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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
34/79

34 日夏耿之介

二月も半ばの北鎌倉浄智寺の見事な老梅の下で、芥川君と大きな黒マントに黒い山高帽を被った黒ずくめの男が話していた。

「やあ日夏君じゃないか、久し振りだな。」

異端の詩人日夏耿之介だった。

彼と芥川君とは学生時代のアイルランド研究会以来の知己で、共に数年前まで鎌倉に住んでおり、同時期に鎌倉で静養していた萩原朔太郎とも親しく行き来していた仲だ。

自然とお互いの近況や最近の文壇の事を話し出す。

「立ち話もなんだから、この先の巨福呂坂を越えた所に良い茶屋がある。君もどうせ探梅がてら鎌倉駅まで行くのなら、そこでゆっくり話そうじゃないか。」

「俺も一服したかった所だ。そうしよう。」

その道々芥川君が茶画詩庵の事を、さも我が物のように自慢気に語る。

女神の浄域の話になって、不意に日夏が怒り出した。

「八百万の神々などもう古い!今は邪宗門、黒衣の聖母の時代だろ!!」

この辺の題材は今流行なのか、二人揃って小説でも取り上げてている。

「はははっ、君ならそう言うと思ったよ。」

「しかもあの蒲原大先生の唯一の弟子だと!巫山戯るな!!」

日夏耿之介は内心蒲原有明の詩に心酔していて、有明没後の全詩集刊行は彼の手による労作だ。


茶画詩庵に着くと店に上がる前に芥川君が彼を玉依姫のやぐらに案内する。

「ふん!」

彼にも女神の神気は感じられるようだが、彼は素直には認めない。

木花咲耶姫の祠の方は庭の作業中なので、まだ客には公開していなかった。

そんな彼等の経緯も知らず、私は店に上がって来た二人を座敷に案内する。

床の間の掛軸は田能村直入の梅花書屋の画讃だ。

「朝比奈君、こちらは日夏君だよ。」

「ああ、朝比奈です。『黒衣聖母』は詠みましたよ。」

実は21世紀の文庫本ではチラッと読んだが、この時代では買ってもいない。

『黒衣聖母』も後世では高値になるので、今度本屋に頼んでおこう。

日夏君はしばし竹田の軸に見入っていたももの、

「ふんっ!」

と言って席に着いた。

庭の梅には今週から盛んに鶯や目白が来て、可愛らしい声を聴かせてくれる。

今の茶画詩庵は掛軸の画中そのままの文人の楽園だった。

「この庭こそウィリアム・モリスの『地上の楽園』だな!」

芥川君も満足そうだ。

二人に抹茶奥麗と鶯餅のセットを出す。

これには日夏君も時々庭を眺めながら至福の表情を浮かべて味わっていた。

しかし茶菓を食べ終わった彼はやおら立ち上がり私を指差した。

「よし君、それなら俳諧で勝負してやろう!」

………………?

何の事だろう。

「あはっはっは!それは面白そうだ。我々も今度ここで句会をやる予定だったから丁度良い。やろうやろう!」

芥川君も乗り気のようだ。

「句会は良いんだが………」

「久米君には日夏君も参加だと僕から伝えておくよ。」

どうやらなし崩しに俳句勝負とやらが決まってしまった。


梅と鶯の声を聴きながら評判の鶯餅を味わおうと、店も連日大入りが続いている。

二日後には大佛君と吉井さんが折よく来合わせた。

店内が満席で庭の緋毛氈の縁台に座って貰ったが、間近の梅に鶯が鳴いていて返って喜ばれた。

二人は耳聡く俳句勝負の事も知っていた。

「聞いたよ、面白そうじゃないか。私が選者をやってやろう。」

吉井さんも参加のようだ。

「僕は恐ろしそうだから、見学にしておきますよ。ああっそうだ!観戦記でも書けばどこかの雑誌に売れそうですね!」

「どうなるのか私にはわからないが、大佛君がそうしたいなら構わないよ。」

吉井さんは縁台の手焙りで鶯餅を軽く焼いて食べている。

そう言う姿が絵になる歌人だ。

「まあ歌合せのような物だろ?ああ、これから高浜さんの所に寄るんで鎌倉文士の俳句勝負と聞けば面白がるかも知れん。」

遂に俳句界の巨星、高浜虚子の名が出て来た。

吉井さんと高浜虚子とは古くからの知り合いだから、その名が出ても不思議はない。

茶菓を終えて吉井さんは幾首か短歌が出来たようだ。

大佛君も何かメモ帳に書いている。

こうして如月(きさらぎ)の麗日は過ぎ去って行った。


翌日は朝から植達さんが来て作業をしている。

夕方になり母屋へ私を呼びに来た。

一応春先の庭の仕事は今日で終わりだそうだ。

彼はやぐらの前の池の辺に牡丹の苗を植え終え、やや離れた所から満足そうに眺めている。

移築した茶室周りも仕上がり、あとは蒔いた花種が育つのを待つだけだと言う。

ただ畑の畦だった土中から、気になる物が出て来たので見てくれと連れて行かれた。

見ると一尺五寸ほどの石だが、人手で細工した跡がある。

ひっくり返してみるとかろうじて人の顔らしい部分がわかる程度の稚拙な石彫物だった。

これは多分………昔の田の神だろう。

もう一つ台座になっていたような石もあった。


私がそう告げて発見の礼を言うと、植達さんも事のほか喜んでいる。

「水田は無理だけれど、この神様の回りは瓜や茄子南瓜の小さな菜園にしましょう!また来て苗を植えておきますよ。」

きっとベジタブルガーデンの良いイメージが浮かんだのだろう。

二人で庭の西側の良さそうな場所に土を盛り、台座石を据えた上に田の神を安置した。

植達さんが口笛を吹きながら楽しそうに帰ったあと、私は玉の井の水を汲んで来て田の神を良く洗い灯明と御神酒を供えてお祀りしておいた。

田の神の石像は江戸時代の農村で広く信仰された、日本で最も数多く残る神像だ。

土中に埋まっていたから前の地主の田端さんも知らなかったのだろう。

その辺に転がっていても唯の石にしか見えないほど素朴な造りだ。

田端さんには今度会ったら話す程度で良いだろう。


菜園には菓子にも使えて花も実も風情がある南瓜を多めに頼んでおいた。

ついでに我が庭で作れそうな作物で菓子に使える物を知らないか聞いた。

その中では木苺やベリー類は良さそうだった。

彼も農作物には詳しく無いと謝っていたが、梅、桃、杏、柿、栗、伊予柑などの良い品種を探して植えてくれただけでも有り難かった。

春の大福用になんとか苺が欲しいがこの時代にはまだ出回っていない。

結局今年の春は鶯餅、桜餅、蓬餅で行く他なかろう。

まあ六月の実梅の時期まで耐えれば杏や梅ジャムを使った斬新な和菓子も作れる。

季節感が要らないなら大仏饅頭ならぬ兜形の八幡焼きなんか、鎌倉名物にはなりそうだが何だかなあ………

あっ、猫!

猫武者饅頭だ!!

兜を被せると耳が隠れてしまうから、兜下の前結びの鉢巻でちょっと笑った顔。

銘は「猫八幡」!!!

猫なら一年中茶色の饅頭で良いし、中身のジャムを春はオレンジ夏は梅、秋は葡萄に冬は林檎と変えて行けば飽きない。

未来で鎌倉の食べログをやらされていた私の勘が、これは間違いなく鎌倉名物になると叫んでいた。

これなら木型で手間をかけずに量産出来るし、長年作って行くなら金型を注文しても十分元は取れる。

和菓子はこの猫八幡を主力に、鶯餅桜餅などの従来からある物に一工夫加えた季節の物でやって行けるだろう。

洋菓子の方はどうしても薪オーブンでの少量生産は効率が悪すぎる。

当面はフライパンで作れるスコーンなどに止めるべきだ。


猫八幡の試食は当然大佛夫妻とデベッカさんにお願いした。

見た途端まだ一口も食べる前に、全員が笑いながら「合格っ!」と言った。

まずは手作りの整形で顔は強そうなのと笑顔と二種類試作したが皆笑顔の方を支持した。

中身は冬に作った蜜柑ジャムで、味の方もまあまあ悪くない評判だ。

柑橘系で行けそうなら伊予柑ママレードも試したい。

伊予柑は今が時期なので注文すればすぐ手に入る。

この評判ならもう明日にでも金物屋に金型を頼みに行こう。

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