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第五話

 ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。鳴り響く不思議な音に目を覚ます。

「何じゃ何じゃ……騒々しいのぅ……」

 起き上がって見てみれば、昨日エマが触っていた小さな板が声を上げ震えている。わしが下手に触って壊してもいかん、エマを起こさねば。

「エマ、エマ。すまほとやらが鳴いているぞ。起きんか」

「んー……」

 もぞもぞと身を起こしたエマは、眠り足りない顔で鳴き続けるすまほをあやした。

「もうこんな時間……、起きなきゃ……」

「顔が寝ぼけておる、顔を洗ってこい」

「ふぁい……」

 随分と寝起きの悪いやつじゃ、この様子じゃ身支度に時間がかかるじゃろう。エマが身支度を整えている間に朝飯を作ってやらねば。やれやれ。わしは地獄に来ても弟子の世話をせねばならんのか、おちおち寝坊も出来ん。

 さて、朝飯を作るとするか。台所に立った瞬間気付いた。そういえばここは地獄、ここはニホン。神の口付けによって最後の眠りに就く前のわしの家とは違う。つまり長年暮らしてきた我が家とは台所の勝手が違うのだ。そもそも昨日の晩飯から鑑みるに朝飯に食う物も違うだろう。わしが台所に立ったところで何を作れば良いかわからんし、そもそも昨日エマが使っていた魔道具の使い方もわからなんだ。

「朝ご飯ならそこに」

 どうしたものかと考え込むわしに、顔を洗って服を着替えたエマが声をかけてきた。指差す先には明らかに布や紙ではない素材で出来た袋がある。中身が何かまではわからない。

「とは言ってもこれしかないんですけど」

「これは何じゃ?」

「パンです。食パン」

「はて、食パンなど聞いた事が無いのう」

「焼きます?」

「パンは焼かねば食えんだろう?」

 何を当たり前の事を。怪訝に眉をしかめるわしを他所に、小さな箱の戸を開けて袋の中から取り出した四角いパンを二枚放り込む。薄く切られたパンはわしの食っていたものと全然違う、わしが食っていたものはもっと茶色かった。白いパンなぞ町の役人にも手が届かぬ、王族や貴族のみが食える高価な代物だった。そんなものを庶民も食えるとは。ほんにわしの住んでいた町とは違う所へ来てしまったのだな。

「ジャムとマーガリン、どっち使います?」

「ま、まー?」

「マーガリン、バターって言えばわかりますかね?」

「バターならまだわかるが……パンにバターじゃと?」

「一応どっちも出しときますね」

 食うものの違いに目を丸くしてばかりのわしを置いてけぼりにして、エマは着々と朝飯の用意を進める。小さな箱に放り込んだパンがこんがりと焼けた香ばしい匂いを漂わせる頃には飲み物の用意も出来てしまった。

「用意した後で言うのも何ですけど……コーヒー、飲めます?」

「こーひー? 何の事やらまるでわからんが、匂いからして飲めんことはなさそうじゃ」

「良かった、それじゃ食べましょうか」

 食べましょうか、と言われてもどう食うていいものか。エマの手元を窺って、それを真似てみる。野うさぎの毛の様な色にこんがりと焼けたパンに、白いバターを塗る。そしてそれが溶けた頃にがぶりと一口。んむ、美味い。焼いたざくざくの食感の下、ふわふわしっとりと柔らかい食感。わしが食っていたものはもっと堅かった、こんな柔らかいパンを食うたのは初めてじゃ。バターも美味い。塗った面がしっとりと柔らかくなって、黒いパンに良くあった噎せる程に口の中の水分を持っていかれる事を防いでくれる。こんな良いものが、こんな美味いものが食えるとは思わなんだ。

「美味い!」

「それは良かった」

 エマが用意したこーひーなる飲み物も口にしてみる。焙じて煎じた薬に似た香ばしい香りがするそれは真っ黒な液体、一度口にすれば強烈な苦味が舌を襲う。苦い、焙じて煎じた薬なぞ屁でもない苦味。しかし、薬とは全く違う味だ。一口で音を上げるなぞ魔女の名折れ、良薬こそ口に苦いというもんじゃ。もう一口、やはり苦い。重ねて一口、苦味に口が慣れてきた。

「……どうですか?」

「苦味は強烈だが、慣れてみると美味い。こーひーと言ったか、これはどんな薬じゃ?」

「えーと、眠気覚ましですね」

「眠気覚まし。なるほど、朝に飲むものとして丁度いいはずじゃ」

 バターを塗ったパン一切れと一杯のこーひーを楽しむ朝食を終え、エマは奉公先へと出かけて行った。

「お昼は何か適当に食べておいてください、冷蔵庫にあるものと流しの下に置いてるレトルトは食べていいやつですので。お夕飯は買ってきますので」

「うむ、わかった」

「暇だったらテレビ見るか、本読むか、ですかね。ここ、テレビのリモコン置いときます。使い方は……」

「触っていれば何とかなるじゃろう。わしの心配より自分の心配をせんか、奉公に遅れては一大事じゃ」

「そうですね、行ってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてな」

 いってらっしゃい。人にそう声をかけたのは何時ぶりじゃろうか。弟子らが巣立てばそんな言葉をかける相手も居なくなって、賑やかだった我が家もすっかり寂しくなった。いってらっしゃいを言える相手が居るのはいいもんじゃ。それだけは、その点についてだけ言えば、地獄に来て良かったと言えるじゃろう。さ、ばばあのわしは大人しくエマの帰りを待つとしよう。何せわしは隠居の魔女、おばば様と呼ばれた魔女だからの。待つ事には慣れておる。


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