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神聖鎌倉文士伝  作者: 探神院
27/79

27 孤児

そして翌朝ぼろぼろの包み一つでやって来た彼を、まずは玉依姫のやぐらに連れて行った。

彼は作法通り二礼二拍手一礼で参拝出来た。

「…優しいお顔で、辛い事も忘れさせて………」

少し涙ぐんでいる。

彼も神気がわかるようだった。

納屋と茶室を教えながら庭を一巡りした。

母屋の各部屋と風呂厠井戸の使い方も説明して行く。

彼の私室は二階の物置代わりになっていた四畳半を綺麗に掃除して、布団と文机と手炙りの火鉢だけは出しておいた。

押入れの中に箪笥もある。

障子窓を開けると西の山が一望出来た。

「ここがこれからの君の暮らす部屋だ。」

「こんな良いお部屋を私一人で、良いんですか?」

それほど良い部屋では無いのだが、避難所や寺では大部屋に雑魚寝が当たり前だから、私室を貰えるとは思わなかったのだろう。

「必要な用具や衣類は追い追い揃えよう。取り敢えず荷物を置いて買い出しに行くよ。」

「はい、何から何まで有難う御座います!」


年明けの町は流通事情も改善したのか前より明るさを取り戻し、露店からバラックの共同仮店舗に移った店も多い。

古着屋もその中にあった。

そこで彼の服を見繕ったのだが、良さそうな物がなかなか無い。

少し慣れたら客の前にも出てもらうので、多少は見栄えのするものを買っておきたい。

あの庵で若い者に似合いそうなのは………

これだ!

茶屋の店員風の物を考えていたのだが、白絣に紺の袴で書生風の上下が良さそうだ。

合わせて冬用の紺色の半纏も買い、他の露店で日用品と食糧も調達した。

庵に帰って彼には二階で着替えて来るように言い、私は昼食の支度だ。

降りて来た彼はもう見すぼらしい孤児では無かった。

鏡台の前に立たせてやると、恥ずかしそうと言うより珍しそうに見ていた。

これでまず見た目だけは合格だ。

二人で厨の調理台で握り飯の昼食を済ませ、午後は彼に掃除から覚えて貰おう。

掃除道具を渡すと、

「お寺でも仕込まれたので、大丈夫だと思います。」

と頼もしい。


ではそちらは彼に任せて、私は英国ビクトリア朝の家具を入れた部屋の仕上げに掛かろう。

食器棚とテーブル椅子はすでに設置してあるので、あとは飾りだけだ。

年末に横浜で見つけた青木茂のデッサンを壁に掛ける。

壁の面積にしてはやや小さいが、それでも無かった時とは見違えるほど上等な部屋に見える。

額絵も家具も震災の被害を生き延びた貴重な美術工芸品だと思うと感慨も一際だった。

もっともそのお陰で格安で入手出来た訳だが。

洋書棚の上には鳳凰の絵柄の南京赤絵の花瓶を置く。

色絵の花瓶は花を入れなくても飾りになる。

むしろ生花を活けると絵が煩くて邪魔に見える事も多いのだ。

部屋の隅に暖房用の大振りの火鉢を据えた。

床が畳なので火鉢も似合う。

照明は昼は障子明りで十分だが、夕方は卓上にオイルランプを置いたほうが良いだろう。

春夏は赤絵に替えて古染付の花瓶がある。

ああ、将来蓄音機を買えたらこの部屋で音楽と珈琲と古書の夕べなんて、この時代なら最新流行だろう。

ランプの下に敷くリネンの布だけ出して来て、この部屋は仕上がりだ。


掃除中の彼の様子は辛そうな事も無くてきぱきとやっている。

私は安心して座敷に移った。

正月七日を過ぎて松飾は片付けたが、新暦新年から旧暦の立春までの冬の床飾りに迷う。

新年の賀状に新春とか迎春とか書いてあると、その後に来る寒の入りの掛軸は春物か冬物か困るのだ。

だから私は新暦は嫌いなのだ。

仕方なく無難に幕末円山派の雪中鴛鴦の図を選んで床の間に掛けた。

鴛鴦が色鮮やかなので冬場の花が乏しい時期に重宝する絵柄なのだ。

柱掛けには先日皆に書いてもらった短冊を順に飾る事にした。

残る玄関飾りは(うずくまる)壺の花入に白玉椿だ。

帳場箪笥は玄関に移動してあり、その上に花入を置いた。

鎌倉は温暖の地なので水仙も一月に咲くが、私はこの寒椿の少し膨らみかけた蕾が待春の心に寄り添うようで最も好きだ。

花は明日の朝に庭で剪って、玉依姫と木花咲耶姫にもお供えするつもりだ。

これで新装開店の部屋の準備は良いだろう。

おっと、また品書きを忘れるところだった。

新商品の品書きを終え厨の調理の準備も整った。


道雄君の掃除も終わったようで、井戸端で雑巾を干している。

風呂から厠まで綺麗になっていた。

「ご苦労さん。どこも綺麗になっているよ。」

「有難う御座います!何か他に御用は?」

「いや、今日はもう良いよ。少し休んで夕食にしよう。」

「はい。」

夕食は新しい部屋のテーブル席で試す事にした。

内容はいつもの一汁三菜だが、膳を使わず洋風の盆で運んだ。

「わあ!こんなハイカラな席は初めてです。でも洋風のマナーは全然知らないんですが………」

「良いよ良いよ。今晩のはそもそも和食だしね。」

「はい、では頂きます。」

テーブル席の雰囲気は私も満足出来た。

オイルランプの明りも浪漫があって良い。

道雄君はあっという間に平らげてしまった。

育ち盛りだから少しご飯も多めにしたのだが、労働量を考えればもっと多くした方が良いか。

「珈琲は飲んだ事があるかい?」

「いいえ、ありません。」

「じゃあ夜だと眠れなくなるから、明日飲ませてあげよう。」

テーブルの食器を二人で片付け、私は珈琲彼には番茶を用意する。

その間彼には風呂焚きを頼んだ。

食後のお茶を楽しみながら私は幾つか彼に聞いた。

「さて、今日一日どうだった?ここで続けて行けそうかな?」

「はい!僕には勿体無いくらい良い所でびっくりしています。」

「そう。もう少し慣れて来たら買物や店番もやって貰いたいんだよ。」

「何でもやります。よろしくお願いします。」

「それは助かるよ。自由時間は好きにして良いけれど、本が好きなら書庫から持って来てあげよう。」

「うわあ、良いんですか?上の学校に行けなかった分、勉強したいんです。」

「向上心があって良いね。ではわからない所は私が教えてあげよう。」

「本当に、有難う御座います。!」

「じゃあ今日は初めてで疲れたろうから先に風呂に入って休むと良い。」

「あの………一つ伺いたいんですが、何てお呼びすれば?」

「普通に朝比奈さんで良いよ。」

「いえそんな。こんな孤児を拾って頂いた大恩人に向かって………」

「じゃあ……店長、も変だな。何が良いか………」

「ではお師匠様とお呼びします。」

「ええっ、………まあ他よりはましか。」

こうして我が家の住人が一人増えた。


新装開店の日の朝はまた二人で買物に行き、道雄君に各種の店を覚えて貰う。

庵から歩いて十五分程だから、次からは一人で来られるだろう。

帰って私は白玉椿を姫神達に供え、玄関にも活けた。

道雄君は門前から玄関までの掃除だ。

調理はしばらくの間彼は見学だけにして、他の雑用から覚えて貰おう。

いつもと同じ握り飯の昼食を済ませ今年初の、そして新人店員の初の開店だ。


開店早々大佛君と酉子さんに以前一緒に来たデベッカさんが来てくれた。

早速新しい部屋に案内する。

「まあ、ジャパニーズスタイルのお部屋にブリティッシュティーテーブル。斬新で素敵じゃない!」

「このアーチ型の食器棚、うちも欲しいわ!」

そうそう、女性陣には受けると思っていたんだ。

もっともこの二人はとても褒め上手なんだった。

「朝比奈さんが大した改装じゃないと言ってたけれど、この部屋は座敷と全然違う雰囲気で驚きましたよ。」

「皆林檎のティーとスコーンをお願いね。」

「はい、只今お持ちしましょう。」

この日は三人とゆっくり話す暇もなく次々と客が訪れる。

大抵は常連さんで、しばらく店を休んでいたから再開をお待ちかねのようだった。

こうなると帳場と客の案内は道雄君に任せて、私は茶菓を作り運び片付けるだけに追われた。

大佛君達が帰りがけに、

「ああ、新しい子を入れたんだね。」

と、しばらく彼と話していたが、私は見送りも出来ない。

夕方近く久米君と芥川君が来たが、新しい部屋は満席で座敷に回されたのを残念がった。

だが座敷に飾られた自分の短冊を見つけた久米君が大喜びしてくれた。

閉店時間が来て私はようやく一休み出来た。

道雄君は帳場の方もしっかりやってくれたようだ。

初日から金銭管理をやらせるのも無茶だったが、あんなに客が立て込むとは思わなかったのだ。


店仕舞も道雄君がやると言うので任せて、私は珈琲を二人分淹れてテーブルに座った。

店の片付けを終えて来た彼も座り、今は抹茶碗の珈琲をじっと眺めている。

「ああ、お作法は要らないんだ。ただ飲むだけ。」

「そうでしたか、では頂戴します。」

まだ畏まっているみたいだが一口飲んで、

「わあ、初めて飲みました。苦いって聞いていたけれど甘くてとっても美味しいですよ!」

うん、気に入ってくれて何よりだ。

今の君は吉井さんの短歌にある

[珈琲の香を知り初めしその日から 夢見る人となりにけらしな]

の通りの顔だよ、若い人は良いね。

昨日までは震災孤児で沢山辛い思いをしたろう。

この女神の楽園に来たからには、出来るだけ笑顔でいて欲しい。

その日の茶画詩庵の売上は過去最高で、彼が居なければ大変な事になっていたろう。

やはり立春頃からは午前中から店を開けた方が、客も分散して良いだろうか。

この調子なら道雄君も十分戦力になりそうだから何とかなるだろう。

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