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第一八〇話 許都と鄴


 北辺に追放されたふたりの皇子が、曹操打倒の兵を挙げたとの報せは、ただちに許都にも伝えられた。


「荀彧どのはもう知っておられよう。ついに皇子たちが蜂起したそうだ」


 荀彧の屋敷を訪れた男の名は王必おうひつという。曹操の挙兵時からつきしたがう古参の将であり、許都にある丞相府を統括する、丞相長史じょうしょうちょうしという官職にある。


 もちろん、立場が立場だけに、彼はそれなりに裏の事情を知っている。


 荀彧と孔明の策であることは伏しているが、曹操が意図的に皇子周辺の監視をゆるめ、烏丸うがんと通じあえるように仕向けていたこと。はるか北の地で勃発した反乱が、許都の変事の前触れであることを、荀彧は事前に王必に伝えていた。


「そろそろ、吉本きつほんたちにも動きがあるでしょう」


 と、荀彧は応じた。


 太医令たいいれいの吉本、それが首謀者の名である。


 王必は使命感を燃やして、


「許都で暴動など起こさせませぬ。彼らが兵を起こす前に、取りおさえてしまうべきかと。吉本の長男が皇子たちの反乱に加わっている。これに連座して、吉本の身柄をおさえるのは可能でしょう」


「王必どのには、すこし待っていただきたい」


「待つ?」


 怪訝な顔をする王必に、荀彧はいう。


「彼らが決起する日まで待ち、その瞬間に彼らを逮捕したいのです」


「ふむぅ……。たしかに、現場を取りおさえるのであれば、誰も異議をとなえないでしょうが」


 吉本は漢の忠臣を自認している。同志たちも同様であろう。


 彼らを捕縛して処刑するのだから、できうるかぎり公明正大に見える形でおこなわなければ、曹操の評判を必要以上に傷つけてしまう。


 反発をおさえるためにも、正当な捕り物劇でなければならないのである。


 荀彧は説明をつづける。


「それに、吉本に誘われている者のなかには、乱に参加すべきか否か、いまだに迷っている者もいる。ことが起こらぬ段階で吉本一派を捕まえようとすれば、疑わしいとされる者を残らず捕まえ、罰しなければならなくなる」


「荀彧どのはおやさしいが、少々甘いのではないでしょうか?」


 もっともな指摘を受けて、荀彧は苦笑した。


 たしかに甘いのだが、荀彧はただ甘いのではない。迷いながらも乱への参加を踏みとどまった者と、実際に乱に参加した者とを、明確に区別しようとしているのである。


 彼らのあいだには罪の差がある。罪が異なるのに、罰を同じくすれば、それは正しい刑とはいえまい。罪の疑わしきはこれを軽くすべきであった。


「王必どの、我々も吉本一派を完全に把握しているわけではない。思わぬ人物が乱に参加するかもしれない。そのような人物を取りのがさないためにも、やはり彼らが決起した瞬間に踏みこみたいのです」


 吉本一派には、荀彧の手の者が潜りこんでいる。疑われてはいないようだが、吉本がその人物にすべてを打ち明けていると考えるのは早計であろう。


 まだ見ぬ賛同者が乱に参加しようとしているのであれば、そのような人物を捕まえるには、現場をおさえる以外に方法はあるまい。


 実際に行動を起こした人物を、荀彧はひとりとて逃すつもりはなかった。罪の軽い者に寛容を示すのであれば、罪の重い者には厳罰をあたえねばならないのである。


「なるほど、了解いたした」


 王必は納得してみせたが、すこし考えこんで、


「ですが、一歩まちがえたら、後手にまわる可能性もありますが」


「彼らの目的は、許都の解放。そのためには、許都に分駐する曹操軍を無力化する必要がある。まっさきに狙われるのは、丞相長史の王必どのでしょう。くれぐれも、単独行動はつつしまれるように」


「む、私ですか……」


 王必は顔に緊張をみなぎらせた。


 許都の曹操軍の兵力は四千ほどで、その指揮権は王必にある。

 それに対して、吉本たちの動員しうる兵力は、多く見積もっても五百程度と思われる。


 正面から戦えば、鎧袖一触がいしゅういっしょく、またたく間に吉本たちはひねりつぶされるのだ。

 当然、不利な吉本たちがそのような戦いかたを選ぶはずもない。


 指揮官である王必の身柄をおさえる。

 それが彼らに残された唯一といってよい勝機であった。


「わかりもうした、常に護衛をつれて歩くとしましょう。ですが、それをいうなら荀彧どのも危険なのでは? 吉本めは、荀彧どのの身柄もおさえたいはず」


「第一に王必どの、次点で私といったところでしょうか。しかし、私は宮中にいることが多いゆえ、そこを襲われると抵抗しようがない。もし、私が捕らえられても、王必どのは職務をまっとうされるように」


 眉をひそめながら、荀彧はいった。曹操軍の兵士をひきつれ、宮中を練り歩く自分の姿を思い描いてしまったのである。漢と敵対する身であるにしても、さすがにそれは、はばかられる。


「それでは、せめて出宮されるとき、屋敷にいるときは、こちらから護衛を手配いたす」


 王必は申し出た。


 外で用心したところで、宮中では無防備でいるしかないのだから、荀彧を捕らえる機会はいくらでもある。


 護衛をつけても無意味であるようにも思われたが、外で荀彧が襲われた際、護衛がいなかったら、王必の責任問題になりかねない。


 彼の提案を、荀彧は首を縦に振って受け入れた。


「私の護衛は少人数でけっこう。お互い、吉本たちの動きをつかむことに注力いたそう」


「はっ」


 短く答え、王必が退室すると、荀彧は指であごをつまみ、思案にふけった。


 事前に集めていた情報から推測すると、皇子たちと烏丸の兵力は、合計しても二万にとどかぬはずだ。その程度の規模であれば、ぎょう周辺の曹操軍のみで十分に対応できる。曹丕そうひたちは、曹操の帰還を待たずに、討伐軍をさしむけるであろう。


 吉本たちからすれば、わずかな時間しか残されていないのだ。


 皇子たちを見殺しにするわけにはいかぬし、外に呼応する勢力がなければ、許都を占拠したところで、孤立して鎮圧されるのを待つだけである。


 吉本は動く。近いうちにかならず動く。


 自身の陰謀と吉本の思考を見つめなおして、荀彧は確信をあらたにした。






 荀彧のにらんだとおりであった。


 上限でも皇子たちの兵力が一万二千、烏丸の兵力が八千ほどであると判明すると、曹丕は即座に討伐を決意し、弟の曹彰そうしょうを呼びだした。


子文しぶん、おまえに大将をまかせたい。夷狄いてきを招き入れた愚かな漢の皇子たちを、曹家の子が征伐する。四海を統べるのに血脈の正当性が必要というのなら、これほどわかりやすい事例もあるまい」


「心得た」


 曹彰は、一も二もなく飛びついた。


 兄上は出陣しないのですか、などと皮肉めいたことは、口にも出さなければ思いもしない。言葉をもちいた駆け引きを、曹彰は苦手としていた。


「さっそく、出陣いたす」


 いますぐにでも飛びだしていきそうな弟に、曹丕があわてた。


「ま、まあ、待て。いますぐ出陣できる兵は五千ほどにすぎん。ひと月待てば二万、いや、十日待ってくれれば、一万を上まわる兵を出せるようになる」


「待ちませぬ」


「むっ」


 きっぱりと拒絶され、曹丕は鼻白んだ。


「鄴の兵は精鋭ぞろい、五千いれば問題ありません。そもそも、敵の総兵力が二万近いというのも過大に見ているからであって、実態は半数程度でもおかしくないと聞いています」


「それはそうだが、半数であっても敵のほうが多いではないか」


「皇子たちの兵はしょせん寄せ集め、ひと当てしてやれば戦意を失い、逃げ散っていくでしょう」


「烏丸は弱兵ではあるまい」


 なにしろ北方の騎馬民族である。烏丸突騎うがんとっきの武名は天下にとどろいている。


「戦場となるのは我らの領土です。未知の地ではない、長征の疲労もない。これで負けるとは毛頭思いませぬ」


「…………」


 曹丕がなおも逡巡していると、曹彰の両眼にはげしい炎が燃えあがった。


「いかにして鎮圧するかではなく、いかにすばやく鎮圧するか! それが我らのなすべきことではありませぬか!」


「……わかった。お前の判断にまかせる。危ないと判断したら、守りに徹して救援を待て。ひと月後に第二陣を派兵する」


 根負けした兄に、曹彰は不敵な笑みをひらめかせた。


「ひと月後、それまでに、戦勝の報告を送りとどけてみせましょう」


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― 新着の感想 ―
更新御疲れ様です。漫画版は購入済にて応援をば。 吉本一派。息子本体かは不明。どうであれ彼は大医令にて居なくなれば孔明先生の医術の重要度が相対的に増します。 後世の劇とかでは尾鰭が着いた悪役にされるか、…
やっぱ曹操は息子達についても適材適所って教育しといた方が良かったろうなぁ…。 そしたら劉備も攻めれたろうに惜しい。
吉本「邪魔するでー」 荀彧「邪魔するなら(土に)帰ってー」 吉本「アイヤー」
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