17
その部屋は、ガランとして何も無い。
ただ、壁にはやはり砂時計が、あの金属の丸い枠に囲まれて設置されてあった。
ニクラスは、きょろきょろと回りを見回した。
「ここは、どういう部屋なのだろうな。」と、床を見た。「他の部屋には、同じような物が書いてあったか?」
見ると、床にはタイルのようなマス目が書かれてあり、その中に、数字がたくさん並んでいた。
それがまた、ランダムに書かれてあって、1の隣りは2、などと単純なものではない。
しかし、真ん中にひと際大きなタイルがあるのだが、そこだけ、何も書いてはいなかった。
「…他の部屋は、床は無地でした。」湊は答えた。「これを使って、何か解答するんでしょうか。でも、問題はいったいどこでしょう?」
ニクラスは、首を振る。
「さあな。もしかして、始まらなければ提示出来ないほど簡単な問題なのかもしれない。数字があるところを見ると、数学か物理の計算などではないか?」
湊は、身震いした。ということは、それを解くのか。
「教授、お願いですから答えを教えてください。」
ニクラスは、頷いた。
「教えるが、簡単な問題だとしたら一問で終わりとは思えない。私は次々に数字を言うから、君はそれをしっかり聞き取って、足元の数字を踏み続けるのだ。私と同じ速度で。少しでもどっちかが速かったら片方が挑戦成功とみなされなくなる。分かったか。」
湊は頷いたが、どんな速さなのかと不安になった。とはいえ、どうしてもついて行くしかない。
「もし天井が低くなって足で踏めなくなったら、手で押すのだ。それとも、最初から手でやる方がいいか。」
湊は、バランスに自信がなかったので、少し頑張らないと届かない場所もあったが、それでも言った。
「手の方が自由に動かせると思うので、手でお願いします。」
ニクラスは、頷いた。
「じゃあ、始める。」と、砂時計をひっくり返した。「どうだ。」
すると、足元の何も書いていなかったタイルに、数式が幾つも浮かび上がって来た。
と、同時に出入り口は閉ざされ、天井が落ちて来る。
「行くぞ!3、9、86、19、2、0、」
速い。
湊は、目を白黒させた。この数式を、どんな考え方をしたらそんなに早く答えが出るんだ!
言われるままに、まるでもぐら叩きでもしているように、必死に目の前の数字を叩き続けた。ニクラスは、少しも速度が落ちないまま、次々に答えを告げて行く。
「7、56、12、8!」ニクラスは、立ち上がった。「終わりだ!」
途端に、ゴゴゴゴと出入口が開く。
「行け!」
ニクラスに追い立てられるようにして、湊はその部屋から飛び出した。
後ろを見ると、天井が半分辺りを越えて行こうとしている最中だった。
「ああ湊、良かった…。」
大河と、理久が床へとへたり込んだまま、肩の力を抜いている。
そうしている間に、10分が経過したのか、ズーンという重い音を立てて、天井がそこへと降り切ってその部屋は、消えた。
「終わった。」ニクラスは、言って皆を振り返った。「後、二人。ここに居ろ、奥の問題がどうなっているのか、調べて来る。それから、また私と一緒に挑戦を受けよう。」
今目の前で、湊とニクラスの動きを見ていた二人は、幾分安心して、頷く。
ニクラスは、二人に頷き返して、そこを出て奥へと入って行った。
それから、一時間ほど経過した。
まだ、ニクラスは戻って来ない。
奥へと、次の問題を確認に行っただけのはずだったが、あまりに時間が経ち過ぎているように感じた。
「…教授、まだかな?」理久が、もうかなり落ち着いていて、言った。「結構時間が経ったような気がするんだけど。」
美里が、横で何枚も半そでの服を巻き付けた状態で、言った。
「そうね。寒いし…あの、ここって、トイレは無いのかしら。」
それには、湊がハッとした。そういえば、トイレはどこだろう。そもそも、有るんだろうか。
「確かに…トイレの存在は聞いてなかったな。」
言われたら、行きたいような気がする。とはいえ、まだ我慢できないほどではない。
大河が、顔をしかめた。
「実はオレも。なあ、奥へ探しに行かねぇか?みんなで行くのがきつかったら、二人ぐらいで。奥には教授が居るんだし、そこまで行けりゃあ分かるだろう。ランタンが置いてあるんだし、懐中電灯だってある。道は案外明るい。オレ、一回奥まで教授を呼びに行ったから分かるけど、砂時計さえ回さなきゃ平気だ。」
すると、美里が立ち上がった。
「じゃあ、私が行く。結構我慢していたの。見つけたら行きたいし…大河くん、一緒に行く?」
大河は、頷いて立ち上がった。
「実はオレも。じゃあ、オレ達で行って来るよ。見つけたら知らせるから、待っててくれ。」
理久と、湊はそこに座ってまま、頷いた。
「ああ。じゃあ、交代でな。」
そして、大河と美里は、トイレとニクラスを探してそこを出て行った。
二人が、ある程度向こうに見えるランタンの明かりで薄っすらと見える通路の中を、懐中電灯で更に照らして歩いた。
なので、怖いという感情は湧かなかったし、明るいといのは安心感があるものだなと灯りに感謝していた。
とはいえ、これも数時間で燃料が切れる。
ある程度急がねばならない状況なのは、大河にも理解出来ていた。
曲がり角の前の穴へと到着し、そこの入り口は、他より小さいのに気づいた。それは、直径一メートルほどの穴で、中にはランタンが置かれてあるので明るいが、藁で出来たゴザが一枚、無造作に置いていあるだけで、他には何もない。
砂時計も、ここには無いようだった。
「…ねえ、もしトイレが無かったら、ここでもいいよね。」美里は、結構切羽詰まっているのか、それを覗き込んで言った。「この際、場所を選んでいられないし。」
大河は、確かにそうかもと思ったが、それでもこんな場所なので、何があるか分からない。
なので、首を振った。
「一応、教授に聞いてからにしよう。また何かあったら大変だろ?オレも別にここでもいいが、普通の場所じゃないんだからな。」
美里は、頬を膨らませた。
「分かってるわよ…。」
そして、そこを曲がって斜めに進もうとした時、それは現れた。
「「!!」」
二人は、足を止めた。
目の前には、薄い赤のような色の、大きさは150センチぐらいの、見た事もないような、おぞましい物が、普通に浮いて、道を塞いでいた。
「あ…あ…」
美里は、声が出ないようで、じっとそれを凝視しながらも、ジリジリと後ろへと摺り足で下がっている。
大河は、その異様な姿から、目を離せなかった。頭だろう位置には、渦巻き状の何かがあり、そこには、とげとげと見えるような、アンテナのような何かがたくさん立っている。かぎ爪のついた手足があり、足は浮かなくても歩けそうな感じだ。しかも、背中には翼らしいものまである。しかし、羽ばたいているわけでもないので、今浮いているのは翼の力ではないようだ。
こんな生き物は、聞いたことがある。
「ミ…ミ=ゴ?」
大河は、呟くように言った。自然、声が震えている。恐らく、ゲーム中なら今頃SAN値チェックで大騒ぎのところだろう。
美里が、ブルブルと震えながら、言った。
「ミ=ゴ…ミ=ゴなの?」
すると、声がした。
《チョウセンヲ アキラメル ノ デスカ。》
…どこから聴こえている?
二人は、回りを見回した。出どころが分からない、不思議な声だ。
《チョウセンヲ アキラメル ノ デスカ。》
声は、もう一度言った。
幾分持ち直した、大河が慎重に目の前の神話生物らしいものに、言った。
「…諦めねぇよ。ていうか、その、トイレを探してるんでぇ。トイレ。分かるか?」
相手は、前足を小刻みに動かした。
《ハイセツ デスカ。》と、後ろの穴をかぎ爪で示した。《ジンルイハ ソコヲ ツカウヨウデス。》
大河は、案外に話が通じそうなこの怪物に、少しホッとして、言った。
「そうか。なら、そこでする。」
と、後ろへ行こうとそのままじりじりと下がろうとすると、怪物は言った。
《デスガ アチラノ キモノヲ キナイト クワレマスヨ。》
食われる…?食われるって言った?!
大河は、慌てて戻った。
「ちょっと待て、どういうことだ。食われる?」
怪物は、頷いたのか頭らしいところが揺れた。
《アノ アナニハ アルジノ カイイヌガ イマス。ジンルイガ ダイコウブツ ナノデ ジュツヲ カケタ キモノデ カラダヲ カクシテ ハイセツシナイト アナカラ デテキテ クイチラカシ マス。カタヅケガ メンドウナノデ デキタラ キモノヲ キテモライタイデス。》
ということは、食い散らかされた人が居るってことだな。
大河は、何度も頷いて、言った。
「じゃあ、着物ってのはどれだ?」
怪物は、背後の、奥の部屋の手前にある部屋を指した。
《アレデス。》
そして、スーッとそちらへと移動して行く。
大河と美里は、顔を見合わせてから、そちらへと移動した。
怪物は、そこに吊ってある、真っ黒い面らしいものと、藁で出来た蓑をかぎ爪で示した。
《コレヲ。オワッタラ カナラズ アナニ ワラヲ カケテ フサイデ オイテクダサイ。ミエナクナルト イヌハ デテキマセン。》
このただの藁で出来た蓑で?
だが、術が掛かっていると言っていた。
二人がそれを、おずおずと手にするのを、特に攻撃などする感じではなく、その怪物はじっと見守っていた。
《デハ ハイセツガ オワッタラ サイカイシマスカ?》
いそいそと通路を戻る、二人の背に怪物が言う。大河は、振り返って言った。
「再開って、挑戦をか?…ああ、その、仲間みんなでやるつもりだ。」
怪物は、答えた。
《イソイデ クダサイ。ジカンヲ トルノナラ ダツラク ト ミナシテ エイエンニ アルジニ ツカエルタメニ ショリヲ シマス。》
二人は、冷水を浴びせられたような感覚がした。
永遠に主に仕えるために処理…?処理って、なんだ?
「その…必ず、やる。というか、お前たちの主って誰だ?どこに居る?」
怪物は、頭を掻くようにかぎ爪で動かした。
《アルジハ チョウセンヲ ウケタ ジンルイガ イルノデ コチラヘ キテ オラレマス。デスガ、イツマデモ ウゴカナイ ノデ コレイジョウ ウゴキガナケレバ ショリセヨ ト。ナノデ アナタガタノ イシヲ キキニキマシタ。》
ミ=ゴの主がイライラしてる。
もしかして、祭壇の神というのは…。
大河は、不安になって来て、美里を見た。美里も、同じ考えに至っているのか、青い顔をしているが、軽く頷く。
しかし、それを今、ここで口にしていいのかどうか、分からなかった。
ミ=ゴが信仰しているのはニャルラトホテプだと、クトゥルフ神話を知っている者なら、誰もが思い至るのだ。




