第四二話 袁紹の死
建安七年(二〇二年)の夏、病に伏せていた袁紹が、ついに薨去した。
かつての友の訃報を、曹操がよろこんだのか悲しんだのか、外からはうかがい知れないが、彼がこの機を見逃すような人物でないのは誰もが承知している。
袁家の当主となった袁譚は、わずか数日だけ父の喪に服したのち、防衛の準備に奔走しなければならなかった。
頼みとするのは、郭図と審配の両名である。
主君が代替わりをすれば、重用される臣下の顔ぶれにも変化が生じるものだが、袁譚はひきつづきこのふたりを家臣団の軸にすえた。
家中での影響力を考えれば、彼らをないがしろにはできない。
大きな変革より安定を袁譚が選んだことに、家臣たちはとりあえず胸を撫でおろし、それが落ち着くと、陰鬱な顔をつきあわせてささやきあった。
「袁紹さまですら、派閥争いには手を焼かれていたのだ。あのふたりを御するのは、並大抵の苦労ではあるまい」
「いやしかし、そのわりに審配どのも郭図どのも、おとなしいではないか」
「さて、いつまでおとなしくしていられるのやら。……あのふたりが争わずにいられると思うか?」
「…………」
よそ者を束ねる郭図と、地元の豪族を代表する審配は、対立をさけられない立場にいる。そのうえ、そもそもの気質が正反対だった。
儒学にこだわりがちな郭図にしてみれば、審配のやりようは、清濁あわせのむにしても腐臭を放ちすぎている。庶民に重税を課しては利権をむさぼり、反発するものを力で屈服させていくなど、仁道にもとる行為ではないか。
一方、審配からしてみれば、郭図は自分を処刑するよう進言した人物である。好意などもてるはずがない。
ところがである。
まちがいなく険悪なはずの両者が、権力闘争にあまり乗り気でないようなのだ。むろん、歩みよる姿勢はどちらにも見られないのだが。
曹操が出征したとの報がとどいた日、鄴城内でばったり出くわした郭図と審配は、数日ぶりに言葉を交わした。
「郭図どの、いよいよ出陣の刻が近いな」
「さようですな」
いあわせた人々が、はらはらしながら見つめるなか、審配が底冷えのする嘲笑を浮かべた。
「貴殿の武運を祈っておるぞ。なに、鄴に残るご家族の心配はいらぬ。誰にも、指一本ふれさせはせん。この私が、鄴にいるかぎりはな」
さしだされた気遣いの言葉は、家族は人質にとっている、裏切りは許さぬぞという脅迫にほかならない。
「心強いかぎりですな。後方の鄴を守るのが、勇敢な審配どのとは」
郭図は針のようにするどい冷笑とともに、安全な場所に身をおく審配を当てこすった。
もちろん、郭図に裏切るつもりはない。しかし、家族を人質にとられれば、皮肉のひとつも投げかけたくはなろう。とはいえ、鄴の守将として、審配ほどの適任者はおらず、人事に異論をとなえようとまではしなかった。
悪態の応酬は、奇妙なことに、それ以上発展しなかった。
郭図と審配は相手の存在を無視するかのように、表情を消して、別々の方向に立ち去っていった。
しずかに息をのんでいた周囲の人々は、安堵半分、あきれ半分で顔を見あわせる。
「はたして、あのふたりが協力して、曹操に当たれるのであろうか……」
「協力してもらわねば困る。家中が割れていては、とても曹操とは戦えぬぞ」
その心配は杞憂であった。
誰も気づきえなかったし、指摘されれば郭図も審配も気を悪くしたであろう。
彼らが亡き主君へ捧げた忠誠心、袁家を守ろうとする気持ちは、生き写しのようにそっくりだったのである。
九月、曹操軍が河水を渡って、黎陽に進出した。
黎陽は鄴ほどではないが栄えた都市であり、冀州の玄関口にあたる。
兵站上、無視できない地だ。
袁紹が許都を攻めるために、白馬城や官渡城を落とさなければならなかったように、曹操が鄴を攻めるには、黎陽城を落とさなければならない。
曹操は護衛をひきつれて近くの丘の上にあがると、馬上から敵陣を眺めやった。
河川と平野と丘陵が織りなす豊沃の地に、巨大な人工物がふたつ、そびえたっている。
黎陽城と、袁譚軍の陣地である。
曹操の視線は、以前侵攻したときには存在しなかった、あらたに築かれた敵陣にそそがれている。
丘陵を巧みに活かした陣地は、かなりの規模である。柵ではなく城壁にかこわれており、もはや、城砦というべきであろう。聞けば、あの陣地を築いたのは郭図だという。
「遊びのない、おもしろみのない陣地だ。……だが堅い」
と、曹操は評した。
「官渡で戦ったときは、それほど手ごわい相手だとは思わなかったのだがな」
「攻守立場が変われば、印象も変わるもんっすよ」
「うむ」
郭嘉の言葉に、曹操はうなずいた。
官渡の籠城戦において、曹操は郭図の攻勢にあまり脅威を感じなかった。相手の虚をつく怖さに欠けていたためである。しかし、こうして郭図の築いた城砦を目にすると、いかにも攻めがたく、隙がない。
「あの城砦を攻めるにせよ、黎陽城を攻めるにせよ、心してかかるとしよう。……むっ?」
曹操は目を光らせた。
城砦に動きがあったのだ。曹操の姿を発見したのだろう。敵の一団が、まっすぐこちらにむかってくる。
距離は十分にある。あわてるほどではなかった。
「さて、陣にもどるとするか。まずは、こちらも拠点づくりだ」
曹操は口元に余裕の笑みをたたえると、馬首をめぐらした。
こうして、曹操軍の土木作業がはじまった。
城壁をつくる際にもちいられるのは、石ではなく土である。
木枠に黄土を押し入れ、何度もつきかためて、徐々に高くしていく。
作業は日が落ちてからも、篝火の明りを頼りにつづけられた。
それを中断させたのは、突如として生じた風切り音だった。
夜闇のむこうから矢が降りそそぎ、兵士たちから狼狽の叫び声があがる。
「夜襲だッ!!」
曹操軍の哨戒をかいくぐり、袁譚軍が接近していたのである。
「来たなっ!」
待機していた徐晃ひきいる騎兵部隊が、すかさず出撃した。
敵がいるであろう方角へ、まっしぐらに急行する。
だが、目をこらしても耳を澄ませても、敵兵の存在は感じとれない。
袁譚軍は迎撃部隊が出撃したのを見て、たちまちのうちに、しりぞいていたのだった。
追いかけようにも闇は深く、敵地である。不利な条件がかさなっており、深追いは危険であった。
「ちっ、いまは敵を追い散らせただけで、よしとするしかあるまい……」
舌打ちして、徐晃が自陣に引き返した直後、どこからともなく悲鳴があがった。
先ほどとは別の場所が、襲撃されたのであった。
夜間、袁譚軍の攻撃はくりかえされ、曹操軍はその対応に追われた。
夜が明けてからも、袁譚軍は近づいてきた。大胆にも、少数の騎兵である。おそらく、夜襲も似たような部隊がおこなっていたのであろう。太陽の下で堂々と姿を見せた、というには数が少なく、ぬけぬけと、といった印象のほうが強い。
騎影をにらみつけながら、曹操は不機嫌そうに厳命した。
「挑発だ。誘いに乗るな。追い払うだけにとどめよ」
袁譚軍の数は三百ほどに見える。
一見すると殲滅できそうだが、近づけば逃げるにちがいなかった。
それでも追いかければ、伏兵が待ちかまえているであろう。
伏兵ごと押し潰すだけの兵力も出せる。が、出したところで、黎陽城か城砦のどちらかに逃げこまれるだけである。
やはり確たる拠点が、堅牢な城壁が必要であった。
城壁さえあれば、夜襲の被害も軽減できる。
「一刻も早く、城壁を築かねば……。それまでは、まともな戦にならん」
誰の耳にもひろわれぬよう、曹操は心中でつぶやいた。
黎陽城を守る袁譚と城砦を守る袁尚は、絶え間なく部隊を出撃させつづけた。彼らは侵略者たちに矢の雨を浴びせ、反撃をうける前に、さっと姿を消してしまう。
そのつど曹操軍の建設作業は遅延させられ、兵士たちの命も失われていった。
とくに袁尚軍は執拗で、驍将・張遼をして、「ええい、なんたる陰険な敵かっ! 誰だ、敵の指揮官は! よほど性格が悪いにちがいない!」といわしめるほどに、曹操たちを悩ませた。
袁尚軍。名目上、袁譚の弟・袁尚が大将となっているが、実質的な指揮官は郭図である。謀には長けていても、戦場での機略には欠ける。そう見られていた郭図だが、存外、いやらしい用兵をしてくる。
曹操は苛立ちながらも、築城を優先させた。
土の壁は日に日に大きく、城壁らしい形になっていく。
それを見て苛立ちをつのらせているのは、袁譚も同様であった。
「曹操軍の兵力はどれほどか? 渡河中、築城中に攻撃をうけているのだ。それなりに減っていよう」
黎陽城内にいる袁譚は、腹心の王修に問いかけた。
「千、二千は減らしておりましょう。ですが、いまだ六万近いかと」
「打撃をあたえてはいる……。が、期待していたほどではない、か」
にがにがしげに、袁譚は落胆をこぼした。
六万といえば、この戦に動員された袁譚軍の兵力とほぼ同数である。
袁譚にしてみれば、曹操が橋頭堡を築きあげる前に、大きな被害をあたえたいところだった。
だが、成果は芳しくない。
これは将の能力と経験において、曹操軍が上まわっていたためである。
もし、先の大戦で失われた一線級の武将たちが生きていれば、袁譚は数倍の戦果を手にしていたであろう。
彼は小さく息をつくと、仕切りなおすように命令を下した。
「ならば、次の手を打つとしよう。水軍を動かして、曹操軍の兵站を切れ!」
官渡では、袁紹が兵站の維持に苦心した。
この黎陽の地では、曹操が苦しむべきであった。
黄色く濁った川面を左右にかきわけ、袁譚の水軍が、わがもの顔で動きまわるようになった。水路をさえぎられた曹操の兵站部隊は、河水南岸で、恨めしそうに立ち往生していた。
「これでは船をだせないぞ。黎陽に兵糧を輸送できないではないか」
さわぐ部下や同僚をよそに、無言で敵船を観察している若者がいる。
李典、あざなを曼成という。
「敵の兵站を断つのは、兵法の常道であろう。予測してしかるべきではないか?」
と思いながらも、口にはしない。場の空気を乱すなら、建設的な方向へと変えたいものである。彼が口をひらいたのは軍議の場であった。
「敵船団の乗員は軽装です。水上で活動することばかり考えて、戦闘に対するそなえをおこたっているように見受けられます。早急に攻撃すれば、勝利は必定かと存じます」
理性的な李典の声にうなずいたのは、上官の程昱だった。
あざなは仲徳といい、六十歳を過ぎた知謀の士である。
見事な髭をたくわえた大男で、策士というより老練な武人の風格がある。
曹操の信任厚い彼は、こたびの戦では兵站をまかされていた。
「李典の言、もっともである」
進言した李典がおどろくほど速やかに、程昱は方針を定めた。
いずれにせよ、水路を確保しなければ、黎陽の曹操本隊が不利に立たされてしまう。
李典らは夜陰にまぎれ、ひそかに渡河した。
敵拠点の様子をうかがうと、見張りの注意は散漫で、ろくに警戒していない。
黎陽周辺をのぞいて、河水北岸は安全だ。大河の流れが曹操軍をはばんでくれる、とでも思っているのだろう。
だとしたら、とんだ思いちがいである。
河水を行き来できるのは、曹操軍も同じなのだと思いしらせてやろう。
李典は勝利を確信すると、左手を掲げて命じる。
「よし、かかれ」
曹操軍は無言で走りだした。
油断しきっていた袁譚軍はひとたまりもなかった。
武器をとって抗戦するのもそこそこに、不利と見るや、クモの子を散らすように退散していく。
この夜、袁譚軍の水軍基地は、李典たちによって徹底的に破壊された。
曹操軍は水上の支配権を確保したのである。
その報を聞いたとき、曹操は完成したばかりの城砦にいた。
「でかした!」
橋頭堡を築きあげ、水利も確保した。
これでようやく本格的な攻勢にうつれる。
曹操が会心の表情を浮かべた矢先のことである。
西方から急報がとどいた。
それは、戦局を大きく揺るがす報せであった。
「なにっ、高幹の軍が洛陽にむかっているだと!?」
袁譚の従兄弟、并州刺史の高幹が、司隷の河東郡に侵攻してきたのである。
そのまま南下して、洛陽にまで攻めよせる意図は明白であった。
高幹軍と対峙せねばならないのが、洛陽方面を守護する鍾繇である。
このとき彼の頭には、ある奇抜な思いつきがあった。
「しかしなあ……」
鍾繇はふんぎりがつかず、悩んでいた。
奇抜な思いつきはよしとしよう。
だが、それがよい結果につながるかというと、まったく別の話である。
孔明には奇人と見なされているが、鍾繇は奇策の人ではない。周囲をあっといわせるような、特異な知謀の持ち主ではないのだと自覚していた。
ようは、うまくいくか不安なのだ。
このように思考の袋小路にはまりこんで、どうにも自信が持てないとき、彼は決まって親友の荀攸に相談する。
荀攸が成功するといえば成功するし、失敗するといえば失敗する。
よりよい案がある場合は、たいていはそうなるのだが、即座にその案が返ってくる。
自分の頭脳より荀攸の判断のほうが、はるかに信頼できる。
少なくとも鍾繇にとっては、それが真実であった。
「黎陽か……」
荀攸は黎陽に出陣中である。連絡はとれる。とれるのだが……。
鍾繇は考えに考え抜いたすえに、
「……うむ。この案については、もっとふさわしい相談相手がいよう」
大きくひとつうなずくと、孔明を洛陽に呼びよせた。急ぐように、と念を押して。
思いつきを実行にうつすには、それなりに成功の根拠が求められる。
そのために、孔明に背中を押してもらう必要があるように思われた。