17(裏)
その部屋は、ガランとして何も無い。
彰は、きょろきょろと回りを見回し、わざと言った。
「ここは、どういう部屋なのだろうな。」と、床を見た。「他の部屋には、同じような物が書いてあったか?」
彰は、ここの仕掛けが床なのだと知っていた。
そして、恐らくはたくさんの計算問題が一気に出されるということも。
例によって内容は全く知らされていないし、彰も事前に知ろうと思わなかったのだが、計算といって、数学なのか、物理なのか、化学なのか、そんなことも分からないので、部屋へ入るまでは予想はつかなかった。
だが、床に数字だけが並ぶのを見た時、恐らく数学だろうな、と思った。
問題が現れるだろう中央の無地の板がそう面積も無いし、長文の問題文を幾つも並べるには狭い。
一番手っ取り早いのが、数学の計算式だろう。
何も知らない湊は、律儀に答えた。
「…他の部屋は、床は無地でした。これを使って、何か解答するんでしょうか。でも、問題はいったいどこでしょう?」
彰は、とぼけることにした。
「さあな。もしかして、始まらなければ提示出来ないほど簡単な問題なのかもしれない。数字があるところを見ると、数学か物理の計算などではないか?」
湊は、身震いした。どうやら、そっちは苦手らしい。
「教授、お願いですから答えを教えてください。」
彰は、頷いた。もちろん、君は私の助けを得るという恩恵を味わわせてやるのだから、必ずあっさりクリアさせてやる。だが、私について来ないと知らんぞ。
「教えるが、簡単な問題だとしたら一問で終わりとは思えない。私は次々に数字を言うから、君はそれをしっかり聞き取って、足元の数字を踏み続けるのだ。私と同じ速度で。少しでもどっちかが速かったら片方が挑戦成功とみなされなくなる。分かったか。」
湊は頷いたが、不安そうな顔をした。彰は、さすがに焦った。
「もし天井が低くなって足で踏めなくなったら、手で押すのだ。それとも、最初から手でやる方がいいか。」
湊は、自信が無いのか悩んでいたようだったが、それでも言った。
「手の方が自由に動かせると思うので、手でお願いします。」
彰は、頷いた。自分のためにしっかりやれ。
「じゃあ、始める。」と、砂時計をひっくり返した。「どうだ。」
すると、足元の何も書いていなかったタイルに、数式が幾つも浮かび上がって来た。
と、同時に出入り口は閉ざされ、天井が落ちて来る。
ああ、基本的な数学の計算式か。
彰は、さっさと答えを出して行った。
「行くぞ!3、9、86、19、2、0、」
湊は、目を白黒させた。
湊が、モグラ叩きでもしている勢いで、彰が言う数を必死に声にあわせて叩き続けている。
「7、56、12、8!」よし!10問、終わりだ。彰は、立ち上がった。「終わりだ!」
途端に、ゴゴゴゴと出入口が開く。まだ立って走れる高さ。
「行け!」
彰は、まだ状況が飲み込めていないような湊をせっついて、共にその部屋から飛び出した。
後ろを見ると、天井が半分辺りを越えて行こうとしている最中だった。
「ああ湊、良かった…。」
大河と、理久が床へとへたり込んだまま、肩の力を抜いている。
だから、私が居るのだと言うのに。
彰は、少し不機嫌になった。
そうしている間に、10分が経過したのか、ズーンという重い音を立てて、天井がそこへと降り切ってその部屋は、消えた。
「終わった。」彰は、言ってどうだとばかりに皆を振り返った。「後、二人。ここに居ろ、奥の問題がどうなっているのか、調べて来る。それから、また私と一緒に挑戦を受けよう。」
今目の前で、湊と彰の動きを見ていた二人は、幾分安心して、頷く。
しかし、彰は知っていた。自分はもう、ここへ戻ることは無い。
奥へと行って、そして私はこのまま消える事になるのだ。君達は、君達が望んだ世界の中で、絶望を希望に変えて自分達の力で、未来を掴み取るが良い。
彰は、湊、理久、大河、美里の四人を残して、奥へと消えて行った。
それから、一時間ほど経過した。
彰は、裏でモニターを眺めながら、椅子の背にもたれ掛かっていた。そして、はーあと大きなあくびをすると、傍に座る要に言った。
「動きがないな。あいつらはどこまで他力本願なのだ。そろそろ、私が戻って来ないことを怪しむ頃ではないのか。退屈だ。これ以上動きが無いなら、ミ=ゴとやらを出してサッサとロストさせてもいいかもしれんな。」
要は、焦った。ここまで来たのに全員ロストで終わりなんて、呆気なさ過ぎる。
「彰さん、落ち着いて。せっかくここまで来たんじゃないですか。まだランタンの油は大丈夫ですし、気長にやりましょう。ミ=ゴは、先を促すのに使うってクリスが言ってましたし、確かにもう出してもいいと思うので。」と、見ると、どうやらトイレを探して出掛ける組が出たようだ。「あ、ほら!トイレでロストとか可哀そうですから、ミ=ゴに説明させないと!クリスのシナリオのままだと、決まりを守らないで排泄したら食われてロストですよ!」
彰は、ハイハイと手を振って言った。
「あー、君の好きにしろ、要。あいつらだってそんな情けない終わり方など嫌だろうし、私もここまで来たからにはもっと盛り上がって欲しいもの。」と、緊張気味にしているハリーを見た。「ハリー、ここからだな。あいつらがただの画像を実体と認識するかは君に薬に掛かっている。期待しているぞ。」
ハリーは、カチンコチンになって、頷いた。
「はい。やっと自分の研究の成果が試されるんです。しくじりません。」
彰は、フッと笑った。
「後でその効果のほどは私も直に体験して来る。どこまで実体として認識出来て、スペクタクルな物が見られるのか今から楽しみだ。」
そうして、まるで興味を失くしたように、違うモニターへと視線を移す。
要は、そんな彰にクリスが振り分けた役割が、間違っていないことを実感していた。言うことがとても似ている。考え方も筋も似ている気がする。ただ、相手は狂気と破壊と破滅を願っているが、彰は再生と再建と生き物を生かすことに尽力している。
まったく正反対のことを追っているのに、言っていることが似ているというのが、矛盾していて興味深いな、と要は思っていた。
とはいえ、ここはミ=ゴの出番。
要は、パソコンを操作して、その画像を目の前に出現させた。
「「!!」」
二人は、足を止めた。
目の前には、薄い赤のような色の、大きさは150センチぐらいの、見た事もないような、おぞましい物が浮いている、と見えているはずだった。それが、一般的に言われている、ミ=ゴの設定だったので、それらしい画像を作って、動かせるようにしてあった。
「あ…あ…」
美里は、声が出ないようで、じっとそれを凝視しながらも、ジリジリと後ろへと摺り足で下がっている。
大河は、目を見開いてただ固まって、じっと画像を凝視している。
「…どうだろうか。彼らにはどう認識されているだろうな。」
ハリーは、本人たちに聞くわけにもいかないので、答えを知りたくて探るように観察している。ちなみに要達、薬の影響を受けていない者から見ると、それはただの映像で、岩壁すら透けて見えていて、安っぽいイベントの仕掛けぐらいにしか見えていなかった。
しかし、大河は、至極真面目な顔で、言った。
「ミ…ミ=ゴ?」
声が震えている。
「今、ミ=ゴって言ったよね?」
要が、言う。ハリーは、まだ油断できないと思っているのか、険しい顔で頷いた。
「そうだな。問題は、どの程度実体として認識しているかということだ。」
要は、頷いた。
「よし。ちょうど話しかけなきゃならないし、やってみるよ。」と、ヘッドセットのマイクが入っているのを確認し、トントンとテストしてから、言った。
《チョウセンヲ アキラメル ノ デスカ。》
なるべく、テレパシーっぽく聞こえるようにと、あちこちから声が向かい、出どころが分からないシステムを取っている。
思った通り、二人は声の出どころを探してキョロキョロした。
《チョウセンヲ アキラメル ノ デスカ。》
シナリオ通りの言葉を、要は繰り返した。
まあ、ここでギブアップされたら終わりなんだけど。
要が思っていると、大河が慎重に画像を見て、言った。
「…諦めねぇよ。ていうか、その、トイレを探してるんでぇ。トイレ。分かるか?」
要は、自然に見せようと前足を小刻みに動かす指示をした。
《ハイセツ デスカ。》と、後ろの穴をかぎ爪で示した。《ジンルイハ ソコヲ ツカウヨウデス。》
大河は、少しホッとして、言った。
「そうか。なら、そこでする。」
と、後ろへ行こうとそのままじりじりと下がろうとする。いや、待てってそのままだと、怪物に食われる設定なんだって。
《デスガ アチラノ キモノヲ キナイト クワレマスヨ。》
大河は、仰天した顔で慌てて戻った。
「ちょっと待て、どういうことだ。食われる?」
要は、頷いた。が、頷いたのは画像だった。
《アノ アナニハ アルジノ カイイヌガ イマス。ジンルイガ ダイコウブツ ナノデ ジュツヲ カケタ キモノデ カラダヲ カクシテ ハイセツシナイト アナカラ デテキテ クイチラカシ マス。カタヅケガ メンドウナノデ デキタラ キモノヲ キテモライタイデス。》
ここでロストしたらこれまでの苦労が、と要はまた思っていた。
大河は、何度も頷いて、言った。
「じゃあ、着物ってのはどれだ?」
要は背後の、奥の部屋の手前にある部屋を指した。
《アレデス。》
そして、スーッとそちらへと移動して行く。パソコンで命じたらいいので、結構操作は楽だ。まるで、オンラインゲームでもしているような気持になった。
大河と美里は、戸惑いながらもついて来る。
要はそこに吊ってある、真っ黒い面らしいものと、藁で出来た蓑をかぎ爪で示して、台本通り言った。
《コレヲ。オワッタラ カナラズ アナニ ワラヲ カケテ フサイデ オイテクダサイ。ミエナクナルト イヌハ デテキマセン。》
二人がそれを、おずおずと手にするのを、特に攻撃などする感じではなく、その怪物はじっと見守っていた。
《デハ ハイセツガ オワッタラ サイカイシマスカ?》
いそいそと通路を戻る、二人の背に言う。大河は、振り返って言った。
「再開って、挑戦をか?…ああ、その、仲間みんなでやるつもりだ。」
というか、早いとこ再開してくれないと、こっちのボスが飽きて来て強制終了するかもしれないんだって。
要は思いながら、言った。
《イソイデ クダサイ。ジカンヲ トルノナラ ダツラク ト ミナシテ エイエンニ アルジニ ツカエルタメニ ショリヲ シマス。》
二人は、表情を凍り付かせた。
処理という言葉が効いたのかもしれない。
「その…必ず、やる。というか、お前たちの主って誰だ?どこに居る?」
要は、傍に座ってあくびをする彰をチラと見て、ため息をついてから、答えた。
《アルジハ チョウセンヲ ウケタ ジンルイガ イルノデ コチラヘ キテ オラレマス。デスガ、イツマデモ ウゴカナイ ノデ コレイジョウ ウゴキガナケレバ ショリセヨ ト。ナノデ アナタガタノ イシヲ キキニキマシタ。》
この神話の中身が好きなら、これでいろいろ察していることだろう。
その背後に、邪神が控えていて、それがニャルラトホテプだということに。
それは偽りかもしれないが、ここでのニャルラトホテプは間違いなく、君達の命を握って今も観察しているよ。
要は、何を考えているのか皆目分からない視線で、じっとモニターを見つめている、彰を隣りに見て、思っていた。




