40 花の宴
蒲原先生から手紙が来た。
先生の静岡での暮らしが落ち着いた頃を見計らって、私から幾つか教えを乞うたのと先月の立春の宴や俳句対決の事を書いて送っていたその返信だった。
先生はあちらの生活も何とか落ち着いて来て、今は英国浪漫主義のロセッティの翻訳に本格的に取組み出したそうだ。
翻訳と言うよりも同じ主題による日本語詩の創作に近い物を目指し、完全なる詞の美を尽くしたいと言う。
また私が質問した言霊の鍛錬には、先生が詩魂を鍛えたのと同じやり方を薦めてくれた。
以前に教わった「観応」は森羅万象の生気を感じ取り神気瘴気を見極める事だったが、その次の段階では「止観」「観自在」がある。
「止観」は観るのを止めて想う事、「観自在」は目の前の現実では無くその物の本然の姿を観る事だ。
そこで感得した天霊地気を詩魂の込もった言霊により現せ、との仰せだった。
………………???
まあ、おいおいやって行くしか無い。
確か法然上人の浄土観想法にこれに近い記述があったから探して読んでみよう。
蒲原先生には今度ご教示のお礼に新作の猫八幡の菓子折を贈っておこう。
女神の庭は今紫雲英の向こうに菜の花と紫の諸葛菜の紫の花が盛りとなり、山際は桃の薄紅色に咲也姫の祠の大木の山桜が白く咲いている。
可愛らしい鳥達の囀りもだんだん賑やかになり、数日前からは初蝶が庭に来て舞い出した。
春陽遍き楽園の、今日は待ち侘びた花の宴だ。
元畑だった所が花野になり、移築した茶室の障子を開け放つとまるで春の野にいる雰囲気だ。
花野の小径の所々に緋毛氈の縁台を置けば、そちらからは山桜と桃の花の中に小さな茅葺きの苫屋があるように見える。
伝説の賢人詩仙達が集った蘭亭曲水の宴とまでは行かないが、鎌倉文士達の楽園で詩歌の宴だ。
茶室の床の間には先日虚子先生から頂いた落花の句の軸を掛け、その下には花は活けずに花屑だけを散らしてある。
午後二時頃には皆女神の庭に集まって来た。
大佛君夫妻、久米君、芥川君、吉井さん、透音さん、朝子さんにシスタークリスタベルも来てくれた。
まずは玉依姫と木花咲耶姫と田の神にも桜餅とお茶をお供えし、皆は茶室でも縁台でも祠脇の石にでも好きな所で歓談し茶菓を楽しめるようにした。
その間の夕方までに詩なり句歌なりを作り、茶室の縁側に置いた筆墨で料紙に書いてもらうのだ。
何とシスタークリスも日本に来てから俳句が気に入り、朝子さんが短歌を学ぶのと一緒に句作までするようになっていた。
彼女達に誘われて道雄君も一行詩なら出来るかもと参加する事になった。
その三人は麗らかな陽射しの小径の縁台に腰掛け、ああだこうだと楽しそうに作り掛けの詩句を弄っている。
大佛夫妻は菜の花に囲まれた縁台に座り、猫の白妙が蝶を追いかけはしゃぎ回っているのをにこにこと眺めている。
吉井さんは透音さんと二人で木花咲耶姫の祠の横でじっくり短歌を作っているようだ。
透音さんは女学校時代に吉井さんの指導を受けた事があるから、彼の戯言まで真剣に拝聴していた。
久米君と芥川君は茶室の中でくつろぎながら、障子の外の長閑な春景色を満足そうに眺めている。
道雄君と朝子さんとシスタークリスは歩きながら花々の名前を教え合っているようだ。
私は今日この女神の庭に集うような高雅の士達の麗しき風習が、今後の日本からは急速に失われて行く事を知っている。
そしてこんな暮しがどれほど美しくかけがえの無い物だったのかと思い、ふと哀しくなってしまった。
花深き庭に佇み、我が惜春の情も深まるばかりだった。
鎌倉を包む山霞の中で、春の日永はぼんやりと過ぎて行く。
するといつの間にか花曇りの空から柔らかな光が女神の庭に降りて来て、一瞬全ての音が遠ざかり時が止まった気がした。。
山際の桃の咲く辺りから子供の声がする。
花陰に目を凝らせば、髪を桃割れに結んび古風な中国服を着た童女らが戯れていた。
何を言っているのか、言葉はわからない。
桃の奥の桜の木の下には、十二単を纏い羽衣をたなびかせた木花咲耶姫がその桃の精達に微笑んでいた。
そして春の草花の隙間隙間には身の丈ニ三寸ほどの小さな花精達がふわふわしている。
春陽の中で草木の命が湧き立っているようだ。
縁台の大佛君達は花精達に気が付いているのかどうか、彼らの手振りや口の動きがスローモーションにしか見えない。
蝶の舞いもゆるやかになっている。
やがて一陣の風が吹き起こり桜と桃の花びらが宙に散った。
白と薄紅の散花が混ざりながらゆっくりと舞い降りて来た時、夢幻の情景は薄れ消え去って行った。
これは詩歌に親しむ者なら良く知っている、季語にもある春の夢とは全然違う物だ。
多分これが蒲原先生の言っていた「止観」と「観自在」なのだ。
先程の私は春霞の庭でぼんやりと何を見るのでも無く佇み、ただただこの身を春愁に浸しているだけだった。
それが「止観」だったのだろう。
そして庭の花々が花の女神の元でひたすら咲き競う生命感に観応し、「観自在」による花精の具現化が起きたのだ。
なるほど、体験してみればどうと言う事も無い。
古の詩人なら当たり前に会得していた物を、近代思想が邪魔してすっかり忘れていた。
自然の四季や神々と共に暮らしていた頃なら不思議でも何でも無い普通の事、古来多くの詩文に謳われて来たごく普通の美しき暮しこそ、実は最も失ってはならない物だったのだ。
気が付けば春空は薄紫に染りつつあり、皆は出来上がった詩歌を料紙に書き終り思い思いに歓談の輪が出来ていた。
私は急いで宵からの宴の準備に掛かった。
道雄君には座敷の酒宴の用意を頼み、私は山桜の下に篝火を準備し縁台をその近くに運んだ。
花篝を囲んで今日の詩歌を皆で合評する趣向だ。
春宵一刻値千金。
紫紺に暮れなづむ夕空に篝火の火の粉が昇り、散る花びらを巻き込んで華麗な舞いを見せている。
皆も花篝の回りに集まり火の粉と花びらの輪舞を見上げていた。
「では今宵の詩歌の宴の始めに、木花咲耶姫に献吟を………」
「やあ皆さん、やっていますね!」
まるで朧の夕闇の中の幻のように、ふらっと虚子先生が現れた。
「先生!よく御出でくださいました!!」
「ここの宵桜は是非にも見ておきたくてね。」
「丁度いい所でした。実は先日頂いた落花の句の軸を飾ってあるので、先生にはその句を木花咲耶姫にご献吟くださればと。」
「それは喜んでやらせて貰いましょう。花の女神様に献吟出来るとは光栄ですな!」
虚子先生は一歩進み出て女神の祠に礼拝した後、散りしきる落花を浴びながら朗々と句を吟詠した。
[提灯に落花の風の見ゆるかな〜!]
[提灯に落花の風の見ゆるかな〜!]
和歌俳句を吟ずる時は二度繰り返すのが仕来たりだ。
暮れゆく天にはすでに夕星が瞬き、舞い上がる火の粉と煌めき合っている。
木花咲耶姫の祠は散り敷く花屑に彩られ、宵闇の地に静かに溶け込んでいた。
さあ、座敷に移って皆で朧夜の詩宴を楽しもう。
道雄君がすっかり席を整えてくれた。
乾杯の音頭は吉井さんだ。
「この美しき女神の庭で夢幻の宴を開いてくれた朝比奈君に、乾杯!」
「乾杯!!!」
そこからは今日の作品を書いた料紙を回して自由に語り合い、酒肴を楽しむ会となった。
最初に槍玉に挙げられたのは私の短歌だ。
[篝火の崩れて火の粉舞上がり 散りゆく花の刹那を照らす]
明るいうちは花の精を見た驚きで何も詠めず、今しがたやっと出来上がった短歌だった。
「ほう君は俳句も上手いと思いましたが、短歌も立派な物ですな。」
いやあ、虚子先生に短歌を褒められるとは思わなかった。
「今の景をよく詠み留めたねえ。刹那が上手いよ!朝比奈君は俳句を封印して短歌に絞る気になれば、私が雑誌に売り出してやるんだが。」
吉井さんは夕方から呑んでいたから、少しほろ酔い加減だ。
次は久米君の句だ。
[永き日やいつ迄裏に子女の聲]
この句の子女を花の精達と取れば凄い名句だと思う。
「久米君にしては可愛いらしい良い句じゃないか。」
芥川君が珍しく久米君を褒めた。
「うん、いつ迄が効いてますね。いつまでも居て欲しい感じだね。」
遂に久米君が虚子先生に認められた。
「有難う御座います!!!」
本人はもう土下座しそうな勢いで喜んでいる。
他の皆もだんだん酔いが回って来て、良い気分で詩歌を語り合える宴となった。
お互いに詩情がわかり合える仲間は得難い物なのだ。
春宵は揺れる灯火まで美しく、高雅の士達の宴は尽きない。




