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目を開けると見知った白い天井が見えた。
あの染みはお調子者のザーケルが天井まで跳ばされた時の物だったか。
確かウサギ獣人の看護師をナンパしたとかなんとか……
「ああ、気がついたか、ローゼン第4小隊長。」
役職名で呼ばれ、声の方を向けば美丈夫がいた。
肩までの長い黒髪を後ろで一つに結び、ルビーのような赤い瞳に片眼鏡。
女かと見間違う程の美人だが、不機嫌に寄せられた眉間の皺が美貌を台無しにしていた。
「ラビオリ先生。」
彼は城の専属医師で王の体調管理から騎士団の怪我まで城内全般の医療を束ねている。
シイラも戦闘や訓練での傷で何度もお世話になっている人だ。
仏頂面はラビオリ先生のスタンダードだが、今日は心なしか眉間の皺が多い気がする。
「シイラ・ローゼン、お前が一番の重症だ。」
「え“っ!」
驚いて頭を起こそうとすると、クラリと視界が揺れた。腹に力が入らず、枕に後頭部を沈める。
「出血過多による重度の貧血だ。動くな馬鹿者。」
ピシャリと叱る声に反して丁寧な手つきで脈やら熱やらを測っていく。
「腹部の傷は深いが、幸いにも太い血管は避けている。だが――――――最悪のタイミングで発情期が来たな。」
「その通りです。」
力無くうなだれて肯定した。
ラビオリ先生には発情期のことで何度も診てもらっていたからだろう。戦闘中に来たこともピシャリと言い当てられた。
「まぁ普通なら、めでたいんだが、な。」
ラビオリ先生はそう言ってはため息を吐き出した。
「発情期はいわゆる興奮状態だ。全身の代謝が著しく上がっている。そんな状態で腹部に重症なんざ負えば、出血過多になるのは目に見えてる。」
「すみません。」
朝から感じていた違和感を無視したのは自分だ。大人しく怒られるしかない。ラビオリ先生は怪我人には特別厳しい。
「はぁ。次はないぞ。それから、せっかく初めての発情期なところ悪いが獣性抑制剤を使わせてもらった。しばらくは匂いの感知もしにくいし、されにくい。」
「獣性抑制剤?」
「ああ。獣性を強制的に抑え込んで発情期を終わらせる。代謝が上がった状態では出血が止まらないからな。」
「なるほど。」
どうりで匂いがしないわけだ。獣人はそれぞれ固有の匂いがあり、それを嗅げば目を閉じていても相手を識別できる。まぁ気配に鈍くなったようなものだろう。
「発情期に関しては、全然かまいません。むしろ都合がいいというか、常用したいくらい…というか。」
「劇薬だぞ。」
「絶対しません。」
お薬乱用、ダメゼッタイ!
シイラが戦慄いていると、突然ベット横のカーテンが開いた。
「シイラっ!目が覚めたか!?」
飛び込んで来たのは熊獣人のベイルだ。走ってきたのか、短いこげ茶の髪に汗が飛んでいた。
「ベイルフット第3小隊長!!病人のカーテンをいきなり開けるなっ!!!」
「す、すみません!!」
途端にラビオリ先生に怒鳴り付けられ、ベイルがシュンと首を縮めた。
「ベイル。ごめん、ヘマした。」
助け船を出す意味もこめて声をかける。
倒れこむ寸前に聞こえたのはベイルの声だった。怪我を負った自分を救護テントまで運んでくれたのもたぶん彼だろう。
「ああ、救護テントでも輸送中でも全然起きないし、久々に焦ったぜ。」
そういえばここは前線付近の救護テントでなく、城内の治療院だ。どうやら思った以上に長い間時間寝ていたらしい。
「あれからどのくらい?」
「1日半だ。寝坊にも程があるぜ。」
「えっ!そんなに?―――ッ!」
ベイルの言葉に驚いて大声を出すと腹に響いて痛みが襲った。
「安静!」
ラビオリ先生の容赦ない指摘が飛んでくる。
「はい。」
起き上がることを諦め枕に後頭部を預けた。ベイルが横の椅子に座り覗き込んでくる。
「大丈夫か?」
「うん、はぁぁ。――討伐は?」
「ああ、あれからすぐ片付いたよ。お前が倒れた時、第一が応援に来てな。クラバット団長の飛行部隊にすぐ運んでもらえたし、討伐も片付いたよ。って言っても、ほとんどはうちの団長が一人で屠ってたから、残った雑魚達を掃除するって感じだったけど。」
「そっか。」
「汚染区の奪還は成功ってな。あとは聖女様に浄化してもらえば、あの土地もまた使えるようになるんだろうよ。」
魔物達に占拠された土地は瘴気が立ち昇り住めなくなる。
魔物は本来、「魔境」と呼ばれる場所におり、獣人や人間のいる場所は「境」と呼ばれる境界を隔てているため混じることはない。透明な壁のような「境」は大陸を縦に分断していると言われ、東側は魔物の領域、西をそれ以外の領域として分けている。
しかし数十年に一度、スタンビートなどにより「魔境」が溢れ、「境」を超えて魔物が出てくる。そういった土地は魔物のうろつく「汚染区」となるのだ。
これまで一度汚染された土地が戻ることはないと考えられていた。
だが、数週間前に突然、汚染区の瘴気を浄化できる「聖女」が現れたのだ。
その人は突然、龍王様の前に光とともに現れたらしい。
初めは不審人物として騒ぎになったが、浄化の力が判明しこの国の“聖女”に認定された。
「しかしあの瘴気を無くせるなんて、さすが聖女様だよな。」
ベイルが感心したようにそう言った。
「そうだね。」
だからこそ、団長との婚約も認められたのだろう。
第二騎士団長という立場にあるが、その強さから国防の要を担うとも言われている国の英雄と、誰もできなかった汚染区の浄化を成せる聖女。
英雄と聖女なんて、お似合いすぎる。
少し前までは自分も確かにそう思っていたはずだ。
それなのに…
意識を失う前に感じた、苦しい程に焦がれるあの衝動をどうすればいいのか。
すべてが気のせいであってくれたらいい。
ふぅと息を吐き出して気持ちを記憶を閉じ込める。
と、ベイルがいきなり立ち上がり直立した。
「ベイル?」
どうしたの、と言おうとしたところで、治療院の扉が開かれ団長こと、ライオネル·ダンデリオンが現れた。