17
どれくらい走ったのだろうか。
城内を飛び出し庭園の隅まで辿りついたところで膝をついた。はあはあと息が切れてうまく呼吸ができない。
右手の“番隠し”が視界に入り、グッと拳を握った。
番なんてどうでもいい
団長は確かにそう言っていた。
当たり前だ。
花音様という可愛らしい婚約者がいるのだ。
番など二人の仲を邪魔する存在でしかない。
それなのに
鼻の奥がツンと痛んで視界が歪んだ。
「あれ?」
涙が地面に落ちる。
思わずその場にしゃがみこんだ。
涙なんてもう何年も流してない。
今回のように大きな失敗をした時も、仲間を喪った時も。
騎士になると決めて以来、人前はもちろん一人の時でも泣くなんてしなかった。
それなのに、なぜこんな事で。
団長は番を望んでなかった。
ただ、それだけのことじゃない。
だから番隠しをつけたのに。
私はどれだけ卑怯なの。
本当は、団長にいらないって、番なんか望んでないって言われるのが怖かった。
だから。
番隠しを必死に探した。
見つけてもえないことの言い訳に。隠してるから、しょうがないんだって。
望まれていない現実から目を背けていた。
何が心の中でも思うだけなら自由だ。
団長や花音様のためを装って、自分を守ってただけだ。
「最っ悪っ」
一度決壊した涙腺は止まることを忘れてしまったのかバカみたいに次々と涙が溢れてくる。
肘で拭ってみるがちっとも引く気配がない。
「どうぞ」
ふいに目の前に真っ白なハンカチが差し出された。
「あ、アルバート殿下。」
目の前には少し息を切らせた殿下が立っていた。
「擦ると腫れてしまいます。」
「す、すみません。ありがとうございます。」
こんな顔を見られてしまっただろうか。
顔を合わせたくなくて失礼と知りながら俯いたままハンカチを受け取る。
なんでこんなところに殿下が?
夕日も沈みかけている庭園の隅には人はおろか庭師さえいない。
「シイラさんが走っていくのが見えたので、気になって。すみません。」
まさか泣いているなんて思わなかったのだろう。
勝手に後を追ってきたことを謝罪される。
「いえ、そんな。」
殿下に謝罪させるなど、自分はなにをやっているのか。
慌てて立ち上がろうとしたが、それより先にアルバート殿下がストンと横に腰を下ろした。
庭園の隅に二人、しゃがみ込むようにして並ぶ。
「ロイドを庇って下さったと聞きました。」
前を向いたままなのは、顔を見ないようにしてくれているのだろうか。
涙の理由を尋ねることもせず、穏やかに話を続ける。
「なんとか一命を取り留めたそうです。じきに目覚めるだろう、と。ラビオリ医師からはもう少し弾がズレていたら致命的だったと言われました。シイラさんが庇ってくださったおかげです。代わりに腕を怪我させてしまいましたが…」
シイラの包帯で巻かれた腕を見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
シイラはただ黙っていた。
ロイド卿は王太子派の臣下であり、アルバート殿下の意思に背いた裏切者でもある。
助かったことを、どう思っているのだろう。
「彼は兄の護衛騎士なんです。幼い頃から兄上に付いていて、僕もよく一緒に遊んでもらいました。
兄上のように素晴らしい人になれ、って言うのが口ぐせで。小さい頃はそれに反発してよく喧嘩もしました。
……こんなことになってしまったけど、それでも僕にとってはもう一人の兄のような、そんな存在なんです。」
寂しそうに顔を曇らせたアルバート殿下は少し俯いた。
「……ロイドが動かせるまでに回復したら、パピノリアに連れて帰ります。彼はしっかり裁かないといけない。それに……兄上も。」
「アルバート殿下。」
自分の横にしゃがむ王子は少年といっても過言でない年だ。
それなのに彼の肩にかかる重圧はその年齢に相応しくないほどに大きい。
「すみません。慰めて差し上げたかったのに、僕の方がなんだか弱いことを言ってしまいました。」
ハハっと空笑いで誤魔化すアルバート殿下に首を振ってそれを否定する。
「いえ。自分は皆の作戦をあやうく台無しにするところでした。でも、殿下がそうおっしゃってくださってよかったです。」
「……シイラさんは真っ直ぐな人ですね。あなたのような人に守ってもらえるなら、聖女様も安心でしょう。」
殿下の言葉には苦笑を返すしかない。花音様の専属護衛だと思っているらしいが、自分にその資格はもうない。
「いえ。自分はもう聖女様の護衛をすることはないでしょう。今回の件の責任もありますし、おそらく謹慎の後、どこか別へ移ると思います。」
どのみち地方へ異動願いを出すつもりだったのだ。今回の謹慎が明けたら責任を取る形で小隊長を辞任し異動させてもらおう。辺境でリコリスの言っていた貴族子息を鍛えるのもいいかもしれない。
「そうなんですか?」
アルバート殿下は驚いたようにそう言うとしばらく考え込むよう黙ってしまった。どうしたのだろうか?そう思っていると、おもむろに口を開いた。
「……それなら…シイラさん、我が国に来ませんか?」
「え?」
「……僕には兄上のように専属騎士がいません。だから、これから国に帰った時、あなたのような人に一緒にいてもらえたら心強いと思うんです。
パピノリアは人の国ですが、隣国なだけあって獣人も少しはいますし、女性の騎士も多いんですよ。」
後半は少し早口になりながらもその目は真剣で、この場を慰めるための軽口ではなさそうだ。
「いえ、自分は平民です。殿下をお守りするような身分にありません。」
そう言って辞そうとすると、グッと強い力で右手を取られた。
「そんなことは気にしません。騎士に必要なのは身分ではなく力でしょう?それに、私はシイラさんに傍にいてもらいたいんです。」
思いのほか強い力と大きな手に驚いた。
15,16の少年だと思っていた殿下はしっかりと男性だったようだ。
真剣な瞳で見つめられ、何も言えなくなる。
これは騎士の勧誘だろうか?
シイラが迷っていると、パッと腕を話された。
「す、すみません。突然、こんな。……でも、本気で思っているので考えてもらえませんか?
明日、一度パピノリアに帰ります。もしシイラさんが来てくださるなら、私から龍王様に話しますのでそれまでに。」
少し赤くなりながらそれだけ言うと、アルバート殿下は駆けて行った。
パキンと右手の番隠しが壊れた音がした。




