30 江ノ島の異変
一月もあと数日で終わり、それからはすぐ立春だ。
昔ならその前に火鎮祭大祓い追儺と行事が続き、立春正月となっていた。
地方の旧家などでは今も旧暦で正月をやる所も多く、私も真の春を喜べる旧暦正月の支持者だ。
今朝の庭先では寒紅梅が数輪咲き始め、白梅も早い木は来週には咲き出すだろう。
そして立春の日には木花咲耶姫像の祭礼を執り行う。
土蜘蛛に襲われて傷ついた花の女神が復活する日だ。
その立春からは営業時間が増えるので、精々それまではのんびりやろうと店に座っていると、透音さんが駆け込んで来た。
「江ノ島にかなりの瘴気が出ました!」
「江ノ島?」
「はい、江ノ島神社の下の洞窟です。」
透音さんは人手が足りなくなった江ノ島神社の祭礼を手伝いに行き、そこで瘴気を見つけたらしい。
「その様子じゃあ、すぐに行った方が良さそうだな。」
透音さんの息が少し荒い。
現場から急いでここへ知らせに来たのだろう。
「はい、宮司さんにも瘴気が見えるそうで、心配していました。」
「では支度してすぐに追いかけるから、君は先に江ノ電の停車場へ行ってくれ。」
「お願いします!」
私は装備を取り出しながら道雄君に店を頼んだ。
閉店にはまだ一時間以上あるが、夕方になれば客は少ないから大丈夫だろう。
停車場の手前で透音さんに追いつき、並んで歩きながら現場の状況を聞く。
瘴気は磯辺の龍神の洞窟から漏れていてかなり濃く、彼女一人では危ないと判断し私を呼びに来たようだ。
江ノ島神社も震災の被害を受けて幾つかの社と土産屋が倒壊している。
洞窟も今は立ち入り禁止になっているそうだ。
震災後早々と復旧した江ノ電に乗っている間ももどかしく、江ノ島駅に着くや否や走り出そうとして思い出した。
確か駅のすぐ近くに吉井さんの借りている家があった。
その家を訪ねると運良く吉井さんは在宅していて我々と一緒に来てくれた。
彼にも道々状況を説明しながら、間もなく現場の磯辺に着いた。
江ノ島に二つある洞窟の短い方の、以前見つけた北条氏の三つ鱗紋の元になった龍神伝説の残る洞窟だ。
洞窟の前の岩場は大潮の満潮時は水没し、波が荒ければ洞窟内まで海水が押し寄せる場所だ。
今は引潮で岩場を渡り洞窟内まで行ける。
ただしその洞窟口から瘴気が溢れ出していなければだ。
月齢では大潮はあと三日後のはずだ。
「これはまずいな。大潮になると何かが起こりそうだ。」
「今は引潮ですがもう二時間ほどで満ち潮に変わるそうです。」
「では日の沈む前に始めよう。透音さんが神鈴、吉井さんは祝詞をお願いします。私は邪鬼に備えて前に出ます。」
「はい!」
「おう!」
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
「天都水〜!」
「磐を穿ちて海神の〜!」
シャンシャンシャン
「遠止美の陰を御明らひ坐せ〜!!」
シャンシャンシャン
「”神楽舞“!」
………………
たちまち辺りの瘴気が消え洞窟の中が見えているが、その奥は照明も無く暗くて見えない。
カンテラを持って来たのは私だけなので、灯を着けそろそろと洞窟内へ入って行った。
二人はその後ろに付いて来る。
三十メートルほど進んだ時に前方に気配を感じた。
奥は真闇に包まれ良く見えない。
「瘴気です、朝比奈さん!」
透音さんが小声で告げた。
彼女は私より探知能力は上だ。
最も探知に優れているのは白妙だが、今日は来ていない。
「ああ、わかった。」
私はカンテラを掲げ、より慎重に進む。
どうやら奥の瘴気もこちらに向かい、ゆっくりと増えて来る。
これは奥に相当強力な邪鬼がいそうだ。
………………
「一度戻って明りを借りて来よう。皆もカンテラ一つだと戦闘の動きが見え辛いだろう。」
幸い満ち潮までにはまだ時間があるし、瘴気の湧き出しはゆっくりしている。
「はい、では急いで神社から借りて来ましょう。」
我々は瘴気から後退り洞窟の入口に戻った。
「宮司さん達はこちらです。」
と透音さんに先導され、島の上にある仮設の社務所で手提灯を借りた。
今度は宮司さんも付いて来ると言う。
洞窟の入口で一旦止まり、宮司さんはそこで見ていて貰おう。
我々三人は戦闘に備えて簡単に打合せしておく。
「私が前で敵を牽制する、吉井さんは中衛から攻撃、透音さんは後ろで援護してくれ。もし誰かが傷を受けたら霊薬を頼む。」
「はい、お任せください。」
「私は少し離れて攻撃だな。わかった。」
「それから吉井さん、いざと言う時は大昔の祝詞よりご自分の短歌の方が強いと思います。」
「ほう、それは何故に?」
「言霊に最も神威を乗せ易いのは自分の心が籠った詩歌です。吉井さんならきっとその方が良い!」
「よし、それで行ってみよう!」
私は持っていたカンテラを腰に下げ、八片焔剣を抜いた。
「ではみんな、行こう!」
洞窟を進んで行くと瘴気は先程より十メートルほど進んでいた。
濃さは変わっていない。
「透音さん、神鈴と祝詞を頼む!」
私も剣を構える。
今回の敵の邪鬼は多分水属性の物の怪だろう。
だったら火属性の剣は効くはずだ。
吉井さんも神筆を構えた。
「行きます!」
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
「海坂の〜!」
「洞より出でし醜水の〜!」
「常闇祓ふ御音の千千鳴る〜〜!!」
瘴気が縮小し闇が後退し始めた。
シャンシャンシャン
「”振鉾舞“!!」
…………シュワァーーーッ!
透音さんの膨大な神気が渦を巻いて瘴気を吹き祓って行く。
ほの白い光の旋風のようだ。
瘴気は跡形も無く祓われた。
どこからか静澄な空気が吹き渡った。
我々は瘴気の晴れた洞窟をさらに進む。
やがてその奥に姿を現したのは………巨大な蛇のような怪魚。
大鱓の邪鬼だった。
これまでの邪鬼と同じように青黒く脈打っている。
神気に抑えられ動きは鈍い。
私はすかさず突進の勢いそのままに敵の眉間へ剣を突き入れた。
身を畳んで蹲っていた怪魚が吹き飛びその全身を晒した。
全長六七丈、頭の直径四尺ほどでヌメヌメと蛇のような動きだ。
苦しんでいるのだろうか、身をばたつかせて近づけない。
「吉井さん!」
「おう、待ってたぞ!」
彼は神筆を前方へ突き出し滑らかな動作で言霊を唱える。
「夜もすがらとどろとどろと鳴る海の〜!」
足は韻律に合わせて軽く四股を踏む様な所作だ。
「音ばかりかは夢を破るは〜!」
………一瞬の溜めの後
「“か〜に〜かくに〜”!!!」
神筆から光線のような神威が大鱓を襲い、奴の喉から胴を貫いた!
神威が収束した喉の傷から煙が立っている。
大邪鬼相手に初撃から当てるとは大した手練れだ。
間を与えず私も奴の鰓脇に足を据え連撃を叩き込む。
ここで調子に乗ってはいけない。
一旦下がる。
敵は身を丸めて蹲っていたが、突然尾をバネにして空中から飛び掛かって来た。
危うく剣を盾に直撃を逸らす。
何とか踏み止まったがあの巨体の直撃をまともに喰らえば、一撃で戦闘不能にさせられる。
大百足より俊敏で動きも多彩なようだ。
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
後方で透音さんが濃密な神気を放ち、敵の動きを抑える。
吉井さんもまた言霊の一撃を狙っている。
敵はもう一度同じ動きで飛び上がり、正面から襲い掛かって来た。
同じ手を二度は食らわない。
私は大鱓の飛び掛かりを躱しざま、奴の横腹を切り裂いた。
焔剣は奴の体表のぬめりにも斬れ味を落とさず、焼き切るように鱗を飛び散らせ肉を断った。
「………人の哀しみ知る術もなし〜!」
「“かにかくに〜”!!」
吉井さんの神筆から神威が迸り、こちらに気を取られていた敵の背に突き刺さる。
動きが止まった、チャンスだ!
私は奴の脇から大きく踏み込み、首に突きから始まる連撃をお見舞いした。
右袈裟斬り、左逆袈裟、横薙ぎ、そして上段からの斬り下ろし!
毎朝の鍛錬で、剣の速さも正確さも以前の比では無い。
そして深追いせず再び退く。
今度と言う今度は私もミスを犯さない。
尾鰭を回して叩き付ける動きを見据え、すっと斜めに位置を取り直し、敵の死角から大きな眼に焔剣を突き刺した。
大鱓は、どうっと横倒しになり動かなくなった。
再度引いて喉下から脳天へ抜ける止めの突きを狙おうとした私の横から
「やったか?」
と吉井さんが身を乗り出した。
「あっ………」
案の定吉井さんは突如起こった邪鬼の最後の足掻きに吹き飛ばされて転がった。
しまった、彼にも邪鬼共がよくやる最後の悪足掻きを教えておくのだった!
「透音さん、霊薬!」
「はい!」
私は大鱓が出口の海の方へうねうねと逃げて行くのを追う。
透音さんは奴が這って来るのをひらりと跳んで躱しながら一回転。
「“八乙女舞”!」
シャン!
と、吉井さんに駆け寄りながらも敵に弱体化を掛けてくれた。
私は逃足の鈍った大鱓に楽々追いつき、助走を付けて奴の頭上に跳び上がり、全体重を乗せて脳天へ深々と八片焔剣を突き刺した!
「“滅却ぅぅぅ“!」
剣は仄かに赤く輝き、その傷口から炎が吹き出す。
やがて巨大な邪鬼は全身灰となって消えて行った。
二人がこちらへ歩いて来た。
吉井さんは何とも無かったのだろうか?
「いやぁすまん。しくじった。」
「無事だったんですか。」
「吉井さんはおでこの辺りの傷が見る見るうちに青黒く腫れて来たんですが、お薬を塗った途端すうっと腫れが引いて!膝も打ったみたいですが、そちらの痛みももう無いそうです。」
「それは良かった。私が前もって奴らの習癖を話していれば………」
「何の何の!むしろ傷跡が少し残ってくれれば、知合いに武勇伝の証拠と見せて回れたんだがね!はっはっは!!」
「………さすが官軍の将の血筋ですね、安心しました。」
大歌人は全然懲りた様子もなく豪傑笑いをしていた。




