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「はぁぁ~~!解っ放!!」
ベッド上での安静を言い渡されて1週間。
もう大丈夫、治った、というシイラの声は無情に無視され続けた。
3日目で鍛練を始めたのがよくなかったのか、退院も許されず治療棟に拘束された。
久しぶりの外は空気が美味しい!!
せっかく退院したのに、まっすぐに城内の寄宿舎に帰るのは勿体ない。
治療棟から少し遠回りすれば庭園だ。そっちを回って行くことにする。
そろそろ春も終わり初夏になろうかという時期だ。庭園の薔薇も見ごろを迎えているだろう。
庭園は城の東側にあり、周囲を生垣で囲まれている。
主に貴族たちが茶会などで使うため、平民は滅多に立ち入らない。
シイラも中に入る気はなく生垣の小さな薔薇でも見て帰ろうと思っていた。
団長は、結局あれ以来見てないな。
この1週間、同僚や友人が見舞いに来てくれ、汚染区は無事に浄化されたと教えてくれた。
聖女様が汚染区に行ってる間は団長が護衛をしていたんだろう。
一般の負傷兵を団長が見舞うことなどないため見かけないのは当たり前だ。討伐後に治療院まで足を運んでくれたことすら、珍しいのだ。
団長は復帰や退職の挨拶を受ける役目があるし、それ以外にも多くの仕事を抱えている。
明日は復帰の挨拶に行かないと。
獣性抑制剤の効果も切れた今、自分は団長を“運命の番”と認識するのだろうか。
勘違い、勘違い!たぶん、初めての発情期でまともな思考ができてなかったんだよ。
きっとちょっと浮かれちゃったんだ。
“運命の番”を間違うわけがない、そう叫ぶ己の獣性から目を反らしそう断定した。
「ライオネル様っ」
ふと、庭園の中から考えていた人物の名前が聞こえ、ドキッと足を止めた。
「こっちです。ライオネル様。こっちに珍しい蝶がいて。」
鈴を転がしたような可憐な声。生け垣の間から微かに見えたのは、団長と彼の肩程の背をした小柄な少女の後ろ姿だった。栗色の髪を揺らし、この国にはない短い紺色のスカートを纏っている。
聖女様だ!
聖女様は異世界から来たという。もっと年上の人を想像していたが、声や体格から考えるに15~16歳くらいだろうか。
「お待ちください。そんなに慌てると転ばれますよ。」
穏やかな声が聞こえた。
団長だ。
途端に心臓が痛い程に脈打ち始めた。周囲の音が遠のいていく。
さあっと風が吹いて、薔薇のものとは明らかに違う芳香が届いた。甘く爽やかで、どうしようもなく惹かれるそれ。
生け垣の外のからでは団長の姿は遠く、小さく背中が見える程度だ。
それでも、その後ろ姿から目が離せない。
行かなきゃ、今すぐ掴まえないと
そんな思いが沸き上がり、無意識に一歩踏み出した。
その時、
聖女様が団長の腕を引いた。
急かすようにして庭園の中へ連れていく。
私の番に触るな!!
急に沸き起こった強い怒りに、ビクッと足が止まった。
え?今、私は何を……
自分は、あんな可憐な少女に殺気をぶつけようとしなかっただろうか?
ソノトナリハ、ワタシノモノ
ワタシノ“ツガイ”ダ
ドロドロとした醜い感情が沸き上がる。
知らず知らずのうちに威嚇するような声が喉から漏れていた。
団長がこちらを向いた気がして、パッと踵を返して駆け出した。
な、ななに?なに今の?
走りながらシイラはひどく混乱していた。
団長が聖女様に腕をひかれる姿が頭から離れない。
これはダメ。だめだめだめ。
今まで恋なんてしたことがない。
でも話しに聞く恋はみんなキラキラして可愛らしいものだった。
こんな醜い気持ちであるはずない。それとも自分の獣性だけこんなにも凶悪なのだろうか?
顔も知らない少女に殺気を向けるほど?
もしそうなら、何としてもこの獣性は抑えなければいけない。
この足を止めてしまえば、自分が何をするかわからない。団長と聖女様のもとへ行き二人の仲を引き裂こうと彼女に襲いかかるのではないか。
そんな焦燥に追われるようにシイラはひたすら走っていった。
――――――
がむしゃらに走って息が止まりかけた。腹部の傷がズキンと熱を持ったようにうずき思わずその場で立ち止まった。両膝に手をつき息を整える。
そういえばラビオリ先生から激しい運動は当分控えるようにって言われてた。
「あれ?シイラじゃない。大丈夫?」
明るい声に呼ばれ顔を上げると、ピンクがかった茶色の髪をおさげに垂らした友人が慌てたように駆け寄ってきた。
「あ、リコリス」
気づけば城門まで来ていたらしい。リコリスは外から帰ってきたようで、普段のメイド服ではなく可愛らしいワンピース姿をしていた。
「退院したの?大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと走りすぎちゃって。リコリスは…デート?」
明らかにおしゃれをしているリコリスだが、今はまだ昼前だ。帰ってくるには早すぎる気がする。
「そのはずだったんだけどねぇ」
リコリスがはぁっとため息を吐く。
「ドタキャンでもされちゃったの?」
「違うわよ!何度も頼まれたからデートしてあげることにしたのに、あいつ私に“番隠し”なんて贈ってきたのよ!?失礼にも程があるって帰ってきたの!」
「番隠し?」
「ちょっと前に流行ってたやつよ。“運命の番”除け。ほら、付き合ってるときに相手に“番”が現れたら困るでしょ?だから、それつけて匂いをわかりにくくするんだって。けっこう話題になってたじゃない。」
全然知らなかった。
恋とは無縁な独身騎士の悲しいサガだろうか。
「まあすぐに廃れたけどね。なんだかんだ“運命の番”は特別視してる獣人が多いし、信用してないみたいで失礼でしょ?それに――――」
「それだっ!!」
リコリスの説明を最後まで聞かずにシイラは大声を出した。
“番隠し”があれば“運命の番”を感知できなくなる。
シイラが今まさに必要としていたものだ。
「ありがとうリコリス!」
そう言うやいなや、城門を飛び出した。
「シイラ!?えっ?ちょっとー-??」
後ろ手にリコリスの声が聞こえたが、返事をしている余裕はなかった。
一刻もはやく“番隠し”を入手しなければ。