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第一六五話 弟子入りからの新生活


 逃げだすくらいだから、馬鈞はよほど弟子入りしたくないのだろう。


 これを説き伏せるのはひと苦労だと私は思っていたのだが、意外や意外、説得するまでもなく、馬鈞はすんなり弟子になった。


 どうやら、石苞と鄧艾がうまいことプレゼンテーションしてくれたようである。


 だが、優秀な弟子がいれば、すべてうまくいくというわけでもなく。

 弟子入りに際して、馬鈞はオドオドとこんなことをいった。


「俺は、石苞さんや鄧艾さんのようにはなれないと思いますけど……それでも大丈夫なんでしょうか?」


 馬鈞が気後れするのも無理はなかった。


 実際、石苞と鄧艾は、能力面においても品行面においても立派な若者なわけで。


 もし、馬鈞が彼らのように学習意欲や向上心に満ちあふれていたら、


「ぜひ孔明先生のもとで学ばせてください!」


 と、今回の話に飛びついてきたはずだった。


 そうはならずに逃げだしたのだから、あきらかに気質がちがう。


 彼らと同じような詰めこみ教育をおこなったら、馬鈞はまた逃げだすかもしれない。

 そこらへんは、私が留意しておかなければなるまい。


 逃げだすといえば、親元をはなれてひとりで陸渾に移住する馬鈞には、いざとなったら実家に帰るという手段がある。


 その点、石苞と鄧艾は自分がはたらいて家族を養わなければならないので、家族といっしょに引っ越してきた。逃げ場はないのだ。


 あのふたりの並外れた覚悟というか精神力は、そんなところからも生じているのかもしれなかった。






 私、鄧艾、石苞、そして馬鈞の四名は、茂陵県もりょうけんを発って長安に移動した。


 張既ちょうきに会って、馬鈞を弟子にしたことを報告するついでに、漢陽郡かんようぐんからももうひとり弟子を取ろうと考えていることを伝えるつもりだ。


 ここで姜維の情報が入手できれば、このまま西へ足を延ばして、漢陽郡へむかえばよい。


 行ったり来たりは大変なので、用事はなるべく一括で済ませておきたい。


 大都市長安に足を踏み入れると、馬鈞はきょろきょろとにぎやかな通りを見渡した。


 ちなみ、彼は私の弟子になるにあたって、父親からはなむけとして徳衡とくこうというあざなをもらった。


 旅立つときには、近所の人から声援を受けていたし、私の弟子になることは、けっこう大事おおごととして受けとめられているようだった。


 ううむ、全員が全員、結果を出せると決まったわけではないのだから、あまり期待をかけないでほしいものである。


 いやまあ、馬鈞は結果を出してくれるはずだけれど。


 頼むぞ、馬鈞。信じてるからな。


 政庁を訪れ、張既への取り次ぎを頼むと、


「ただいま張既さまは、隴右ろうゆうに出征中でございます」


 役人からつれない答えが返ってきた。


 なんでも、曹操が張魯討伐に動きだす前に、関西の動乱にけりをつけなければならないそうだ。


 夏侯淵を総大将とする曹操軍は、西方諸将の反乱をおおよそ平定しつつあった。


 長安がある関中は落ち着きを取りもどしており、さらに西の隴右においても、めぼしい敵は韓遂かんすい宋建そうけんを残すのみ、といったところだ。


 韓遂についてはいまさら言及するまでもないが、宋建は河首平漢王かしゅへいかんおう僭称せんしょうし、三十年くらい独立勢力を維持している人物である。


 それだけ長期にわたって君臨していられるのだから、只者ではないのだろう。

 だが、あくまで辺境の小勢力であって、曹操軍が苦戦するほどの相手ではないはずである。


 張既が出征したのは、夏侯淵の補佐をするためだそうな。


 張既の治績は特筆に値するもので、民衆からも慕われている。

 つまり、彼が前線におもむいたのは、ただ単に戦うためではなく、民衆の慰撫いぶ、敵対勢力の懐柔といった仕事をこなすためのようであった。


 いずれにしても、私としては、張既に会うのをあきらめるしかなかった。


 いつ帰ってくるかわからない彼を、いつまでも待ちつづけるわけにもいかない。

 代わりに私は手紙をしたため、それを張既に渡すよう役人に頼みこんだ。


 こうして、馬鈞のみを弟子に加えて、私たちは陸渾りくこんに帰ることとなった。






 それからひと月ほどったある日。


 長女が生まれて子育てに忙しいさんが私の書斎にやってきて、奥歯に物がはさまったような口調でいった。


「父上、すこし話があるのですが」


「うむ?」


 私は稀覯書きこうしょから視線をあげて、目をしばたたかせた。


 最近、口元をゆるめて目尻をさげていることの多い纂が、めずらしく眉間にしわを寄せている。


「馬鈞のことです。……父上は、彼を出仕させるつもりなのでしょう?」


「うむ……。そのつもりだが」


 私は、こころもち小さな声で答えた。


「そのことで一部の門下生が不満をもらしているようです。馬鈞は、とくに学問に励んでいるわけでもなければ、品行にすぐれているわけでもない。彼が推挙してもらえるなら、自分だって、と」


 なるほど。新入りを特別あつかいすれば、摩擦が生じるのは当然である。


 だからといって、馬鈞を一般の門下生あつかいするわけにもいかない事情がある。


 私の私塾は、官吏をバンバン輩出していくようなきびしい教育をおこなっているわけではない。

 そこに馬鈞を入れてしまうと、彼が前世ほどの業績を残せなくなる可能性がある。


 発明家といっても、発明だけで生計が成り立つような時代ではないのだ。


 官吏として収入を得、副業として発明をし、発明の功績によって官職をあげていく。

 そうした好循環をつくらなければならないし、そのためには、一定以上の官職がどうしても必要になってくる。


 となると、将来を見越して、鄧艾や石苞ほどとはいかないにしても、ある程度の学習量は確保しておかなければならないのである。


「纂はどう見ているのだ?」


「馬鈞は頭のよい子です。しかし、納得がいかない門下生たちの心情を無視するわけにもいきません」


「ふむ……」


「父上が馬鈞を高弟こうていあつかいする以上、門下生もそれにならわざるをえない。周囲から否定的、懐疑的な目をむけられながら特別あつかいされることが、馬鈞によい影響をもたらすのかどうか、私には判断がつきかねます」


「たしかに、そのとおりだ」


 納得がいかない門下生は不満をつのらせるだろうし、馬鈞にも悪影響が出かねない。


 私は思案げな顔をして、


「特別あつかいするなら、それにふさわしいなにかを示さなければならぬ、か。……うむ。すこし考えてみるとしよう」






 主屋に足を踏み入れると、蜂蜜の甘い香りがいっぱいに広がっていた。

 台所では、あんまん用の餡子あんこをつくっているところである。


 希少な砂糖をドバドバ使うわけにはいかないので、蜂蜜を使っている。

 これはこれで、すっきりした甘さに小豆と蜂蜜の風味が感じられて絶品なのだ。


 馬鈞は手にした木べらで鍋をかきまわしていた。顔だけこちらにむけて、


「あっ、先生。もうちょっとお待ちください。いま蜂蜜を加えたところなんで」


「どうかな、陸渾での生活にはなじめそうか?」


 私は馬鈞の横に立って、鍋の中身に視線を送った。


「ええっと……まあ、なんとか。料理はすっげえ美味うまいし、みなさんにもよくしていただいているんで。といっても、先生のお宅にお世話になってる身なんで、えらそうなことはいえませんけど」


 いきなりひとり暮らしさせるのも心配なので、とりあえず馬鈞には私の屋敷で暮らしてもらっている。


 よくよく考えれば、司馬懿は自分で家を借りていたし、鄧艾と石苞は家族といっしょに暮らしている。


 門下生が私の家で暮らしているのは、特例中の特例に見えるかもしれない。


 それもやっかみの原因のひとつになっているのだろうか。


 だとしたら、早めにひとり暮らしをさせたほうがいいのだろうが……なんかいろいろ危なっかしくてなあ。


「徳衡、私はおぬしを高弟として迎え入れたつもりだ。それについてはどう思う?」


「高弟って……石苞のにいさんや鄧艾の兄さんと同じ立場ってことですよね?」


 馬鈞は鍋をかきまわす手をとめ、眉をひそめた。


「まったく同じというわけではないが、まあ、そういうことになるな」


「……やっぱり、あのふたりは別格だと思うんですよ。俺が同じような待遇ってのは、無理があるんじゃないでしょうか?」


 石苞と鄧艾には、自身の行動によっておのれの器量を証明し、周囲の不平不満を封じこめるだけの強さがあった。


 そのような強靭さは、馬鈞には望むべくもない。


「別格というなら、私の最も優秀な弟子に司馬仲達しばちゅうたつという人物がいる。私は、彼に教育と呼べるようなことはなにもしなかったが、仲容ちゅうよう士載しさいには多くのことを学ばせている。同様に、徳衡にも徳衡にあった教育方法があると考えておる」


「俺の場合、発明家になるための教育、ってことでしょうか……?」


 馬鈞の声には、当惑と不安のひびきがまざっていた。


 自分のなかに眠る発明の才を、馬鈞自身が信じきれずにいるのだろう。

 本人が信じていないものを、周囲の人々が信じるはずもない。


 この問題を解消するには……実績をつくらせるのが一番だと思う。


 発明家の卵としての実績さえあれば、馬鈞は自分の才能を信じられるようになるだろうし、周囲の人々も彼に一目置くようになるはずだ。


 私は思いきって提案した。


「ためしに、連弩れんどをつくってみぬか?」


 前世において、連弩は、諸葛亮が発明した武器といわれていた。


 ただし、春秋戦国時代に使用されていた形跡があるので、正確にいうなら、半ば失伝していた武器を、諸葛亮が再現・改良したということになる。


 この諸葛亮が改良した連弩を見て、


「私ならもっとすぐれた連弩をつくることができる」


 と豪語した人物が、なにを隠そう馬鈞なのだ。


 じつは、私も連弩を見たことはある。


 といっても今世ではなく前世の話で、実物ではなく動画にすぎないが、見た目を知ってるだけでも、アドバイスのひとつくらいはできるだろう。


 まだ少年の身であることは差し引いて考えなければならないだろうから、そこまで性能がよいものにはならないかもしれない。


 それでも、連弩を形にすることができれば、馬鈞にとっては得がたい実績となるのではなかろうか。



小説第四巻とコミックス第二巻が2月15日に発売されます。

加筆修正、書き下ろし、各種特典もございますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
私の最も優秀な弟子に司馬仲達しばちゅうたつという人物がいる。 >どう考えても一番弟子は別格中の別格でしょ。強過ぎるwww
連弩からバリスタとかガトリング砲とか作っちゃって歴史変えちゃったりして
……現代の動画で見た弩とかオーバーテクノロジーすぎるンゴ。 品質の問題から下がるとはいえ相当やばいことになるんじゃないか……? 距離取って囲って発射するだけで農民でも上等兵や熊を蹂躙できるんだぞ…。…
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