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古い日本の宿らしく、3号室の次が5号室になっていた。

4という数字に、死という不吉な気配を感じて、昔から避けるのが日本らしい。

修三が、先頭で咳払いをすると、コンコン、と、控えめに戸を叩いた。

「ニクラスさん?田村修三です。」

すると、中から声がした。

「修三か。」そうして、引き戸がスッと開いた。「よく来てくれた。」

はっきりした訛りの無い日本語。

理久と大河がホッとしていると、そこには、背がすらりと高く、体格の良い、長い黒髪を後ろに束ね、日本人に馴染み深い鳶色の瞳の、男の目から見ても端正な顔立ちだと心底思う男が、薄っすらと笑みを浮かべて、立っていた。

さすがの修三も、絶句して男を見ている。

その後ろに居た女子達二人は、赤い顔をして恥ずかし気に下を向き、もじもじという感じで上目遣いにその男を見ていた。

とはいえ、男がいったい何歳なのか、まったく想像がつかない。

そこそこの歳かと言われたらそうかもしれないし、若いと言われたらそうかもしれない。

不思議な感じのする、男だった。

「ええっと、ニクラス、さん、ですよね?」

相手は、頷いた。

「そう、私がニクラス・ポルシュ。私の助手のデニス・バントも一緒に来たのだが、今島をザッと見て回っているところだ。もう帰って来るかと思うのだがね。とにかく、入ってくれ。」

ニクラスは、そう言うと中へと入って行き、敷いてある座布団に座った。すっかり気を飲まれてしまっていた修三だったが、後ろの生徒たちにハッと気づき、頷き掛けてから、中へと足を踏み入れた。

進められるままにその前へと並んで座った六人は、居心地悪く体を動かした。この男は、欧米の名前のようなのに、見た目は東洋人っぽい気がする。こんな感じの欧米人もいるのだろうが、しかし日本人目線で、濃すぎないこの品の良い感じの顔立ちは、東洋人と言われた方がしっくりくる気がするのだ。

「ニクラスさん。思ったより、日本語がお上手なので驚きました。メールでは日本語が完璧だったのでお話はされるのだと思っていましたが、発音も日本人そのままで。」

ニクラスは、そう言われて微笑んだ。

「そうだと思う。私はドイツ人だが、私の祖母が日本人なのでね。私は日本人の血も混じっているのだ。だからこそ、日本の民俗学に興味があって、今回この島を見つけてどうしても調査してみたいと思った。協力してもらえることに、感謝しているのだ。」

修三は、手を振って言った。

「いやいや、こちらこそ全て手配してもらってしまって。」と、遥々持ってきた菓子折を、紙袋から出して、差し出した。「これは、お土産です。良かったらどうぞ。」

ニクラスは、それを見て興味深そうに言った。

「ほほう。これが菓子折というものか。初めて見た。これも日本の習慣だな?修三、喜んで戴くよ。」

なんだろう、東洋人のルックスだからか、不思議な感じを受ける。

湊は、思っていた。いい男とはこれだろうという容姿で、動きも品があってどこか堂々と自信ありげだ。何より何を食べたらそんなに肌がきれいになるのだと思うほど、きめの細かい肌で、だからといって作られたような不自然さもなく、素直に美しいと感じる。話す言葉は発音も完璧な日本語で、女子達の反応が、自分達に対してと全く違う。

そんな事を考えていると、ニクラスの目が、スイと湊を見た。

湊が、ドキッとしていると、ニクラスは言った。

「それで、そちらが手伝ってくれる生徒達かな?名前を聞いても良いか。」

湊は、自分に言われたのだとカチンコチンになりながら答えた。

「み、湊です!橋本湊といいます!」

すると、隣りの理久が次は自分だと急いで言った。

「小南理久です!」

「坂田大河です!」

そうして、女子達も小さな声でそれに続き、五人が名乗ったあとで、ニクラスは頷いた。

「皆、私が外国人だからと緊張しなくてもいいのだ。日本語も分かるし、気軽に話してくれれば良いから。参考までに、他の言語が分かる者は居るか?」

理久と大河が、湊を見る。湊は、おずおずと手を挙げて答えた。

「はい。あの…英語は話せます。おばあちゃんがカナダ人で。」

ニクラスは、頷いた。

「そうか。私も英語は分かる。どちらで話し掛けてくれても良いから。そんなに固くならなくてもいい。」

みんなが緊張しているのは外国人だからだけじゃないと思うけどなあ。

湊は思ったが、頷いた。

すると、ニクラスはカバンの持ち手を引っ張って引き寄せ、そこからいくつかの、腕時計らしき物を出した。

銀色の金属制で、ピカピカに磨かれている。

ニクラスは、皆にそれを押しやった。

「これは、通信機能もある時計だ。私もデニスもしているのだが、離れていても話をするのに役立つので持ってきた。高性能で、心拍数なども見る事が出来る。ここではスマートフォンも電波が届かないので、緊急時など困ると思ってね。何より、どこかで何かあっても心拍を管理しているのでアラームが鳴り、着けている者の緊急事態を知る事が出来るのだ。これを着けてくれないか。」

皆は、それをじっと見つめた。つまり命綱みたいなものなのか。

修三は、それを手に取り、皆に配りながら、言った。

「これで話が出来るんですね。」

湊は、手にとってそれを見て、皆が着けるのを見て、自分も着けた。液晶画面と、隣に小さなテンキーが着いている。そして、番号が5、と刻印されてあった。

ニクラスは、全員がそれを装着するのを見守ってから、言った。

「基本、風呂に入る時も着けておいて欲しい。防水なので問題ない。それぞれに番号があって、もしその番号からの信号が途絶えたら、すぐに最後の信号を頼りに助けに行く。つまり、外して信号が途絶えたら、風呂であっても踏み込まれるということだ。気をつけて欲しい。」

湊が、だったら自分は5番なんだと隣りの大河を見ると、大河は3、理久は4だった。

「どうやって通信したらいいんですか?」

修三が言うと、ニクラスは答えた。

「相手の番号を入力し、エンターキーを押す。すると、呼び出し音が鳴り、エンターキーで受話体勢になる。切る時もエンターキーだ。なので、それぞれの番号は覚えておいた方がいいな。私は1、デニスは2だ。修三、君は?」

修三は、手首を返してそれを見せた。

「6です。」

見ると、美里は7、弥生は8だった。

全員の番号を報告すると、ニクラスはメモも取らずに頷いた。

「分かった。では、お互い相手の番号を覚えておくように。」

そこへ、さっきの案内の人の声が、戸の外から呼びかけた。

「皆さん、お食事の準備が出来ました。囲炉裏の側へどうぞ。」

それを聞いたニクラスが、皆を見た。

「では、食事にしようか。これから一週間共に過ごすのだから、早く慣れて欲しいと思う。」

そう言われても、見るたびに緊張するような容姿なんだもんなあ。

湊のみならず皆がそう思っていたが、ニクラスに促されるまま、そこを立って戸を開いた。

すると、案内人が愛想よく言った。

「もう一人のお連れ様も今お戻りになりましたよ、ポルシュ様。」

ニクラスは、頷いて言った。

「私の事はニクラスでいい。それより要、明日からの段取りはどうなっている?」

(かなめ)

皆が思って案内人を見ると、案内人は、少し口の端が引きつったように見えたが、笑顔のまま、答えた。

「はい、問題ないようです。許可も下りておりますし…確認されたいことがありますか?」

「ある。」ニクラスは答えて、皆を見た。「明日からの島の探索について、この宿の主人の要に一任しているのだ。ここの僅かな住人達に話をつけてくれているのでね。君達は先に降りて食事を始めていてくれ。」

修三は、自分達だけ先に降りていいものかと逡巡していたが、湊は腹がもう鳴りそうだったので、とりあえず何か食べたかった。

それは、他の学生たちも同じなようで、縋るような目を修三に向ける。

修三は、皆の意図を察してくれて、ニクラスに頷いた。

「はい。では、先に降りています。」

学生たちのホッとした空気を背負って、修三は皆を引き連れて階段を降りて一階の座敷へと向かった。


一階へ下りると、先ほどの囲炉裏の回りに、綺麗に膳が置かれてあった。

家庭料理とはまた違った感じのもので、しかし懐石料理ほど仰々しい感じでもない。ほやほやと湯気を上げる白いご飯に、湊は駆け出してしまいそうになったが、そこには見るからに外国人、といった感じの、ブルーの瞳に薄茶色の髪の、背の高い男が座っていた。

「あ…」修三は、軽く頭を下げた。「どうも、田村修三です。今、ニクラスさんと話して来たんですが、あなたが助手のかたですか。」

その男は、それを聞いて微笑むと、立ち上がって手を差し出して来た。

「ああ、あなたが修三ですか。私が、ニクラスの助手のデニス・バントです。この度はお手伝い頂けるとか。ありがとうございます。」

ニクラスと似たイントネーションの日本語だ。

如何にも外国人のデニスが、そうやって日本語を話してくれることに、一同はほっと胸を撫で下した。修三は、デニスの手を握り、言った。

「ああ、あなたも日本語がお出来になるんですね、デニスさん。私は英語の文章は理解できますが、話すとなるとすらすら出なくてお恥ずかしい。これらは、私の大学の生徒たちです。こちらから、湊、理久、大河、美里、弥生。外国のかたは覚えづらいでしょうし、下の名前で呼んで頂けたら。」

生徒たちの意思は関係ないらしい。

しかし、呼び方などどうでも良かったので、皆黙っていた。

デニスは、座布団を指した。

「ニクラスに教わったので、日常会話ぐらいは話せます。じゃあ、皆さん、先に食べていましょう。そちらから順に座って頂いたら。」

そう言って、デニスは向こう側の、今座っていた場所へと座った。そこが上座になるのだが、そんなことは外国人に言っても始まらない。

必然的に、そこから遠い場所から生徒たちは座り始め、ぐるりと回った所で、生憎修三は日本人なので、デニスの隣りになる場所の、上座は避けて、反対側の隣りになる場所へと座った。

「ライスはお替わり自由だと言っていました。」デニスが、微笑んで言った。「どうぞ、先に召し上がってください。」

召しあがって、という言葉がバリバリの外国人から出る不自然さもあったが、湊は目の前のご飯に抗えず、言われるままに箸を手にした。

しかし、修三はそんな湊を睨んで制止し、デニスを見た。

「ニクラスさんを待った方がいいんじゃないでしょうか。」

デニスは、笑って手を振った。

「ニクラスはそんなことは気にしませんよ。さあ、どうぞ。」

言われて、湊が訴えるような目で見るのを、修三は苦笑して頷いた。

「じゃあ、戴こうか。」

そうして、やっとご飯にありつけた。

外は、もう暗くなっていて、遠く陸の方の灯りがぽつぽつと見える程度だ。

ニクラスが、要と共に降りて来て、何の疑いもなく上座のデニスの隣りへと座った。

「どうだろうか。ここの日本食が食べられるので、私も楽しみにして来たのだ。」

途端に、場の雰囲気が変わる。

どうしてこんな人が世の中に居るんだろうと湊はしばし、ぼうっとご飯を咀嚼するのも忘れて、ニクラスに見とれた。女子達は、恥ずかし気にもごもごと口を動かして、食べるスピードが完全に落ちた。

修三が、何か答えなければと、慌てて言った。

「とてもおいしいです。日本食は普段食べるのですか?」

ニクラスは、箸を器用に動かしながら、頷いた。

「祖母が上手だったので。要は田舎料理だと言っていたのだが、そんなものの方が上手いのだと父も言っていた。」

そうして、こちらの想像を裏切らない美しい所作で食事を進めた。女子達は恥ずかしがってなかなか箸が進まない。湊も、自分の食べ方がどう見えて居るのだろうと思うと、自然食べるのも慎重になってしまう。

だが、ニクラスはこちらの食べている様など興味もないようで、他には目もくれずに自分の膳だけ綺麗に平らげると、スッスと口元を紙ナフキンで拭い、言った。

「…足りないものがあったら、遠慮なく言ってもらって良いので。ここでは、魚介類が大変に豊富らしい。野菜も、村の小さな畑で作られているのを買い上げて使っているのだとか。無農薬有機栽培で健康にいい。」

確かに最初は旨いと思ったけど、今となっては味が分からない。

湊は、思いながらお茶を口に含んだ。毎食、こうなのだろうか。それとも、慣れて来るんだろうか。あまりにみんな緊張していて、静かなので両隣に座っている理久と大河に軽口も叩けない。

そんなことを思いながら、いつまでここで緊張して座っていなければならないのだろう、と、気を遣って話を続ける修三の傍らで思っていると、要が入って来て、言った。

「皆さん、お風呂をどうぞ。あいにく温泉ではありませんが、一応岩風呂なんですよ。大きくはありませんけど、男女共に一度に五人は入れる大きさですので、順番にどうぞ。」

やっとここを出られる、と湊が顔を上げると、正面のニクラスと目が合った。湊が困って下を向くと、ニクラスが微笑んで言った。

「なら、君達から先に入って来るといい。私は最後でいいので。明日からの事を、修三と話しておかねばならないしな。」

修三が、頷いて生徒たちを見回した。

「そうさせてもらうといい。君達はもう、風呂に入って寝る準備をしなさい。明日の起床時間は、また知らせに行く。」

湊は理久と大河と目を合わせて頷き合うと、立ち上がった。

「じゃあ、また明日からお願いします。」

湊が言うと、ニクラスが頷いた。

「こちらこそ、よろしく頼む。」

そうして、何とか同じように立ち上がって頭を下げた女子達と共に、湊と理久と大河は、二階へと逃げるように向かったのだった。

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