんな春の一日がこの一家の良き春の思い出になってくれれば私も嬉しい。

帰り際には植達さんに御土産の菓子折と一緒に、今日私が詠んだ句の短冊を贈った。

[摘草やひとつ鋏を兄妹]

大した句では無いと思うが、植達さんは良く自分達の為だけに作ってくれたと大層感激してくれた。


植達さん一家が帰ってから、私は改めて木花咲耶姫に御礼の参拝に行った。

ゆっくりと散り行く山桜の花びらが今日の子供達を見送り、大きな山桜そのものが女神と一体化して地上の物全てを慈しんでいる。

花の精達までは見えなかった子供達も春の花々の生気は十分に感じていて、女神もその事を喜んでいるのだろう。

柔らかな春陽の中で桜の根元の祠を撫でるように落花が風にそよいでいた。

昨日今日のような美しき春の日々の味わい方を、未来の日本人は惜しげもなく捨ててしまうのだ。

それを想うとますます過ぎ行くこの春を惜しむ気持ちが強くなる。

せめて私の周りの子供達や若い人達だけには、その掛け替えの無さを伝えておきたい。

木花咲耶姫が身近に存在するだけで苦悩の影も薄れ、麗しい春の光の中に暮らせるのだ。

昨日の文士達にもきっとそれは感じて貰えたと思う。

特に芥川君はこの後の数年で現代人の苦悩とやらに取り憑かれてしまうのだ。

そう言う時にこそ、どうかこの女神の楽園の春の日を想い起こして欲しい。

詩歌人や文士に対しては、たぶん言葉で直接言っても効果は薄いだろう。

芥川君もまた女神の加護と共にあるのだと言う事は、心から感じて貰うしか無いのだ。

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