9
寝る支度を整えていると、美里と弥生が1号室へとやって来た。
「あの、風土記なんだけど。デニスさんが持って来てくれてたから、皆で見ておこうと思って。明日には洞窟を調べに行くのだし、知っておいた方がいいでしょう?」
時計を見ると、今はまだ11時だ。
湊は、頷いて理久と大河を振り返った。
「風土記だって。読んでおいた方がいいよな。明日中を調査する時に、何か参考になるかもしれないしな。」
二人は、特に異論はないようで、頷いた。
「ああ。まだ寝るには早えと思ってたしな。読もう。」
美里と弥生は、それを聞いて中へと入って来た。
湊は、二人の背後で戸を閉めて、そうして五人で、畳の上に座った。
「これなんだけど。」
美里が持って来たのは、今にも崩れるのではないかというほどボロボロになった、紙の本だった。
取り扱いが難しそうだな、と思って見ていると、弥生が説明し始めた。
「先にザッと読んで来たの。デニスさんが言うには、これは島で発見されたのではなくて、本土の方の民家から見つかったものみたいよ。その民家を買い取った人が見つけて、それが古い古門書なんかと一緒に、オークションに出されていたのですって。それを、インターネットでニクラス教授が見つけて競り落として、そしてここへ来ようと思ったんだそうよ。」
美里が、後を継いで言った。
「そう。中には、ここで昔どういう暮らしだったのかってことが書いてあるわ。」と、そっと破らないように、ページをめくった。「ここからここまでは、島での生活。洞窟の神を崇めて、その恩恵を受けて暮らしていたみたい。その頃には結構な人数が住んでいたんですって。こんなに小さな島なのに。」
墨で書かれてあり、流れるような文字で、読みづらい。だが、二人は読めるらしい。
男子たちが黙りこくってうんうんと聞いている中、美里は続けた。
「ここから。神のことについて書いてあるんだけど、どんなものなのかは、書いていそうな所が尽く塗りつぶされているの…ほら。」
言われて見ると、墨で真っ黒に塗りつぶされている箇所が、幾つもあった。中には、一ページまるまる真っ黒、という所もあった。
「なんか…絶対に門外不出、って感じがヤバイな。」
大河が息を飲んで言う。湊も何やら、おどろおどろしいものを、その真っ黒な墨から感じた。
弥生は、頷く。
「そうなの。ただ、ある日禁忌を犯した人が、洞窟の前で倒れているのが見つかった、って。頭の後ろにぽっかりと穴が開き、とうに絶命しているにも関わらず、その体はひと月置いても朽ちることもなく、あまりに不気味なので祭壇の横の池へと沈めた…って。だから村人たちは、禁忌を犯したら死んでも朽ちることも出来ずに神に仕え続けなければならない、と思ったみたい。」
しかし、理久が顔をしかめた。
「禁忌って…でもさ、その人だけなんだろ?誰か今生きてる人で、そんなの見たことがあるの?」
美里が、ムッとしたように理久を見た。
「だから、こんなことがあったから、みんな怖くて禁忌を冒せないんじゃないの。だから、今は見た人は居ないと思うわ。でも、これが本当だから未だにああして、あそこの神様を祭っているんじゃないの?」
理久は、腕を組んで美里を見た。
「神様が居るって前提だよね。その禁忌ってなに?じゃあ、オレが一度それをやってみようか?それでほんとかどうか分かるでしょ?」
美里は、腹を立てて腰に手を置くと、言った。
「あのね!その禁忌も塗りつぶされてて分からないのよ!村人に聞くしかないじゃないの!神様の正体とか、姿とか、そんなんじゃないの?!あなた、神様を馬鹿にしていたら、罰が当たるわよ!ここの神様は、本当に居ると思う!」
理久は、バンと畳を叩いて、抗議した。
「そんなの、何の根拠もないよね。君は村人から何も聞き出せなかったじゃないか。神様が居たとして、オレ達みたいな余所者をどうにかするとか考えないと思うよ。せいぜい出て行って欲しいと思うぐらいじゃない?だいたい、感情的になり過ぎなんだ。変わった信仰を持ってるからって、すーぐ罰が当たるとか、酷い目に合うとか、それこそ神様が居るなら失礼な話だよ?君がそうあって欲しいって願望なんじゃないの?」
美里は、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「どういうことよ!私は一応、専門で民俗学をやってるのよ!神様が居るとか居ないとか関係なく、古来から続いて来た風習とか、そういったものに興味があっていろいろ調べてるの!そうしたら、神様が必ずどこかに関わって来た歴史があって…私が知らない神様だって居るって思う方が、自然じゃないの!あなたの方がおかしいわ!何も知らないくせに!」
さすがの弥生も、あまりに激しく言い合うので困って間でおろおろと二人を見て、言葉が出せないで居る。
大河が、割り込んだ。
「だから、その話はもういいっての!理久も、突っかかるなよ。芸術かなんかだと思って調べたらいいって話してたじゃないか。美里さんも、そんなにヒートアップしないで。確かにオレ達は民俗学とか素人だけど、いきなり神様がどうのと言われても、受け入れるのは難しいんだ。あくまで遊びの世界なんだって。分かってくれよ。」
美里は、それでも激しく怒っていて、頭から湯気が出そうなほどだ。
湊が、ため息をついて、立ち上がった。
「ちょっと、冷静になろうよ。離れた方がいい。美里さん、宿の前にでも出よう。ちょっと落ち着いて、頭冷やして来よう。」
美里は、まだ理久に何か言いたそうだったが、ここで騒いでニクラスに眉を寄せられてもと思ったようだ。
おとなしく、湊に従ってその部屋を出て、外の空気を吸うために、一階へと降りた。
外は、生ぬるいような風が海から吹いていて、それでも暑くはなかった。
美里は、一言も話さないで、湊について歩いて来る。
湊は、これからこれの機嫌を取るのかと思うと、げんなりする気持ちだった。
宿の前にはぽつんと一本、水銀灯が立っていたが、その光は小さい。
そこから少し離れると、もう真っ暗で月の光が頼りだった。
今夜の空には、少し赤いような月が出て来て、この島の雰囲気とマッチしていて何やら落ち着かない。
そんなことを思いながら何かの気配を感じてふと、見上げると、そこには海をじっと見つめる、ニクラスの姿があった。
…え…!!
湊は、声が出なかった。
いつもニクラスは、髪を後ろで束ねていたので、髪が長いというのは知っていたが、正面から見ていると、短髪の人とそう印象は変わらなかった。
それなのに今のニクラスは、宿の黒い浴衣姿で、真っ黒い髪を風になびかせて、赤い月の下、真っ黒な海を眺めている。
…凄い…これは邪神だ…目を奪われる。
湊は、そう思った。今なら、神は確かに居ると答えたかもしれない。ただ、邪神の方だが。
隣りの美里も、ニクラスに気付いて固まっているのを感じていたが、湊はあいにく、ニクラスから目が離せなかった。
目を離さなければ命はないと言われても、今は視線が固定されてしまって、圧倒されて身動きが取れなかったのだ。
すると、気配を感じたのか、ニクラスがこちらを振り返った。
見下ろして来るその瞳が、月の光の中で怪しく光っているように見えて、湊は鳥肌が立った。もし、ここで襲い掛かられてもきっと逃げることが出来ない…!
しかし、ニクラスは、立ち上がって二人を岩の上から見下ろして、言った。
「どうした?眠れずに出て来たのか、それとも二人で何か話でも?」
湊は、ハッとした。確かにそう見えるかもしれないが、違う!と言いたいが、口が動かない。
隣りの美里が、ブンブンと赤い顔をして首を振った。
「違います!ただ…少し、言い合いになって。」
湊が、必死に頷いて、何とか言葉を出した。
「そうなんです。離れて頭を冷やした方がいいって、連れて出て来たんです。」
思わず知らず、顔が赤くなる。これが、APP18の破壊力だった。
ニクラスは、こちらの気持ちも知らず、そのまま岩場から降りて来ながら、言った。
「明日は早い。もう寝た方がいい。言い合いの相手が同室の者なら面倒だが、そうでは無いのではないか?夕食の席での様子を見ていたら、どうも理久という子とそちらの美里さんが何やら意見の相違があるようだったが。」
二人は、バツが悪そうに顔を見合わせた。どうして分かるんだろう。
「はい…そうなんですけど。」
湊が、答える。
ニクラスは、困ったように笑いながら、言った。
「私達はチームなのだ。中で争っている場合ではない。意見の相違など、私とデニス、修三もあるもの。だが、うまくお互いに理解し合っているのだ。誰が間違っているとか、そんなことは事実が明らかになるまで分かるまい。まして君達の間の軋轢は、神の存在の有無なのではないのか。それが、人に真実解明されるのはもっと先だろう。君達で扱えるようなテーマではない。」
二人は、諭されて下を向いた。ニクラスは自分の容姿の破壊力に気付いていないが、こちらはそんな容姿から繰り出されると、どんな言葉でも頭に入って来る余裕がなくなるのだ。
ニクラスは、二人が黙っているのでため息をついて続けた。
「もう、戻れ。そうして眠るのだ。明日は君達にも役目があるのだからな。行け。」
言われて、従おうと思うのだが、その怪しい美しさには、まだ見ていたい、まだ見ていたいと何度も振り返らずにはいられず、二人はまるで邪神に心を絡めとられたような気持ちになりながら、宿へと戻って行った。
美里は、まるで憑き物が落ちたように、すっかり怒りが収まっていた。




