38 腹切やぐら
春霞が濃く鎌倉を包む日の夕、店仕舞している時に透音さんが駆け込んで来た。
祇園山の北の方に遠目にもわかる瘴気が出たようだ。
支度して出ようとすると丁度その日に来ていた芥川君も行くと言う。
彼は一度邪鬼討伐に参加したから、連れて行っても大丈夫だろう。
追儺の時の殲滅が効いたのかここしばらくは小さな瘴気も出なかったが、今日は久々の大きな瘴気らしい。
我々は若宮大路から滑川を渡り、北条高時の腹切やぐらの方へ緩やかな坂を登って行く。
この辺は傾斜地で野菜類の畑の他はあまり人家は無く、もう少し上は山林になっている。
腹切やぐらがある場所は畑が尽きてちょっと山に入った辺りだ。
若宮大路からも見えていた瘴気はその辺を中心に広がっている。
坂の先は畑と山林を切り拓いて道を付け、宅地に造成している所だった。
透音さんが早速祝詞を唱え始める。
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
「荒風の〜」
「宇気比賜ひて山裾は〜」
瘴気が大きく揺らぐ。
シャンシャンシャン
「草の片葉に至り震へり〜!」
揺らいだ瘴気が少し縮まったようだが消えはしない。
これまで透音さんの祝詞の神気で消えなかった瘴気は無い。
てっきり瘴気が祓われた後に何かの邪鬼が出て来るだろうと構えていた私も呆気に取られた。
………………
いかん!ぼーっとしている場合では無い。
私は瘴気の中に踏み込み八片焔剣を滅多やたらと振り回したが、全く手応えが無い。
わかってはいたが、神剣と言えども実体の無い物には効かないのだ。
再び透音さんが膨大な神気をまとい、神鈴を上段に掲げゆったりと舞い出した
「“五百鈴鳴らし黄泉根轟く”!」
シャカシャカシャカ〜〜〜!
あの広域殲滅術式だ!
辺りに千万の鈴の音が響き渡り、瘴気が震えながら小さくなって行く。
だが完全には消えず、やがてそこら中の土の中からまた瘴気が少しづつ湧き出して来た。
「僕もやってみよう。」
芥川君が前に進み出た。
彼が以前使った「河童」の術はきっと我々の使う神気の術とは違う系統の魔術だ。
彼自身でもよくわかっていないようだが、ここはその魔術に期待しよう。
腰を落とし足を開き、両の手のひらを前に突き出す。
「行くぞ。“アグニの火ぃ”!!!」
突然土の上に五メートルほどもある業火が現れた。
瘴気はどんどんその炎に吸い込まれて行く。
土中から噴き出す瘴気もまた、湧くや否や炎に吸い込まれて行く。
十分ほどそれが続き、やがて新たな瘴気も湧き出さなくなった。
「わっはっはっは!新しい術も成功したな!」
「芥川君、またお手柄だよ!」
「凄いです!地中の瘴気を元から吸い出して燃やしてしまいました!」
「はっはっは!前に大百足退治で貰った赤い宝玉を転がしていたら、すうっと手のひらに吸い込まれたんだよ。それで火属性の術も使えるような気がしたんだ!」
日本には法力とか仙術とかもあるから、彼のような術があってもおかしくは無いのか。
またこの魔術が今後悪化して行くはずの芥川君の健康に悪影響を及ぼす感じはしない。
むしろストレス発散に大きな効果があるようだ。
いずれにせよ今日は芥川君に助けられた。
念の為周囲をもう一度確認し、我々は帰路についた。
今日の瘴気の発生はたぶん新規の宅地造成が東勝寺の遺構の上に掛かった為だろう。
高時の腹切やぐらとはまだ距離があったが、鎌倉幕府滅亡の時には北条一族二百人以上がやぐらの手前にあった東勝寺で討死している。
宅地開発がその霊域の平穏を乱したのだ。
この辺の山や畑の土地は大抵地元の大地主か寺の持ち物で、移住者で鎌倉の宅地需要が増えて来たところに震災からの復興費用が欲しい地主達の思惑が重なり、今後はどんどん開発が進んで行く。
開発の規制は戦後大佛君や久米君が中心となって古都保存法を成立させるのだが、大正末ではまだそんな制度も無くここ東勝寺跡の発掘調査さえまだ行われていないので、今の我々にはこれ以上は如何ともし難い。
皆と別れて庵へ戻り、私は今日見た宅地開発の事を思い起こしていた。
あの開発を見るに例の昭和恐慌で失うはずの我が資産を鎌倉の土地に投資するなら、そろそろ動いた方が良いだろう。
目敏い人達はもう鎌倉の土地需要が上がって来ているのに気が付いている。
大震災後の東京は政府の近代化の号令の元に大変貌を遂げ、江戸明治の面影も無い都市になって行くのだ。
その計画が最近発表されたので、古き良き江戸以来の風情を愛していた人々は東京に見切りを付け、いよいよここ鎌倉に移住して来る。
お陰で二三年後の鎌倉の人口は震災前の倍以上に膨れ上がるのだ。
今はまだ半分農村の姿を残す辺りもどんどん宅地に変わり、大正独特の和洋折衷様式の街並みを成し、また昭和平成まで残る美しい路地なども皆この時期に出来上がる。
その反面今日のような開発競争も起こる。
決断するなら早い方がいいが、この先昭和恐慌までの日本経済は緩やかなデフレが続く事がわかっていて、安全策を選ぶなら現金で持っているのもまた悪くないのだ。
だが戦後の高度成長期までを考えれば断然土地に投資だろう。
結局その日は考えがまとまらず、いつの間にか眠ってしまった。
次の日の朝道雄君が今読んでいる英国浪漫主義と、日本の自然主義文学の違いについて尋ねて来た。
この自然主義と言うわかり難い用語はかの夏目漱石が言い出したもので、実際日本で流行ったのはナチュラリズムと言うよりただの現実主義にすぎない。
その事についてもっとちゃんと説明しようとして、突如閃いた。
「カフェ浪漫主義」だ!
大衆向けの現実主義的な小説に押され、格調高い浪漫主義の詩文は衰退して行く。
また英国のラファエル前派も大正浪漫も美術やデザインまでを含む総合芸術だ。
鎌倉に浪漫の時代を象徴するような店造りが出来れば、大正の和洋折衷様式の和中心の茶画詩庵と洋中心のカフェ浪漫主義で相互に補完し合えるだろう。
問題は当時の土地代よりはるかに掛かる建築費だが、これは土地だけ買っておいて建物は後回しでも良い。
昭和恐慌前後でデフレがインフレに切り変わる頃に建てても良いのだ。
建築と内装のイメージはすでにありありと浮かんでいる。
まず建物の四囲を銀杏で囲み、窓際は春咲きと秋咲きの薔薇を交互に植える。
銀杏は黄葉は勿論のこと若葉も良いし、夏の木陰も冬の落葉や枯枝も美しい。
その中に焦茶の柱と黄土色の壁に濃緑の扉と窓枠、真鍮色のランタンを沢山灯した木造の二階建ての洋館を建てる。
店の正面の壁は英国浪漫派のラングの装丁画を巨大に引き伸ばした感じで、客が本の中に入ったように見える壁画を描こう。
左右の壁面は夢二の版画を並べ、大正浪漫調を強烈に打ち出すのだ。
女給さんは和服の上にエプロンとカチューシャ!
ああ、吉井さんの名作の珈琲の歌と酒の歌も書いて貰って入口近くに飾ればきっと評判になる。
洋風料理のレシピは実は和菓子より沢山知っているから全く問題無い。
ただ酒と料理を出すならさすがに本職の料理人が必要だ。
誰か任せられる人がいれば、私はオーナーで楽が出来るのだが………
まあその辺はじっくり探して行けば良いだろう。
投資のイメージが決まれば善は急げだ。
まずはその夢も良い土地が売りに出ていなければ話にならない。
確か駅の西口で仮店舗ながら地元の不動産屋が再開していたはずだ。
私は茶画詩庵が少し暇になる昼下がりに、店を道雄君に頼んで見に行った。
思った通り売地は結構出ている。
被災した建物の再建を諦めて売りに出した所や、農地山林を含めて新規開発予定の所もある。
その中で駅前や若宮大路の売地は二三あるがやはり高い。
しかし高いと言っても戦後昭和の土地価格を知っている私に取ってはただみたいな物だ。
だが未来の鎌倉の繁華街を知っている私は、この当時の表通りより今後発展する小町通りを狙う。
今は若宮大路の裏道で半ばは畑中の農道に過ぎない小町通りだが、良さそうな場所が一箇所だけ売りに出されていた。
二百六十坪で八百五十円。
面積からすれば田端さんから買った土地よりかなり高いが、裏路地を入った所にある農地山林と駅から近い商業地の差を考えれば適正価格ではある。
店主もそこは売りに出たばかりで、これからがんがん値上がりする地域だからお買得だと薦めて来る。
現場は私も何度も通った事があるのでわかっているが、さてどうするか。
土地代だけなら今すぐにでも十分払えるのだが………
実はもう一箇所気になっている売地があった。
場所は茶画詩庵より北で駅からは離れるが八幡宮の横の小山一つが付いた三百八十坪の平地だ。
だが三百八十坪のうちの半分は半端な形で、庭か駐車場にしか使えない。
山林は二千二百坪で全て合わせて七百円。
巨福呂坂に通じる道沿いで、将来は車の往来も多くなる立地だから駐車場用地もあるに越した事はない。
私はどうしても自然林の山に惹かれてしまうのだ。
一日の差で売れてしまう事もあるだろうが結局即決は出来ず、一旦帰って玉依姫のお告げを聞く事にした。




