第二話 旅の同行者
なんといっても乱世なわけでして。
追いはぎ、盗賊、黒山賊に、黄巾賊の残党と、賊がぞくぞく。
妻子を連れた私の逃避行は、困難をきわめること想像に難くなかった。
そうです。じつは私には妻子がいるのです、妻子が!
私がッ! 私が守護らねばならぬッ!!
悲壮な決意と覚悟を胸に、旅をする……必要はなかった!
…………あれ?
いや、必要がなくなったのなら、そりゃありがたいことですが。
なぜ私の警戒が必要なくなったのかというと、旅を始めてすぐに同行者が増え、そのなかにふたり、とても頼りになる人物がいたからだった。彼らのおかげで、旅の不安はあっさり解消されたのである。
袁紹軍の兵士たちに賄賂を送ったりしながら、私たちは南へ進み、河水(黄河)を渡った。
小さな村で宿をとって一休み。
旅の疲れを癒やすために、私とそのふたりは居酒屋で羽を伸ばしていた。
「奉孝、少し飲み過ぎではないか?」
「文若先輩ってば、お堅いっすよ。こんな女の子もいないような場所で、酒を飲む以外に何をしろっていうんですか。ねえ、孔明先輩?」
まじめな荀文若と遊び人の郭奉孝。
三国志ファンなら誰でも知ってるだろう。
三国志の覇者、曹操を支えることになる天才軍師、荀彧と郭嘉であるッ!
「孔明、君からもひとこと言ってくれぬか。どうやら、私の言葉では彼にとどかないようだ」
「文若が説得できないものを、私が説得できるわけなかろう。奉孝よ、酒も女もほどほどにせぬと、体に毒だぞ。それに量より質を重んじたほうが、気分よく酔えるのではないか?」
「量の上に質がある。なるほどなるほど、オレもそう思いますよ~。量をこなして、ようやく質に手がとどく。まずは量が大事ってことですよね~」
むむむ。
私は首をすくめると、唇を酒でしめらせた。
……私たちは、子どものころからのつきあいだ。
彼らは武勇に秀でているわけではない。
だが、私にとってはじつに頼もしい同行者だった。
ふふふ、あの荀彧と郭嘉がこんなところで死ぬはずがない。
彼らが同行する以上、この旅の無事は約束されたも同然なのだ!
「今日くらい飲みましょうよ~。今まで袁紹の追手を気にして、あまり飲めなかったんですから~」
顔を赤く染めた郭嘉がけらけら笑った。袁紹に拝謁するなり、その威風を見かけ倒しと見切った郭嘉のことだ。冀州の地に未練などかけらもないだろう。
はぁ、と荀彧が酒臭いため息をついて、
「袁紹の追手か。冀州での暮らしは針のむしろであったな……」
袁紹は大業を成す人物にあらず。私にそうこぼしていた荀彧は、しかし袁紹に賓客としてもてなされていたのである。さぞや肩身が狭い日々だったろう。
「私とて、仕事をしたくなかったわけではないのだ。だが……だが、韓馥どのから冀州を騙しとった袁紹の下でどうして働けようか。……それで働けずにいると、『ただ飯食らい』だの、『お高くとまってる』だの、陰口をたたかれる毎日。……孔明よ。君がいなくなったと聞いて、ここらが潮時かと思って追いかけてきたが……。そうでもなければ、いつまであの生活がつづいていたことか……」
荀彧は酒をぐいっとあおった。
「わかっておる。名門荀家のため、一族を守るために、袁紹のもとに身を寄せていたのであろう? わかっておるよ。おぬしはよく耐えた! ウム!」
と私は荀彧をなぐさめる。
私たちの故郷、豫州潁川郡は、四方がひらけた戦火に巻きこまれやすい場所にある。
董卓の専横により戦乱がせまるだろうと予測した荀彧は、できるかぎり多くの民をつれて、安全な地に避難しようとした。
郭嘉は一足早く潁川出身の韓馥がおさめる冀州に避難し、冀州牧の韓馥は高名な荀彧を招くために潁川に騎兵をつかわした。
その騎兵に護衛されながら、郷里をはなれる選択を受け入れた民と自らの一族をひきつれ、荀彧は長い時間をかけて北に避難したのだ。
ちなみに、郭嘉に同行しても荀彧に同行しても無事であることを知っていた私は、最後まで長旅につきあい、荀彧と苦難を分かちあう道を選んだ。「困ってる幼なじみをほっとけますの?」と頭の中で天使がささやき、「ここで荀彧と名門荀家に恩を売っておけば一生安泰ですぜ!」と悪魔にそそのかされたからである。えぇ、乱世を生き抜くには、コネが何より重要なのですッ!!
私のことはともかく、つまり荀彧にとって、韓馥は旅の護衛をつけてくれた恩人なのだ。だが、私たちが冀州に着いたとき、すでに韓馥は袁紹にその座を奪われていた。
遠い地に来たばかりの一族を思えば、袁紹ともめるわけにはいかない。
けれど、韓馥への恩義を忘れるわけにもいかない。
う~む。荀彧の板挟み、推して知るべし。
「おぉ……。何も言わずともわかってくれるのは、君だけであろう。おおお……」
酔いがまわっているのか、荀彧は泣き出してしまった。
あぁ、いかん。これ、明日の朝、気まずくなるやつだ。
「文若先輩、ここは飲みましょう。飲んで、不満なんて吐き出してしまいましょう。お~い」
郭嘉が居酒屋の主人に追加の酒を注文した。
くっ、なんと余計なことを。吐き出すものが不満だけとはかぎらないだろうに。
「オレ、袁紹にはけっこう期待してたんすけどね。まぁ、実際に会うまでは、の話ですけど。あの様子じゃ、反董卓連合がやるべきことをやれずに瓦解したのも、盟主の袁紹が優柔不断だったせいでしょうよ」
郭嘉がまじめな顔をしながら荀彧に酒をつぐと、荀彧は杯の中身を一気に飲み干して、
「ははは、噂とはあてにならないものだ……。そう考えると、会うまでもなく袁紹の為人を見抜いた孔明は、さすがというしかないな……」
「まったく、まったく。孔明先輩の人物鑑定眼は許子将にも勝るっすよ」
「…………」
私は返答をさけ、いかにも思慮深げな笑みを浮かべた。
許子将といえば、曹操を「治世の能臣、乱世の奸雄」と評した人物批評の大家である。人物眼をほめるにあたって最大級の賛辞といっていい。
フフフッ、……すみません。カンニングです。
故郷に近づき、気が緩んでいたからだろうか。
酒を酌みかわしながら、私はなんとなしに、このふたりとの過去を振り返っていた。
私が前世の記憶をはっきりと自覚したのは、今から十年ほど前。数え年で二十歳の時だった。
それまでは日本人だったころの記憶なんて、おぼろげな夢のようなものにすぎなかったし、幼なじみの荀彧のことも、すごく頭のいい友人としか思っていなかった。
しかし前世の記憶がよみがえってから、私はことあるごとに、歴史上の人物である荀彧と自分を比べてしまった。そして、ハリボテの未来知識ではとうてい埋めることのできない、本物の天才との差を思い知ったのだ。
そこにとどめを刺したのが郭嘉だった。年下の郭嘉の才を目の当たりにした私は、彼らと自分を比べるのをやめ、同時に自分の居場所を見つけた。
――もしかして私、このまま在野の士でいいんじゃね?
たとえば私が曹操の部下になって、「赤壁の戦いは負けます。おやめください」と進言したとして、はたしてそれが通るだろうか?
よほど曹操に信頼されてなければ、「黙れ! 戦を前に軍律を乱すとは許せぬ。こやつの首を打てッ!」なんて展開になりかねない。
うん。やっぱり、安全な場所でスローライフが一番だ。
私は三国志の主役じゃなくていい。
必要なときだけ、荀彧や郭嘉といった歴史に影響を与えるであろう朋友たちに助言する。それが私のベストポジションだと思うのだ………………
「……明、孔明」
おっといかん、物思いに耽っていた。耳が遠くなるにはまだ早い。数え年で三十歳ということは現代日本なら二十九歳。二十代ですよ、二十代! 若い(断言)!
「で、人物鑑定の大家である君は、董卓の次に天下の覇権をとるのは誰だと思っているのだ?」
荀彧と郭嘉、そして私は、漢王朝の都、洛陽を焼きはらった董卓はそのうち自滅するだろう、との予想で一致していた。まあ、私は知ってるだけでございますが。
「一番手であろう袁紹があれでしたからねえ。群雄割拠は間違いないっすけど……」
郭嘉がぼやいた。
私は名軍師たちの顔を見比べる。
郭嘉と比べると、荀彧はひどく真剣な表情をしていた。何かしらの決意を秘めたような。
曹操の軍師となるふたりだが、仕えるのは荀彧の方が早いはず。
今がそのときなのだろうか?
となると、かけるべき言葉は……。
これから先のためにも、私のアドバイスには価値があるのだと示しておかないと。
私は賢者の顔をつくる。イメージするものは目の前で揺れる五円玉、もとい五銖銭。私はかしこい、私はかしこい――、
「うむ。潁川周辺で天下を狙える人物といえば、東郡太守となった曹操をおいてほかにはいまい。聞けば潁川はまだ治安が悪いそうだ。しばらく東郡に滞在して、曹操がどのような人物か見てみるのもよいかもしれぬな。文若もそう考えているのではないか?」
荀彧がかすかに息をのんだ。その眼に感嘆の色が浮かぶ。よきよき。
「あいや、これはまいった。そこまで見抜いていたとは。やはり、孔明には敵わぬな」
「ふふふ。この胡孔明の頭脳は、ごくまれに素晴らしく冴えわたるのだよ」
具体的にいうと、知ってる出来事にあてはまる場合にかぎります。はい。
「……曹操ですか。黄巾賊、董卓、黒山賊といった戦うべき相手と戦ってる気概は評価するんですけどねぇ……」
郭嘉が渋い表情で腕組みをすると、わかっているというように荀彧はうなずき、口元に手をあてた。
「たしかに、曹操にはまだ力が足りない。それでも、潁川の混乱を収めるには、彼のような覇気のある人物に、一帯をまとめあげて、もら、うのが一番で、あ゛――――うぷっ」
ちょっ、荀彧ッ!? はわわ!?
「うぐっ」
ゲボッ。
荀彧ーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!
私たちは店を追い出された。
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初平2年(191年)、戦乱に巻きこまれた潁川から冀州に移住していた胡昭は、袁紹の再三にわたる仕官要請を断ると、身の危険を感じて豫州にもどった。この時、同郷の荀彧と郭嘉がそれに同行した。彼らは通行手形をもたなかったため、関の守将を論破し押し通った。荀彧、郭嘉の弁によるところがおおきかったため、胡昭は、「私の才は荀文若、郭奉孝に遠くおよばない」と彼らを称えたという。それに対して荀彧と郭嘉は、「私たちは袁紹と会話をしてようやくその器を見抜くことができた。胡孔明は会わずして袁紹の為人を見抜いたのだから、誰がもっともすぐれているかは明らかである」と胡昭を称賛したという。
胡昭 wiikiより一部抜粋
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