32 立春
今日はいよいよ立春、茶画詩庵も午前からの営業を始める日だ。
営業時期は通年で午前十時から午後五時まで、土日はお休み。
私と道雄君しか居ないから、当面これで精一杯だろう。
庵の周りは紅白の梅が咲き、庭は花の香りに包まれている。
木花咲耶姫の祭礼は八幡宮の巫女さん方も参加したいと言うので夕方からの予定だ。
新作菓子の準備も出来て、十時に店を開けた。
店内にはしばらく前から営業時間の変更の貼紙を出してあり、若宮大路と駅前にも頼んでポスターを貼らせて貰った。
まあ、従業員が一人増えた分くらいの増益になれば良いのだ。
のんびりやろう。
そう思っていたら開店と同時に続々ご来店となった。
常連の御婦人方がそれぞれ友人を誘って来てくれたようだ。
家事や仕事の都合で午前中でないと来れない人も多かったらしく、話題の菓子を是非一度味見したかったと言う。
やはり御婦人方には新作の鶯餅は可愛い香りが良いと大人気で、それと珈琲の組合せが多く道雄君も大忙しだ。
もう飲物は全部彼に任せても大丈夫だ。
鶯餅は開店前に作ってあるので、私はお運びと会計だけで良い。
そんな調子で午前中だけで普段の一日分の売上を超えてしまった。
昼時の客はやや減ったものの、以外と三色団子の評判が良い。
春らしい色の華やかさが効いたか。
年が明けてから鎌倉駅前の復興もだいぶ進み仮設店舗の食堂も増え、昼食時は建設作業員達も多く来て賑わっていた。
なのでこの庵まで来る昼食客は少ないだろうと思っていたのだが、鎌倉夫人には我が庵の静かさの方がお気に召すようだ。
昼食時が過ぎた頃ようやく客足もやや途絶え、私と道雄君は交代で昼食を取った。
午後は新作のオレンジスコーンを注文する男性客が増えて、私もかなり忙しくなった。
オレンジスコーンは焼き立てを出すので、鶯餅より時間が掛かるのだ。
いつもは午後四時を過ぎると客もぐんと減ってくるので、店は道雄君に任せて私は祭礼の準備に掛かる事にした。
庭からほんの少し裏山を登った所に坐す木花咲耶姫の祠へ行き、まずは礼拝する。
女神像を石積みの祠から出して羽箒で像の埃を払う。
普段も折々に掃除しているが、きょうは特別丁寧にやっておく。
像の傷を修復した跡もだんだん風化して来て、周囲の色との違いも目立たなくなっている。
祠の中と辺りの掃除を済ませ、持って来た小机を祠の前に据えた。
その上に紅白梅を活けた花入と燭台を置く。
あとの供物は儀式の時だ。
座敷の方は昨晩考えたのだが、立春にふさわしい掛軸が無かった。
梅を描いた古画はあるのだが、実物の紅白梅を花入に活けてあるので使えない。
また古俳諧では立春即ち元日だったので、みな正月の句になってしまってこれまた使えない。
もう梅の漢詩で良いかとも思ったが、ここは自作で行ってみようと冒険心が出てしまった。
そうして色紙に書いた自作の短歌がこれだ。
[春や春階高き舞殿へ顎上げて東風の巫女達]
今日来てくれる巫女さん達と八幡宮の復興への想いを詠んだ歌だ。
これを色紙掛けの軸で紅白梅の花入と共に床の間に飾っておいた。
茶菓酒肴はすぐに出せるようになっている。
あとは皆を待つだけだ。
文士連中は閉店前に皆揃った。
巫女さん達もお勤めの後、巫女装束のまま六人も駆けつけてくれた。
先日試食会に来た八人の内二人だけは都合が付かず残念がっていたそうだ。
皆玉ノ井でお清めを済ませ木花咲耶姫の祠下の庭に並ぶ。
まず私が白木の台に乗せて御神酒と鶯餅を供え、続いて透音さんが灯明に火打石で火を付け拝礼する。
その後順に一人一人姫神の元に進み出て拝礼。
そして今日は透音さんに代わって別の二人の巫女さんが連舞を奉納すると言う。
澪さんがまた篳篥を奏でてくれた。
残る四人の巫女さんが鈴と鼓で拍子を取る。
梅枝を飾り付けた花冠を被る二人の巫女舞は、大層華やかでまた高雅だった。
花の女神のお膝元、梅の香り漂う春の庭での雅楽連舞は、私にはまさに夢幻楽土の光景に思えた。
儀式の最後には私が祝ぎ歌を献詠した。
ゆったりとした抑揚で山々にまで響き渡るように、言霊を込め朗々と詠み上げる。
[歌ひとつ詠めばいつしか魂の〜 還る辺に花ひとつ咲くらむ〜〜]
この地で木花咲耶姫に寄り添って生きる、我々文人達の偽り無い気持ちだった。
立春の日の最後の夕映えが、小さな姫神像の横顔を照らしている。
山の深くで鶯の初音が聴こえた気がした。
皆はほーっと息をついた後ぱらぱらと拍手が始まり、やがて盛大な拍手歓声へと変わって行った。
そして座敷へ移り茶菓酒肴の宴となった。
鶯餅は今日の店で売れ過ぎて残り少ないので女性優先とした。
男性は酒飲みが多いので誰も異論は無い。
巫女さん達はまた、鶯のどこから食べ始めるかと言う楽しい話題を繰り返していた。
その中でいち早く透音さんが床の間の私の短歌を見つけてくれた。
「あっ、このお歌!〜〜〜東風の巫女達。私達をこんな綺麗に詠んでくださって、感激です!」
「先程の献歌も感心したが、これも良いじゃないか!君の祝ぎ歌は真情が込もっていて詞も上手いね。」
吉井さんが褒めてくれた。
「恐縮です。」
「私の同人誌に何首か出さんかね?」
これはお世辞じゃ無く本当に気に入ってくれたのだろう。
「それは光栄なお話しですが、私の歌は女神達に聞いて貰うために詠むだけで……」
「そこが君の一番羨ましい所だよ。ではせめてこの色紙を私にくれんかね?」
「駄目です先生!それは私が頂くのです!!」
透音さんが横から駄目出しをした。
「透音さんだけ狡い!私達も記念に欲しいです!」
ほかの巫女さん方もご所望だった。
「ああ、では巫女さん方には今日のお礼に後で皆さんに書いてお持ちしますから。」
「わあ、有難う御座います!!!」
いやぁ、こんなに喜んでくれるなら何枚でも書こう。
「楽しそうだな。」
芥川君が割って入って来た。
久米君も
「俺達もまた句会をやろうよ!」
「僕もあの後勉強して結構上達したんだよ。」
大佛君もやる気だ。
「私は俳句だって詠めるぞ!」
と、吉井さんの参加も決まった。
「おう。じゃあ久米君また幹事を頼むよ。」
「うん、決まったら連絡するよ。」
「前回が晩秋か初冬頃で今度が春だ、どうせなら四季の定例句会にしようじゃないか!」
「賛成!!!」
芥川君の提案で鎌倉文士達の四季の句会が決まった。
ここから古き良き時代の楽園での文士達の高雅な四季の宴が知られるようになって行く。
やがて巫女さん達と澪さんは八幡宮に戻って着替えるからと、ひと足先に一緒に帰って行った。
文士達はまだ酔っ払いの文芸論に熱中している。
こうして花の女神復活の祭礼は、歌舞音曲と句歌の宴で盛り上がった。
夕暮空は春らしい紫に染まり、地上の園は梅の香を湛えつつ宵闇に包まれて行った。




