第七話
がちゃり。金属製の戸が開く音。
「ただいま帰りました〜……」
「エマ!」
家主の帰宅。窓の外はとっぷりと日が暮れて久しい。今時の奉公は日が落ちても続くのか、エマはすっかりくたびれた顔をしている。
「おかえり。遅かったのう」
「すいません、ちょっと残業が入っちゃって……」
「疲れて帰って来た所に悪いんじゃが……」
帰宅して早々、一息つくのもそこそこに話を切り出す。
「この氷室は何じゃ」
「え」
台所の隅、白い箱の扉を開ける。流れ出たのは冷たい風、カガクが作り出した氷室の一種だろう。確かエマはレイゾウコと呼んでおったか。氷室はわしらの町にもあった、乏しいながらも確かにあった食料の長期貯蔵庫として。だがこの家の小さな氷室には。
「一切の食料が入っておらんではないか! これで良く氷室の中の物は食って良いと言えたな!」
わずかながらの飲料や卵、その他正体の良くわからん謎の液体等々……。氷室は食料の長期貯蔵庫、だと言うにエマの家の小さな氷室には食料と呼べるものが無い!
「ぬし、氷室に食料も貯蔵出来ぬほど困窮しておるのか?」
「い、いえ。そんなことは」
「では何故こんなにもすっからかんなのだ!」
「買って置いといたってすぐ傷ませて無駄になるんです!」
「傷む前に食ってしまえばよかろう!」
「それが出来たら苦労しません! 私だって自炊したいとは思いますよ?! 出来ないからこんなすっからかんなんです!」
「ならばわしが作ってやるわえ! 行くぞ!」
「行くぞって、何処へ」
「今時は夜半も商店が開いているのだろう、テレビとやらに聞いたぞ!」
「お夕飯買ってきたのに!」
奉公帰りのままのエマを夜の街へと連れ出して、食料の調達へ出かける。行き先はエマがスーパーと呼ぶ大きな商店。
「エレノアさんはお料理が出来るんです?」
「馬鹿にするでないわ。これでも沢山の弟子を育ててきた魔女、弟子の腹を満たすのも師匠の務め。料理が出来んでどうする」
カートと呼ばれる手押し車に載せた籠の中、とりあえず故郷で食っていた野菜を中心に放り込んでいく。この国の買い物の仕方もテレビが教えてくれた。奴もなかなかどうして、博識よのう。
「一玉丸ごとのキャベツなんて買った事ない……」
「こんなもの、すぐ無くなるわえ」
野菜をまとめて置いてある売り場を過ぎれば次は……これは何じゃ?
「お魚、最近食べてないなぁ」
「ほう、これが魚か」
「これが魚……、もしかして食べた事ないんですか?」
「こんな風に氷室をあちこちに置ける訳ではなかった。魚が食えるのはそれこそ港町か、そこから年貢を納められる王侯貴族くらいよ。わしもついぞ食った事はないの」
「科学技術の進歩ってすごいんですねぇ。ひいおばあちゃんから似たような話を聞いた事あります」
魚か、噂に聞けどわしにはどう料理したもんか良くわからん。まあ機会があれば、じゃろう。
魚売り場を過ぎれば次は肉売り場、らしい。肉と言えば腸詰か燻製か、そんなものしか口に出来なんだ。食えるだけ御の字であったが。とりあえず見覚えのあるベーコンとソーセージを籠に放り込む。生肉もどう扱っていいのか良くわからん。今は冒険せず、無難なものを用意しよう。
あとは牛乳と、……卵は氷室にいくつかあったな。卵もかなりの高級品であった印象があるが、今では庶民の味方と言われているらしい。ここでもまた一つ、異国の地に来てしまった実感を抱く。
さて、こんなもんじゃろうか。代金を払わねばならん、店の者の所へ行かねば。その途中。テレビで見たこの国の食事を一つの箱に詰めたものやら、食卓の一品になりそうな料理が少ないながらに並んでいた。
「……出来た飯が売っておるのか……」
道理で、エマの家の氷室に食料がほとんど無い訳じゃ。自分で作らなくとも、材料を揃えなくとも買えば飯にありつけるのだから。
「もしや、日頃こういうものばかり食っておるのか?」
「お恥ずかしながら……」
「そりゃ駄目じゃ。人間、温かい飯を食わねば心が荒む。今夜は出来ずとも明日には美味い飯を食わせてやるからの」
支払いを済ませて、重い荷物を抱えて二人並んでの帰り道。歩む道の固さも、風の匂いも全く違うがあの頃に戻ったようじゃ。弟子らと、向こうのエマと共に暮らしておった頃に。町の人々から薬の代として日々の糧を分けてもらって、その帰り道を思い出す。地獄暮らしも捨てたもんじゃ無いのぅ。
その晩は、エマが奉公帰りにと買ってきた出来合いの飯を夕餉とした。カツドンなる物で、コメの上に何やらぶよぶよしたものを纏った肉が乗っている不思議な食い物であった。昨日のウドンと同じく、わしの口にはやはりどうにもしょっぱいようだ。貴重なものであった塩を日頃の飯にたっぷり使えるとは、この国は思った以上に豊かなのだろうか。謎は深まるばかりである。