5(裏)
その夜、担当者達が集まって見守る中、修三の眠る部屋にはある種の神経に作用するガスが送り込まれた。
このガスは、そう危険なものでもなく、従来型のものなので、効果の面では誰もがそう構えてはいなかったが、この、一見普通の客室である実験室で、治験を行うなど初めての試みなので、その面では皆、緊張気味にしていた。
無事にガスがエアコンから規定量噴霧されたのを見て、皆は固唾を飲んで見守る。
修三は少し、悪い夢でも見ているかのように顔をしかめたり、寝苦しそうに布団をはだけて腹を掻いたりしていたが、そのまま眠っている。
腕輪から送られて来るデータは、修三の心拍数が異常に上がっているのを伝えていた。
他の部屋の者達といえば、皆スヤスヤと安らかに眠っていた。データも、緩やかに変動はない。
「…しばらく観察だな。」責任の、ハリーが言った。「漏れてないかどうか、よく見ておかないと。今のところ大丈夫なようだ。」
隣に座る、ナタリーが言った。
「問題無さそうですわ。それより…明日からの。」
ナタリーは、緊張した面持ちで下を向く。明日からの薬のうち、ひとつはナタリーが開発したもので、まだ動物を使っての治験しかしていないものだ。実際にヒトに使うのは初めての事なので、効果がどの程度出るのか心配らしい。
ハリーは、その気持ちを汲んで、微笑んだ。
「大丈夫だ。滅多に使う事がないとこれまでなかなかやらせてもらえなかった治験を、やらせてもらえるチャンスなんだぞ。しっかりデータを取って、頑張らなければな。」
ナタリーは、頷いて、ハリーを見た。
「はい。ジョンに私達の研究を認めてもらうチャンスですから。」
ハリーは、頷きながら内心苦笑していた。ジョンは、好きな研究をすれば良いとは言うが、記憶を操作したり、昏倒させたりする薬にしか興味を示して来なかった。なので、他の脳機能を操作しようと薬を開発している者達の研究結果には、目は通すが特にアドバイスも、感想もなかった。
成果を出しているつもりでも、研究所のトップに無関心でいられるのは確かに辛い。
自分はこのセクション全てを管理しているのでこの限りではないが、パートによっては歯がゆい思いをしていたのだろう。
研究をやめろと言われるより、無関心の方が研究者側からはつらかったはずだ。
今回、いろいろな薬を試すチャンスが与えられた。
皆が構えるのも、道理なのだ。
そうして、夜通し治験者達を観察し続け、問題なく薬が投与される環境なのだと確認出来た。
次の日の早朝、まだ4時に、彰がフロント裏の部屋へとやって来た。
そこでボーッと話をしていた、真司と博正は、鍵を開いて、彰を招き入れた。
「なんだよ、早いな。確認か?」
彰は、頷いた。
「無事に薬を投与出来たのかとな。漏れがないのは私の部屋で異常がなかったから分かる。どうだった?」
博正は、腕輪を上げた。
「投与出来たってハリーから連絡があった。念のためこっちでも警戒しててくれって。効きすぎたら暴れるかもしれないってんで。」
彰は、頷いた。
「暴れてはいないだろう。では、無事にシステムは機能しているのだな。」
真司が、言った。
「それはジョン、お前のチームのやつらが作った施設だから、そつがないだろうさ。後はお前の確認じゃないか?」
彰は、ふんと踵を返した。
「嫌でも接しねばならないから確認はできる。問題はどの程度の効果かということだ。理性を抑えるのだから、奴が女好きだったりしたら女生徒達を気を付けておかねばならないだろう。私が見たところ、会うまでのメールのやり取りの内容を見ても、学者馬鹿というやつだと思うがな。恐らく、そちらの方面で理性が効かなくなる。それを期待しているのだ。」
博正が答えた。
「お前の性格分析が間違ってないことを祈るよ。ま、時間になったら飯でも食って話してみたらどうだ?思い通りになるといいな。」
彰は、眉を寄せた。
「…どうせ失敗して嘲笑いたいのだろうが。私は、失敗もするがそれを利用する。見ているがいい。」
そうして、そこを出て行った。
博正は、顔をしかめて言った。
「ほんと、必要以上に綺麗になりやがって。こっちも話しづらいったらないな。」
真司も困ったように笑った。
「あれがAPP18とかいう容姿なんだろ?仕方ないさ。妥協は無しなんだってさ。完璧に再現してこそのゲームということらしい。」
博正は、伸びをした。
「あーあ、オレも美容班に頼んで治験に使ってもらうかなあ。美沙、惚れ直してくれるかな。」
真司は、呆れた顔をした。
「もういいだろうが。結婚してるくせに。」
そうして、6時になり、要と交代して、二人はまた村へと戻って行った。
彰は、注意深く修三を観察していた。
朝、廊下で何やら生徒相手にわめいていたようだが、想定の範囲内だった。
それから、朝食の席でも女生徒達にイライラするようで、突っ掛かっていたが、それが鬱陶しかったので、彰が止めた。とはいえ、彰に対しての礼儀はギリギリ保っているようなので、脳機能班は分量を正確に計算出来ていたようだ。
どうやら修三は、早く洞窟を調べたいという欲求と戦っていて、生徒達に気を遣う余裕がない状態のようだった。
思惑通りの展開に内心ほくそ笑みながら、彰は、洞窟へ向かう準備を始めた。
すると、生徒たちに地図を渡しに行ったデニスが、帰って来た。
「ジョン、彼らに説明をして来ました。」
彰は、チラとデニスを見て、咎めるように言った。
「ここではニクラスと呼べ。それで、修三の様子は?」
デニスは、答えた。
「はい。イライラと部屋から出たり入ったりしておりますね。私がここへ入る前も、チラとこちらを見て、もう出ますかとか聞いて来ておりました。そろそろ出るつもりですので、先に降りて外で待っていてくださいと言ったら、何やら文句でも言いたそうな風で、降りて行きました。」
彰は、ふふんと笑った。
「あいつは根っからの学者なのだ。興味のある対象が傍にあるのに、早く行きたくて仕方がないのだろう。だが、我々を待つという理性はまだ残っている。あれぐらいでないと、こちらも対応が大変だし調度いい加減だ。ハリーを褒めておいてくれ。」
デニスは、クックと笑った。
「あなたが褒めるなんて余程ですね。確かに個人差があるのによく調節したなと私も感心しました。では、行きましょうか。上手く行けば良いのですが。」
彰は、戸口へと歩きながら、笑った。
「今の状態なら間違いなく思い通りになるだろう。どちらにしろ、効果は昼の二時まで。早く行こう。」
デニスは頷き、歩き出す彰について、5号室を出て廊下を歩き出した。
ある意味今日から、シナリオは始まるのだ。
このシナリオを書いたクリスがさぞやワクワクと胸を躍らせているのだろうなと思うと、その様子が思い浮かんで、デニスは笑いをかみ殺すのに苦労した。




